第二十八話 焼肉を食べたのが間違いだった
「みーくん、今日の朝食は抜くべきなんだよ!」
朝、寝室を出たところで、バケツヘルムの円卓の騎士、ヂャギーから突然そう忠告された。
寝ぼけ眼をこすり、そこに立っているのが彼だと確認すると、欠伸をしながら、挨拶をする。
「おはよう、ヂャギー」
「うん、おはよう! それでね、みーくん、今日の朝食は抜くべきなんだよ!」
こちらが聞き逃したと思ったのだろうか。
先ほどとまったく同じ台詞だった。
「えーと……なんで?」
「焼肉の食べ放題に行くからなんだよ!」
と、ヂャギーはノリノリで、王都の高級焼肉店、ジョン=ジョン・エンドールのお食事券の束を見せてくる。
この間の、アスカラくん討伐祝勝会のビンゴで彼が手に入れたものだ。
「初等学校までの子供は金貨一枚、大人は金貨三枚で食べ放題なんだよ! 孤児院の手伝いしてる修道女さん二人を入れても、あと何人かいけそうなんだよ!」
なるほど。それで俺を誘いにきたわけか。
「前に朝ごはんに招待してくれたお礼だよ! 孤児院のみんなも、みーくんにあのときのお礼したいんだって!」
あのとき、というのは、孤児院の子供を人質にとられて、盗賊ギルドへ呼び出されたときのことだろう。
色々あって人質も取り戻せたし、孤児院の債権についても、うやむやになった。
しかしあの時はもう一人、同行者がいたのだが。
「ラヴィは?」
「おうちに行ったけど、いなかったよ! どこかに出かけたっきり何日も帰ってこないって執事さんが言ってた!」
遠出をするときは俺に伝えるよう、口をすっぱくして言っておいたのだが。
まぁそのせいで焼肉が食えないのだ。
自業自得だろう。
「分かった。朝ごはんは抜きでって、料理長に伝えとこう」
「うん! あとね! みーくん、今日は一日オフでしょ!?」
そうだけど。
元々王様がいない時期が八割以上な国だからか、俺に飛んでくる仕事はほとんどない。
たまに貴族や、他国の使者と謁見する程度なもので、それも今日は予定になかった。
「だったら、オイラに付き合ってほしいんだよ! 一番美味しく、焼肉を食べるためなんだよ!」
なんだかちょっと嫌な予感がしなくもないが。
ここで彼の好感度を上げておくのも悪くはないかと、頷いておく。
そして半刻も経たずに、それを後悔することになった。
☆
王城の中庭は、とにかく広い。
俺の通っていた中等学校の校庭なんて目じゃない広さだ。
大きな池もあれば、王侯貴族用の厩舎もあり、諸侯騎士団の屋外訓練所や、庭園、ちょっとした林や畑なんかもある。
高い城壁に囲まれたその中庭をぐるっと一周するのは、骨の折れる作業だ。
そしてそれを周回数も忘れるくらい走り続けるのは、体育会系ではない俺には厳しすぎた。
木陰を見つけて、そこで、何度か胃酸を吐き、仰向けに倒れる。
ずいぶん先を走っていたヂャギーが心配そうな顔をして戻ってきた。
「大丈夫!? 具合悪かった!?」
具合が悪い中、走ったから倒れたと思っているようだが、走ったから具合が悪いのである。
近所の井戸から水を持ってきてくれたヂャギーに礼を言い、それで喉を潤す。
生き返るような気分だった。
「ヂャギーは体力あるね……」
「普通なんだよ!」
こんだけ走って汗一つ掻いてないし、普通ではないと思う。
あの息苦しそうなバケツヘルムをつけたままだし。
「オイラ、毎朝、王都を一周するコースでジョギングしてるけど、それで体力がついたのかも!」
「……それ、通報されたりしたことない?」
「最初の頃はちょくちょく治安維持隊の人に止められたよ! 留置所まで連れて行かれたことも何度かあったよ!」
比較的差別の少ないウィズランド王国ではあるが、やはり世間は、変わった外見をしている者に冷たい。
まぁバケツヘルムと革鎧を装着したまま、延々と走っている筋骨隆々の男がいたら、通報しない自信が、俺にもないけど。
「でも今じゃ治安維持隊の人たちとも仲良しだよ! 走ってると食べさしのハンバーガーとかドーナツとか、くれるようになったよ!」
それは人徳だろう。
せっかく王様になったことだし、ヂャギーのような人が、馬鹿を見ない世の中にしたいものだが。
「……ふぅ。ありがとう。だいぶ休めたよ。次は何するの」
「本当はこの後、腕立て伏せとかするんだけどね! 飛ばして次へ行くね!」
そういや、この間の祝勝会の王様ゲームで、腕立て伏せ千回とかいう無茶な命令を出してたな、この男。
たまたま当たったのがリクサだったから完遂できたけど、他の人だったら絶対途中で挫折してたはずだ。
胸元の大きく開いたショールドレスで、高速腕立て伏せをするリクサは、それはそれは見ものだったのだが、酒の力のせいか、今の今まで忘れていた。
思い出せてよかった。
「今度は大衆浴場に行くよ!」
なんだ、お風呂か。
また無茶なことをやらされるのではと心配していたのだが、だいぶ安心した。
男同士で裸の付き合いというやつも悪くはないだろう……と思っていたのだが。
半刻も経たずに、やはりそれを後悔することになった。
☆
ウィズランド島は海底火山が隆起してできたと言われている。
そのため、島の各地に温泉地があり、観光資源や住民の憩いの場として利用されているのだが、王都にもやはりそういった施設がたくさんある。
恋する夏通りにある大衆浴場、火蜥蜴の湯もその一つで、昼前のこの時間から、多くの客で賑わっていた。
しかし今、蒸し風呂の中にいるのは、俺とヂャギーだけである。
先ほどから何人か入ってくる者はいるのだが、バケツヘルムを被ったまま、蒸し風呂の中央に鎮座する筋骨隆々の男の姿を見た途端に、逃げるように出て行ってしまうのである。
店の入り口に刺青禁止とは書いてあったが、バケツヘルム禁止とは書いてなかった。
マナーとして、どうなのかは俺には分からないが。
「……蒸し風呂にね、金属製のものをつけて入ると火傷する恐れがあるんだけど」
「大丈夫! この兜、真銀製だから、熱くならないんだ!」
それはよかった。
しかし息苦しいのに変わりはないのだろう。
ここではさすがの彼も、汗をだらだら掻いている。
俺も、汗をだいぶ掻いたし、お腹も空いてきた。
だが焼肉屋に行くのは夕方だというし、昼飯も食べるべきではないと彼は力説している。
さすがにここまでする必要はないんじゃないか、とは思う。
そういえば俺も、姿を欺く腕輪、匿名希望をつけっぱなしだ。
これも熱くならないということは、真銀製なのだろうか。
「みーくん、好きな子いるの?」
「はああ!?」
突如、話を振られて、狭い蒸し風呂の中で絶叫する。
彼は前を向いたままなので、どんな表情をしているのかは、よく分からない。
いや、そもそもバケツヘルムのせいで分からない。
「なんかほかに人もいないし、修学旅行的なノリかなと思って」
「そういうのは就寝前にやろうよ! 枕投げで疲れた後に、明かり消してやろうよ!」
あまりの唐突さに、反論してしまったが。
しかし恋愛話が出たということは、だいぶ仲良くなってきた証拠だ。
ここで乗らないというのも、間違いな気がする。
「円卓の女の子だと、誰が好みなの?」
「いやー……いや、誰、といわれても、難しいなー」
「りっちゃんは?」
「年上しっかりお姉さん……そりゃ好きだよ。しっかりしてないところもあるって分かってきたけど」
「しーちゃんは?」
「年下獣耳内気少女……そりゃ好きだよ。最近、ヤバい一面もあるって分かってきたけど」
「なっちゃんは?」
「ツンチョロ純情娘……そりゃ好きだよ。なにかと決闘挑んでくるのはそろそろ勘弁してほしいけど」
「らっちゃんは?」
「ぐーたら友達感覚ガール……そりゃ好きだよ。ぐーたらぶりが度を越しすぎて、仕事させるのが大変だけど」
ふうむと、彼はその丸太のような腕を組んで、考え込んだ。
「横一線ってことだね!」
「……まぁ、そうなるかな」
蒸し風呂で、のぼせた頭で、この手のことを考えるのはきつい。
なんだか視界がぼやけ始めてきたので、外へ出ようと立ち上がり。
そこで立ち眩みを起こし、俺はその場に倒れこんだ。
聖剣の鞘はこういう微弱な疲労の蓄積には効果がない――。
☆
「お肉、お店にあるだけ全部持ってきてほしいんだよ!」
夕方。
孤児院の子供十数人を引き連れて、王都の高級焼肉店、ジョン=ジョン・エンドールの一番広い個室につくなり、ヂャギーは無茶な注文をした。
食べ放題とはいえ、さすがに通るわけないので、俺が常識的な注文に変更する。
「とりあえず、オードブルと野菜、焼物盛合せを人数分、それと子供の数だけジュースと――」
「オイラはお酒呑むよ!」
「私達もー!」
と、ヂャギーに合わせて手を挙げたのは、孤児院の手伝いをしている勇者信仰会の修道女さん二人である。
勇者信仰会は、宗教みたいな名前をしているが、実態はほぼ互助会であり、厳しい戒律のようなものもない。
当然、酒も肉も飲み食い自由である。
「……じゃあ麦酒を四人分お願いします」
注文した品は、すぐに運ばれてくる。
孤児院の子供達は、こういうところに来るのは初めてなのか、きゃっきゃと大層浮かれている。
「今日はぶれいこうだよ! かんぱーい!」
ヂャギーの音頭で、食事会の幕が上がったが、たぶん彼は無礼講の意味を分かっていない。
この間、俺が言っていたのをマネしただけだと思う。
肝心の肉の方はというと、これが涙が出そうになるくらい美味かった。
王城の料理人は、こういうシンプルに素材の良さだけで攻めてくるような品は作ってくれない。
炭火で焼いて、たれをつけて食うだけの料理が、こんなにも美味いのかと感動したが、単に朝から何も食わずに運動したり、サウナで汗を流したりした後だったからかもしれない。
喉に流し込んだ、キンキンに冷えた麦酒も犯罪的で、最高だった。
「ミレアスさん、昼に倒れたんですって! お肉たくさん食べて精をつけなきゃダメですよ!」
ミレアスというのは、俺の偽名である。
修道女さん二人が、左右から肉を焼いては俺の皿、もしくは口に放り込んでくるが、それはこの間のお礼というよりも、単に楽しいからやってるだけという印象だった。
やはり、勇者信仰会の人達は陽気である。
「しいたけと、エリンギと、九頭竜茸を、お店にあるだけ全部持ってきてほしいんだ!」
完全に食べ放題を勘違いしているヂャギーに代わり、それぞれ三人前に注文しなおす。
しかし茸を注文するとは思わなかった。
「ヂャギーは昔、山で自走式催眠茸に育てられてた時期があるって聞いたけど」
「そうだよ! だから茸をたくさん食べて、人間の方が茸より上等な存在なんだって再確認するんだ! オイラ、茸は絶対に許さないよ! 世界から駆逐してやるんだよ!」
なんだか複雑な感情が彼の中では渦巻いているみたいだが。
別にわざわざ食べなくたって、人間の方が上等な存在なのは間違いないだろう。
そういえば、とメニュー表を見てみたが、人狼の里で食べたあの幻の茸、自走式擬態茸はさすがに置いてなかった。
魚介類も割りと揃っているのに、俺の好物であるザリーフィッシュも置いてない。
まぁしかし、食べるものには困らない。
牛も豚も羊も鳥も、とにかく上等な肉が揃っている。
みんな、ここぞとばかりに食べまくるので、肉が焼けるのが追いつかなくなるのが問題になるくらいだった。
手当たり次第、次から次へと注文をして、肉が来るなり、焼いて食う。
「楽しいね! みーくん!」
「……そうだね!」
子供達の笑顔を見ながら、美味しい酒を呑んで、綺麗な修道女さん二人に囲まれて、友と一緒に肉を食う。
これ以上、何を言うことがあろうか。
そして、宴は夜まで続き、店の許容範囲を遥かに越えた量を飲み食いした俺たちは、晴れて、出入り禁止指定を受けたのであった。
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【第六席 ヂャギー】
忠誠度:★★
親密度:★★★★★[up!]
恋愛度:★
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