第二十六話 彼女を女中にしたのは間違いだった
選定の聖剣エンドッド――別名『時越えの聖剣』の力は、円卓の騎士たちとの絆が深まるごとに解放されていく。
力が解放されると使用者は自ずとそれが分かると言われているが、実際は他の使用条件が満たされたり、使うべきときが来たりしないと気付かなかったりする。
絆には三種類あり、それぞれ、
王と臣下の関係の『忠誠度』
友人同士の関係の『親密度』
一人の人としての『恋愛度』
と定義できる。
それぞれの絆を深めることにより解放される力の種類は異なる。
『忠誠度』を上げることで使用できるのは『騎士のスキルの借用』。
将来、騎士たちが自分に対して行ってくれる行動を前借りするという体で、一時的にそのスキルを使うことができるようになる。
使用方法は、本人がそのスキルを使用している姿を思い浮かべ、念じること。
それだけである。
その際、手元に聖剣がある必要はない。
使用可能回数は、そのスキルを所持している騎士の『忠誠度』メモリの数まで……と推測していたが、もしかすると強力なスキルになると、複数メモリ分を一気に消費するかもしれない。
いずれにしても、魔力のように、十分な休息を取れば使用回数は回復する。
魔力を用いて事象をコントロールする技術、いわゆる『魔術』や、神格や精霊に依頼して魔術を代行してもらう『魔法』もこのスキルの範疇に含まれる。
例えば女神アールディアを信仰していない俺でも、その力を借りて《治癒魔法》をかけることができた。
上級職のスキルや、特別職のスキル、職の固有スキルなんかも借用可能であるが、いくつか制約が加えられるものや、あるいは別の事情により、使えそうもないものもある。
例えばヤルーの召喚術に関しては、本人が契約している精霊以外は呼び出せないし、召喚可能回数も共通、当然、本人が先に召喚してしまっている場合は呼び出せない。
風精霊は三体契約しているそうなので、ヤツが一体呼んでいても俺も別のを呼べるが、不死鳥は一体しかいないしヤツが常時憑依させているので、俺が呼んでも来てくれない……という感じである。
後者の、別の事情で使えそうにないスキルは、リクサの【天機招雷】なんかが代表的だ。
あれは彼女に流れる勇者の血を活用したスキルなので、一般人である俺が使っても意味を成さない。
たぶん見落としているが、それに近いスキルは他にもあると思う。
ともかく、これまで何の職にもついておらず、ただの学生に過ぎなかった俺の戦闘能力の大部分は、このカテゴリーに依存している。
『忠誠度』は最優先で上げておくべきであろう。
『親密度』を上げることで使用できるのは『騎士の制御法』。
ただしこれには謎が多く、今のところ分かっているのは、その騎士の血液に反応して、その現在地を漠然と教えてくれる【居場所察知】だけである。
先代王が、ぽろっと話していたが、騎士の召喚なんかも恐らくこのカテゴリーに含まれるのだと思う。使用条件が分からないから使えないのか、あるいは『親密度』が足りないから使えないのかは分からないが。
いずれにしても、これも対象の騎士の『親密度』メモリ分までしか使用できないようだし、曲者揃いの円卓の騎士を御するには必須と思われる。
やはり疎かにはできない。
最後、『恋愛度』を上げることで使用できるのは『騎士団の切り札』
これから俺たちが戦っていくことになる魔神と天聖機械は共に、生半可な物理攻撃では傷一つつかない強固な肉体と、あらゆる魔術、魔法に対抗する術を持ち合わせている。
それらの防御を突破する過剰攻撃の必殺剣。
それを、この『恋愛度』メモリを消費することで使用することができる。
具体的な仕組みは省くが、騎士たちの『恋愛度』メモリが多い程、威力が増すと思われる。
最初の脅威、決戦級天聖機械、アスカラは十三個のメモリ消費で倒すことができたが、あれ以上に堅牢な敵が現れないとは限らない。
そして、もしこれが威力不足で通用しない場合、それはすなわち騎士団の敗北を意味する。
これもまた絶対に上げておくべきカテゴリーであろう。
☆
「ふう……」
朝食後の穏やかな、ひと時。
聖剣についてこれまでに分かった事実を、日記帳にまとめ終えて、俺は大きく息をついた。
というかこういう書類を過去の王や、魔術師マーリアが作っておいてくれたらよかったんだが、ホント気が利かないものである。
「ミレウス様。何を書いていらっしゃるのですか?」
後ろから女中さんが話しかけてくる。
俺は文章を推敲しながら、振り返りもせずに答えた。
「大事なことだよ。王の秘密だ」
「……それ何語です? 読めません」
「そりゃそうだよ。ミレウス文字だからね。初等学校の頃に三年かけて開発した俺独自の言語だ。秘密の日記とか書く機会があったら便利だろうなって思ってたけど、ついに日の目を見るときがきたってわけだ」
まぁこの手引書は誰にも見せる気はないし、見たところで分かるはずないと思うので、日の目は見ないのだが。
女中さんは、ふーんと、やや不満げな声を漏らすと、そっと耳うちしてきた。
「ところでミレウス様。口に紅茶をできるだけたくさん含んでいただけますか」
「うん」
特に疑問も持たずに、その指示に従う。
女中さんがトコトコと前へ歩いていって、俺の視界の中に入る。
そして、長いスカートの裾を摘んで、お辞儀してきた。
「お久しぶりです。ミレウス焼豚王さま」
ブゥー!! っと盛大に紅茶を噴き出す。
危うく作成中の聖剣手引書が、台無しになるところだった。
一月ぶりくらいだろうか。
中等学校時代のクラスメイトにして、ちょっといいなと思っていたあの女の子――聖剣を抜いてみろと俺をけしかけた彼女が、そこにはいた。
アザレアさんである。
「な、な、なんで、ここにいんの!?」
「ふっふっふー。私が進学したのは王都にある名門高等学校。そして、すっごいギリギリ、解釈次第では貴族に血がつながっていなくもなくもない我が家に、王城で女中のバイトしませんかって話がやってきた……と、ここまで言えば、だいたい分かるよね?」
分かったが。
そうか。俺の面倒を主に見てくれていた老女中さんが、昨日で定年退職したんだっけ。
その代わりに来たってことだろうか。
「いや、いくら身元が……すっごいギリギリ、確かだったとしても、いきなり王付きの女中になるとかってある? 万が一、[暗殺者]だったらどうするのよ」
「そのとおりであーる! さっき飲ませた紅茶には速効性の下剤が混ぜてあったのであーる!」
「そういう冗談はいいから」
にべもない返事をすると、彼女は特に気にした様子もなく、事情を話してくれた。
「あの聖剣広場にミレウスくんを迎えにきた女騎士の人が、面接官だったんだよね。それで、ミレウスくんの身の回りのお世話には気心の知れた私がぴったり! ってアピールしたら採用してくれて」
なるほど。リクサの配慮か。
あの人、そんな仕事までしてたんだな。
いつも忙しそうにしてるわけだ、と考えていると、アザレアさんは頬を膨らませて、両手を腰に当て、非難してきた。
「っていうかさー! 私だって声で分からなかったの? 少し会わなかっただけで冷たくない?」
「めっちゃ考え事してたの! 上の空で返事してたの!」
いや、悪かったとは思っている。
仮にも気になってた女の子の声に気付かないとは、ミレウス一生の不覚である。
「そ、そうだ、アザレアさん、女中服とっても似合ってるね!」
「ホントにぃ?」
「ホントホント! 可愛い可愛い!」
「もー、ミレウスくんは調子いいんだから!」
機嫌を直してくれたのか、アザレアさんは女中服を見せびらかすように、その場で一回、二回とターンをした。
スカートの裾が、ふわりと浮いて、そして戻る。
似合ってると言ったのは嘘ではない。
もちろん、可愛いと言ったのも。
「まぁなんにせよ、久しぶりに会えて嬉しいよ。アザレアさん」
「ふっふっふ。そうでしょそうでしょ」
一月ぶりに再会した彼女は、相変わらずよく笑う、魅力的な女の子だった。
☆
アザレアさんに聞いた話によると、平日は学校に行く前と終わってから、今日のような休日はほとんど一日中、王城で仕事をするのだという。
ずいぶん働くな、と思ったが。
「バイト代凄いんだよ! 高等学校三年間でお金貯めて、でっかい別荘買うんだ!」
と彼女は意気込んでいた。
いくらなんでもバイト代で別荘は無理だと思うが。
声で気付かなかった俺が悪いとはいえ、驚かされた借りは返さなければなるまい。
俺は自室に戻ると、細い銀色の留め金のない腕輪を腕にはめた。
着用すると、自身の姿や声、聖剣や鞘を偽装する、魔法の品、匿名希望だ。
相手によって見え方は違うらしいが、警戒心を抱かない姿に映るようになるらしい。
王が、王城や王都を、お忍びで歩くときに使うものとして、代々引き継がれてきたそうだが。
今回は別の用途で使わせてもらおう。
先日の祝勝会のビンゴ大会で手に入れた自動現像擬似投影機を片手に、俺はアザレアさんを探しに出かけた。
☆
部屋の場所やら、調度品の価値やらの書き込まれた地図を片手に、きょろきょろとしているアザレアさんを発見したのは、王城の西の渡り廊下でのことだった。
おっほん、とわざとらしく咳払いをすると、彼女に背後から声をかける。
「やぁ、そこのキミ! 少しいいかね!」
きょとんとした顔で、アザレアさんが振り返る。
彼女の目には、今の俺はどんな風に映っているのだろうか。
若手貴族か、諸侯騎士団の騎士か。
いずれにしても、王城を歩いていてもおかしくはない人物に見えていることだろう。
そして、そういう人物は、新人の女中さんよりかは立場が上のはずだ。
「ミレウス陛下の応接室はどちらかな? お召しにより参上したのだが……」
聞いてみる。
すると彼女は、案内する素振りを見せるわけでも、地図に目を落とすわけでもなく、ただ不審者を見るような目で、俺を見てきた。
あれ?
「なにやってんの、ミレウスくん」
「ど! だ、何を言ってるんだね、君は! ミレウス陛下? ミレウス陛下ではないぞ、私は!」
我ながら言ってることが支離滅裂だが。
アザレアさんは廊下を見渡すと、誰にも見られていないことを確認し、両手を合わせて謝罪のポーズを取った。
「ごめん。何かの冗談なんだろうけど、意味不明すぎて、どう乗っかればいいか分かんなかったよ」
「……あれ、もしかして、俺のこと普通に見えてる?」
腕に匿名希望があることを確認するが、普通についてる。
そもそもここに来るまでに、他の女中や騎士なんかにすれ違ってるのに、王として扱われなかったのだから、その効力が発揮されているのは明らかだ。
「普通に、って変装らしい変装してないんだから、当たり前だと思うけど。……なに? もしかして髪少し切ったとか? そういう細かい変化に気付かないと怒り出すめんどくさい女の子みたいな、そういうノリ?」
「いや、違う。えーと……」
もう話してしまってもいいか。
これは大した秘密でもないし。
「実はこの腕輪は匿名希望って言って――」
俺の説明を聞いても、なお彼女は疑わしげな視線を向けてきたが。
ちょうど横を他の女中さんが通りがかり、俺にペコリと頭を下げる程度で歩いていったことで、納得したらしい。
「確かにあれは王様に対する態度じゃないね! ホントに他の人には、ミレウスくんに見えてないんだ!」
そうなんだけれども。
どうしてアザレアさんには効いてないのだろうか。
「あ、そういやリクサが、魔力の強い人には見破られるって話してた気がするな」
それと、同じ円卓の騎士にも効果がないと言っていたが。
「でもアザレアさん、魔術、魔法系の習い事なんてしてなかったよね……?」
「一切してない。もしかして、私、実はめちゃくちゃ才能があるとか!?」
ふざけた調子で話しているが、案外そこは本当かもしれない。
「今度、魔力測定受けてみたら?」
「そうしてみる! ふっふっふ、魔術の道に目覚めたアザレアさんは、やがて[大魔術師]になり、ミレウスくんに懇願され円卓の騎士の一員になるのであった――」
「それはないから」
変なモノローグを口走るアザレアさんに突っ込みを入れると。
彼女はそれとは関係なく、ハッとした顔で、俺の腕輪を掴んできた。
「じゃあこれがあれば、ミレウスくんも外に、普通に遊びに出かけられるんだね」
あ、それでか、なるほどね、と彼女は独り言を続けたが、その意味は分からない。
ともかく、彼女は俺の手を引くと、街の方を指差した。
「ねね、ミレウスくん、これから遊びに行こうよ!」
「いやいやいや、アザレアさん、仕事の真っ最中でしょ」
「そんなの王様なんだからどうとでもなるでしょー。買出しの仕事を命じるとかでさ! ちょっとでいいから、ね! ね! 女中さんと王都でデートとか、してみたいでしょ~?」
そういう頼み方をされると、俺が断れないのを、この人は知っているのだ。
実に卑怯な女の子だし、かく言う俺は、実にチョロい男の子である。
☆
お昼時。
アザレアさんと連れ立って、王城から伸びる、中心街を歩く。
もちろん俺は匿名希望をつけたままなので、騒ぎになることもない。
女中服姿のままなので、むしろ彼女の方が目立つ。
ちょうど一月くらい前、この王都に修学旅行でやってきたときも、こんな風に一緒に歩いていたのを思い出す。
あのときは二人とも、こんなことになるなんて夢にも思ってなかった。
「王様になってから、どうだった?」
「クッソ大変だったよ。もう一年くらい経った気分だ」
話せないことはたくさんあるけど、話せることだけでもたくさんある。
「とにかくね。円卓の騎士のやつらがダメ人間ばっかなんだ。首輪つけて引っ張ってこないと働かない、ぐーたらな騎士のやる気出させるために接待したり、姿くらました騎士を探しに人狼の里へ行って、人間に擬態する茸と戦ったり、王都の地下にある地下洞窟を通って盗賊ギルドへ行ったり、遺跡に行って階層移動の罠を踏んで、土精霊を助けたり、血の気の多い騎士に挑まれて決闘したり、騎士の汚部屋を片付けてあげたり……」
「なんか、とっ散らかりすぎて、ワケわかんないよ!」
「俺も言っててそう思った」
一つ一つのエピソードを分かりやすく語るには、けっこう時間がかかりそうだ。
「じゃー後で、ゆっくり聞かせてもらおうかな! ミレウス王の冒険譚!」
冒険。そうか、この一月の出来事はそう言い表すこともできるのか。
英雄伝説に謳われるようなものとは全然違うけど、統一王だって、伝説に残るような華やかな冒険ばかりをしていたわけじゃない。
そこらの冒険者も、毎日楽しそうではあるけれど、案外それぞれ、くだらなく、地味な活動をしていたりするのかもしれない。
「アザレアさんはどうだったの?」
「あの後、こっちも大変だったんだよ。引率の先生や学校の皆に事情を説明しなきゃならなかったし、地元に帰ったら帰ったで色んな人に話聞かれて、新聞社の取材まで来たんだからね。私は私で、卒業式もあるし、王都への引越しもあるし、新しい学校での手続きとか、下宿先への挨拶とか、色々さー」
「その辺も、ゆっくり聞かせてもらおうか」
俺たちは王都の中心、聖剣広場にたどり着いた。
観光スポットとして人気が高いこの場所は、相変わらず、人でごった返している。
聖剣の刺さっていた丘にはもう何もないのだが、それでも王都の象徴であることに変わりはないらしく、屋台がぐるっとあたりを囲んでいた。
「あ、焼き豚串が売ってますぞ、焼豚王さま!」
アザレアさんが、俺の袖を引き、屋台を指差す。
「あの日は私に焼き豚串買ってくれなかったからなー。たった銅貨三枚だったのになー」
「いや、あの時キミ、勝手に食ったよね。食うなって言って串預けたのに食ってたよね」
「記憶にないですねぇ、まったく記憶にない」
俺がよく使うような言い回しでおどけるアザレアさんに、思わず噴き出す。
ここは俺の負けかな。
「いいだろう。俺もいまや王様だ。焼き豚串の一本や二本、国庫の金で買ってあげよう」
「やったー」
飛び跳ねるアザレアさんを連れて屋台へ向かう。
焼き豚串を炭火の上で回していたのは、見覚えのある、おっちゃんだった。
「二本ちょうだい。俺は塩で」
「私はタレで!」
「あいよっ!」
相変わらず威勢がいい。
すでに火の通ってた串に、さっと味付けを施して、俺たちに渡してくれる。
アザレアさんは実に嬉しそうに、すぐにその場で、かぶりついた。
「お、ボウズ、いいもん持ってるな!」
と、店主のおっちゃんが指差したのは、俺の自動現像擬似投影機だった。
「よし、そこの彼女と撮ってやるよ! 聖剣の丘の観光に来たんだろ?」
そうではないけど、そうということにして。
おっちゃんに擬似投影機を預け、広場の中心にある、聖剣もないタダの丘の前で、アザレアさんと並ぶ。
「いくぞー。ほらほら、もっと近づいて。腕くらい組んで」
彼女が俺の腕に手を回してくる。
カシャッという撮影音がして、その後、一枚の擬似投影紙が機械から吐き出された。
「現像できたぞ。おー、よく写ってる。ボウズ、男前だな……っと。あれ?」
おっちゃんの下へ歩いていき、擬似投影機と、出てきた擬似投影紙を受け取る。
そこに写っている俺の顔と、実際の俺の顔とを見比べて、おっちゃんは頭の上に疑問符を浮かべた。
「あれ? 顔が……あれ? どういうこった……?」
そうだろうなと思っていたが、やはり擬似投影機に匿名希望の効果はないらしい。
「あのときはありがとね」
言って、匿名希望を一瞬外す。
聖剣を引き抜こうと丘の上に立ったあのとき、応援してくれたことを思い出す。
おっちゃんは顎が外れそうなくらい口を開けて驚いた。
「ミ、ミ、ミレウス王様!?」
その声で、周囲の観光客達の視線がこちらに集まる前に。
俺は匿名希望をつけなおし、アザレアさんの手を掴んで、聖剣広場を逃げ出した。