第二十一話 百足蜘蛛に挑んだのが間違いだった
百本足の決戦級天聖機械、アスカラ。
その怪物が口に魔力の光を収束させたとき、棒立ちのまま、なんの反応もできなかったのは俺一人だった。
「フォールの聖石よ!」
「女神アールディアよ、我らに慈悲深き、その御手を!」
「自己責任で――我が呼び声に応えよ、土精霊!」
リクサが直剣を振りかざして勇者特権による魔術障壁を張り、シエナがその上に《聖結界》を展開、さらにヤルーが土精霊を使役してその前に土壁を構築する。
ナガレとラヴィが左右から俺の両肩を掴んで地面に押し倒してきて、さらにヂャギーが上から覆いかぶさってくる。
極太の熱光線が襲ってきたのは、その時だった。
圧倒的熱量が周囲を通過する。
許容範囲を遥かに超えた光と熱と轟音で、頭がすべての五感を遮断しようとする。
その中で、リクサとヤルーが罵声を浴びせあうのだけは何故かはっきりと聞こえた。
「おい、溶けかけてんぞ! 障壁も結界も!」
「貴方の土壁はまったく意味がなかったでしょう!」
続いてシエナの悲鳴と、ヤルーの舌打ち。
「駄目です! 持ちません!」
「ちっ、しゃーねぇ! 下に落とすぞ!」
あっ、と気付いたときには背後の地面が崩れ、真っ逆さまに落下していた。
半透明の蚯蚓のような群体、土精霊が下で俺たちを受け止めてくれる。
どうやら障壁と結界が時間を稼いでいる間にヤルーが掘らせた穴に落ちたらしい。
頭上を見ると、熱光線が通過していくのが見える。
数呼吸ほどは続いただろうか。
それが収まり、辺りに静寂が戻った。
「死ぬかと思った」
まだ心臓がバクバクいっている。
一歩間違えれば、一撃で全滅していた。
マーリアも話していたが、恐ろしい火力だ。
ナガレが手を伸ばして例の黒い渦を発生させ、先端に金属のついた棒と手鏡を取り出す。
ラヴィがそれらを受け取って棒の先に手鏡をくくりつけると、【登攀】で穴を登っていって、棒だけを外へと出し、鏡で周囲を確認した。
「王都……は無事っぽいねー。アタシたちが丘の上にいたのが幸いしたかも。もし水平に撃たれてたら、ホントに王都が消し飛んでたと思う」
ほっと胸を撫で下ろす。
障壁や結界ではある程度防げていたようだけど、丘の土やヤルーの土壁なんかはまるで意味を成さなかったようだった。
王都の城壁もたぶん大差はないだろう。
「あれれー? アスカラは動いてないねー。出てきた場所で、じっとしてるよ」
「自己修復してんじゃねーの? さっき出てきたときに見えたけど、壊れてる足もけっこうあったぞ」
ナガレが下から、ラヴィに声をかける。
そういや深手を与えてあるってマーリアも言ってたな。
「あっ、ナガレちゃんの言うとおりっぽい。足が生えてきてる箇所がある」
超絶火力に加えて自己修復。
さらに巨体と魔術障壁。
昔の人は、なんて兵器を作ってしまったのか。
「あー、あと口の周りをぐるっと囲んでた赤い点が消えてるねー」
「あれは魔力の充填を表していたのでしょう。今の熱光線は連発はできないということかと」
リクサの見立てだが、それは大いにありえそうだった。
というか、もし連発できたら、それこそ対処のしようがない。
ラヴィが偵察を終えて、穴の底へ戻ってくる。
「あの化けもんについて、魔女からもっと聞いておけばよかったよね。後の祭りだけどさ」
これは本当にそうである。
あの蜘蛛型兵器以外にも、今後現れる可能性のある脅威について纏めた本か何かを作っておいてくれればよかったのに。
「で、でもどうするんですか、主さま。本当に、あの一体で国が滅んじゃいますよ!」
シエナがあたふたと尋ねてくる。
確かにあの脅威的な火力は国を滅ぼすのに十分だ。対処する方法も思い浮かばない。
だが、同時に分かったこともある。
「付け入る隙はあると思うんだよね。俺たちの姿を確認した途端に攻撃してきたけど、この穴に追撃はしてこない……ってことは、視界に入った者を攻撃するだけの単純な行動原理で動いてて、しかも地面の下は見えないんじゃないかな」
ヤルーも同じことを考えていたようで、ほくそ笑みを浮かべて頷く。
「どうみても火力特化型だからな。細かいセンサーの類は充実してねえんだろ」
「じゃあ決まりだな」
俺とヤルーはニヤっと、顔を見合わせる。
みんなに告げた。
「もぐら大作戦だ」
☆
ノリで変な作戦名をつけたものの、要するに古典的なトンネル掘りからの奇襲作戦だ。
土精霊で穴を伸張してアスカラの腹の下まで移動、そこから攻撃を仕掛ける。
相手のスペックを考慮すれば、誰が考えてもこんな感じの作戦になるとは思う。
精霊の力というのは凄いもので、穴の掘削はすぐに終わった。
ヤルーの出した光精霊の明かりの下、最後の作戦会議を行う。
「それじゃ役割分担を確認しておこう。リクサは隙を見て核の破壊、俺はその補助、ヤルーとヂャギーは陽動で、ラヴィとナガレは遊撃と撹乱、シエナはみんなの強化と回復だ」
俺の役割が一番地味だが、適正を考えると自然とそうなる。
王様として、それでいいのかとは思うけど。
「どんな攻撃してくるか分からないから、気をつけて。無理そうなら、すぐにこの穴に戻ること。足や胴体は無理に破壊しなくていい。どちらにせよ核を壊せれば勝ちだから」
選定の聖剣エンドッドを引き抜く。
危険種と戦うのは自走式擬態茸以来だが、あまりに落差が激しい。
片やただの美味しい茸で、片や文明を滅ぼした最終兵器だ。
「オイラ、緊張してきたよ!」
ヂャギーがバケツヘルムの隙間から、錠剤を砕いて作った白い粉を吸っている。
いつもなら醒めた目で見守るだけなのだが、今は分けてほしい気分だった。
剣を持つ手が、どうしても震えてしまう。
「女神アールディア様、貴女の忠実なる僕、か弱き猟犬たちを、お護りください」
シエナが両手を組んで目を瞑り、信仰する神に祈りを捧げている。
前に彼女に勧誘されたことがあったが、それで心の迷いがなくなるというのなら、入信しておけばよかった。
「大丈夫です、ミレウス様」
リクサが俺の震える手の上に、両手を重ねてくる。
常在戦場とも揶揄される勇者のものとは思えない、優しくてやわらかい、小さな手だ。
「ミレウス様には聖剣の鞘の加護がついています。いざとなれば先ほどの熱光線のときのように、私たちが全力でミレウス様をお護りいたします。ご心配は要りません」
手の震えが少しは収まった気がする。
俺には薬よりも神様の加護よりも、これが一番有効なのかもしれない。
彼女の手を下からそっと握り返す。
「まだアスカラは動いてないねー。ここのほぼ真上にいるよ」
穴の入り口まで行って最後の確認をしてきたラヴィが戻ってきて、手を繋ぐ俺たちを見て愕然とする。
「あー! 人がいないうちに、ミレくんとリクサなにやってんの! ずるいずるい! アタシも混ぜて!」
飛び込んできて、俺の空いてる方の手を腕ごと抱きしめるように、ぎゅっと握る。
「わ、わたしも!」
「オイラも!」
シエナとヂャギーも参戦し、上からかぶさってきて、団子のような状態になった。
幸運の置物のように体のあちこちを触られて、もはや緊張どころではなくなる。
「お、オレは、参加しねーからな!」
ナガレがこちらの大混乱を見て顔を真っ赤にし、聞いてもないのに言ってくる。
「やれやれ、ナガちゃんはもう少し素直になりゃあいいのに」
からかうヤルーの顔面に、ナガレの鉄拳が飛んだ。
それをひらりとかわして。
「まぁそろそろ行こうぜ。自己修復が終わったら、動き出しちまうだろうし」
「……そうだな」
ヤルーの一言で空気が引き締まり、各自で最後の準備に取り掛かる。
「天剣ローレンティアよ、我が敵を討て! ――天使殺し!」
リクサが詠唱と共に自身の左腕に直剣を突き刺し、そして引き抜く。するとそれは白く発光を始めた。
剣の素材である聖銀を勇者の血で活性化し、種族特効を付与したのだ。
「慈悲深き森の女神アールディアよ。我らに密林の堅牢なる盾と、復讐の剣を!」
シエナが全員に《攻防強化》の魔法をかける。
全身に力が漲るのを感じた。
「そんじゃ手はず通りにな。……行くぜ!」
ヤルーが土精霊に指示を出して、地上へ続く階段を作る。
先陣を切ったのはナガレだった。
彼女は決闘のときに見せた煙幕を吐き出す缶を大量に取り出すと、トンネルの出口から外へと投げる。
白い煙の満ちる中、円卓の騎士が次々と外へと飛び出す。
俺はリクサと共に、最後に外へ出た。
煙の合間から決戦級天聖機械の金属製の巨大な胴体が見える。
どうやらアスカラの右側面に出たようだ。
俺たちが出てきたことに反応したのか、動き始めている。
百本あるというこの蜘蛛型兵器の足は、形状と大きさが一致するものは一組としてない。
中には触手のような形状の足や刃物のような足もたくさんあり、アスカラはそれらを使って俺たちに攻撃してくる。
リクサはそれを直剣で打ち払いながら走り、核のある背中へ登るため、隙を窺う。
俺は彼女の補助をするためにきたのに、その背中についていくだけだった。
「ナンメイサマデスカ?」
「キョウノ、テンキヨホウヲ、シッテマスカ?」
「ソロソロ、ボクトノカイワニ、ナレテキマシタカ?」
煙幕のあちこちから、抑揚のない声がする。
ナガレが決闘の際に用いた、足を持たない白くてつるつるとした自走人形の声だ。
彼女はあれをそこらじゅうに配置して、アスカラの攻撃を分散しているのだ。
「ヘイヘイヘーイ! アスカラちゃんビビってるー!?」
ヤルーが闇精霊を使って自身の分身を多数作り、天聖機械をおちょくっている。
分身は脆く、足の攻撃を受けると一撃で消えてしまうのだが、時間を稼ぐには十分な数がいる。
「ぢゃああぎいいいい!!!」
ヂャギーは【咆哮】を上げると共に、【瞬間転移装着】した斧槍を振り回して足への攻撃を繰り返し、敵対心を引き受けている。
ラヴィは背後から短剣を投げてそれを援護、シエナは《治癒魔法》でヂャギーが受けた怪我を小まめに治していた。
みんなが注意を引きつけてくれたおかげで、俺とリクサへ攻撃に来る足は少なくなる。
「ミレウス様! あそこから行きます!」
今ならいけると踏んだのか、リクサがひときわ大きなアスカラの足を指し示した。
彼女はそこへ駆けていく。
その背中に一本の触手型の足が迫るのに気付き、俺は聖剣を振るってそれを打ち払った。
手がしびれるような感覚。
天聖機械は遺失合金製の上、強固な魔術障壁で覆われている。
普通の攻撃では傷つけることもできない。
だが足を破壊するのは目的じゃない。
受け流し、彼女の道を作れればそれでいい。
リクサは目当ての足にたどり着くと、一切速度を緩めることなく、カーブを描くそれを吸い付くような足取りで駆け上った。
独裁月と皇帝月、静かに照らす二つの月を背景に、彼女が空へと跳び上がる。
その手の天剣ローレンティアが眩い輝きを放った。
「【剣閃】!」
叫ぶと共に彼女が剣を振り下ろすと、その刃は膨大な純エネルギーの光に変わり、うなるような轟音を上げながらアスカラの核を襲った。
そこを守る魔術障壁と干渉しあい、バチバチと音を立てて純エネルギーがあちこちへ飛散する。
貫いてくれと祈りながら、俺はそれを見守った。
しかし。
「だ、ダメです! 攻撃が通りません!」
刃からの純エネルギーの放出が終わり、リクサが地上へ降りてくる。
硬すぎる。
あれすら防ぎきるというのならば、どうすればいいのか。
「みんな! 一度穴に戻れ!」
薄れ始めた煙幕の中へ呼びかけて、俺も脱兎のごとく逃げ出した。
☆
全員が穴へ入ったことを確認すると、土精霊に上を塞がせ、俺たちは一息ついた。
重苦しい沈黙が漂う。
誰も大きな怪我はしていなかったが、アスカラにもダメージはない。
ナガレが長い黒髪を掻き上げて、弱音を吐く。
「マジでどーすんだよ、これ。最大火力のリクサでも無理なら、打つ手なしじゃねえか」
誰もが同じことを思っていた。
統一王と初代円卓の騎士たちが手を焼いた理由がよく分かる。
これは確かに、未来へ送るくらいしか手はない。
「申し訳ありません、ミレウス様。想像以上の防御力でした。特効つきのアレを防がれるとなると、もう私の攻撃ではどうすることもできません……」
リクサがうな垂れ、謝ってくる。
当然だが彼女のせいではない。
しかし掛ける言葉が見つからなかった。
「たぶんもうすぐ自己修復を終えて動きだすと思うよ。口の周りの赤い点も三分の一くらい戻ってたし……」
いつもは緩いラヴィも、さすがに暗い表情をしていた。
シエナもヂャギーも、肩を落として何も言わない。
「対処可能な未来へ飛ばしたんじゃなかったのかよ。円卓の騎士は対処可能な人材じゃなかったのかよ。手も足も出ねーじゃねーか」
ヤルーがこぼした愚痴を聞いて。
目を見開く。
自分の中で、これまで見聞きした様々なものがつながった気がした。
魔女の語る真実。選定の意味。
統一王の戦いと、その痕跡。
王の器に、騎士の鎧。
そして先代王の言葉。
彼女は言った。
使えるときになったら、剣の力で自ずと分かるようになると。
今がそのときなのか。
「手はある。たぶん……だけど」
自信は持てず、呟くと。
六人が一斉に、俺に顔を向けた。
その視線には期待と希望の色がある。
そうだ、これに応えるために俺はここにいるんじゃないか?
「みんな、俺を信じてくれるか」
全員が、迷う様子は微塵も見せずに頷いた。