第二百十三話 どうしようもない間違いだった
俺たちの遥か頭上――王都で行われている王城防衛戦の様子を円卓が伝えてくる。
圧倒的な数で押し寄せる魔神と天聖機械の群れの前に、後援者を中心とした防衛隊は今にも力尽きようとしていた。
王城を囲う城壁はすでに見る影もないほど破壊され、防衛ラインは王城内まで下げられている。
敵の先鋒は最終防衛地点である円卓の間の扉の前に達しており、エドワードを始めとした精鋭たちがどうにかそこを死守していた。
あと僅かしか持たないだろう。
だが防衛隊の士気は落ちていない。
俺たちが滅びの女神を討伐すれば、女神の眷属である地上の危険種も消失する。
それが分かっているから彼らは今も絶望せずに戦えているのだ。彼らは今も、俺たちの勝利を信じている。
円卓はもう一つの事実を俺たちに伝えてくる。
永続睡眠現象によって眠り続けるウィズランド王国民の精神は、聖杯を現出させた儀式魔術によって滅びの女神の魔の手から一時的に切り離されている。
彼ら、彼女らは夢を見ていた。
王都の地下、この黄金郷跡地で戦う、俺たちの夢を。
円卓に仕込まれていた最後の回路が起動する。
滅びの女神が人々から魔力を吸い上げるのに使用していた経路に不正侵入し、使用者を俺に上書きする。
そして貸借不正を使用する。
原理は騎士たちからスキルをレンタルする時と同じだ。好感度を上げた相手が“未来”に俺のためにしてくれる行動を前借りする。
違うのは相手が国民だということ。それと借りるのがスキルではなく魔力だということ。
これを可能にしたのはナガレが帰還者シャナクから継承した訪問者の力だ。アレは、ありうるかもしれない未来――今から分岐しうるいずれかの世界線から物品を取り寄せられる力だった。
俺がこれまで稼いできたウィズランド王国民の好感度が、未来の彼らの行動を決める。
女神を討伐することに成功し、世界が存続した未来で生きるウィズランド王国民たちから、魔力が俺に流れ込んでくる。
一人一人はたいした量じゃない。
だが国民すべてを合わせれば、無限に限りなく近い量になる。
それこそ、何もかもが可能であると錯覚させるような凄まじい量の魔力に。
☆
滅びの女神への道を阻む数十体の滅亡級危険種たちに、十二の騎士が果敢に挑んでいく。
俺はその後ろ姿を見ながら聖剣を構え、意識を集中させて好感度能力を使った。
全騎士同時技能拡張。
騎士たちが持つありとあらゆるスキルと能力を多重化する。
それもこれまで行ってきた技能拡張とは比べ物にならない回数の多重化を。
散らばり、各所で戦闘を開始した十二の騎士たちに、俺から膨大な魔力が流れ込んでいく――。
神から天啓を受けて[天意勇者]となった者は生涯でただ一度、使命を果たすその時だけ、飛びぬけた力を発揮する。
リクサにとってそれはこの日、この時だった。
双剣を構えて精神集中する彼女の肉体からは、勇者の力の具現である白いオーラが逆流する滝のように登り立っていた。
その量はかつて彼女が“全開”となった時の十倍以上。
大地を鳴動させながら前方から襲い来るは百本の足を持つ巨大な蜘蛛型決戦級天聖機械。
リクサは気合の声を発すると双剣を振るい、純エネルギーの奔流を放った。勇者の象徴にして奥義とも言えるスキル、【剣閃】だ。
その出力もまた、これまで見てきた同スキルの十倍以上。
蜘蛛型決戦級天聖機械は白い光となった純エネルギーの流れに飲まれ、背中の核ごと跡形もなく消失した。
だがその後ろからは、さらに多数の蜘蛛型決戦級天聖機械が地鳴りのような音を立てながら向かってきている。
リクサは臆することなく足を前へと踏み出した。同規模の【剣閃】を連発し、次々と敵を屠っていく。
恐れを知らぬその様は、真なる魔王を討伐し、世界に平和を取り戻した始祖勇者そのもの。
その血脈に受け継がれてきた誇りを胸に、リクサは最前線で戦い続けた。
ブータは両手で杖を構えて地面を凝視したまま、ぶつぶつと呪文を詠唱していた。魔王化したアザレアさんの居場所を探ったあの時のように極度に集中しており、杖を持つ手やこめかみには青い血管が幾筋も浮き出ている。
ゆえに三又槍を持つ魔神将が背後から飛びかかってきたのにも気が付いていないかのように見えた。
だが違った。
どこからともなく現れた拳大ほどの光の球が魔神将の漆黒の肉体にぶつかった。かと思うとそれは急速に膨張していき、すぐに魔神の全身を飲み込んだ。
光は消え失せた。飲み込んだすべての物と共に。
万物を完全な無に帰す魔術師ギルドの最秘奥、《存在否定》だ。
近くにいた同型の魔神将が、今度は三又槍を投擲しようと構えを取る。
だがそれを為す前にまた光の球に飲まれて消失した。
本来、到底間に合うタイミングではない。《存在否定》は究極難易度だ。南港湾都市で使用した時のように、その呪文の詠唱には多大な時間を要する。
だが今のブータは詠唱短縮を用いて、ほんの僅かな呪文で唱えられるようになっていた。
次々と現れる光の球が魔神将たちをこの世界から消し去っていく。最も高い魔力抵抗力を持つという危険種に精神抵抗すら許さずに。
有り余る才を持ちながら精神的なもろさ故にそれを発揮することができずにいた神童は、この最終局面に至り、ついにその才のすべてを開花させていた。
レイドは巨大な双頭の蚯蚓型決戦級天聖機械を相手に戦っていた。大きな口で丸呑みしようと襲い来る二つの頭を時には躱し、時には大盾で受け流しながら、ぶつくさと何かを呟いている。
前にオグ砂漠で使用した、イメージした物品の位置を特定する魔術で敵の核の場所を探っているのだ。
反応は二つ返ってきた。蚯蚓の二つの頭付近からだ。この天聖機械の核は二つあり、相互修復を行うため、両者を完璧に同じタイミングで破壊しなければ倒すことができない。
レイドは盾を持つ手の人差し指で遠い方の核を指すと、《光線》の呪文を唱えて指先から収束した熱光線を放った。
それが遠い方の核を貫くと同時に、もう片方の核を幅広の剣で刺し貫く。
魔術と物理戦闘を高レベルで両立する赤騎士ならではの討伐方法だ。
核を失った双頭蚯蚓の遺失合金製ボディは霧が散るように消滅する。
しかし大地の鳴動と共に新たな双頭蚯蚓が地中から現れた。
レイドは驚きもせず淡々と、ごく当たり前のように敵に挑んでいく。
その姿――直立するザリガニのような異形がぼんやりと滲んだかと思うと、精悍な顔つきの人間の男性の姿に変化した。
地の底にて魔王となった友からかけられた異形の呪い。レイドはそれに一時的とはいえ打ち勝ち、本来の姿を取り戻していた。
その剣、その顔、その正義に、迷いはもうない。
アザレアさんは可視化された漆黒の魔力をドレスのように身に纏い、戦場を悠然と歩んでいた。四方から絶え間なく襲来する魔神将たちの四肢を素手で引きちぎり、腹を爪で抉り、頭部を手の平で握りつぶしながら。
少女が辿るかもしれなかったもう一つの未来――魔王アザレアという可能性。魔王化現象が進行し、魔王として成長しきった未来の姿を聖剣の力で前借りしたのだ。
それはこの世の災厄そのもの。
あるいはただの恋する少女。
突如としてアザレアさんの腹部から黒い刃が生える。《光学迷彩》で姿を消して背後から近づいてきた魔神将に暗殺者の短剣を刺されたのだ。
アザレアさんは受けた傷を意にも介さず振り向くと、刺客の顔面をわしづかみにして地面に叩きつけ、頭部を無造作に足で踏み潰した。暗殺者の短剣はアザレアさんの纏う漆黒の魔力の中でボロボロと崩壊し、腹に空いた刺傷は瞬時にふさがる。
冒険者にとって最悪の悪夢と言われる魔神将でさえ、今のアザレアさんの前では虫けら同然だった。
少女は胸を張り、微笑みながら敵に死を与え続ける。
これが、これこそが己の本懐だとでも言うように。
大地を轟かせて俺の方に猛進してきたのは象型決戦級天聖機械だった。そのサイズは数いる天聖機械の中でも最大級。
その行く手に一つの人影が立ちはだかり、両手を広げて仁王立ちした。
ヂャギーだ。
人間としては規格外の巨体を誇る彼だが、今回ばかりは相手が悪すぎる。そのサイズ差はまさに象と蟻。当然の帰結としてヂャギーが吹き飛ばされるものと俺は思った。
吹き飛んだのは象の方だった。
下手な屋敷よりも巨大な象の足。ヂャギーがそれに両腕でしがみつき、力任せに投げ飛ばしたのだ。
超重量の金属製の象が宙で放物線を描く姿はどこか滑稽で非現実的だった。
しかしそれが背中から地上に落下した際の轟きと衝撃は意識を現実に引き戻すのに十分な迫力があった。
象にダメージはない。すぐに体を起こそうとした。
だが間に合わなかった。
すでにヂャギーは片手半剣を両手で頭上に掲げていた。
滅びの女神の絶対防衛機構を破壊した魔剣――殻砕きの剣身は再び巨大化していた。最大級の天聖機械にも見劣りせぬサイズに。
いつものように、咆哮と共に力任せに振り下ろされる殻砕き。
その巨大な刃は象型決戦級天聖機械を背中の核ごと見事に粉砕した。
ヂャギーは恐らく人類最強の膂力を持つ男だ。今はその力を技能拡張で何百倍にも拡大している。
――とはいえ、こんな無茶苦茶な力押しができるものなのかと俺は疑問を抱いたが、そこはヂャギーだ。深く考えても仕方がない。
とにもかくにも頼れる男。
最後の最後まで、ヂャギーは俺の期待と信頼を裏切らなかった。
戦いは遥か上空でも繰り広げられていた。
飛翔系の決戦級天聖機械の中で、最速を誇る隼型。それを四体同時に相手にして空中戦闘を繰り広げているのは金属製の人型巨像だ。
全高13メートル、全備重量52トン、出力4500キロワット、総推力200000キログラム。
その人型巨像は深紅の鎧を装着した男性のようなフォルムをしており、後部に備わった四基の原子力推進装置で自在に空を飛んでいた。
操縦しているのはナガレだった。人型巨像内部に存在するコクピットブロックで操縦席に座り、二つの操縦桿と複雑な操作盤を懸命に操り、その動きを制御している。
これは彼女が住んでいた世界、一つの月の大地で数百年後に開発され、星の海を舞台とした大戦で運用される高々機動人型兵器“レジェンド”――そのフラグシップ機、“スサノオ”である。
ナガレは訪問者の力を使って、異世界の、それも遥か未来から、この状況に対処可能な兵器を召喚したのだ。
隼型とスサノオの速度はほぼ互角。
だが機動力では開きがあった。
隼たちが一斉に数十発の誘導弾頭を放つ。
スサノオは疑似熱源や攪乱金属片、急降下に急上昇、さらには宙返りや急旋回――あらゆる手段を駆使してそれを振り切った。
そして隼の一体の背後を取ると、腹部に備え付けられた荷電粒子砲で敵の翼を射抜く。
隼は失速し、地上に墜落して大爆発を起こした。
残る敵は三体。
空中戦闘はまだまだ続く。
一瞬でも気を抜けば撃墜される、恐ろしく神経がすり減る超高速の戦い。
しかしナガレは集中を保ち続けた。
異世界からの訪問者として、あるいは願いを叶えた祈りし者として――もしくは彼女自身の物語の主人公として――ナガレの心に芽生えた自覚と自負が、その精神を支えていた。
空ではもう一つの戦いが起きていた。
距離を置いてゆっくり旋回しながら睨みあっているのは二体の大型決戦級天聖機械。
一方は胸鰭のような前肢で空を泳ぐ黒い鯨。
もう一方は白い羽で覆われた翼を持つ巨鳥、イスカだ。
イスカの背中に生える翼は六対――十二枚になっていた。彼女自身のものが二枚、付属パーツである“精神”と“肉体”のものが二枚ずつ、新たに追加されたものが六枚だ。
かつてこの地で行われた終末戦争の最終決戦。それに挑んだ際に彼女が身に纏った決戦兵装を聖剣の力で時を越えて召喚したのだ。
鯨型決戦級天聖機械が旋回をやめ、大きく口を開く。そこから放たれるのは黒い瘴気を纏った極太の熱光線。
ほぼ同時にイスカも旋回をやめ、口から白い光のブレスを放った。
白と黒。
二つの光が空で激突して火花を散らし、黄金郷の廃墟を明るく照らしだす。
鯨は熱光線を放ち続ける。
イスカもブレスを放出するのをやめない。
先にエネルギーを切らした方が負ける押し合いだ。
出力はほぼ互角。勝負は永遠に続くかとも思われた。
イスカの背中の十二枚の翼が太陽のように眩く輝く。
この戦いに勝利した場合の未来の世界。そこではイスカの翼たちはウィズランド島の南海に白い雲の形状で展開されていた。そして何十年、何百年にも渡り、降り注ぐ太陽光エネルギーを蓄積し続けた。
そのエネルギーを、聖剣の力でここに召喚する。
イスカのブレスが一気に膨れ上がった。
黒い熱光線をあっさりとぶち抜き、鯨の巨体を塵一つ残さずに消し飛ばす。
圧倒的な火力だ。
遠方より新たな飛翔系決戦級天聖機械が挑みに来るが、もはやイスカに負ける要因はない。
人類の守護者として開発された人型決戦級天聖機械、セラフィム・シリーズ。その最後の一体として、イスカは数千年前に与えられた使命をついに果たそうとしていた。
ヤルーはアスカラ戦でそうしたように、開いた優良契約を片手に戦場を闊歩していた。自分の庭にいるかのように肩の力を抜き、ほくそ笑みを浮かべて鼻歌を歌って。
その周囲を数多の精霊たちが十重、二十重に囲んでいた。ヤルーがこの島で契約したすべての精霊――三体の上位精霊を含む数百体の精霊が、彼を護るかのようにそこにいた。
優良契約の全てのページを解放したのである。
そんな目立つ存在を敵が見過ごすはずはない。魔神将が、決戦級天聖機械が次々とヤルーに襲い来る。
だが一体たりとも彼の元にはたどり着けない。
火の鳥――不死鳥が魔神将の頑健な肉体を、灰すら残さず焼き尽くす。
輝く虹色の鱗の女性――海精霊が高圧の水流を束ねた鞭で魔神将の肉体をズタズタに切り裂く。
どちらの性も持たない全裸の子供――大地精霊が大地に巨大な亀裂を生じさせ、決戦級天聖機械をそこに飲み込み、挟んで砕く。
土精霊、水精霊、風精霊、火精霊――下位精霊たちも力を合わせて滅亡級危険種を撃破していく。
精霊たちの力は圧倒的だった。
いや、本来これくらいの力はある存在なのだ、精霊というのは。ただ自分に合わない環境ではその力を十全に振るえないだけ。
今、ヤルーは最上位精霊管理権限者の力を使い、周囲の領域を精霊界に塗りつぶし、精霊たちの力を最大限発揮させていた。
ヤルーは歩く。精霊と共に。
ヤルーはただ歩く。これこそが精霊使いの理想の姿だと誇りながら。
スゥは銀の針の体毛で全身が覆われた狼型決戦級天聖機械と対峙していた。
狼は威嚇するように鋭い牙を見せ、姿勢を低くして四肢に力を入れている。今にも飛びかかってきそうだ。
しかし、なかなか動かない。
スゥは鍔のない長大な刀――斬心刀を肩に担ぎ、自然体で立っているだけ。だが決戦級天聖機械に攻撃を躊躇させるほどの殺気をその小さな体から発していた。
浅黒いスゥの肌には無数の第一文明文字が浮かび上がっている。それは中途半端な状態になっていた魔神との契約が、本来の形で締結された証拠であった。
完全魔神化。
二百年前にスゥが契約したのは、ただの魔神将ではなかった。暴虐極まる空民でさえ出力を制御できずに終末戦争での実戦投入を見送った六体の原初魔神。その内の一体――黒き刃の魔神王ガウィスこそが、スゥに力を授けた存在だった。
今もガウィスは魔神月にいる。
スゥはその力を自身の肉体に憑依させていた。
ついに意を決したか、狼型決戦級天聖機械が大地を蹴る。その動きは巨体に見合わず、恐ろしく速い。
だがスゥの動きはそれより遥かに速かった。
スゥが寸前までいた場所を狼の咢が噛み砕く。スゥはその時にはすでに斬心刀を振り下ろした格好で、狼が寸前までいた場所で静止していた。
狼は振り返ることもできず、体の真ん中から真っ二つになって左右に倒れる。その断面からは同じく真っ二つになった核が窺えた。
【魔断・零式】。
ありとあらゆるものを斬るという東洲北辰流の奥義だ。百に一つしか成功しないとスゥは前に自嘲していたが、魔神王の力を得た今は息をするように容易く使うことができた。
原初魔神のモンスターレベルは分からない。
だが、やはりこの場にいる滅亡級危険種たちとは格が違う。
数千年前――戦うために生み出されながらその機会を奪われた魔神王に代わり、スゥは敵を斬って斬って、斬りまくった。
デスパーは戦場を縦横無尽に駆け回り、好きなだけ、好きなように戦斧を振り回していた。
相手にしているのは魔神将の群れ。無論、敵も黙ってやられはしない。
金の錫杖を持つ三つ口の魔神が鋭利な爪の生えた人差し指でデスパーを指し、何事かを呟く。
聞き覚えがある。《即死の呪い》の呪文だ。
突如デスパーが心臓を押さえて片膝を突く。
だがそれだけだった。
デスパーはすぐに立ち上がると猛然と突進していき、《即死の呪い》を掛けてきた魔神の首を戦斧で刎ね飛ばした。
その隙に別の魔神が同じように指をさし、呪文を唱えてくる。今度は《存在否定》だ。
膨張する光球がデスパーの体を包みこみ、内部の一切を消去して消える。
ただしデスパーは例外であり、無傷だった。眩しそうに顔をしかめていたが、それだけ。
自分に魔術をかけてきた魔神の元に再び嬉々として駆けていき、その胴を両断する。
精神抵抗しているのではない。自身のパラメーターを自由に書き換えられるというハイエルフの外部権限を駆使して、魔術の効果を耐えているのだ。それも完全に無自覚で。
まさに生きる世界規模魔術。
まさに生きる規格外。
デスパーは深淵の魔神宮でそうしたように悪霊のように嗤い、あらゆる魔術、あらゆる物理攻撃を好きなだけその身に受けながら戦いを楽しみ続けた。
それが内に秘めたもう一人の自分の願望だと、デスパーはもう知っていた。
ラヴィの姿はどこにもなかった。
正確には、どこにもいないように俺には見えた。
彼女の知覚情報が流れてくるので、かろうじて分かる。
戦場を目にもとまらぬ速さで疾走する黒い影。それがラヴィだった。[怪盗]の奥義である高速短距離移動スキル――【影歩き】を技能拡張しながら連続使用しているのだ。
彼女が通った場所には動かなくなった滅亡級危険種が何体も横たわっている。外傷が見当たらないのに、なぜかピクリともしない。
謎の答えはラヴィの手に握られていた。
鍵のような形状の短剣、“冒険者ルドの埋蔵金”だ。この島全体を術式陣へと変えたその遺物には、陣内に存在する滅亡級危険種をただの一撃で強制的に機能停止させるという、もう一つの機能があった。
ただし急所に当てれば――という条件付きたが、それは今のラヴィにとっては朝飯前のことだった。
暴れまわる巨大な虎型決戦級天聖機械の背後に黒い影が現れたかと思うと、虎は突然糸が切れたかのように倒れ伏した。
恐るべき早業で、ラヴィが背中の核を短剣で斬りつけたのだ。
今度は何やら大がかりな呪文を唱えていた魔神将が唐突に前のめりに倒れる。ラヴィが魔神の心臓に当たる位置に短剣を刺し入れたのだ。人間を遥かに凌駕する知覚力を持つ魔神将でさえ、今のラヴィには反応さえできなかった。
ヂャギーが人類の力の極限であるように、ラヴィは人類の速さの極限だった。その手に一撃必殺の得物が握られている今、彼女は滅亡級危険種すら一方的に狩る、恐るべき暗殺者になっていた。
シエナは最後方にいた。荒れた大地に膝を突き、両手を組んで祈りを捧げている。
その小さな背中の後ろに、ウィズに勝るとも劣らぬ巨大なシルエットが浮かび上がる。
シエナと同じように両手を組んだ女の姿だ。畏怖すら覚えるほどに美しい、だが温かみを感じる、ローブを着た女性の姿。
森と狩猟と復讐を司る女神アールディア。その霊体である。
《神霊降臨》。
あらゆる宗教、あらゆる宗派において、究極の到達点とされる神聖魔法だ。シエナはそれを用い、己の肉体を媒介に、アールディアを一時的にこの地に降臨させていた。
すべての神は高位次元――神の座にあるため、普段は間接的かつ制限された力でしか、この世界に介入できない。だがこうして直接介入できる状況となれば、その絶大な力をそのまま振るうことができる。
シエナの肉体が神聖な白い光で覆われ、その周囲が森へと変じていく。森は波打つように瞬く間に広がっていき、黄金郷の跡地を覆っていく。そこにいたあらゆる者、天聖機械も魔神もすべて飲み込み、不可侵の聖域と化した内部で浄化しながら。
神霊を降ろせるほど強固な魂を持つ者は極めて稀にしか生まれない。ゆえに《神霊降臨》の成功例は歴史をさかのぼっても数えるほどしかない。もちろんそのすべてが伝説として語り継がれている。
この戦いが人知れず行われているものでなければ、シエナもアールディア教の聖女として伝説となったことだろう。
そう確信するほどに、今のシエナは神々しかった。
眷属たちの劣勢を悟ったからだろうか。
戦いを静観していた滅びの女神が、俺たちに右手を向ける。
その手の平に光の粒子が集まった。
聖剣を構え、女神を睨め付け、肺の底まで息を吸い込み、俺は叫ぶ。
「お前の相手は俺だ!」
声が届いたのか、それとも何百倍にも技能拡張した【咆哮】が効いたのか――女神の眼差しが俺を射抜く。その手から放たれた滅びの光が、頭上から洪水のように降り注ぐ。
あまりの眩しさに、咄嗟に俺は片腕で顔を覆っていた。
大地が崩れ、消えていく。初めから何もなかったかのように。
だが俺に痛みはない。
それどころか何のダメージも。
俺の周囲だけは大地も崩れず、残っている。
穴だらけの不完全なものじゃない。後でそのまま返ってくるような一時しのぎでもない。正真正銘、文字通りの絶対無敵の加護が俺を護っていた。すべてを消失させるはずの滅びの光が、俺に触れることもできずに消えている。
聖剣と同様に、聖剣の鞘も真の力を発揮できるようになったのだ。
光がおさまったのは数呼吸後。
顔を覆っていた腕をどけると、眼前に道が拓けていた。滅びの女神まで続く、誰もいない道が。
俺の最後の命をみんなが果たしてくれたのだ。
まだ滅亡級危険種は大勢残っている。だが俺の進路に入り込まないよう、みんなが懸命に押さえこんでくれていた。
感謝の念を送り、女神の攻撃でできた底すら見えない大穴を飛び越える。対岸に着地すると同時に全速力で駆けだす。
女神まではまだ距離がある。
だが技能拡張で脚力を上げればあっという間だ。
女神が今度は両手で滅びの光を放つ。
より大規模になった光の洪水が、頭上から襲ってくる。
俺は臆せず大地を蹴って、光に向かって飛び込んだ。《飛行》の魔術で加速して、その中を前へ前へ突き進む。
みんなが俺の意識にアクセスしているのが分かる。
みんなが、俺が決着をつけるのを待っている。
聖剣の最後の力を使うには、たった一撃加えるだけでいい。
これまでのありとあらゆる人の努力は、この一撃のためにあったのだ。
光を抜ける。
滅びの女神はもう目の前。
聖剣を振りかざし、飛んできた勢いそのままに女神の胸元を斬りつける。
つけられたのはほんの僅かな裂傷。
だがそこから亀裂が走り、その亀裂から光があふれだす。
亀裂は連鎖的に広がり、女神の全身にまで及ぶ。
光もまた女神を覆うほどになった。
女神の美しい顔が醜く歪む。
己の末路を悟ったのか、おぞましい怨嗟の金切り声を上げ、もがくように両手を空へ向け――。
そして光に飲まれるようにして、女神は消え去った。
この星の寿命も尽きるほどの、遥か未来へ。
落下しながら振り返る。
女神が創造した魔神も天聖機械も、すべて同じように消え去っていた。恐らく地上の王都にいる眷属たちも。
終わった。
数千年前にこの島にかけられた滅びの呪いも、俺たち六代目円卓騎士団の責務も、なにもかも。
そう油断してしまったのが、これまでで一番の――どうしようもないほど致命的な間違いだった。
虚空から女の白い腕が伸びてきて、足を掴まれた。
死人のような、ひんやりとした華奢な左手。
人間と同じ大きさだが、分かる――女神の手だ。
道連れを求める、滅びの女神の手。
そう気づいたときには、もう遅かった。
抗いがたい力でいずこかへ引きずり込まれ、俺はウィズランド島から――いや、この世界から消失した。
大変遅くなってしまい申し訳ありません。
あとほんの少しですので、応援よろしくお願いいたします。
作者:ティエル




