第二百十話 完全につながったのが間違いだった
ナガレの前では大陸東方風の衣装を着た男――帰還者シャナクが胡坐をかいてた。
「よっ。久しぶりだねぇ、お前さん」
シャナクは煙管から吸った煙を口から吐き出しながらニィっと笑う。
この二人も以前、顔を合わせている。世界と世界の狭間。魔力の海でのことだ。
オフィーリアと同じように、その時の記憶はこの残留思念には反映されていないらしい。だがナガレが自身の本体と会ったこと自体は知っているようだ。
笑顔のシャナクとは対照的にナガレはしかめっ面である。
「久しぶりってほどか? ……まぁ半年以上経ってるし久しぶりか。ここんところ死ぬほど忙しかったから、割と最近な気がすんな」
シャナクは肩を上下させて笑うと、煙管でナガレを指す。
「お前さん、“訪問者”が何故そう呼ばれてるか知ってるかい?」
「……いや?」
「諸説あるがね。一説には“祈りし者”が由来らしい。異世界に転移したのは新天地を求める祈りを捧げたからだっつー説があんだとよ」
口から煙をくゆらせて、シャナクは肩をすくめる。自身はそれほど信じていないとでも言う風に。
「実際どうなんだろうな? 確かにあっちの世界での体験は貴重だったが、そんなのを祈った覚えはワシぁないがね」
「……オレもそんな覚えはねーよ。けどこっちに来たことは後悔してねえ。少なくとも、今はな。だから、ひょっとしたら心のどっかでこうなることを願ってたのかもな」
腕組みをしてナガレはしばらく黙り込んだ。
彼女が思い出していたのは魔力の海で見た夢のこと。あちらの世界でのシャナクの記憶だ。
「シャナク、てめーは二百年前の世界蝕の時、二つの世界を護るために戦ったらしいな」
「おうよ。ま、ちょっとした恩返しみたいなつもりでな」
「恩返しか――そうだな、オレも礼はしねえとな。この島とこの世界とアイツらに」
ナガレの手元に拳銃が現れる。
彼女にとっての力の象徴。戦う意志の象徴。
その銃身を自身の額に押し当てて、ナガレは祈るように目を閉じる。
一つの月の大地の片隅にいた何の力も持たぬ少女は今や、十二の月が巡る大地を守護する立派な騎士の顔になっていた。
ヂャギーは黒騎士ビョルンと会っていた。
ビョルンは黒い革鎧を身に着けた筋骨隆々の巨漢である。だがさすがにヂャギーの方が縦も横も一回りほど大きい。
生前には自身より大きな体躯の者と接する機会などまずなかったであろう。ビョルンはヂャギーの背中を上機嫌で叩く。――と言っても実体はないので触れられないが。
「間近で見ると思った以上にでっけぇな、オイ!」
「ど、どちら様なんだよ?」
「あ? んだよ、わかんねーか? お前も歴史の真実を見たんだろ。……そんな印象薄いか、俺」
警戒するように縮こまるヂャギーを見てビョルンは若干傷ついたような顔をしたが、すぐに調子を取り戻し、ぶ厚い大胸筋を誇示するように胸を張った。
「オレは黒騎士ビョルン。お前と同じ席次の初代円卓の騎士だ。つーかお前を円卓の騎士に選んだのはオレだし、お前の持ってるその剣の元の持ち主もオレだ」
「二百年前の人!?」
ヂャギーはびっくり仰天と両手を挙げると、左右をきょろきょろと見渡した。
「え、オイラ、ひょっとして死んだ?」
「……いや、死んでねーよ。ここは天国でも地獄でもねぇ。円卓の中だ。言い方が悪かったな。オレはビョルン本人じゃなくて、二百年前に残した残留思念だ」
「難しいんだよ!」
「……平たく言や幽霊みてえなもんだ」
ヂャギーにも他の騎士たちから思考が流れ込んできているはずだが、今の状況を理解していないらしい。
ビョルンも説明する気はないようだ。
腰に帯びた片手半剣――殻砕きを鞘ごと抜いて、それでヂャギーの体を叩くそぶりを見せる。もちろんそれもすり抜けるが。
「ホントは手合わせしてみたかったんだが時間もねえし、お互い実体がねえからな。しょうがねぇ」
「しょうがないね! 幽霊なら!」
「……ああ。まー、なんだ。たぶん他の連中はなんか色々激励の言葉やら贈ってるんだろうが、オレは特にお前さんに言うこたねえよ。柄じゃねーしな」
と言いはしたものの、これだけというのもなんだと考えたのだろう。
ビョルンはヂャギーを見ながら、眉間に皺を寄せる。また難しいと言われないかと心配するように。
「気に入ったやつらがいるんだろ? だったらそいつらのためにお前のすべての力を解放しろ。それだけでいい。……シンプルだろ?」
「うん! それなら分かるんだよ!」
ヂャギーは両腕で力こぶを作ってみせる。
その答えに満足したのかビョルンはニヤリと笑うと、鼓舞するようにヂャギーの背中を叩こうとして、やはりすり抜け、勢い余ってずっこけかけた。
アザレアさんは栗毛色の髪の地味な顔つきの青年――彼女の祖先である狂人ジョアンと会っていた。
ジョアンはにっこり笑いながら手を挙げる。
「うぃーす、アザレア。オイラが誰か分かるかい?」
「あ……え!? ご、ご先祖さま!?」
「おー、よかった。そ、顔とかあんま似てないけどさー。オイラがおめぇのご先祖さまさー」
もはや馴染みのある大陸訛りで話しながら、ジョアンは孫にでも会ったかのように目を細める。
「おめぇのことはここからずっと見てた――っていうのは知ってるよなー?」
「ああ、はい、ミレウスくんから聞きました。その節はどうも」
「いやいや、こちらこそ、オイラのせいでどうもさー。……オイラの子孫であることが、拡散魔王になる危険因子だったってのも王さまから聞いてんだろぉ?」
アザレアはまさにその話がしたかったと言わんばかりに、こくこくと頷く。
「ひょっとしてですけど、私を拡散魔王にしたのってご先祖さま?」
「へぁ!? ……ど、どうしてそう思うさー?」
「だって私に都合が良すぎましたもん。いくら私が拡散魔王になりやすい血を引いてたからって、他にも山ほど候補がいたわけですし、そうなる確率なんてそんなない。それに強い願いを抱いた者がなりやすいとかいう条件も眉唾ものですし。だから拡散魔王になりたがる子孫が出たら優先的にそうなるようにご先祖様がなにか細工でもしたのかなって」
淡々と問い詰めるアザレアさん。
ジョアンは頬を伝う冷や汗を拭いながら、首を振る。
「いや……申し訳ない……と言うのも違う気がするけど、オイラはそんなことしてないさー。というかそんなことできないさー」
「なーんだ。もしそうだったらお礼を言わなきゃと思ってたんですけど」
「……見てたから知ってるけど、おめぇホントに拡散魔王になったことを後悔してないんだな。悪性魔王のヤバさは知ってるだろうに、むしろ喜んですらいる。完全にイカれてるさー」
あきれ果てるジョアン。
アザレアさんは赤い舌をペロリと出しておどけてみせる。
「力が手に入ったこと自体は嬉しいですねー」
「うん、ま、それでいいと思うさー。オイラも人のこと言えないしな。ロイスやアルマあたりからは散々狂人狂人言われたもんさー」
自嘲的に笑うジョアン。
その瞳に狂気の光が宿る。
「狂ってようがなんだろうが、どうでもいい。大切な物のためなら絶対に躊躇うな」
「はい。大丈夫です。その辺しっかり遺伝してますよ!」
ドンと胸を叩くアザレアさん。
「悪性でもいい。今日死んだっていい。好きな人のために、私はこの力を使うよ」
子孫の力強い言葉に、ジョアンは満足そうに頷いた。
レイドが対面していたのは赤い軽鎧を装備した黒髪の女性――赤騎士レティシアだった。
やはりと言うべきか、レイドは毛ほども動じていない。
「円卓からの干渉か。生身の姿を見るのは初めてだな」
と、顎にザリガニのような手をやって相手の姿をまじまじと見た後、これまた特に意外という風でもなく感想を述べる。
「美人だな」
「ああ、そう。そりゃどうも」
レイドをジトリと見て、嘆息するレティシア。
レイドの魔剣に宿る残留思念の情報がこちらの残留思念にフィードバックされているかは定かではない。が、いずれにしてもこの円卓の中からずっと見ていれば同じことだ。
レティシアは長年旅してきた相棒とその腰の魔剣を感慨深げに見やった。
「いよいよアタシたちの旅も終わりね。アンタとの旅は――まぁ、悪くはなかった」
「うむ、そうだな。悪くなかった」
「その剣は今日で役目を終える。魔剣としてはそのまま使えるけど、中にいるアタシは消滅するわ」
「初耳だが?」
「今初めて言ったからね」
『ふむ』とレイドはこれまた無感動に相槌を打つ。
しかしその後に出てきた言葉にはレティシアと似たような感慨深さが僅かに滲んでいた。
「そうか、ではこれが最後なのだな。お前と共に戦うのは」
「そう。勝つにしろ、負けるにしろね」
レイドは自身の体を見下ろした。
直立するザリガニのような異形の姿を。
「円卓の中でも我はこの姿なのだな」
「は?」
「この異形の呪いは精神の底に根差しているということだ。成長しきった拡散魔王が死の淵でかけたものだから、当然と言えば当然だが」
「それが?」
「極めて強力な呪いということだ。つまり拡散魔王がその気であれば、我を呪いで殺すことも容易であったということ。……これは我の希望的な憶測だが」
そう前置きを置くとレイドはその時のことを思い出すように明後日の方向を見て、声のトーンを落とした。
「死の淵で拡散魔王は魔王化現象に抗い、呪いの性質を変性させたのかもしれない。死の呪いから、異形の呪いへと。……我はそうであって欲しい」
レイドは口をつぐむ。
レティシアも黙り込み、しばしレイドのことを見ていた。
「……最初に会ったときのアンタは、正直危うかったわ。理想の正義を追い求めるあまり、自分を見失ってた。アンタを円卓の騎士に選んでよかったのか、アタシはずっと不安だった。……でももう大丈夫。もうアンタは大丈夫よ。きっと、あの王様のおかげね」
「そうだな。そしてお前のおかげでもある」
きょとんとするレティシア。
レイドは魔剣を抜いて、その刃を見ながら語りかける。
「世界の最果ての島で出会った王のために、今ひとたび剣を振るおうと思う。力を貸してくれるか、相棒よ」
「あたぼうよ」
らしくない満面の笑みを浮かべるレティシア。
レイドも同じように笑った。
ブータは漆黒のロングドレスを身にまとった金髪の女、魔術師マーリアと会っていた。
この二人は円卓の中で、すでに一度顔を合わせている。歴史の真実の最後の断片を知った時だ。
ブータは今の状況を即座に理解し、敬愛する魔術師ギルドの開祖に向けて頭を垂れた。
「お久しぶりです、マーリア様」
「久しぶりですね、ブータ。あれから一段と逞しくなったように見えます」
「そ、そうですかぁ? えへへ」
照れたように笑ってえくぼを作るブータ。
愛弟子を見るかのようにマーリアは微笑む。
「本当は何か背中を押すような言葉を貴方に贈るつもりだったのです。しかしそれは無用のようですね。いえ、それを言う資格が我にないというべきか。……ブータ、我には今の貴方が眩しく見えます」
「ま、眩しくですかぁ?」
「はい。貴方はとても勇敢になりました。我とは違う……」
マーリアの微笑みに影が落ちる。
「我は逃げてしまいました。三百年前、真なる魔王様を見捨てて、一人で。我は恐ろしかったのです。敵が、味方が、そしてあの方が――」
突然のマーリアの告白に、ブータはなんと返していいのか分からない様子だった。
言葉を探すようにあちらこちらに視線を巡らせて、それからようやく言葉を絞り出す。
「で、でもマーリア様はこの島の危機からは逃げませんでしたよね? 二百年前、初代の皆さんと一緒に統一戦争を戦い抜きましたよね?」
「……そうですね。ええ、そうでした。貴方があの王に勇気をもらったように、我も統一王に何かをもらったのでしょうか」
マーリアの顔に明るさが戻る。
ブータはほっと胸を撫でおろした後、強い意志を宿した瞳で訴えかける。
「ぼ、僕は今でも臆病者です。戦うのはやっぱり怖いです。どこかで――土壇場で大失敗して皆さんに迷惑かけるんじゃないかって不安で不安でしょうがないです。……だけど絶対に逃げません。ボクが今一番怖いのは、逃げたいと思っている臆病な自分を認めることだから」
マーリアは迷いない笑顔で頷いた。
自信をもって送り出せるとでもいうように。
リクサは二本の直剣を携えた白銀の美青年――彼女の祖先であるロイス・コーンウォールと対面していた。
かつて俺はリクサと共に実体を持つロイスの残留思念と戦ったことがある。二年前の冬、勇者の試練を受けた時のことだ。
あの時の残留思念は厳格な表情を終始崩さなかった。
だがこのロイスは自身の子孫に対する慈しみにあふれた表情をしている。
「ロイス様!」
リクサは相手の姿を認めると目を見張り、その場に跪いた。
ロイスは優しく手を差し伸べて、リクサを立たせる。実際に触れられるわけではないが。
「ずっと見ていたよ、リクサ。ここまでよく鍛え、よく戦った。この試練の時代に君のような強い子供が現れてくれたことを嬉しく思う」
思いがけぬ祖先の言葉にリクサは感動を禁じ得ない様子だった。
当然だろう。長年アルマを崇拝していたシエナのように、リクサもまたこの二百年前の伝説の人物をずっと敬愛していた。
ロイスはどこかを見上げるようにして問いかける。
「リクサ、君は僕らに与えられた力について考えたことはあるかい? 勇者という血がもたらす力についてだ」
「……いえ、深くは」
「僕はずっと考えてた。若い頃は特に。これが誰に与えられた力なのか、なぜ与えられたのか、何に使うべきなのか――」
ロイスは腰に帯びる双剣に手を触れる。あくまでそれは残留思念に付随するイメージであり、実体はない。
「普通の人が持つものとはかけ離れた特別な力だ。自分のためだけに使っていいものとは僕には思えなかった。だから我欲のために力を振るう父上や兄上たちとは反りが合わなかった。十五の時にこの双剣を父上から無断で拝借してコーンウォールの家を出たのはそのためだ」
「む、無断で!? 双剣は先代から預かったものだと伝え聞いていますが……」
「初代円卓の騎士お得意の捏造さ。家を出た理由も武者修行だと伝わってるだろう? それも実はただの家出みたいなものだよ。幻滅したかい?」
リクサは深く驚いた様子ではあったが、すぐに首を横に振った。
ロイスは苦笑して肩をすくめる。
「今思えば反抗期だったんだろうな。その家出の旅の中で僕は統一王と出会い、みんなと出会い、滅びの女神を見つけた。そして統一戦争で滅亡級危険種たちと戦ううちに、僕は確信を得た。自分にこの力を与えた存在は分からないが――その理由はこのためだったんだろうと」
話し終え、問いかけるようにロイスはリクサを見つめる。
彼の言いたいことは伝わっているらしい。
リクサは固い決意をうかがわせる表情で頷いた。
「私にも分かりました。私が生まれてきたのはきっと今日この時のため。私に力が与えられたのはこの戦いのため。……私のすべてをぶつけてきます」
始祖勇者から三百年受け継がれてきた、勇者の血。
その重みとその意味を、リクサは確かに感じていた。
 




