第二百九話 つながったのが間違いだった
俺が円卓と完全に繋がった瞬間、十二人の仲間たちも同じように円卓と繋がった。
それが俺には分かった。
円卓を介して俺たちは知覚情報と思考を共有していた。
技能拡張をしたときのように、彼ら、彼女らが見ているもの、聞いているものが俺にも伝わってくる――。
シエナは知らぬ間に、どこまでも広がる暗闇の中に立っていた。
正面には美しい人狼の女射手がいる。よく見覚えがある女性だ。
人狼アルマ。
初代円卓の騎士の一人。正確には円卓の内にいるという彼女の残留思念だろう。
どうやら心話に近い形で俺たちの精神に接触してきたようだ。
「ア、アルマさま!?」
目の前の女性に気づいたシエナはすぐさま直立不動の姿勢でかしこまった。緊張のためか、頭頂部についた狼のような耳は両方ピンと立っている。
無理もない。アルマはシエナが長年崇拝してきた女性だ。この島にアールディア教を布教した人物であり、シエナが長年住んだ人狼の里にその名を残す人物でもある。
アルマは優しく微笑むと二、三歩近づいて、シエナをぎゅっと抱擁した。
いや、お互い実体はないので物理的に接触できるわけではないが、両腕で抱きしめる形は取った。
「森の子よ。よくぞここまで戦ってくれました。頑張りましたね」
「い、いえ、わたしはただアールディア様の教えに従ってきただけで……」
恐縮しきりのシエナ。
アルマは体を離すと、シエナの頬に触れるように手を伸ばした。
「それでいいのです。アールディア様が司るのは森と狩猟と復讐。その教義の本質は“生き抜くこと”。――貴女の大切な人のことを思い浮かべなさい。そしてその人が誰かに傷つけられたらと想像しなさい。その時、貴女の胸の内に沸いた想いこそが生き抜く力になるのです」
それはアールディア教のごく一般的な説教だった。
だが初代最高司祭の人狼アルマがそれを説くと、まるでこの世の真理のように思われた。
シエナは深い感銘を受けたらしく、しばらく呆けたような顔をしていたが、やがてそれは決意に満ちたものに変わっていく。
アルマは再び優しく微笑んで、両手を組んで祈った。
「アールディア様の教えを信じて」
同じように手を組んで祈りながら、シエナは力強く頷いた。
同時刻、シエナがいるのと同じような暗闇の中で、ラヴィは優し気な目をしたコロポークルの青年と向き合っていた。
初代円卓の騎士の一人、冒険者ルドその人である。
「ど、どうも、ラヴィさん」
ぺこりと頭を下げるルド。
円卓の中で歴史の真実の最後の断片を見せられた時、ラヴィもルドの姿を見ている。それで相手が誰かすぐに分かったようだ。頭の回転の速い彼女らしく、今がどういう状況なのかも即座に察したらしい。
「あー、ふーん、なっるほどぉ」
と、興味深げな目をルドへと向ける。
ルドはどうやらこの手の女性は苦手らしい。ラヴィの視線を受けて、しどろもどろになりながら、どうにか言葉をつなげる。
「あ、あの、いよいよ最終決戦ですね。頑張ってください」
「えー、いや、そう言われてもねぇ」
ムズ痒いような顔をしてポリポリと後頭部を掻くラヴィ。
同じ職でありながら、どうにも対称的な二人である。
「ルドくん、せっかく会えたから、前から疑問に思ってたこと聞くけどさ。……なんであたしを円卓の騎士に選んだの? どう見たって向いてないでしょ」
「そ、そんなことないです」
両手を前に出して、ぶんぶんを首を横に振るルド。
各代の円卓の騎士は、同じ席次であった初代の残留思念によって選ばれる。
第十二席のラヴィを選んだのは、初代の第十二席だったこの冒険者ルドの残留思念なわけだ。
ルドは照れたように視線を逸らした。
「僕が今代の騎士を選定するとき、ラヴィさんはまだ子供で大陸の貧民街にいたんですけど……そんな劣悪な環境下でも誇りを持って生きてました。本当に大事なものが何なのか分かる人に見えました。だから数人いた候補の中からラヴィさんを選んだんです」
「……本当に大事なものねぇ」
ラヴィはとぼけたように首をひねったが、それは照れ隠しだった。
その胸中には様々な物が浮かんでいる。彼女がこの島に来てから出会った、ありとあらゆる人と物が。
その思考が俺に――俺たちに共有されていることに、ラヴィも気づいている。
だからだろうか。ラヴィはいつになく恥ずかしそうに頬を赤く染めて、顔を反らした。
「まー、うん。やるときゃやるのがこのラヴィちゃんだしね。選んで正解だったってルドくんに思ってもらえるくらいにゃあ頑張るよ」
「お願いします」
再び頭を下げるルド。
ラヴィはニカっと白い歯を見せて笑うと、親指を立てて応えた。
デスパーも二人と同じように初代の騎士の一人と会っていた。相手は左腕に義手をつけた女性――海賊女王エリザベスである。
彼女もデスパーも第十一席。どうやら全員が同じ席次の初代と会っているらしい。
「はじめまして」
柔和な微笑みを浮かべて会釈をするエリザベス。
デスパーはきょろきょろと周りを見渡し、しばらくしてから自身を指さした。
「あ、自分デスか?」
「そ、そうです。ええと、私、初代の騎士のエリザベスです。……あの、分かりますか?」
デスパーは腕組みをして少し考え込むような素振りを見せた後、再び辺りへ目を向けた。
微笑みは維持したままエリザベスが頬をひきつらせる。相手がきちんと話を聞いてくれてるのか不安になったらしい。
「あ、あの、デスパーさん?」
「ここって円卓の中デスか?」
「……の、ようなものです」
「悪霊はいないんデスね」
「え? ああ、そうですね」
前に円卓の中で歴史の真実の最後の断片を見せられた時、デスパーは悪霊と二つに分かれていた。円卓の中は精神のみが存在しうる領域のため、デスパーのもう一つの精神である悪霊も単独で姿を持つことができたのだ。
だが、今はいない。
エリザベスは申し訳なさそうに眉間に皺を寄せる。別に彼女のせいではないだろうに。
「デスパーさんはもう叶えるものの所有権を放棄しちゃいましたから、あちらの人格が発現することはありません」
「エリザベスサンも海賊の女王の人格じゃないデスね」
「はい、私ももう叶えるものの所持者じゃないので。二百年前の姿が保存されているので、このとおり見かけ上は義手がついてますけど」
エリザベスははにかみながら義手を掲げると、それで自身の胸に触れた。
「海賊女王は――私の望みを叶えてくれたあの子はもう出てこないけど、今もここにいます。……デスパーさんもそうですよね?」
迷いなく頷くデスパー。
それを見て、エリザベスも満足そうに頷いた。
「デスパーさんの今の望みは?」
「……みんなのために戦いたいデス」
「きっともう一人の貴方が力を貸してくれますよ」
デスパーも右手で自分の胸に触れた。
そこにいる、もう一人の自分の声を聞いたような顔をして。
スゥが向き合っていたのは浅黒い肌をした金髪ツインテールの少女――つまり彼女自身とまったく同じ姿の少女だった。二百年前に円卓の中に残した自身の残留思念である。
スゥは驚いてはいなかった。流れ込んでくる仲間たちの五感情報と思考を受け取ってもなお冷静――。
周囲を見渡し、ぽつりとつぶやく。
「よかったっス。聖剣と円卓の最終機構はちゃんと発動したみたいっスね」
二百年前の方のスゥが肯定するように頷いた。
現代の方のスゥは過去の自分に不満げな視線を送る。
「一応聞いておくっスけど、なんであーしを今代の騎士に選んだんスか? そんな予定はなかったっスよね? 他に候補もいたはずっスよね?」
「そうっスね。予定外だし、他の候補ももちろんいたっス。……でもやっぱりこのことは自分の手でケリをつけるべきだと思ったんスよ」
悪びれることなく答える二百年前のスゥ。
現代のスゥは腕組みをして嘆息する。
「騎士に選ばれた当初は正直めちゃくちゃ恨んだっスよ。そっちにはあーしのここ二百年の経験はフィードバックされてない。けど、あーしの様子や行動はずっと見てたはずっス。あーしがどれだけ苦悩してたか、そっちも知ってたはずっスよね?」
二百年前のスゥは子供の駄々を聞く母のような顔をしていた。
現代のスゥとて、こんな文句を言ったところで意味がないことは重々承知していた。相手は自分自身なのだから。
スゥは再びため息をつく。
「まぁ今は、そっちの気持ちも分からなくもないっス。いや、逆に感謝すらしてるっスよ。今この瞬間に円卓の騎士じゃなかったら、きっとヤキモキしてたと思うっスから。……滅びの女神のことは今でも恐ろしくて仕方ないっスけど、ミレウスさんやイスカさんや皆さんと一緒ならきっと立ち向かえると思うっス」
「……そう言うと思ってたっスよ。なにせ自分のことっスからね」
二百年前のスゥと現代のスゥは瓜二つな苦笑いを浮かべ、互いの肩を叩きあった。
ヤルーが対面していたのは長い髪を虹色のグラデーションに染めた美しい少女、精霊姫オフィーリアだった。
この二人は精霊界で顔を合わせている。だが、あそこにいた本物のオフィーリアの記憶はこの残留思念にはフィードバックされていないらしい。
もっともヤルーがあそこへ行ったことは知っているようであるし、あそこで自分の本体とどのような会話を交わしたかもおおむね推測できているようだった。
「はじめまして、お兄様の子孫くん」
「よぉ、元気そうだな、ご先祖様の妹ちゃんよ」
二人はそんな軽い挨拶を交わし、含みのある笑みを浮かべて視線を交差させる。
「黄金郷の扉が開いたぜ。アンタのおかげだ、オフィーリア」
「見てたわよ。ようやくアンタの夢が叶うってわけね」
「こんな非常時に夢だなんて言ってんのも不謹慎な話だけどな」
ヤルーは上機嫌に目を細めて肩を上下させる。
オフィーリアはなんだか拍子抜けしたような顔だった。
「どうも吹っ切れたみたいね。あの王様のおかげ?」
「ああ。ま、それだけじゃねえがな。……この島に来てから色々あったからな」
「ふーん。アンタを円卓の騎士に選んで正解だったわね。感謝しなさいよ、全部私のおかげよ」
「そんなつもりで選んだわけじゃねーくせに」
似たような顔で、声を上げて笑う二人。
「ま、不謹慎でもなんでもいいわ。頑張んなさい。ここから見てるからね」
「あんがとよ。……行ってくるぜ。黄金郷と滅びの女神の面を拝みによ」
オフィーリアはヤルーの頭をポンと叩き、背中を押して笑顔で弟子を送り出した。
イスカはスゥと同じように円卓の中に残した自分自身と邂逅していた。
だが向き合ってはいない。二百年前の彼女は暗闇の中で膝を抱えて小さくなり、気の毒なくらい震えていた。
イスカは心配そうな顔で二百年前の自分のそばに屈みこむ。
「だいじょぶかー?」
二百年前のイスカは震えたまま、顔を上げない。
「……アレのこと、まだこわいのかー?」
たずねられても二百年前のイスカは答えなかった。
泣き疲れてもう涙も出ない両目を隠すように膝に押し付けるだけ。
アレとは、滅びの女神のことだろう。
イスカにとっては終末戦争で幾度も死闘を繰り広げた因縁の相手である。最終的に封印はしたものの、多くの同型を破壊され、自身も活動できなくなるほどの損傷を負わされた。
また二百年前に彼女がこの島で目覚めた際には、魔力を吸い上げられ、殺されそうにもなった。
彼女の心的外傷だ。
イスカは上を向いて『ん-』と唸って考え込んだのち、二百年前の自分を背後から両腕で抱きしめた。
その表情は慈愛で満ちている。
「だいじょうぶ。みんないる。イスカは一人じゃないぞー」
二百年前のイスカの震えが止まる。
歴史の真実の最後の断片を見て、滅びの女神のことを思い出したあの時――彼女自身がスゥやマーリアに慰めてもらったあの時のように、イスカは優しく自分を慰める。
「だいじょうぶ。こんどはきっとみんなまもれる。ぜったいに」
やがて二百年前のイスカは顔を上げた。
不安で震える手を、現代のイスカの手に重ねる。
「がんばって」
「うん」
イスカの瞳には数千年を経ても変わらぬ人類の守護者としての自負が宿っていた。
また更新遅くなってすいません。
あと少しです。
頑張ります。
作者:ティエル




