第十九話 魔女の話を聞いたのが間違いだった
初代円卓の騎士の一人、魔術師マーリアは妻女であったと言われる。
だがその伴侶については伝えられていない。
彼女は人並みはずれた魔術の使い手で、統一王やコーンウォール公をよく助けたらしい。
ウィズランド王国成立後はいずこかへ消えたと言うが、その伝説の人物が目の前にいるというのか。
『にわかに信じられないのは無理もありません。かつての円卓の騎士たちもそうでした』
目を閉じたまま穏やかに、彼女――マーリアは続ける。
統一王の時代の人間ということは、少なくとも二百年以上前の生まれである。
ただし彼女の場合、もう一つの――ノルニルという名前が持つ異名が、それ以上に齢を重ねていることを示唆していた。
「まてまてまて。魔女だと!? あの魔女か!? 冗談だろ!」
さすがにこれは予想していなかったようで、ヤルーがうろたえた様子を見せる。
第二文明期の末に突然現れた強力無比の術者、真なる魔王。
当時の文明のすべてを徹底的に破壊しつくし、その後三百年にも渡り、世界に君臨し続けた恐怖と憎悪の象徴。
彼と夜を共にし、その力の一端を受け継いだ存在――それが魔女だ。
始祖勇者も真なる魔王も亡き今、世界で最も強力な生物の一角であるとも言われている。
「ノルニルなんて魔女は聞いたこともねぇけどな」
ヤルーの言葉だが、これは俺もそうだし、ほかのみんなも同じようだった。
魔王の子を産み、そこから連なる七門の開祖となった者たちは純潔の魔女と呼ばれ、特にその力が強大であったとされており、現在も有名である。
魔王の死後、それ以外の男との間に子をもうけた不貞の魔女たちも、大きな一門を持つ者は名を残している。
しかしそのどこにもノルニルなんて名前はない。
ヤルーに向けて、マーリアはそっと微笑んで。
『我の名を知らないのも当然です。我はあの御方との間にも、ほかの殿方との間にも子を成していません。連なる魔族を持たない魔女なのです。そのような者は他にも大勢いましたが、そのほとんどが歴史に名を残していません』
知られざる魔女ということか。
確かにそういうのがいくらかいるとは言われていたが。
「よーするに、魔術師マーリアの伴侶ってのは真なる魔王のことかよ。妻女というより未亡人じゃねえか」
恐れ知らずのヤルーの一言に、マーリアが反応する。
怒気や他の感情を含むこともなく。
『真なる魔王様は死んではいません』
さすがのヤルーも押し黙る。
始祖勇者により討伐されたという真なる魔王だが、殺されたのではなく、封印されただけという説もある。
特に真なる魔王の力を受け継ぐ魔族の間で根強い説だが、こうして歴史の当事者に発言されると、真実味を帯びてくる。
「ま、待て。待ってくれ。俺たちは円卓の騎士の責務とやらを聞きにきたんだ」
興味の尽きない話題ではあったが、そこは本題ではない。
どうにか話を戻そうとする。
マーリアは静かに頷いて。
『それを説明するには、この国の成り立ちからお話しせねばなりません。貴方がたは、どのように聞いていますか』
「どうって、そりゃあ……」
統一王の英雄伝説のことは、この島の者ならば誰もが知っている。
しかしそれを改めて話せと言われると難しく、リクサに視線を送り、委ねることにした。
リクサはこくりと頷いて、話し始める。
「真なる魔王の支配が終わった後――第四文明期に入ってから、このウィズランド島は諸勢力が争いあう戦乱期に突入しました。それが百年ほど続いた頃、島の地下に封印されていた数多の魔神と天聖機械が解放されました。この島は第一文明崩壊の引き金となった終末戦争の最激戦地であり、その際に用いられた両者が眠っていたのです」
リクサとラヴィと一緒に聖イスカンダール劇場で観たあの喜劇を思い出す。
あれはこの話を下地にしたものだった。
「島の外から来た統一王は、十二人の仲間――初代円卓の騎士と共に、この魔神と天聖機械たちを討伐し、その功績を元に諸勢力を調停、統一。ウィズランド王国を建国したのです」
『概ねは、そのとおりです。ロイスの末裔よ』
初代円卓の騎士次席であるコーンウォール公の名前だ。
マーリアはリクサの持つ直剣を指差す。
『天剣ローレンティアですね。懐かしい波動です。彼の血を継ぐ者が、この使命に選ばれたことに運命を感じます』
「やはり貴方は、本当に我が祖と肩を並べて戦ったのですね」
感慨深げに、リクサが彼女を見上げる。
「概ね、ということはどこかに誤りがあるということでしょうか」
『そのとおりです。一点だけ、真実の歴史が伝えられていません。そしてそれがすべての元凶であり、我と貴方がたが今ここにいる理由なのです』
聞くべきではないと本能が告げている。
聞けば引き返せなくなると全身が訴えかけている。
しかし俺は、俺たちは、どうすることもできなかった。
魅入られたように、彼女の語る真実を聞いてしまう。
『統一王と我々、初代円卓の騎士は、魔神も天聖機械も討伐などしていないのです。封じてすらいない。すべては先送りしただけなのです』
誰も、何も言わなかった。
ただ呆然とマーリアの話の続きを待つ。
『この島で解放された魔神と天聖機械の数は膨大でした。しかもその上位の個体、魔神将や決戦級天聖機械は、一体ですら手を焼く相手でした。そのすべてを討伐することなど、到底不可能だったのです』
語られるのは二百年前の真実。
統一戦争は島全体が滅びかけるほど苛烈なものだったと伝わっている。
『我が真なる魔王様からいただいたのは、時を操る力です。それを応用し、仲間の協力を得て製作したのが、その聖剣と鞘。それらの力については、もう体験しましたか?』
俺は黙って頷く。
『戦いが熾烈を極める中、我が使ったのはその鞘に施したのと同種の魔術です。迫る危険を、対処可能な時期が来るまで先送りする、そんな魔術』
魔術師マーリア。あるいは時の魔女ノルニル。
その口が語る、次の一言がすべてだった。
『つまり我は、魔神や天聖機械を、それを倒せる人材がいる未来まで飛ばしたのです』
「……まさか、円卓の騎士の責務っていうのは……」
絶望的にうめく。
『そうです。その先送りにした脅威の排除を、貴方がたが行うのです』
「いやいやいやいや! 待って! 待ってくれ!」
気付けば叫んでいた。
まるで現実感がない。
責務とやらの内容を何度も想像したことはあったが、こんなものは一度も考えたことはない。
「つまり、これからめちゃくちゃ強い魔神や天聖機械がこの島に戻ってくるから、そいつらを俺たちで倒せと? 歴代の王や円卓の騎士もおんなじことやってたと? そう言うことなのか!?」
『然り。そのために我々初代円卓の騎士は、円卓システムを構築したのです。重大な脅威を飛ばした先の未来で、円卓により十二の臣下が、聖剣により王が選定され、円卓騎士団が結成されるようにしたのはそのためなのです』
「おかしいだろ、それは! 諸侯騎士団の連中が総出で潰せばいいじゃないか!」
確かに円卓騎士団は大陸からも恐れられ、最強の戦闘集団と称されるほど個々の戦闘能力は高い。
だが最大でもたったの十三人だ。
総戦力でいえば諸侯騎士団とは比較にならない。
なぜわざわざそんな独立した騎士団を用意する必要があったのか。
『王よ。その点は、ほかの騎士たちに聞いてみれば分かることです』
そう言われてなんとなく目を向けたのは、すぐ右に立つナガレだったのだが。
ナガレは苦々しい表情で、解説してくれた。
「あいつら相手に人数集めてもしょうがねーんだよ。魔神は不死身みてーな肉体とバカみたいに高い魔法耐性を持つし、天聖機械は遺失合金製で強固な魔術障壁も持ってる。どっちも、そこらのヤツらじゃ攻撃自体通らない」
「……高火力持ちじゃないと、話にならないってことか」
「そう。それにあいつらは元々、第一文明期に相手陣営の兵士を大量殺戮するために作られた兵器だからな。大勢まとめて殺すのに長けている。諸侯騎士団なんて動員したら無駄に犠牲を増やすだけだ」
始祖勇者が真なる魔王を討伐したときのように、少数精鋭で行かないとダメということか。
それにしても、だ。
「やけに詳しいな、ナガレ」
「何度も戦ったことがあんだよ。オレだけじゃなくて、円卓の騎士全員な。箝口令が敷かれているし、報道規制もされてるからあまり知られてねーが、この島にゃ上位魔神や戦略級天聖機械くらいまでなら、たまに出んだよ。諸侯騎士団じゃ対処しきれない危険種の討伐がオレらの日常業務だけど、半分くらいは魔神や天聖機械だ」
確かに、たまに新聞で円卓の騎士の活躍の報を目にしてはいたが、どんな危険種を討ったかは記されてなかった。
あれはそんな化け物を相手にしていたのか。
ナガレは木刀を担いだまま、マーリアを睨みつけて。
「魔神や天聖機械が出るのは、どっかの遺跡から漏れ出してるから、なんて噂もあったが……ようやく分かったぜ。つまりは、アンタが未来に飛ばした奴らなんだな。そいつらも」
『そのとおりです。愛しき訪問者の娘よ。我はあらゆる種類の魔神と天聖機械を未来へ飛ばしました。そのうち上位の個体に関しては、王と臣下が揃う時期に飛ばすことができましたが、下位の個体に関しては、その限りではありません』
ちっ、とナガレは舌打ちをして、後頭部を掻く。
ようやく分かってきた。
「つまり、この責務に特化した連中を選び出すのが、円卓システムとやらってことなのか」
『それだけではありません。円卓の騎士が責務を果たすのに必要なサポートや、システムを維持するための機構もまたシステムの一部と言えるでしょう』
どういうことだろうか。
『王以外の円卓の騎士が選ばれる条件をご存知でしょうか』
「出身地とか身分とか種族とか……そういうのには関係なく、責務を全うするに足る能力があればいいと聞いた。ただ、もう一つ条件があると」
そのもう一つというのは魔女に聞けと言われた。
これは先代王に聞いた話だ。
うっかり言ってしまったが、みんな話の内容に圧倒されているからか、聞き咎める者はいない。
『もう一つの条件は単純です。責務を全うするに足る能力の持ち主であっても、それを受ける意志を持たなければ意味がない。つまりは、その意志を持つ者だけを騎士として選ぶように円卓には仕組んであるのです』
周りの六人の騎士を見渡す。
そんな殊勝な意志を持つ者など、リクサくらいしかいないと思うのだが。
『もちろん、何の報酬もなくこんな責務を負おうと思う者は希少です。そのために、領地の受領などのたくさんの特権を用意したのです。それを維持するためならば、命賭けの戦いにも身を投じることができる理由を持つものだけが選ばれるのです』
あっ、と思わず声が出た。
俺だけではない。
ヤルーとラヴィもばつの悪そうな顔で、声を出している。
リクサやシエナ、ナガレも思い当たるところがあるのか、複雑そうな顔だ。
ただヂャギーだけは、そのバケツヘルムのせいで何を考えているのか分からない。
『単純にお金が欲しい者。特定の領地を得たいと願う者。騎士という地位そのものに魅力を感じる者。様々ですが、実際、円卓での最初の表決で反対票を投じる者はいなかったでしょう。責務の内容を聞いた今も、それでも降りようとは思わない。貴方がたは皆、そういう欲のある人間のはずです』
みんな思うところがあるのか、誰とも視線を交わさないように顔を背けた。
かくいう俺も王の特権をフル活用して豪遊したり、実家に仕送りしたりしたので、強くは言えない。
『欲があるのは悪いことではありません。相応の対価を用意すれば、働く意志があるということですから』
マーリアは魔女らしく、妖しく笑う。
『話が長くなりましたが、その対価を用意するための仕組みもまた、円卓システムの一部ということです。王国の上層部――四大公爵家や官僚のトップ、大商会に新聞社、それに諸侯騎士団の隊長格などの中には、統一戦争の真実や責務のことを知る者が、それぞれいます。彼らにも特権が与えられていますので、彼らはそれを維持するために、円卓の騎士の特権も維持しますし、貴方がたが要請すれば協力を惜しまないはずです』
「ようするに国の上の連中全員を共犯にしたってことかよ。あくどいねぇー」
面白くなってきたという顔でヤルーが茶々を入れる。
「待った、待った。もしかして、それって、盗賊ギルドも!?」
ラヴィが目を丸くして手を挙げる。
『そうです。ウィズランド王国の盗賊ギルドを開いたのは初代円卓の騎士の一人ですから、幹部たちの間で伝承が引き継がれるように仕組まれているはずです。彼らも共犯ですよ』
先日、盗賊ギルドへ呼び出されたときのことを思い出す。
情報屋元締めのスチュアートという男は『少し話をしてみたかっただけ』と言っていた。『王が即位したし、そろそろ本格的に活動を始める頃かと思って』と。
あれは、責務のことを知ってのことだったのか。
まさか本当に、話をするためだけに呼んだとは思わなかった。
そうだ、意味深顔でこうも言っていた。
『円卓の騎士のお勤め、無事に果たされることを、お祈りしている』と。
「あいつぅー!」
ラヴィが色々思い出したのか、なんだか悔しそうな顔で地団太を踏んでいる。
気持ちは同じだ。あの男は俺たちがまだ責務について知らないと途中で気付いて、その力を試すようなことをしたのだろう。
もし事実を知っていれば、それを告げるだけであいつは協力してくれたのだろうか。
『普段、王が不在のこの国で内乱が起こったことがないのは何故なのか、疑問に思ったことはないでしょうか。答えは単純です。一体でも国を滅ぼすのに十分な化け物がいつ現れるかもわからないこの島で、覇権を取る意味などないと有力諸侯は知っているからです。円卓システムを維持しなければすぐに滅ぶのがこの島であり、この国なのです。二百年の平和は、危うい均衡の上に保たれてきたのです』
マーリアはそう話したが、別にそんなことを疑問に思ったことなどなかった。
特に理由もなく、この国は平和なのだと妄信的に思い込んでいた。
『このシステムを作るのには本当に苦労しました。我の未来視や仲間達の力をフルに使って、二百年以上もの間、稼動し続ける強固な仕組みを作り上げたのです。もちろん、あまりにも未来の不確定要素が多いため、常にシステムを監視して、随時メンテナンスと修正を行うシステム管理者も用意しましたが』
円卓システムについては、それで説明は終わりのようだった。
その内容を噛み砕くための沈黙の時間が、しばし続いた後。
「オイラ、わかんないことがあるんだけど!」
ずっと黙りこんだまま話を聞いていたヂャギーが、丸太のような手を挙げた。
「どうして、その討伐してないってとこだけ真実が伝わってないんだい? 倒してません、未来へ送っただけですって、国民みんなにちゃんと伝えたほうが、未来の人も助かったんじゃないかな! そんなにすごい強い敵なら、倒せませんでしたって素直に言っても別に誰も責めなかったと思うよ!」
心優しいヂャギーらしい意見だ。一理ある。
しかしマーリアはすぐに首を横に振った。
『伝わっていないのではなく、伝えなかったのです。我々、初代円卓の騎士が真実の隠蔽と虚偽の捏造を行ったのです。魔神と天聖機械がいなくなったといっても、当時のウィズランド島は混乱の只中にありましたからね。元々百年続いた戦乱期で、互いに殺しあっていたというのを思い出してください』
ヂャギーがすっと手を下げる。
これも、平和の中に生きてきた俺達にはなかなか理解しがたいことだった。
『各都市国家に、人狼の勢力、南港湾都市の海賊や精霊使いの同盟者。統一王が魔神と天聖機械を倒した武勲でもって、これらを調停、統一したというのは正しいです。しかしそれは裏返せば、それだけの武力を持っているという点を武器に、強迫したということでもあります。万が一、倒してなどいないという真実を知られれば、空中分解しかねない。我も無理のしすぎで、もはや大きな力を振るえないようになっていましたし。――そしてなにより』
彼女の声色が初めて変わった。
『魔神と天聖機械を解放したのは、統一王なのです。連鎖的にそのことまで知られれば、もはや国の形を維持することなど叶わなかったでしょう』
真の意味での禁忌の告白に、全員が息を飲んだ。