第百九十八話 帰還したのが間違いだった
真っ暗闇。
半年前に精霊界に転移した時とまったく同じだ。
何も見えず、何も聞こえず、何も感じられないが思考だけはクリアな状態で、俺は体が元に戻るのを待った。
恐らく、あちらに渡ったときと同じく、体を再構成しているのだろう。
「よぉ、ミレちゃん、聞こえるか?」
先に聴覚だけが回復したらしい。真っ暗闇のまま、隣からヤルーの声がした。
「大陸の東の果てによ。サイアムって国があんだが知ってるか?」
「ん? ああ、知ってるよ」
「知らねーか。まぁウィズランドよりちいせえ国だからな。無理もねえ。大国同士の緩衝帯としてなんとか存続できてる、よくある小国の一つだよ」
「いや、知ってるって」
「で、そこの現国王はすんげえ女好きでな。嫁が九人、子供が二十人いる」
こちらの声も届いているだろうに、ヤルーは完全に無視して話を続ける。
「サイアム王家は代々優秀な精霊使いを輩出する家系でな。王の三番目の王子は素質を見込まれて、高名な精霊使いのところに修業に出された。が、才能がありすぎたのか一年もしないうちに師匠を越えちまってな。退屈を持て余してきた頃に変なジジイと出会って、かつて王家から失われたある家宝が眠っている場所を教えてもらった。その家宝を手に入れた王子は身分と国を捨て、夢を叶えるために長い長い旅に出た」
「……で?」
「その家宝が優良契約で、旅に出た王子が俺っちってわけだ」
「ヤルーの話だったのかよ! ……って、一応ツッコんでおくけど、途中から薄々察してたよ!!」
オフィーリアの身の上話とほとんど同じだったからだ。
たぶんこいつはあの話を盗み聞きしていたのだろう。
「つーか、王子? ……王子ィ!? いや、前に自分は王族だとか冗談言ってたのは覚えてたけどさ」
「俺っちはめちゃくちゃ本気で言ってたんだが、アレ」
「たぶん誰一人信じてないと思うぞ」
こいつとて、信じてもらえると思ってあの時話したわけではなかろう。
「じゃあ、ヤルーはオフィーリアの遠い親戚なのか」
「そ。俺っちの八代くらい前がアイツの兄だな。二百年前に出奔した王女の伝説はうちの国じゃ有名だからよ。ウィズランド島の初代円卓の騎士の中にその名前を見つけた時は、本人に違いねえってすぐに確信したぜ」
「なんだよ。教えてくれればよかったのに」
「ミレちゃんに教えたってどうにかなるようなことじゃねーだろうよ」
「そりゃそうだけど」
たぶん、それを教えたら自身の生い立ちについて突っ込まれるのではないかと危惧したのだろう。
オフィーリアも自身の身の上話をするのを渋っていた。そういう血筋なのだと思う。
「しかしヤルーが王族……王族ねぇ」
「似合わねえと笑うかい?」
「いや……」
こいつの自分勝手ぶりには手を焼かされているが、それも王族らしい振る舞いだと捉えられなくもない。
たまに育ちのよさを垣間見せることもあったし、身なりを整えたこいつを見て、どこぞの貴族みたいだと思った記憶もある。
驚きもするが、同時に腑に落ちる真実だった。
「なぁ、ミレちゃん。精霊界に行く前……誕生パーティの夜によ。『ようやく事の大きさが実感できてきたか』って聞いただろ。あれな。俺っちがそうなんだよ」
どういうことかと俺は首をかしげた――つもりだった。
視覚が戻ってないのでヤルーには伝わらないだろう。
「俺っちはずっとミレちゃんのことを見てきた。ここ三年間ずっとな。初めは頼りねーのが王になったもんだと呆れたもんだが、いつの間にやらどこに出しても恥ずかしくない立派な王になっちまった」
「……褒めてくれるのは嬉しいけどさ。それは俺がどうのってより、立場が人を変えるってやつだろ」
「そう、立場だ。俺っちは王族に生まれたのに、その立場の役割を全うできなかった。自分の夢っつーエゴを優先しちまった。ミレちゃん、立場につけば誰でもそうなるってもんじゃあねえんだよ」
嘆息のような音がヤルーの方から聞こえる。
あるいは話しづらいことを打ち明けるために、深呼吸したのかもしれない。
「俺っちはあんとき、灯の減った王都を眺めるミレちゃんの表情を見て、ようやく事の大きさを実感できたんだ。俺っち一人じゃ、いつまでも他人事だった。身内がやられてるってのにな。……な? 冷たい人間だろ」
やはり視覚が戻ってないので分からないが、ヤルーが自嘲的な笑みを浮かべているのは容易に想像できた。
「今の代の円卓の騎士は全員多かれ少なかれ、そういう自分勝手な部分があんだろ。みんながミレちゃんを気に入ってんのは、自分たちに欠けてる『人のため』って意識を強くもってるからだと思うぜ。かく言う俺っちもそうだけどよ」
ヤルーの言葉は俺への賛辞であると共に、自傷でもある。
三年間、ヤルーはずっと自身と俺を比較していたのか。
しばらく、かけるべき言葉が見つからなかった。
お互いに姿が見えない状況でよかったと心底思う。でなければもっと気まずくなっていただろう。
いや、こいつのことだ。それを見越してこのタイミングで話したのかもしれない。
「人のためって言うならさ。『心を入れ替えて、ちゃんと働く』って約束したヤルーだってそうだろ。俺や国民のために働いてくれる気になったんだろ?」
やっとのことで言えたのは、そんな当たり前の台詞だった。
ヤルーが鼻で笑うのが聞こえる。
俺の苦慮も配慮も、コイツには全部見透かされているのだろう。
「やっぱミレちゃんは優しいねぇ。……ま、王様はそうじゃなきゃな。俺の親父はクソ厳しかったしクソ怖かったけどよ。ミレちゃんに通じる優しさもあるにはあったよ」
聴覚以外の五感が急速に回復していく。
同時に重力も感じるようになる。
「再構築が終わるぜ。懐かしのウィズランド島だ」
およそ半年の時を経て、ついに俺とヤルーは十二の月が巡る大地に帰還を果たした。
☆
広大な地下空間の底に広がる、灼熱の溶岩の湖。
そこに浮かぶ小島に、俺とヤルーは降り立った。
刺すような熱気と溶岩の放つ赤い光。
小島の中央にはどちらの性器も持たない一糸まとわぬ子どものような精霊――大地精霊が宙に浮かんでおり、深紅の体躯を持つ大鳥の精霊、不死鳥がその肩にとまっていた。
溶岩の湖の向こうにスゥたちの姿がないことを除けば、俺たちが精霊界に転移した瞬間から何一つ変わっていない。まるで時が止まっていたかのようだ。
「よ! 久しぶりだなぁ、お前ら。つっても精霊にとっちゃ半年なんて、あっという間か」
軽口を叩きながら優良契約を広げて片手で持ち、ヤルーが二体の上位精霊と対峙する。
大地精霊はそのつぶらな瞳でヤルーを見返すと、やわらかく微笑んだ。
『オカエリナサイ。アナタニハ上級精霊管理者権限ガ付与サレマシタ』
「あん? ……ああ、あっちで修行したからか。で、上級になると何が変わるんだ?」
『特A級機密情報ヘノ、二度ノアクセス権ガ付与サレマス』
「二度ぉ? 二問ねぇ」
ヤルーは顎をさすり、考え込む様子を見せた。
コイツは詐欺まがいの方法で精霊と契約するが、そのためには相手の情報が必要になる。先ほどオフィーリアを丸め込んだ時のように、相手の弱みや欲求、そういったものを見つけて、そこを付け入る隙とするのだ。
何が特A級機密情報とやらに該当するかは分からないが、なんでも聞けるのであれば聞いておくに越したことはない――とコイツは考えているのだろう。
長い沈黙の後、ヤルーが絞り出した第一の問いかけは予想外のものだった。
「この島の創生について教えろ」
『了承。――情報ヲ開示シマス』
大地精霊の瞳が淡く発光したかと思うと、俺たちの前に大きな立体映像が現れる。
映しだされたのは、青い惑星の姿。
大陸の形に見覚えがある。俺たちがいるこの星、十二の月が巡る大地だ。
『現代デハ第一文明ト呼バレテイル高々度科学文明ハ、ソノ絶頂期ニ至ルト、コノ惑星ノ全テヲ覆イ尽シ、世界ハ統一政府ノモト、一ツニナリマシタ』
視点が移動し、地表の様子が映し出される。
都市には天を突くような塔が地平線まで整然と建ち並んでおり、空には数えきれないほどの金属製の船が飛び交っている。
地上では多種多様な姿の人たちが何の不満もないような顔で闊歩しており、自由と平等を謳歌している。
郊外にある巨大な生産施設はすべての工程が機械で完璧に管理されていて、食料を始め、ありとあらゆる物資が量産されている。
以前見た、ナガレが元いた世界の姿を俺は想起した。
だが、あそこよりもさらに文明は発展している。『自分がいたあの世界が第一文明に並ぶには、数百年か数千年はかかる』とナガレは予想していたが、なるほど、確かにその通りかもしれない。
立体映像の視点は再び上空からのものに変わり、大陸北西の海へと動いていく。
『統一政府ハ、世界ガ一ツニナッタ事ヲ記念シ、“世界首都”ノ建設ヲ決定シマシタ。既存ノ土地デハ軋轢ヲ生ムト判断シタ彼ラハ、大陸ノ北西ノ何モナイ海上ヲ選ビ、ソコニ新タナ大地ヲ創造シマシタ。ソレニ使ワレタノガ、大地創生システムWiZ――或イハ、大地母神ウィズ、ト呼バレル存在デス』
「ウィズ? ウィズだって?」
思わず俺は声に出していた。
大地精霊は俺を一瞥した。だが、それだけである。
立体映像の中では信じられないような自然環境の変化が起きている。まるで世界創生の神話のような大きな変化が。
『ウィズハ協力者達ト共ニ、海底ヲ隆起サセ、環境ヲ整エ、一ツノ島ヲ作リダシマシタ。ソノ大地ハ彼女ノ名カラ、“ウィズランド”ト名ヅケラレ、隆起ノ中心トナッタ場所ハ、“ウィズ山”ト呼バレルヨウニナリマシタ。現在、我々ガイル、コノ山デス。世界首都ハ、コノ島ノ地下深クニ築カレマシタ。現在ソノ地ハ、一部ノ者ノ間デ、黄金郷ト呼バレテイマス』
大地精霊の話のとおりの内容を、立体映像は再現した。
何もない海に、俺がよく知る形の大地が創生されるその一部始終を。
大地精霊の瞳の発光がおさまり、立体映像が消滅する。
どうやら回答は終わったらしい。
俺は全身に鳥肌が立っているのを感じていた。
しかし同時に肩透かしを喰らったような気分でもあった。
「……それで? 確かに特A級のすごい情報だったけど、大地精霊を契約させるのに有利になるような要素あった?」
「めちゃめちゃあったっつーの」
小ばかにしたようにヤルーは鼻で笑ったが、すぐに表情を引き締め、大地精霊の方に向き直る。
「それじゃあ、もう一問だ」
最初の問いと一緒に考えてあったのだろう。次の問いはすぐに出てきた。
「終末戦争のすべてを教えろ」
『了承。――情報ヲ開示シマス』
そして大地精霊は、恐らくこの世界で誰も知らない神話の時代の秘密を語り始めた。