第百九十七話 慣れたのが間違いだった
オフィーリアの二度目の“ご褒美”から、やはり二か月ほどが経った頃だと思う。
その時俺に襲い掛かってきていたのは、奇しくもこの精霊界に来た当初に襲ってきたのと同じ二体の精霊、暴風精霊と苦精霊だった。
攻撃の仕方もまったく同じ。
まず旋風を纏った半透明の巨人のような精霊、暴風精霊が突っ込んできて、巨大な拳を振り下ろしてきた。
俺は華麗にステップを踏んで、それをさらりと躱した――とは、もちろんいかない。
相手は上位精霊だ。俺は一般人だ。半年修業したところでその根本的な能力差は埋まるはずがない。
どうにか身を捻ったものの、結局かまいたちでできたその拳に全身をズタズタに切り裂かれて、大量の血を吹き出す結果となった。
が、特に気にせず前に出る。
聖剣を暴風精霊の巨体のへその辺りに差し込み、力を込めて切り下ろす。
すると無数の風でできた暴風精霊の体は竜巻が自然消滅するかのごとく散り散りとなった。
続いて苦精霊の方を向く。
この精神系統の上位精霊はピカピカと光って精神攻撃を仕掛けてきた――というか、さっきから仕掛けてきていたのだが、やはり特に気にせず前に出る。
幾何学模様を組み合わせたような奇妙な体、その重心の位置を通過するように上から聖剣を振り下ろす。
すると苦精霊は金属がこすれるような高音の断末魔を発して崩壊していった。
どちらの精霊も死んだわけではない。そもそも精霊は絶対に死なない。
時間をかければ必ず再生する。そういうモノなのだが、彼らの故郷であるこの精霊界では十二の月が巡る大地にいる時よりも遥かに再生速度が速い。上位精霊であれば数刻も経ずに元通りになってしまうほどだ。
実際、俺はその様をこの目で見てきた。ここ二か月、今倒した二種も含めて数えきれないほどの精霊を倒してきたが、他の奴らを相手にしているうちに、どいつもこいつもしれっと元の姿になっていたのだ。
もっとも経験値は討伐した扱いでもらえているはずなので問題はないが。
さて、次に襲ってくる精霊はどいつだろうかと、もはや馴染みになった周囲の精霊たちに目を向ける。
頭の中で華やかな短いファンファーレが鳴り響いたのはその瞬間だった。
デュイン!
デデレデデレデッデーデ~♪
ファーファーファー♪
シュイィィィーーーーン!!!!
だいぶ長い間、俺は固まった。
幻聴でないことは最初から分かっている。先ほどの苦精霊の例でも分かるとおり、精神攻撃全般はもう完全に効かなくなっていた。
「あー……なんかすっごい懐かしいな。そう、確かにこんな感じの音だった」
今のは職業継承体系のレベルアップ音だ。
前回聞いたのはもう三年近く前である。最初の円卓の騎士の責務――決戦級天聖機械アスカラ討伐戦のしばらく後に、レベル『2』になったのだ。
気が付けば精霊たちが動きを止めていた。
俺のレベルアップに気づいたからではないだろう。あの音は本人にしか聞こえないのだ。
しかし、この空間の管理人は察知したらしい。
頭上で大量の《光花火》が炸裂する音がして、それに交じってオフィーリアの声が届いた。
『レベルアップおめでとう!』
見上げると弾ける色とりどりの光を背景に、オフィーリアが海精霊と共に下りてくるところだった。
『いやー、やったわね!』
「あー……どうも。なんかあっさりしすぎて実感ないけど。これ、間に合ったんだよな?」
『ええ、どうにかセーフよ』
オフィーリアは修業のために俺の体に憑依させていた三体の不死鳥を回収すると、“ご褒美”の時のように空間の裂け目を作ってあちらの様子を見せてくれた。
季節は寒さの峠を越えて、ほんの僅かに春の気配がしてきた頃。
やはり俺の体感は正しかったらしく、前回の“ご褒美”から約二か月、この精霊界に来てからだと半年ほどが経過したらしい。
ウィズランド島の都市や村落の様子が映し出されるが、もはや起きている人間はまったく映らない。
最後に映った王都にのみ、動く人の姿があった。たいした数ではない。せいぜい千人かそこらだろう。
しかしいずれも腕の立ちそうな風貌をしていた。
後援者のメンバーが目立つが、そうでない者も多い。冒険者や野良の精霊使い、神官に傭兵、在野の魔術師に勇者信仰会の会員と顔触れは様々だ。
恐らくここに映っているのが、永続睡眠現象に囚われていないウィズランド王国民のほぼすべてだ。
“現象”の最終段階に入った時、起きているすべての島民を王都に召集するというのは、俺がこちらに来る前に決めていたことだった。
「あとは聖杯を手に入れて、滅びの女神との決戦に挑むのみ、か」
『その前に大地精霊と契約しなきゃいけないけどね。それをやるのはアンタじゃないけど』
オフィーリアがひらひらと手を振ると、周りにいた数百体の精霊たちが四方八方に散っていく。
何度も何度も倒してしまって申し訳ない気持ちと、レベリングの糧となってくれた感謝を込めて、俺は彼らに頭を下げた。
『それにしても上位精霊まで倒すようになるなんて、想定外にもほどがあるわね。それも複数相手に、余裕しゃくしゃくって感じで。……円卓はここまで予知してたんでしょうけど』
「んー、なんか最後の最後でコツ掴んだ感じなんだよな」
『コツ?』
「そう。結局どんな形をした精霊にもナノマシンの制御を行ってる箇所があるんだ。魔術生物や天聖機械の核と役割は近い。暴風精霊みたいな物理的な実体のないやつでも、そこを攻撃すれば倒せるんだよね。強力な魔力が付与されてるこの聖剣だから可能なことなんだろうけど」
『いや、理屈ではそうだけど。その箇所は熟練の精霊使いにも絶対分からないようにできてるのよ?』
「そこは経験と感覚かな」
オフィーリアは顔をしかめた。気持ち悪がるかのように。
『防御は? なんで全身切り裂かれても普通に動けるの? 精神攻撃効かなくなってるのはどうして?』
「物理的な痛みには、もう完全に慣れた。精神攻撃は……んー、頭の中を区切るというか、精神攻撃を受ける箇所と体を動かす箇所を分離させるというか」
オフィーリアはさらに表情を歪ませた。ドン引きしているような顔である。
『レベル『3』になるならレベリング場所は正直どこでもよかったんだけど……結果として精霊戦のエキスパートを育ててしまったわね……。対精霊、対精霊使いに限れば世界最強かも。ひょっとしたら根源精霊まで倒せるかもね』
「それは言い過ぎじゃない?」
『だって物凄い経験値よ? いったい上位精霊を何百回倒したのよ。人類史上もっとも経験値を稼いだ男になった可能性まであるわよ』
俺は肩をすくめる。本気で実感がないのだ。
「身体能力は一切変わってないからな。十二の月が巡る大地の住人は精霊界では歳を取らないし、物理的な変化もしない……」
『そうだけどね。まー、これなら本当に神様だって倒せるかもって気がしてきたわよ。私はね。それじゃ、あの子も呼び戻すとしますか』
オフィーリアはポンポンと手を叩くと、人差し指を一度下に向けてから、くいっと上に向けた。
遥か下方にある空間の亀裂の一つから何かが飛び出してきて、急速に上昇してくる。何かというか、ヤルーしかいないが。
「オフィーリアてめええええええええ!!!!」
俺たちのいるところまで上がってきたヤルーは怒気と殺気を込めて咆哮した。
半年前に別れたときと何も変わらない姿をしていたが、雰囲気と表情は無人島かジャングルの奥地で半年サバイバルしたかのようである。
『おー、アンタも元気いっぱいじゃない。えらいえらい」
「ぶっ殺す!」
優良契約を開いて片手に持つヤルー。
眼帯でふさがれてない方の目は殺意がむき出して、オフィーリアに向けられている。
「契約に従い――自己責任で――我が呼び声に応えよ、精霊ども!」
いつもと違う呪文によってヤルーの周囲に召喚されたのは数十体の下位精霊たち。
前に聞いたときは、同時に使役できるのはせいぜい十体かそこらだとコイツは話していた。普通の精霊使いは二体同時に使役できれば上出来だとも。
これがコイツの半年の修業の成果なのだろうか。
ヤルーは歯をむき出しにしてガルルと唸ると、オフィーリアの腕にしがみついている精霊に向けて吠えた。
「おい、海精霊! オメーの現契約者は俺っちだろうが! こっちに来い!」
海精霊はびくりと肩を震わせ、ヤルーとオフィーリアの顔を交互に見る。どちらにつけばいいか悩んでいるかのように。
オフィーリアは自信たっぷりの笑みを浮かべると、海精霊の頭を撫でて、挑発するようにヤルーを見下ろす。
『修行を終えたわりにたいしたことないわねー。この子の支配権も奪い返せないなんて』
「そりゃ元々その海精霊のテメーへの好感度が高かったからだろうが! そもそもこの精霊界の事象はテメーが好き勝手できんだろ! 自分有利のフィールドで勝ち誇ってんじゃねーぞ!」
ヤルーはオフィーリアに向かって中指を立てると、人を小ばかにするかのような、いつものほくそ笑みに戻る。
「おい、オフィーリア。テメー、黒騎士ビョルンとはできてたのか?」
『はぁあ!? なんで私があの野蛮人と!』
「ウィズランド島の精霊使いの間で、そういう噂があんだよ。その動揺っぷりを見るに、あながち間違ってもねーみたいだな」
オフィーリアは眉間にしわを作って、呆れ顔になる。
『嘘おっしゃい。私はここからあっちのこと見れるのよ。動揺させて精霊への支配力を下げようって腹?』
「いんや? 効く手か効かない手か判断したかっただけさ。どうやら有効みてーだな」
ヤルーの口元がさらに歪む。
「その海精霊をさっさと解放しろ。でねえと、あっちに戻った後、オメーとビョルンはデキてたって吹聴しまくって、さっきの嘘をホントにしてやるぞ。円卓の騎士の俺っちが言えば、信じるやつも出るだろうよ。適当にオメーらの間で交わされたっていう手紙をでっちあげてもいい」
オフィーリアは苦い顔で舌打ちしてから、諦めたようにため息をつく。
『的確に嫌なところを突いてくるわねー。あーはいはい、いいわよ。どうせこの子返さなきゃ優良契約完成しないんだし』
海精霊が悲しそうな瞳をオフィーリアに向ける。
彼女の頬に触れ、オフィーリアは優しく微笑んだ。
『そんな顔しないの。またすぐに会えるわよ。だからちょっとだけお別れね』
海精霊はオフィーリアの頬にキスするとヤルーの元に来て、出てきたときと反対に優良契約の中に吸い込まれた。
「俺っちの勝ちだな!」
ヤルーは満足気に胸を張ると、先ほど展開した下位精霊たちも優良契約にしまった。
「オフィーリア殺すんじゃなかったのか」
「ジョークだっつーの。こっちの了承もなしにあんなところに落とされてむかついてただけだし。それに精霊みたいな存在なんだから、どうせこいつも不死なんだろうよ」
俺の胸中は複雑だった。
「……いいのか、今ので」
『精霊を巡る精霊使い同士の戦いは、だいたい今みたいな舌戦になるもんよ。精霊使いに一番必要なのは自我の強さって前に話したと思うけど、二番目に必要なのは今みたいな争いで勝つための、発想の柔軟性と応用力ね』
「……そういうもんか」
なぜかオフィーリアも満足気なので、深くは突っ込まないでおこう。
しかし先ほどヤルーが発した問いについては、確かめたかった。
「実際、黒騎士ビョルンとはどうだったんだ? 二百年前の記憶の中で、けっこう一緒にいるところを見たけど」
『んー? ……ま、嫌いじゃなかったわよ。ああいう馬鹿もね』
どうとでも取れる回答だ。回答を拒否してるとも取れる。
これまで二百年前の真実を色々知ってきた俺であるが、なんでもかんでも知れるわけではないし、知るべきでないこともあるのかもしれない。
俺の背中を、ヤルーが叩く。
「しっかしミレちゃん、雰囲気変わったなー。落ち着いたっつーか泰然としてきたっつーか。あんなやべー修業を半年もすりゃ、人も変わって当然だけどよ」
「見てたのか?」
「後半からだけどな。精霊の素をいじくる方法が分かって、それで空間に亀裂作ってそっから覗いてって感じ。……ま、ともあれ」
ヤルーは肩をすくめて、オフィーリアを見る。
「ミレちゃんもレベル『3』になったことだ。そろそろあっちに帰してくれや」
『ええ、二人ともよく頑張ったわね』
オフィーリアはにっこり笑うと寄ってきて、俺たち二人の頭をそれぞれの手でわしわしと撫でまわした。
『アンタたちは私の弟子みたいなものよ。これからもずっと見てるからね。……スゥとイスカとあっちの世界のこと、頼んだわよ』
それだけ言うと、オフィーリアは上空へゆっくり上昇していく。
「ま、会えてよかったぜ。じゃーな、オフィーリア・サイアムシア」
ヤルーがそう口にした瞬間、目の前に真っ黒な球体が生じて、俺たち二人は揃ってそこへ、あっという間に吸い込まれた。