第百九十六話 他人の話だと思ったのが間違いだった
再びオフィーリアが俺の前に姿を現わしたのは、弱めの下位精霊であればどうにかこうにか倒せるようになった頃だった。
経過した日数は正確には分からない。たぶん前と同じような間隔、つまり二か月くらい後だろう。
精霊たちが攻撃を止めたことに気づいて頭上に目をやると、やはりオフィーリアが海精霊を伴って優雅に下りてくるところだった。
『やっほー。まだ正気っぽいわね。感心感心』
嬉しそうに目を細めるオフィーリア。
俺は前回のように、その場にへたりこんだりはしなかった。ただ、聖剣を杖代わりにして一息ついた。
精霊たちの攻撃の苛烈さは二か月前からまったく変わっていない。しかし人間、こんな状況にも少しずつ慣れてしまうもので、発狂しそうになる頻度はだいぶ下がっていた。前にオフィーリアが話していたとおり、その辺の才能が俺にあるからかもしれない。
『それじゃー今日もご褒美ね。ほい』
と、オフィーリアがくるりと指を動かし、前回と同じように俺の前に円形の空間の裂け目を作り、現在のウィズランド島の様子を見せてくれる。
季節は冬。
まだ年は変わっていないようだが、だいぶ冷え込んできているらしい。島の各都市の様子が映し出されるが、ちらほらと雪が降っているところがある。
予想はしていたが、どの街も前回よりも遥かに寂しくなっていた。眠りについていない者はもはや少数派となっているようだ。
王都でさえ通りを歩く人の姿はまばらで、開いている店舗も少ない。開いている店も、客はほとんどいない。大都市はどこも似たようなものだ。
人々の表情は一様に暗い。無理もない。誰もかれも、身近な人が何人も眠りについているはずだ。明日は我が身だと不安に感じてもいよう。
そのうち一瞬だが、オークネルの様子も映った。
この村に残る数少ない若者の一人である初等学校の教師、レナ先生が桶で川から水を運んでいる。見えた人影はそれだけだった。
少子高齢化の進む我が故郷は、もはやゴーストタウンのような様相を呈していた。永続睡眠に陥った村人たちはそれぞれの家に寝かせたままのようだが、これはオークネルが聖水の流れる川で守られた特殊な村だからだろう。
オークネル以外の田舎の村落の様子も映し出されるが、やはりどこも大差はない。違いがあるとすれば、眠りについた人々を安置しておく先が、近くの都市に設営された大規模療養施設である点くらいだ。
続いて円卓の騎士のみんなが映った。王城の会議室で後援者の代表たちを交えて、侃侃諤諤と議論をしている。
テーブルに広げられているのは王都の地図である。来たる滅びの女神との決戦に備え、作戦会議をしているようだ。
あちらの様子を見ている俺に、オフィーリアが紙の束を寄こしてきた。これも前回読ませてくれたのと同じ、大地精霊につけさせたウィズランド島の記録のようだ。
ただしデータは二か月分、更新されている。
眠りについた島民の割合、六十八パーセント。
そのうち安全な場所へ移動が完了した割合、九十二パーセント。
小規模デモの発生回数、八十八回。
食料備蓄残量、六十五パーセント。
おおむね空間の裂け目から見える印象のとおりだ。
残る島民は三割ほど。それもほとんどは滅びの女神が蘇えるまでに眠りについてしまうだろう。最後まで起きていられるのは、後援者を中心としたごく僅かな強者のみのはずだ。
「デモが暴動に発展したケースは……ゼロか。不幸中の幸いだな」
『スゥたちが後援者を使って、国民のストレスを上手くコントロールしたみたいね』
「よくやってくれてるよ。本当に」
データを隅から隅まで頭に入れて、俺は安堵の息を吐いた。
状況そのものは最悪だ。しかし想定していたとおりではある。いや、想定した範囲に、みんなが収めてくれているというべきか。
『そうそう、ゼロといえば。面白いわよ。これも読んでみなさい』
次にオフィーリアが投げてよこしたのは同じような紙の束だった。
決戦級天聖機械、百足蜘蛛のアスカラ――危険種レベル『2200』。
魔神将、百影のグウネズ――危険種レベル『3800』。
決戦級天聖機械、六翼鳥のイスカンダール、付属パーツ・カルネ――危険種レベル『2000』。
決戦級天聖機械、六翼鳥のイスカンダール、付属パーツ・スピル――危険種レベル『2600』。
魔神将、迷宮のゲアフィリ――危険種レベル『3300』。
決戦級天聖機械、銀針狼のウルト――危険種レベル『3500』。
魔神将、宝玉のギルヴァエン――危険種レベル『2400』。
決戦級天聖機械、双頭蚯蚓のオグ――危険種レベル『2800』。
そこに並んでいたのは、俺が倒してきた滅亡級危険種たちの名前だった。続いて危険種の詳細なデータと、戦闘の参加人員や経過などが記述されている。
「凄いな。こんなもんまで記録してたのか」
『大地精霊っていうのはそういうものよ。全員で連携してデータをやりとりして、十二の月が巡る大地のあらゆる事象を観測して蓄積してる。私が気になるのは、その死傷者数のところよ』
言われて、それぞれの戦闘での数字を見る。
アスカラ戦の死者はゼロ。グウネズ戦は七人……。超難関ダンジョンである深淵の魔神宮を攻略するために後援者や一般国民の力も借りたゲアフィリ戦が最も多く、数十人に及んでいる。多数の精霊と戦うために後援者を動員したギルヴァエン戦もやや多い。
それぞれの死者数の後ろには戦闘後に蘇生した人数も書いてある。それらはいずれも死者数と一致していた。
『蘇生魔法の成功率が百パーセント。これって異常なことよ。アレはそもそも高レベルの司祭しか使えないものだけど、熟練した使い手が損傷のない死体に対して最大限効果拡大しても、成功率は百パーセントにはならない。アンタは不思議に思わなかった?」
「まぁ少しは。ヌヤ前最高司祭が奇跡的な確率だと言ってたしな」
『そう、奇跡。普通ではまずありえない確率よ。上位存在の介入を感じるわ』
「……神か?」
オフィーリアは頷くとも首をかしげるともつかぬ、微妙な反応をした。
「そういや前にエドワードから聞いたな。リクサが[天意勇者]になったのは、どこかの神が介入したからだ、みたいな話。……シエナやヌヤが蘇生魔法をかけてるんだ。アールディアが力を貸してくれてるんじゃないかな」
『私もその可能性が一番高いと思う。けど、どうかしらね。そっちは私の得意分野じゃないから断言はできない。アルマだったら分かったかもだけど』
人狼アルマ。初代円卓の騎士の一人で、ウィズランド島にアールディア教を広めた人物だ。
あの島で信仰されている神はマイナーなものまで含めれば何十柱もいるが、森と狩猟と復讐の女神の信者の数は五本の指に入る。そういう意味でもやはり可能性は高そうではある。
他に神といえば、ヤルーが信仰している邪神バーサスとかいうのが思い浮かぶが、そんなのがあの島の危機に力を貸してくれているとは思えない。
『ねえねえ、今日は何をして遊びますか?』
オフィーリアの腕にしがみついている海精霊が、待ちきれないとばかりに彼女を急かす。
こいつら、俺が死ぬ気で修行してる間、ずっと遊んでるのだろうか。
「……そういえばオフィーリアは二百年前に一度、あの優良契約を完成させたんだよな。そのとき、その海精霊もあの本に登録したんだよな?」
『もちろん。なんで?』
「ウィズランド島の南海で会ったとき、海精霊はまだアンタとの契約に縛られてた。その時に契約の媒介になってたのは、たしか銀の櫛かなんかだった。それが沈んだ統一王の船の中にあって、海精霊自身じゃ手を出せなくて困ってたんだ」
『あー。この子も上位精霊だからね。優良契約の契約力だけじゃ、長時間の遠距離使役はできないのよ。だから船を捨てる前に、あの櫛に契約媒介を移したってわけ』
「ははぁ、なるほどね」
海精霊はオフィーリアの胸にぐりぐりと頭を押し付けている。
こうしているとそんな風には見えないが、この精霊も危険種レベルで言えば二千以上はあるはずなのだ。実際、短時間ではあるが魔神将と単騎で渡り合うのを俺はこの目で見た。精霊が全力を出すことのできない十二の月が巡る大地でだ。
人間が使役するには大きすぎる存在なのだ。本来は。
「そもそもだけどさ。オフィーリアはどこで優良契約を手に入れたんだ?」
『うん? ……そうねぇ。隠すようなことでもないから、話すけど』
オフィーリアは僅かに視線を泳がせた。
隠すほどではないが、積極的に話したくもないようだ。
『大陸の東の果てにサイアムって国があるんだけど、知ってる?』
「いや」
首を横に振る。
ウィズランド王国の一般人が知っているのはウィズランド島に近い大陸北西部沿岸の国と、あとはせいぜい冒険者の国のような大国だけだ。国王である俺でさえ、国交がある大陸中原あたりの国までしか知らない。
『ウィズランド王国よりも小さい国だからね。無理もないわ。大国同士の緩衝帯としてなんとか存続できてる、よくある小国の一つよ』
「へぇ。それで?」
『いまからおよそ二百年前のサイアム王は好色漢でね。嫁さんが七人、子供が十六人いた。サイアム王家は優秀な精霊使いを輩出する家系で、そこの末の王女はその素質が認められ、家宝を与えられた上で高名な精霊使いのところに修業に出された』
オフィーリアは話を切って、肩をすくめて小馬鹿にしたように嗤う。
誰を馬鹿にしたのかは分からないが。
『ただ、才能がありすぎたみたいでね。一年もしないうちに師を追い越してしまい、学ぶこともなくなったその王女は身分を捨てて国を出奔したの』
「ほう」
『で、そのバックれた王女ってのが私で、家宝ってのが優良契約なわけ』
「アンタの話だったのかよ! ……いや、アンタが王族なのは知ってたし、薄々そうかなとは思ってたけど。まず自分の話だって言ってから話し始めろよ。話の順序としてさ」
『ごめんごめん。あんまり身の上話するのって好きじゃなくてね。実は王女様でしたー、なんてこっぱずかしいじゃない?』
そう話すオフィーリアの頬は、確かに少し赤くなっていた。この傍若無人な精霊姫にしては珍しいことである。
『そうそう、さっき話に出たあの櫛、あれもうちの家宝だったのよ。アンタが壊しちゃったけどね』
「しょうがないだろ、他に契約を破棄させる方法がなかったんだから」
『上位精霊との契約に使える品ってなかなかないのよ。アレ一つで一生遊んで暮らせるくらいの価値はあったんだけどねぇ』
残念そうに笑うオフィーリア。
そんな高価な品だと知ってたら、俺だってもう少し知恵をしぼってどうにか壊さずに済む方法を探しただろう。
「そう考えると優良契約ってのは凄いんだな。あれ一冊で上位精霊三体を含めた何百体もの精霊と契約できるわけだから」
『第一文明の産物だからね。それ以降に作られたのとは格が違うわ』
円卓の中で見た二百年前の記憶で、この少女が話していたことを思い出す。
統一王たちが滅びの女神の存在を知った直後のことだ。
「アンタは優良契約を、滅びの女神の封印の陣をメンテナンスするために残された鍵だって推測してたな」
『そう。ひょっとすると、うちの――サイアム王家はそのメンテナンスを担っていた第一文明の技術者の末裔なのかもしれないって私は考えてる。精霊使いの才能が遺伝してるのもそれで説明がつくし、黄金郷の話が王家の中で口伝されてるのもそれが理由かもしれない』
オフィーリアはどこか遠くを見るような目をして、ため息をつく。
『お母様にせがんで寝屋で毎晩話してもらったわ。この世のすべてが手に入る、黄金の都の物語。……黄金郷は私の夢だったの。第一文明語で書かれた優良契約の序文を解読して、ウィズランド島にそれが実在すると知った時は歓喜に震えたわ。だから十分な力を身に着けたと思った時、なんのためらいもなく旅に出た』
「そこに世界の滅びが眠っているだなんて思いもせずに、か?』
『そう。きっと長い年月が経るうちに、本来の目的である封印の陣のメンテナンスのことだけが、伝承から抜け落ちちゃったのね。無理もないわ。何千年も経ったんだもの。第二文明期や第三文明期も越えてきたわけだしね』
オフィーリアが話しているのはあくまでも推測だ。彼女の一族が本当にそんな役割を担っていたかどうかは、何とも言えない。
俺は再び円卓の中で見た二百年前の記憶を思い出した。
統一王たちが冒険の果てにたどりついたあの場所の記憶を。
「黄金郷か。大きな遺跡だったけど、だいぶ破壊されてたな。黄金って感じじゃなかったけど」
『アンタが見たのはあの都市のほんの一部よ。実際に行けばきっと度肝を抜かれるはず』
オフィーリアは自信ありげに口角を上げる。だが、その表情にはどこか影があった。
「あの場所へ行ってしまったこと、後悔してるのか?」
『いーえ? あの時私があの扉を開かなかったら、滅びの女神はすぐに目覚めてたわけでしょ。そしたら今頃世界は滅んでたわ。私たちが解放した滅亡級危険種に殺されたウィズランド島の人たちには悪いけど、あの選択を私は後悔してない。責任は感じてるから、けじめはつけなきゃと思ってるけどね』
「……そのけじめの最終段階が、俺にやらせてるこの修業ってわけか」
『そ! だからアンタには頑張ってもらわなきゃ困るのよ。まー、十二の月が巡る大地が滅ぼされようと私は死なないし、正直もうどうでもいいっちゃいいけどね』
「嘘つけ。スゥやイスカが心配な癖に」
オフィーリアは否定はせずに、けらけらと笑う。
その反応に、俺も少しだけ笑った。楽しい気分になったのはずいぶんと久しぶりだ。
「俺、まだレベル『3』になってないけど、本当に滅びの女神の復活に間に合うのか? 最大でもあと三か月くらいしか猶予がないんだが」
『円卓の予知を信じなさい。下位精霊は倒せるようになったんでしょ? 最初の頃と比べれば経験値の獲得量は飛躍的に増えてるはずよ』
オフィーリアは足元へと目を向けた。ヤルーが修業している裂け目の方だ。
『あの子も頑張ってるわよ。だいぶ死にかけてるけど、あと少しで何かを掴みそうな雰囲気はある』
どうやらこう見えて、俺やヤルーのことはしっかり監視しているらしい。まったく素直じゃない女である。
オフィーリアは海精霊と共にどこかへ飛んでいった。
俺を囲う精霊たちが、再び動き始める。
聖剣を構え、気合を入れなおす。
僅かではあるが、俺も光明のようなものが見えてきた気はするのだ。
あと少しで一皮むけるような、そんな気配があるにはある。
「ま、やることは今までと変わらないんだけどな」
独り言ちる。
そう、結局今の俺にできるのは、みんなを信じることと、この地獄のような場所でただひたすらに戦い続けることだけなのだ。