第百九十四話 同情したのが間違いだった
「『やっほー』じゃねーよ、『やっほー』じゃよぉ」
ヤルーはすぐさま少女を睨みつけ、悪態をついた。
俺は再び自分の記憶と少女の姿を照らし合わせた。
二百年前の記憶の中で散々見てきた。そうでなくとも際立つ美貌の持ち主である。間違いようがない。
「初代円卓の騎士のオフィーリア……の、本人だよな? 残留思念とかじゃなく」
『そうよ。なーんだ、つまらない。思ったより驚かないのね、二人とも』
オフィーリアは悪戯っぽい笑みを浮かべて両手の手のひらを上に向ける。
その仕草にもなにやら既視感を覚えた。二百年前の記憶の中で見たのだろうか。
「既視感――そう、さっきウィズ山で大地精霊を見た時、既視感を覚えたんだ。アレは昔、アンタが使役してた精霊だろ? 円卓の中で見た二百年前の記憶の中に登場したんだ。ガラティア荒野で、黒騎士ビョルンの部族が祀ってた大精霊様。それをアンタが盗んで使ってた」
『盗んだなんて人聞きが悪いわね。ちょっと借りただけよ』
「……返す気なかった癖に。ってか実際返してないじゃないか。ウィズ山にいたんだから」
『まだ借りてる最中ってだけよ。いつ返すか約束したわけじゃないし』
一切悪びれるところのないオフィーリア。
言い負かすのは無理そうなので、俺は話を変えた。
「そういや、なんで大地精霊はあんなところにいたんだ?」
『アンタたちをこっちに送るためよ。上位精霊といえど、人間を通せるような精霊界への扉を意図して開くのは簡単じゃなくてね。ああいう属性が極端に偏った場所じゃないとダメなのよ』
オフィーリアは自身の形のいい顎に手を当て、俺の顔をじっと見つめる。
『なるほど。頭は悪くないわね。私が使役していた精霊が送り込んだ先だから、私がいると思ったんだ?』
「どっかでアンタも生きてるんだろうと思ってたからな。シャナクと同じように、『この世界にすらいない』ってスゥが言ってたし、精霊管理上位権限者がどうのこうのとも言ってたし」
たぶんヤルーも同じように推理していたはずだ。
そう思って奴に目を向けると、その手に持っていた魔導書――優良契約がひとりでに開き、そこから輝く虹色の鱗で全身が覆われた美しい顔立ちの女が現れた。
かつてヤルーがウィズランド島の南海で契約した水属性の上位精霊、海精霊である。
『オフィーリア!』
海精霊は叫ぶと共にオフィーリアのところまで飛んでいき、その体にひしと抱き着いた。そして海生軟体動物のような吸盤を持つ触腕の髪でオフィーリアの頬に触れ、瞼のない魚類の眼から涙を流す。
オフィーリアは面食らったようではあったが、すぐに元の調子に戻り、海精霊の背に優しく両手を回した。
『おー、久しぶりねぇ。元気にしてた?』
『会いたかった!』
『ええ、ええ。私も会いたかったわよ』
突如始まった大衆恋愛劇のような展開に、俺は唖然として言葉を失った。
ヤルーは優良契約の海精霊と契約したページを見て、苦い表情を浮かべている。
「クソ、契約を逆利用して勝手に出てきやがった」
「そんなことできるの?」
「普通は無理だ。上位精霊だからか、ここが精霊界だからか……」
ヤルーは抱き合う二人に向けて、ビシッと指を突きつけた。
「つーか、オフィーリア。テメェ、海精霊を魔神将相手の捨て駒にして、南海に放置しただろーが。なに感動の再会みたいな空気出してんだよ」
『あー、そうだったそうだった。回収しにいくの忘れてたわ』
ぺろっと赤い舌を見せて、片目をつぶるオフィーリア。
その胸を海精霊がポカポカと叩く。
『バカバカ! オフィーリアのバカ!』
『ごめん、ごめん。でも許してくれるでしょ?』
『もうあんなことしない?』
『しないしない』
『なら許します』
『よしよし、いい子ね』
オフィーリアはにっこり笑って海精霊の頭を優しく撫でる。
最愛の前主人の前だからか、海精霊の人格が完全に変わっているような気がしたが、それを敢えて言うほど俺は野暮ではなかった。
「オフィーリアは精霊に好かれる体質だったから何の条件もなく契約できたっつー伝説があるけどよ。実態はただの“たらし”じゃねーか」
恨めしげにヤルーがぼやく。
「二百年放置して、ごめんの一言で済ますってどんなDVヤローだよ」
『アンタも精霊使いなら分かるでしょ。二百年なんて無限の寿命がある精霊にとっちゃあっという間よ。あの大地精霊と不死鳥も二百年ぶりに会ったのに、ひさしぶりーって感じだったじゃない』
やれやれと肩をすくめるオフィーリア。
どうやらこの女性も俺たちの行動をずっと観察していたようだ。知らんけど、ここから十二の月が巡る大地を観る方法があるのだろう。
……そうだ。
「無限の寿命といえばだけどさ。オフィーリアは今どういう状態なんだ? 内蔵魔力の多い人間は寿命も長いし、老化も遅いけど、それで今まで生きながらえてきたわけじゃないんだろ?」
『ええ。今の私はこの空間の管理人みたいなものでね。人間よりも精霊に近い存在なのよ。だから当然、寿命も無限だし、こうして若い姿を維持できてるってわけ』
自慢げに両手を広げるオフィーリア。
その体が淡く発光して見えるのは、それが理由か。
『ミレウス。アンタはシャナクに会ったんでしょ? アイツと一緒よ。精霊たちの力を円卓のシステムに組み込むために、こうなったわけ』
「……じゃあアンタもアイツと同じように、この空間から出られないのか?」
『そう。ま、ここはシャナクのいる魔力の海と違って賑やかだから退屈しないし、いいけどね』
そんな話しているうちに数体の水精霊がふらふらと飛んできて、オフィーリアの肩に座った。
オフィーリアが指で頬を撫でてやると水精霊たちはくすぐったそうに目を細める。確かにシャナクのいたところよりかはマシな環境かもしれない。
『ああ、そうそう。魔力の海と違うところはもう一つあるわ。わっかるかなー?』
ピンと指を一つ立てて、俺たちを試すように微笑みかけるオフィーリア。
俺はヤルーと顔を見合わせた。俺にもなんとなくの推測はあったが、たぶんこいつの方が的確に答えられるだろう。
ヤルーはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「世界の狭間にある魔力の海と違って、精霊界はあくまでも十二の月が巡る大地の一部って点だろ? 第一文明の連中が十二の月が巡る大地を強引に枝分かれさせて作った領域だからな」
『つまり?』
「職業継承体系の適用範囲内。ここでの戦いでも経験値が入るってこった」
にっこり笑顔でパチパチと手を叩くオフィーリア。
それから俺を指さしてくる。俺というか、俺の体を。
『ここに来るとき“再構築”されたでしょ? だから今のアンタには睡眠も食事も排せつも要らない。好きなだけ戦って、好きなだけ経験値が稼げる。一人での戦闘だから、経験値は独り占め。ね? 絶好のレベリング場所でしょ』
「確かにね。……思い返してみると、スゥはウィズ山に行けとは言ったけど、ウィズ山でレベリングするとは言ってなかったんだよな。精霊は同ランク帯の危険種と比べて経験値効率がいいとは言ってた」
俺はもう一度この奇怪な領域を見渡した。どちらを向いても果てらしきものはない。どこまでも真っ白な空間が続いている。巨大な亀裂はいくつもあるが――。
「念のため聞くけど、ここから元の世界に戻るのって簡単だったりする?」
『まさか。来るのと同じくらい大変よ。だからアンタがレベル『3』になるまでは、ずーっと缶詰。私の見立てじゃ、たぶんウィズが復活する寸前までかかるわよ』
「スゥは“すぐ”戻れるとも言ってたんだけどな」
『精霊ほどじゃないけど、あの子も長生きだからね。普通の人間と同じ時間感覚なわけないでしょ』
「そりゃそうだ」
ウィズが復活する寸前というと、ざっと半年ほどである。この間もナガレと一緒に三週間ほど王都を空けてしまったが、まさか再びそんなに空けることになろうとは。
『まー、あっちのことはスゥたちに任せなさい。これからウィズランド島の混乱は増すばかりだろうけど、どうにかしてくれるでしょ』
「分かってるよ。考えたところで、帰れるわけじゃないし」
と、おおむね話がまとまったところで、ヤルーがわざとらしく笑顔を浮かべてシュタッと手を挙げ、俺たちに背を向けた。
「じゃ、俺っちは戻っていいな」
『いいわけないでしょ』
即座にオフィーリアが指をパチンと鳴らす。
すると、その意図を汲んだ海精霊が飛んできて、逃げようとしたヤルーをあっさりと取り押さえた。
『わざわざアンタまでここに呼んだ理由。分かってんでしょ?』
「ぐ、ま、まぁな」
海精霊に羽交い絞めにされたまま、冷や汗を垂らすヤルー。
オフィーリアはまたも試すように俺に目を向ける。
『アンタも、見当がついてんじゃない?』
「見当……見当か」
確かに、これについても漠然とした想像はあった。
ここでオフィーリアがこう聞いてきたということは、正解を導き出せるだけの情報がすでに俺の手元に揃っていると言ってるようなものでもある。
頭の中を整理し、きちんと筋道を立ててから、俺は話し始めた。
「まずヤルーが持ってるその魔導書――優良契約は二百年前にアンタが持ってたものだ。その本の各ページには契約すべき精霊が記されているが、それらはすべてウィズランド島とその近海に棲息している。島の周辺だけで完成できるとも言えるし、島に来なければ完成できないとも言える。大陸生まれのコイツがわざわざ島に渡ってきたのはそのためだ」
オフィーリアは大きく頷いた。
ここまでに間違いはない。
「ではヤルーは優良契約をどうやって手に入れたか。これも前に聞いた。ヤルーが円卓の騎士になる前、大陸で、姿欺きしたスゥからその在り処を教えてもらったんだ」
「おー。よく覚えてんな、ミレちゃん」
「割と印象的だったからな。具体的にどこで入手したかは知らんけど、たぶん大陸なんだろう。なんでそんなところにあるかも知らんが」
あれはスゥがみんなに自身の正体を明かした時のことだ。システム管理者として、ヂャギーやラヴィなどの大陸出身組をウィズランド島まで誘導したと言っていた。
ヤルーの誘導に優良契約を使ったのも、たぶん円卓からの指示だったのだろう。つまりは円卓内にいるオフィーリアの残留思念からの指示だ。
「問題は……じゃあ優良契約ってアイテムがいったい何なのかってことだ。『完成させると黄金郷への扉を開くことができる』『そこには世界すべてを手中に収められるほどの力が眠っている』……と、ヤルーは話してた。そしてオフィーリア。アンタは二百年前の記憶の中で、こう言っていた。『ここの扉を開けたのは私だ』と。『厳重に閉ざされていた』と」
オフィーリアの表情は変わらない。じっと俺を見つめて話を聞いている。当時のことを思い出しているのだろうか。
恐らく当人にとっては苦い記憶のはずだ。深い後悔を抱えているかもしれない。
俺は一つ深呼吸をした。
「統一王たちが見つけた、滅びの女神の封印場所。王都の地下の、旧地下水路の更に地下。あそこが黄金郷なんだ。そして優良契約はそこを閉ざす扉の鍵なんだ。二百年前にアンタはあの本を完成させ、その扉を開き、仲間たちをそこまで導いた。そこがそういう場所だと知らずにな」
オフィーリアは変わらず沈黙している。ヤルーも。
間違っていないと確信し、俺は残りをまくしたてた。
「ここから導き出される結論はシンプルだ。アンタとスゥの目的は、優良契約をもう一度完成させること。蘇った直後のウィズを倒すには、もう一度黄金郷への扉を開く必要があるからな。ヤルーまでここに来させたのは、俺と同じようにレベリングをさせるためだ。たぶん今のままだと大地精霊と契約できないと踏んだんだろう」
『正解! 百点満点! 花丸あげちゃう!』
パッと辺り一面に色とりどりの光が広がる。
光精霊を使役して行う魔法――《光花火》だ。
大満足の様子で、オフィーリアが手を叩く。
『そう。あの大地精霊は上位精霊の中でも特に気難しい子でね。契約する難度も最高峰なのよ』
笑顔のまま、下を指さすオフィーリア。
『ということで、ヤルー。アンタにも修業をしてもらうわよ。この子がレベル『3』になって帰るその時までね』
「いや待て、いったい何をさせる気――うわああああああああああ!!!!」
絶叫しながらヤルーは真下に落ちていき、遥か下にある亀裂の一つに吸い込まれて見えなくなった。
海精霊は寸前に奴から手を離していたので無事である。
目を細め、ヤルーが落ちた亀裂を見やる。なにやら灰色の泥のようなものが詰まっているように見えるが。
『あの子に行ってもらったのは精霊の素が詰まった倉庫よ。今はもう精霊の製造法が遺失してるから、何の使い道もないけどね』
「……それは……入って大丈夫なところなのか?」
『なわけないでしょ。高濃度のナノマシンが詰まってるのよ? 人間がいられるような場所じゃないわ。普通は一瞬で魂ごと溶けて死ぬわね』
さらりと言ってのけるオフィーリア。
海精霊がまた彼女のところに行って抱き着いた。
『精霊を手懐けるのに必要なのは、何よりもまず、強い自我。あの子、元々才能は私よりあるのに、その辺の修業サボってるみたいだからね。ここらで一皮むけさせてやろうかなって。あそこで半年生き抜けば、ぐっとレベルアップするはずよ』
「そうか。……しかし、さすがに、少しかわいそうだな」
『あ、同情なんてしなくていいわよ。アンタの修業の方が百倍辛いから』
「え?」
オフィーリアの視線で気づき、俺は辺りに目を向けた。
いつの間にか、俺の背後に何百体という精霊がいた。下位精霊から上位精霊まで、様々な精霊が。
「こ、ここだと精霊とは契約できないんじゃなかったのか?」
『できないわよ。この子たちは善意で私を手伝ってくれてるだけ。……あ、そのままじゃ戦いにくいわね。ほいっと』
オフィーリアが指を指揮棒のように振るうと、急に重力が発生して、俺は何もない空間に尻もちをついた。
見た目は何も変わっていないが、どうやら俺だけが使える不可視の足場を作ってくれたらしい。
立ち上がり、聖剣を鞘から抜く。
精霊の群れの中から幾何学模様を組み合わせたような形容しがたい姿の精霊が一体、進み出てきた。
『それは苦精霊。精神系統の上位精霊よ。十二の月が巡る大地にはあんまりいないから知らないだろうけどね』
さらにもう一体、旋風を纏った半透明の巨人のような精霊が出てくる。
こいつは俺でも知っている。風属性の上位精霊、暴風精霊だ。
『適当に二、三体ずつ襲い掛かるようにしたから、頑張って倒してね。ここだと精霊はフルスペックで戦えるから、十二の月が巡る大地の精霊と同じだと思ったら痛い目に合うわよ。あっちじゃ契約した精霊使いの力を媒介に、ごくわずかの力を振るえるだけだからね』
オフィーリアの言葉が終わるのを待たず、暴風精霊が襲い掛かってきた。
俺はとっさに聖剣を上段から振るった。我ながら素晴らしい反応だったと思う。
だが手ごたえがない。聖剣は暴風精霊の体をするりとすり抜けた。
逆に暴風精霊の巨大な拳は俺を完全に捉えていた。
その拳に実体はない。かまいたちの集合体がこの精霊の正体である。
ナイフのように鋭利な無数の風に全身をズタズタに切り裂かれ、俺は苦悶の声を上げた。
喉すら切り裂かれてしまったため、大きな声は出せなかったが。
攻撃してきたのは暴風精霊だけではない。見ると苦精霊が奇怪なその体からピカピカと光を発している。
途端、耐えがたい悪寒が腹の底から湧いてきた。頭をかきむしりたくなるような焦燥感と気持ちの悪さも同時に襲ってくる。人生のあらゆる負の感情が一時に襲い掛かってくるようなこの感覚。
これは精神攻撃の類だ。
『そうそう。ここは十二の月が巡る大地の一部ではあるけど、魔力の海と同じように聖剣や鞘の能力は無効だから』
「し、死ぬだろ!」
『へーきへーき』
オフィーリアが指をはじくと、今度は精霊の群れの中から三体の不死鳥が飛び出てきて、俺の体の中にするりと入った。
全身の傷が見る間に再生されていく。ついでに服まで元通りになった。
『不死鳥三体分の自動再生よ。これでまー、よっぽどのことがなきゃ死なないでしょ。発狂はするかもしれないけどね』
オフィーリアは口を手で隠しながら、大きなあくびをした。
『はー、久しぶりにたくさん話したら眠くなっちゃった。それじゃ、私は別のとこいくけど、ちょくちょく様子は見に来るから。頑張ってねー』
「待て、オフィーリア! 待て!」
もちろん気ままな精霊姫が待つはずもない。
やってきたときと同じようにひらひらと手をふりながら、海精霊を伴っていずこかへ去ってしまう。
そして地獄の日々が始まった。