第百九十一話 パワーレベリングだと思ったのが間違いだった
その日のうちに、俺たち五人は王都を発った。
まず王都の北の宿場町、カーナーヴォンまでブータの《瞬間転移》で送ってもらい、そこからは馬車を借りて、北へ伸びる街道を進む。
数刻かけてヤノン山脈のそばまで近づくと、そこにぽっかりと空いた半円形の大隧道が見えてくる。十台の馬車が横に並んで通れるくらい巨大なものだ。
あれは山脈を丸々ぶちぬいており、島の北部までつながっている。数千年前、第一文明期に掘削されたと言われるもので、今も多くの人々に利用されているのだが、当然今の俺たちには用はない。
山脈のふもと、隧道の入り口にある宿場町で馬車を下りて、ウィズ山の登山道に入る。そこから先は高レベル危険種が出没する危険区域だ。
この山の美しい円錐形の雄姿は島の多くの場所から拝むことができる。島の最高峰なのだから当然だが、ここまで近くに来ると圧巻の一言だ。
ちょうど昨夜の話にも出てきたが、ナガレのいた世界にあるフジとかいう山と同じくらいの高さらしい。また大規模噴火を数百年以上起こしていない活火山という点でも同じだそうだ。
「ま、ただの偶然なんだろうけどな」
ごつごつとした大小さまざまな岩が転がる山肌をえっちらおっちらと登りながら、一人ごとを呟き、山頂を見上げる。
一年のほとんどは白い雪をかぶっているその場所だが、今は真夏なので丸裸である。今日は昨日の曇天から打って変わって雲一つないため、かなり暑い。標高が上がれば気温は下がるだろうが、日差しは強まるので楽にはならないだろう。
足元の傾斜はそれほどでもないが、整備された道は一切ないため非常に歩きにくい。一応登山靴を履いてきたし、元々山育ちなので弱音を吐きはしないが、同行者が悪かった。
特にその内の三人――スゥとレイドとデスパーは悪路をものともせず、どんどんと進んでいる。肉体的には一般人レベルの二人がついてきていることを忘れたかのごとく。
「うおおい! 待ってくれよ! このままじゃ俺っちとミレちゃん死んじまうって! ……主に俺っちが」
俺の後ろでヤルーが息を切らしながら叫んだのは、登り始めてだいぶ経ってからである。我慢した方だと、俺は思う。
前の三人は足を止めずに振り返ったが、何も答えなかった。一応、ほんの少しくらいは歩くペースを下げた気はする。
「くっそー、風精霊に運んでもらえりゃよかったのによー」
ヤルーが愚痴をこぼしながら必死に足を動かして、俺に追い付いた。
あの便利な精霊や《飛行》の魔術が使えない理由は上空にある。
歩きながら、空を見上げる。そこには赤い嘴を持つ怪鳥が何十羽も飛んでいる。大きさは優に成人男性くらいはあるだろう。
あれは火喰い鳥と呼ばれるこの山の固有種だ。俺も見るのは初めてだが、空を飛ぶものを見境なく襲う性質があるらしい。
あれはあれで経験値が高い危険種なのだそうだが、どうやらスゥはアレでレベリングさせる気はないようだ。飛行タイプはもらえる経験値のわりに面倒だからだろう。
「もう少しで休憩できるから頑張るっスよ。ほら、あそこっス」
先頭を歩くスゥが、先を指さす。
手をかざしてそちらに目をやると、山肌に転がる岩の合間に隠れるようにして洞窟の入り口らしきものがあった。
三人からだいぶ遅れながらも、俺とヤルーはそこまでたどり着いた。久しぶりの日陰に安堵しながら、その場にへたりこむ。
「よく頑張ったっスね、ミレウスさん」
と、スゥが笑顔で水の入った革袋を手渡してくれた。
感謝しながら、カラカラになった喉を潤す。
地べたに倒れこんだヤルーがそれを見て、不平の声を上げた。
「ずっりー! スゥちゃん、俺っちの分は?」
「息子、赤の他人」
スゥは俺とヤルーを順番に指さしてから、当然だとばかりに肩をすくめた。
「くっそー、露骨に贔屓しやがって……」
ヤルーはしぶしぶと立ち上がり、自分の腰の革袋を手に取って口をつける。それから洞窟の奥を指さした。
「なんだありゃ」
外からの光がギリギリ届くあたりに、無骨な金属製の扉があった。
どこかで見覚えがあるような気がしたが、すぐに思い当たる。我が故郷オークネルのそばのベイドン山、その中腹にある扉に似てるのだ。一昨年の夏にシエナと共に訪れた、あの聖水化施設の入り口の扉である。
あの扉と聖水化施設には、初代円卓の騎士が作ったものだという言い伝えがあった。
革袋をスゥに返してから、その扉のそばまで歩いていく。ベイドン山のものは鋼鉄製だったが、どうやらこれは真銀製らしい。
「これもスゥたちが作ったのか?」
「そうっスよ。中に入られると困るっスからね」
スゥは聖水化施設の扉のものとそっくりな鍵を取り出して、その扉を開けた。
レイドが魔術で宙に浮かぶ光源を作り、それを俺たちの前に移動させる。
照らし出されたのは、さらに奥へと伸びる長い坑道。周りがむき出しの土や岩である点には変わりないが、扉の前までよりもずっと広くなっており、前衛が四、五人同時に戦えるくらいはあった。天井も非常に高い。
「ここは第二文明の残党が作った対真なる魔王用の砦跡だと言われてるっス。南のカーナーヴォン遺跡と同じっスね」
観光地のガイドのように解説しながらスゥが先導する。目的地のそばまで行ったことがあると言っていたが、レベリングに最適な地点はこの奥なのだろうか。
坑道は一本道でなく、あちこちで分岐していた。砦であったことを示す痕跡はまったく見受けられない。ごく普通の、自然の洞窟のようにも思える。
「精霊どもの動きが活発だな。そりゃ六百年前の生活の跡なんざ、全部消されちまうわけだ」
感心したように口笛を吹いて、ヤルーが坑道の天井やら壁やらを観察している。
そういや前にこいつに聞いたことがある。精霊は周囲を自分の棲みやすい環境に作り変える生き物だと。
この辺りも土系統の精霊たちによって、いじくられたというわけか。
「だから入口の扉が真銀製だったのか」
「そゆことよ、ミレちゃん。アレは精霊が作り変えられねーからな」
「なるほどねー」
色々とすっきりしたところで、先を行くレイドが左の鋏で俺たちの歩みを制した。
「待て。ふむふむ?」
レイドが耳を近づけたのはヤツが持つ幅広の剣。どうやらそこに封じられた初代円卓の騎士、レティシアの声を聞いているらしい。
「気をつけろ、何か来るそうだ」
「ああ、分かるよ」
もうその頃には前方から近づいてくる何者かの足音は、俺でも気づくくらいになっていた。
いや、足音というには大きすぎる。土砂崩れのような騒音だ。
地面も激しく震動しているあたり、やってくるのはかなり重量級の危険種のようだ。
「ウッヒョー! おでましだゼ!」
デスパー――ではなく、悪霊が歓喜の声を上げて、身の丈ほどはある巨大な片刃の戦斧、叶えるものを構えた。
激しく揉みあいながら坑道の奥から現れたのは、粘土で作った熊のような危険種と、無数の岩をくっつけて作った自走人形のような危険種だった。
両者共にバカでかい。縦も横も優に人間の倍はある。
熊の方には心当たりがあった。第二文明期に作られた魔術生物で、その見た目どおり土熊という。元は敵対する魔術同盟に送り込むために作った生物兵器だったそうだが、一部が野生化してしまったらしい。土の中を泳ぐ性質を持つそうだが、今は普通に地上にいた。
もう片方の正体はヤルーが小躍りしながら教えてくれた。
「うおおお、レアだレア! ありゃ岩精霊だ! 土属性の中位精霊!」
「強いのか?」
「それなりにな! それよりとにかくレアなんだよ! やっぱここにいたかー!」
悪霊に負けず劣らず歓喜の様子のヤルーは、精霊との契約に用いている魔導書――優良契約を開き、敵に突っ込んでいく悪霊に頼んだ。
「岩精霊は痛めつけるだけにしてくれよ! 契約するからよ!」
「うるセー! しらネー!」
土熊と岩精霊は互いに争っているのだから漁夫の利を狙えばいいのに、悪霊は両方に向けて【咆哮】を使った。
アホである。
【咆哮】は見事に効果を発揮し、両者の敵対心は悪霊に向けられた。ピタリと争いをやめ、揃って顔を闖入者に向ける二体。
悪霊はご満悦な様子で戦斧を振るい、土熊の土の肉体を削り、岩精霊の体の岩を砕く。
両者から岩と土の拳で反撃が来るが、悪霊はほとんど躱さない。効いてる様子もほとんどないが。
「たーのしィー!」
楽しそうでなにより。
土熊の危険種レベルは百近かったはずだ。互角以上に戦っているところからすると岩精霊も似たようなものだろう。
しかし悪霊は両方を同時に相手にして、まったく遅れを取っていなかった。
「ふむ。アレは悪霊に任せて軽食でも取るか」
レイドは完全に観戦モードになり、懐から笹の葉で包んだおにぎりを取り出した。
スゥも静観するつもりのようで、近くに手ごろな岩を見つけると、その上に腰を下ろす。
「俺は手伝わないといけないんだよなー。手伝う必要、皆無っぽいけど」
愚痴を言いつつ、シエナから《治癒魔法》を借りて、悪霊が負った僅かな手傷を遠距離治療してやる。
こんなことしなくともアイツは負けないだろうが、戦闘での“経験値”は貢献度に応じて分配されるため、やらざるを得ない。
もちろん今までの滅亡級危険種との戦いでも、俺は経験値を得てきた。それも一般的な冒険者が生涯得ることがないほどの莫大な量を。
それでレベル『3』になっていないのだから、[極王]のレベルアップに必要な経験値は尋常ではないのだろう。
このような戦闘をあとどれくらい繰り返せばいいのか、俺には見当もつかなかった。
「あー、くそ! やりすぎだやりすぎ! 交渉できなくなんだろーが!」
ヤルーはヤキモキしながら悪霊の戦いを見守っている。
それでふと思ったが。
「なぁ、精霊って[精霊使い]が声をかけない限り、滅多に姿を現さないんじゃなかったか? アイツ、実体化してたけど」
「ああん!? 知んねーよ! 第二文明期の[精霊使い]に命じられてたんじゃねーの!? この辺守っとけってよ!」
「はぁ、それで土熊と戦ってたのか」
ということは、似たような精霊がこの辺りには他にもいるのかもしれない。
結局、土熊も岩精霊もほとんど手傷を負わずに悪霊一人で倒してしまったが、契約はギリギリ間に合ったらしい。
戦闘後、ヤルーは冷や汗をかきつつも、新たに埋まった優良契約のページを見てニヤニヤしていた。
俺は土くれに戻った土熊の残骸をつつきながら、スゥにたずねる。
「今のでどれくらい経験値が入ったと思う?」
「普通の下位職についてるレベル五十の人なら、一レベル上がるかもってくらいっスね。精霊は同ランクの危険種と比べて経験値効率がいいんスけど、契約しちゃったんで今の戦闘では岩精霊の分はもらえてないっス」
「まー、でも十分多いよ。熟練の冒険者パーティでも勝てるか分からない相手だもんな、土熊単体でも」
それを一人で、しかも中位精霊とまとめて苦もなく倒すあたり、やはり円卓の騎士の強さはズバ抜けている。
滅亡級危険種とばかり戦ってきたせいで完全に感覚が麻痺してるが、やはりこいつらは地上最強の戦闘集団なのだ。
「じゃ、この調子でガンガン先に進むっスよ」
スゥはそう宣言して、スタスタと歩きだす。悪霊を休ませる間も置かずに。
まぁ悪霊も、まったく疲れた様子を見せてないのだが。
「まだ奥に行くの? 十分強い敵が出るし、ここらでレベリングしてもいい気がするけど……」
「ここだとレベル『3』になるまで何年かかるか分からないっス。奥にもっとずっと効率がいい場所があるんスよ」
効率がいいということは、さらに強い敵が出るのか、敵の湧きが多いのか。
いずれにしてもさらに危険なのは間違いなさそうだが、このパーティであれば問題はまったくなさそうである。
「パワーレベリングって楽でいいなぁ」
しみじみと呟く。
もちろん俺はこの時、スゥと自分の認識に深い隔たりがあることにまったく気づいていなかった。