第百九十話 すぐだと思ったのが間違いだった
滅びの女神の魔の手によって義母さんが眠りについたその日、朝食の時間よりも早くに、円卓の間に全員を招集したのは俺ではなくスゥだった。
「大事な話があるっス。聖杯を現出するための、次のステップについてなんスけど――」
俺から見て左手奥の席に座ったスゥは、卓を囲む仲間たちをぐるりと見渡して話し始めた。
みんなは昨夜この王城に泊まったので、起きたばかりだろう。早朝であることも考えれば無理もないが、そのほとんどが眠たげな顔をしている。昨夜の宴の疲れとアルコールも残っているようだ。
俺はどうだろうか。少なくとも普段通りとは言えない。きっと、このざわつく心情が顔に出ているはずだ。
それを鋭敏に感じ取ったのか、スゥは俺に声をかけてきた。
「ミレウスさん、どうかしたっスか?」
「ああ、悪いけど先に一つ、話をさせてくれ。ついさっきのことなんだけど」
冷静に、できるだけ平静を装って、俺は話した。
我が義母セーラが“現象”に囚われたことを。
みんなはそれですぐに目が冴えたようだった。言葉を失った様子で俺の話を聞いたのち、揃って沈痛な面持ちを浮かべた。
つい数刻前まで一緒にいた相手だ。彼ら、彼女らにとってもショックは大きいはずだ。俺の心情をくみ取ってくれている面もあるだろう。
「……ミレウスさんの心中、お察しするっス」
代表するように、スゥが険しい表情で頭を下げた。現実主義者らしく、そこには強い感情の自制が見て取れる。ここで感情的になったところで、どうにもならないことをよく理解しているのだ。
その心の強さが、今の俺にも必要だった。
「大丈夫だ。落ち込む必要はない。滅びの女神を討伐して、俺たちが助ける」
口をつぐんだままの他のみんなに向かって、俺は意識して強い言葉を使った。
「今が八月の半ば。滅びの女神が復活するまで、あと半年と少しだ。それまでに島民のほぼすべては同じように眠りにつく。みんなの大事な人も、ほぼ全員だ。それは変えられない運命だけど、その先の未来は変えられる。俺たちの行動次第で」
みんなは驚いていた。口をぽかんと開けている者もいる。俺がもっと落ち込んでいると思ったのだろうか。
やはり代表するように、スゥが感嘆の言葉を述べた。
「強くなったっスねぇ」
「まぁね。今は落ち込んでる暇なんてないから」
「立派だと思うっスよ。お母さんは嬉しいっス。……ミレウスさんのその覚悟が引き金になったわけじゃあないと思うっスけど、円卓から指示が来たんスよ」
話を戻したのだろう。スゥは懐から『管理者の卵』を取り出した。システム管理者である彼女が円卓から指示を受けるのに使っているという、あの魔力付与の品だ。
俺の持つ『時を告げる卵』とよく似た卵の形のガラス玉。その中に何かが映しだされているようなのだが、遠目では判然としない。
「拡大するっス」
スゥが管理者の卵を円卓の上に置く。
すると卓上に光が溢れ、それが形を取ってウィズランド島の全体図となった。すべての地形を再現した立体地図だ。
正方形を四十五度傾けたような形の島の四隅と中央に、大きな都市がある。
北が北方交易街、東が東都、南が南港湾都市、西が西方水上都市、そして中央が今俺たちがいる王都だ。
王都の北には島を東西に横断する雄大なるヤノン山脈が聳えている。その一部が青く光っていた。この島の最高峰であるウィズ山の、噴火口のあたりである。
「これからミレウスさんには、あそこへ行ってもらうっス」
「この島の最危険区域じゃないか。なんでそんなところに?」
「レベリングっス。ミレウスさん、[極王]の職レベル、まだ『2』っスよね」
「ああ。アスカラを倒した後に、一回レベルアップしただけだからな。しかし今までずっと『2』で戦ってきたわけだし、いまさら過ぎる気もするけど」
「聖杯を現出させるためには、[極王]のレベルを『3』にする必要があるんスよ。『3』はそのためだけに存在するレベルっス」
「……ってことは、歴代の王は誰も到達してない?」
「いかにもっス」
大仰に頷くスゥ。
歴代の王で初というのは誇らしいが、レベリングするのは正直なところ億劫だ。
顎に手を当てて卓上の島の地図を眺めながら、少しばかし思案する。
「確かにこの島でレベリングするなら、ウィズ山が最適か。深淵の魔神宮も悪くないけど、あそこは交通の便が悪いし、計算外のことが起きるかもしれないしな。で、『3』にするには、どれくらいかかる?」
「しばらくっス」
「いや、スゥの“しばらく”は幅が広すぎる。北方交易街で痛い目あったからな。もっと具体的に言ってくれ」
「それがあーしにも分からないんスよ。ただこの指示がこのタイミングで来たってことは、少なくとも今から始めれば、滅びの女神が蘇えるのには間に合うと思うっスけど」
「そりゃそうじゃないと意味ないからな。うーむ、最長だと半年以上ってことか」
当たり前だが、俺一人でレベリングしろということではないだろう。高レベルの者とパーティを組んで行う、いわゆるパワーレベリング。それでレベル『3』まで強引に持っていけという話のはずだ。
さいわいにして王都とウィズ山はそれほど離れていない。《瞬間転移》も駆使すれば、最も危険だと言われる山頂付近まで登っても、二日もあれば往復できる。何日か行って、王都に戻って、また何日か行って……というサイクルを繰り返すことになるだろうか。
「じゃ、誰に同行してもらうかなっと」
と、俺がみんなの方を向くと、間髪入れず立ち上がった男がいた。
「オレサマが行くぜえ!」
「ああ、うん。お前ならそう言うだろうなと思った」
デスパー――ではなく、戦闘狂の第二人格、悪霊の方である。鮫のような尖った歯をむき出しにして、たいそう興奮した様子で笑っている。
「ウィズ山!? ツエエ魔物がいっぱいいるんダロ? 最高じゃねえカ!」
「……こういう時は頼りになるよな、お前。じゃあ一人はデスパー……と、悪霊にするにして」
残りの面々に視線を投げかける。
リクサを始め、数名が手を挙げようとした。しかし、それをスゥが遮った。
「残りの面子は決まってるっス。あーしとレイドさんっス。あーしたちは、目的地のそばまで下見に行ったことあるっスからね」
「じゃあ、四人パーティか」
「あ、大事なこと忘れるとこだったっス。ヤルーさんにも同行してもらわないといけないっスね」
「ああ、癒し手はいるだろうしな。シエナを連れて行かないなら、ヤルーってことになるか」
ヤルーは再生を司る上位精霊、不死鳥を常時憑依させている。それを貸し出すことで、並みの癒し手以上の働きができるのだ。
もちろん本職であり、この島の癒し手の頂点に立つシエナには遠く及ばないが、今回は滅亡級危険種と戦うわけではないのだから、十分だろう。
「ええー、俺っちー? しゃーねーなぁ。まー、そんだけ頼まれちゃ断れねえよなぁ」
「別にまだ頼んでないけど」
頭の後ろで両手を組みながら恩着せがましい態度を取るヤルーを、半眼で睨みつける。
こんなに素直に引き受けたのは、昨夜した約束のためだけではあるまい。
「ヤルー。お前、前にウィズ山に棲む精霊を“優良契約”に登録しに行きたいけど、危険すぎてまだ行けてないって嘆いてただろ」
「ちっ、覚えてたか。あー、そーだよ。ミレちゃんのレベリングついでに俺っちの精霊収集もさせれくれたらなー、なんて思っちゃいるが、別にそんくらいいいだろ?」
コイツが精霊を集めることは戦力増強にもつながる。俺からしても悪い話ではない。
「それでいいと思うっスよ」
スゥが承認したことで、話がまとまった。
ウィズ山に向かうパーティは、俺とデスパー、スゥ、レイド、ヤルーの五人だ。
「御不在の間のことは万事、お任せください」
隣の席に座るリクサが居残り組を代表するように言って、両手で俺の手をしっかりと握った。
俺は頷き、残る仲間たちに向けて、気楽に笑う。
「頼むよ。すぐ帰ってくるからさ」
「そうそう。案外すぐっスよ」
スゥも笑って同調してくれる。
しかし俺の言う“すぐ”と、彼女の中での“すぐ”の幅が全然違っているということに、俺はもちろん気づいていなかった。