第百八十六話 飲まなかったのが間違いだった
決戦級天聖機械、死毛蚯蚓のオグに丸のみにされてまず思い浮かべたのは、統一観光施設のプールにある水が流れる滑り台――ウォータースライダーだった。
無秩序にうねる極太の金属製チューブ。その壁面から分泌されたヌメヌメする液体にまみれて石ころのように転がりながら、奥へ奥へと落ちていく。壁面には突起のようなものは一切なく、手でしがみつくのも足で踏ん張るのも不可能だ。
強い異臭が鼻を刺す。どうやら液体の正体は強酸性の消化液らしい。聖剣の鞘の絶対無敵の加護のおかげでダメージはないが、後が怖い。
視界がぐるぐる回って集中しづらいものの、俺はどうにかブータから《瞬間転移》の魔術を借りて呪文を唱えた。
だが発動しない。決戦級天聖機械の体を覆う魔術障壁に抵抗されたようだ。
「くっそ!」
転がり落ちながら毒づき、壁面を聖剣で突く。しかし当然のように刺さらない。遺失合金でできているのだから当たり前だ。
そのうち奥の方にチューブとほぼ同じ直径を持つ光の球が見えてきた。どこかで見覚えのある球だ。よく見れば分泌された消化液がその球に触れて蒸発しているのが分かる。いや、蒸発というより崩壊に近い。
思い当たる。あれはウィズランド王国魔術師ギルドの最秘奥――すべての物質を無に帰す大魔術《存在否定》に似てるのだ。
「ヤバいって!」
もしあれが《存在否定》と同質のものなら聖剣の鞘の加護でもどうにかなるか分からない。どうにかなったとしても後で死ぬ。
この上なく焦りながら、ブータから《飛行》の魔術を借りるため集中する。体内から外に出る魔術でなければ抵抗されないはずだと祈りながら。
だがその成否が判明する前に、体が奇妙な浮遊感に包まれた。
視界が歪み、俺は再び転移する。
「あっち!」
今度の転移先も砂丘の上だった。先ほどと同じように尻もちをついてから飛び上がる。
「大丈夫? ミレウスくん」
横から覗き込んできたのはアザレアさんだった。俺が無事だと確認すると、その手に持っていた幅広の剣をレイドに渡す。元からレイドの所持品なので渡すというより、返すだが。
「ふむ、本当に召喚できたな」
返ってきた魔剣を手にレイドが首をかしげた。
「先ほどのように王を召喚して助けてやろうと思ったのだが、何故かうまくいかなくてな。コイツが自分をアザレア嬢に渡せと言うのでそのとおりにしてみたのだ。騎士一人につき使用回数に制限でもあるのか、それともこっそり何かを消費してるのか。……ふむ?」
何かに呼ばれたかのようにレイドは剣に耳を近づけた。
「気にするなと。分かった」
素直に頷くレイド。
召喚した当人のアザレアさんも不思議らしく、俺に視線で問いかけてきた。
俺は肩をすくめて知らんぷりをする。
レイドは先ほど俺に親密度能力である心話と騎士の召喚を使った。コイツの現在の親密度は『2』だから、それ以上は使えないわけだ。レイドもアザレアさんも聖剣の使用条件が好感度だとは知らないのでもちろん黙っておくが。
「聖剣による召喚なら魔術障壁も関係なしか。助かったよ、アザレアさん。死ぬところだった」
「礼ならスゥさんに言うべきだよ。囮を買って出てくれたんだから。愛されてるねぇ、ミレウスくん」
茶化すような物言いだったがその目は真剣そのもので、砂漠の彼方に向けられていた。
オグはそちらにいた。砂漠から伸びた双頭の高さは優に王城を越えている。その両方がうにょうにょと気味悪くうねりながら、砂漠に向けて口から熱光線を放っている。
狙われているのはオグの周囲をまとわりつくように駆けているスゥだった。不安定な足場も苦にせず、不規則に軌道を変えて熱光線をかわし続けている。だが、かなり際どい。
「さすがは初代円卓の騎士、たいしたものだ。しかし長くは持つまい」
レイドは戦場の様子を眺めて淡々と述べたのち、アザレアさんと俺の方を向いた。
「恐らく当代の円卓で対処すべき滅亡級危険種はこれで最後だ。……アザレア嬢、時間を稼いでくれ」
「りょうかい!」
アザレアさんは胸をドンと叩くと、レイドの意図も聞かずにオグに向かって《飛行》の魔術で飛んでいった。
新しい騎士が仲間になったことで現れた滅亡級危険種はその騎士の力で倒せる――という俺の経験則をアザレアさんは知っている。そこから察したのだろうか。
砂丘の上でレイドと二人、向かいあう。
気まずい沈黙が続くかと思ったが、すぐにレイドが話し始めた。
「王よ、我は言ったな。拡散魔王を増やさぬために、その元――平和を乱す存在を討つ旅をしてきたと」
一月前の話だ。もちろん覚えている。
レイドは頭を振り、俺を見据えた。
「だがそれは間違っていた。本当に元を断つ気であれば魔王化現象という現象そのものを断つべきだったのだ。我はあの現象と向き合うことから逃げていた。止める手立てなどないと諦めて」
後悔とそれを超えた決意。
レイドの言葉は宣誓だった。
「王があの少女の現象を止めてみせたように、決して不可能ではないはずなのだ。魔王化現象そのものを発生させなくする術も、必ずこの世界のどこかにあるはずなのだ。……この島での戦いが終わったら、我はそれを探しに行こうと思う」
レイドは次の言葉を紡ぐのを躊躇した。遠慮の欠片もないこの男としては珍しく。
「王よ、手伝ってくれるか」
「当たり前だ!」
躊躇されたことへの憤慨と、頼ってもらえた喜びで自然と声が大きくなった。
レイドはまた笑ったような気がする。
「ならば、それまでは我が剣を王に捧げよう。……我を技能拡張してくれ」
俺は即座に聖剣の切っ先を空に向け、聖剣に秘められた力を解放させた。
レイドとの精神同期が始まる。既存の五感が塗りつぶされていくような、奇妙な感覚が身を包む。
これを初めてやる相手はだいたい驚くものだが、レイドは平然としていた。
自然体のまま、自身の剣に向けてたずねる。
「レティシア、ヤツの核の位置はどこだ?」
『知らないわよ。たぶん体内』
女の声が聞こえ、飛び上がりそうなほど驚いた。
幻聴ではない。声の出どころはレイドの持つ剣だった。
ふっと笑うような吐息まで聞こえてくる。
『精神同期してればそりゃ聞こえるわね。初めまして、ミレウス王。そっちはアタシのこと、それなりに知ってるんでしょうけど』
「赤騎士レティシアか!」
『そ。ねぇところでアナタまだ――』
と話している内に、レイドが短い呪文を唱えた。
精神同期しているので分かるが、イメージした物品の位置を特定する魔術でオグの核を探すつもりらしい。
技能拡張で多重化されたその魔術は、ヤツの魔術障壁を突破して見事に効果を発揮した。
砂の下に隠れたオグの胴体部分、そこに二つの反応があるのが俺にも分かる。
「二つ!? なんで!?」
「最後期型だな。二つの核を同時に破壊しなければ、残った方がもう一方を修復するタイプだ。厄介だが、問題はない」
自信に満ち溢れたレイドの声。信じていいのか悪いのか。
『レイドちょっと待って。アナタ、まだこの子に』
「では行くぞ、王よ」
レティシアが何か言いかけたが、それを聞く前にレイドが走り出してしまった。不安定な砂の上だというのにスゥと同じように速い。
俺はその背中を必死に追いかけた。
オグの二つの頭はそれぞれアザレアさんとスゥを追いかけているため、こちらに注意は向いていない。
あっという間に戦場までたどり着いたレイドは、再び呪文の詠唱を行った。
今度使用したのは《魔力網》。
魔術師が駆けだしの頃に習う初級難度の魔術だ。それでも聖剣による多重化と消費魔力増大による効果拡張を行えば決戦級天聖機械にすら通用する。
突き出したレイドの右の鋏から輝く巨大な光の網が放たれ、オグの巨体をすっぽりと覆う。
オグは動きをしばられたまま片方の頭をレイドに向け、極太の熱光線を吐いた。
「福音よ!」
レイドが短い呪文を唱え、左の鋏で構える大楯を眩い光で包む。そしてその大楯の後ろに身を隠し、襲来する熱光線を真っ向から受け止めた。
俺はレイドを追いかけていたわけで、オグはレイドに向かって熱光線を放ったわけで――つまりは俺は思いっきりその熱光線の射線上にいた。
太陽をイメージさせる膨大な熱と光に身を晒しながら、ひた走る。聖剣の鞘の加護のおかげでダメージはない。今はまだ。
レイドの後ろの安全地帯に飛び込みながら、俺は叫んだ。
「アザレアさん! オグの地中に隠れてる部分を露出させてくれ!」
「任せて!」
即座に頼もしい声が返ってくる。
熱光線を撃ってきたのはアザレアさんが引き付けてくれていた方の頭だ。彼女は今、フリーのはず。
光と熱がおさまると、アザレアさんがオグの懐に潜り込んだのが見えた。
彼女の全身をドス黒い魔力が包みこむ。魔王化現象を進行させるようなものではないだろう。恐らく内蔵魔力を解放しただけだ。
「どっせーい!」
オグの腹を掴んだアザレアさんは掛け声と共に、力任せにそれを引っこ抜いた。
地中に隠れていた大部分、王都の大通りほどはあるそれが勢い余って宙に浮き、砂漠に叩きつけられ、大量の砂をあたりに降らす。
アザレアさんが得意とするのは自身を強化する自操系統と呼ばれる魔術系統だ。それで瞬間的に膂力を増強したのだろうが、桁違いにもほどがある。
「見事だ」
レイドは本人には届いていないであろう賛辞を口にした後、長い詠唱を始めた。
《高潔なる一撃》。
[赤騎士]の固有魔術で、本来は自身の武器にしか掛けられないものだ。しかし技能拡張で同期しているためか、対象拡大できた。
レイドの魔剣レティシアと俺の聖剣エンドッドを赤い魔力の輝きが包みこむ。
俺は残りの恋愛度すべてをつぎ込み、これを技能拡張で多重化した。
「合わせろ! 王よ!」
俺が左でレイドが右。
精神同期しているのだ。意図とタイミングは自身の左右の手を動かすかの如く、完璧に把握できた。
「こっちっスよ」
オグの左の頭をスゥが挑発しながら斬心刀で斬りつけて、注意を引いてくれる。
おかげで俺は容易くヤツの腹部に近づけた。
レイドが先ほど使った探知の魔術の効果は継続している。狙うべき箇所は手に取るように分かる。
オグの体表に触れる。核――強固な魔術障壁に覆われた紫色の巨大鉱石はこの向こうだ。
俺は聖剣を振りかざした。
「いくぞ、レイド!」
叫び、すべての力を込めて振り下ろす。
手に感触が伝わってこない。目測を誤り、空を切ったのかと一瞬思った。
そう錯覚しても仕方がないほど、遺失合金でできた体表とその奥の核はあっさりと切り裂けていた。
まったく同時に、レイドも動いていた。
ヤツが狙うもう一つの核はオグが体をうねらせていたため宙にあった。
レイドは砂漠の砂を蹴って跳ぶ。振るうは魔剣レティシア。
赤騎士のスキルによって拡大された斬撃は、核ごとオグの体を両断した。
「つっよ!?」
精神同期によってレイドの動きを把握していた俺は思わず叫んでいた。
そしてそのまま砂漠に前のめりに倒れこんだ。あまりの手ごたえのなさに、剣を振り下ろした勢いを殺せなかったのだ。
オグの双頭が砂漠に倒れる大きな音がして、その後、空高く巻き上げられた砂が降ってくる。
俺は身を起こし、口に入った砂をぺっぺと吐き出した。
アザレアさんとスゥが俺の元に駆け寄ってきて、それからだいぶ遅れてレイドが悠然とやってくる。
ヤツが両断したオグの断面を見て、俺は呆れてしまった。凄腕だとは思っていたが。
「レイド、お前ここまで強かったのか」
「我が強いのではない。聖剣をここまで使いこなせるようになった王が強いのだ」
魔剣レティシアを鞘に納めながら謙遜とも本気ともつかぬことをレイドが言って、倒れたオグの巨体を見やった。
「四人で勝ててしまったな。対策さえしてあれば組みしやすい相手だとは聞いていたが、まぁこれから滅びの女神を相手にすることを考えれば、いまさら滅亡級危険種になど苦戦していられないか。……本来なら戦闘になる前にあと三人呼んでもらうつもりだったのだ」
「三人?」
「リクサ嬢とイスカ嬢。それとデスパーだ」
「なんでその三人?」
「毒耐性があるからだ」
そんな話をしている内に、オグの巨体が消えていく。天聖機械は終末戦争で使われた兵器だ。その体に使われている貴重な遺失合金を相手陣営に渡さぬために、撃破された場合自壊するよう仕組まれているのだ。
俺はなんだか眩暈がしたような気がした。
「死毛蚯蚓って、毒でもありそうな名前だよな」
「む? 無論あるぞ。あの体表には目に見えない極小サイズの毒毛がびっしりと生えていてな。それを常時まき散らしているため、毒耐性がない者は周囲にいるだけで即死するのだ。拡散魔王と半魔神は毒耐性が完璧だから問題ないがな」
何をいまさらという風にレイドは首をかしげ、その拡散魔王と半魔神であるアザレアさんとスゥを見た。
それから砂漠全体へと目を向ける。
「二百年前まで草原だったこの地が砂漠化したのもその毒の影響だ。だからここはオグ砂漠という名前になったのだ」
「……お前は毒耐性あるのか?」
「ない。耐性を上げる魔力付与の品はいくつか所持しているがな。オグの毒は特殊なもので、そんじょそこらのものでは無効化できない。唯一特効薬と言えるのは、かつてこの地に咲いていた赤い花を原料に作る薬でな。初代の連中はそれを飲んで戦ったそうだ。逆にオグは自身の天敵であるその花を枯らすためにこの地に出現したわけだ。うむ」
自身の説明に満足いったのか、レイドは一つ頷いた。
俺は何も満足できない。なんだか吐き気がしてきた。
「その花はここでしか咲かないものなのか?」
「うむ、ウィズランド島ではな。大陸では今も咲く場所があるが、魔族の領域深くのため取りに行く難度は非常に高い。今回、薬を二人分しか用意できなかったのはそのためだ。我と王の分だな。あらかじめ飲んでおいてよかったな、うむ」
「飲んでないぞ」
「む?」
「俺は飲んでない」
レイドは沈黙した。
代わりに彼の持つ剣から、わざとらしいため息が聞こえる。
『アタシは言おうとしたわよ』
確かに何か言おうとしてた。
薬についてあらかじめレイドと情報を共有していたらしいスゥが青い顔をしている。
「て、てっきり、あーしが召喚されたときにはもう飲ませてるものと思ってたっス」
レイドが珍しく慌てた様子を見せて、懐から赤い液体で満たされた薬瓶を取り出した。
だが、もう遅い。
「わ、我が剣、シエナよ。呼び声に応え――」
騎士の召喚の詠唱をギリギリのところで完成させた俺は、呼吸ができなくなって泡を吹きながら意識を失い、砂漠に倒れた。