第百八十五話 呼び出されたのが間違いだった
突然やってくるものは、おしなべてろくでもない。
~六代目国王ミレウス・ブランドの教訓~
☆
訪問者の部屋を脱出し、北方交易街から王都へと帰還した翌日の昼。
俺は王城の執務室で樫のデスクにつき、その上に積まれた書類に囲まれていた。
書類は文字通りの山積みである。オークネルに夏休みとして二週間ほど帰省した後でも、これほどの量はなかった。
「今回は三週間分ですから。大丈夫です。どれも目を通していただいて、印かサインをしていただくだけの状態です」
新たな書類の束を抱えたリクサが俺の元にやってきて、器用に山の高さを更新させた。当たり前だがこれらの書類をこの状態まで処理してくれたのはリクサだ。彼女には頭が上がらない。
「……俺がいない間、代わりに仕事してくれてありがとね」
「いえ、臣下として当然の務めです」
リクサは軽く俺に微笑みかけると部屋を出て行った。たぶんまだまだここに積み上げる書類があるのだろう。彼女が何往復することになるのか、考えたくもなかった。
「王様いなくても国は回るけど、別に王様の仕事がないわけじゃないんだよなー」
書類の山の一番上を手に取って、ぼーっと眺めながら愚痴る。まぁこれは平時からしてそうである。俺でなきゃできない仕事はほぼないが、俺がいたらいたで色々と駆り出される。この国の王というのはそういうものである。
「ミレウス陛下ぁ、いらっしゃいますかぁ」
リクサに代わって入ってきたのはブータだった。ドアノブの少し上くらいまでしか身長がない彼であるが、リクサが持ってきたのと同じくらい量の書類を必死そうに抱えている。
「えっと、これ魔術師ギルドが国から発注受けた仕事の請求書なんですけどぉ」
俺の元に直接来るということは、たぶん“現象”についての仕事だろう。
ブータはデスクに積まれた書類の山を見てゴクリと喉を鳴らすと、部屋の中央にあるローテーブルに自分が持ってきた書類を置いた。
「あの、サイン……いつでもいいんで……」
俺がブータに手を軽く上げて答えると、続いてラヴィとシエナが入ってきた。
「ミレくんいるー? いるねー?」
「あ、主さま、いますかー?」
まったく嬉しくないが、二人も俺に土産を持ってきた。また書類だ。ラヴィは盗賊ギルドからの請求書で、シエナはアールディア教会からのものだ。
「ミレウスー、傭兵ギルドからの……って」
「みーくんおはよー!」
間髪入れずナガレとヂャギーが入ってくる。その手にはやはり請求書。ナガレは傭兵ギルドからのもので、ヂャギーは勇者信仰会からのものだ。どちらもそれぞれの後援者からの使いだろう。
「イライザに頼まれて持ってきたんだけどよ。……なんか忙しそうだからここ置いとくな」
黙り込んだ俺を見て、ナガレが気を利かせる。
「みーくんみーくん、そこのお菓子たべていい!?」
「……いいよ」
ヂャギーはローテーブルに書類を置くと、そこにあった茶菓子の容器を手に取ってパクパク食べ始めた。
幸せそうでなにより。
「王様、ご在室デス?」
次の訪問者はデスパーだった。さすがにこのエルフは土産なしだろう思ったら、一枚だけ持ってきていた。
「この間、アザレアサンとイスカサンの鎧一式を作ったときの費用デス」
「……ああ、おっけー」
俺は書類を斜め読みすると適当にサインを書いた。
「けけけ、大変そうだな、ミレちゃんよぉ」
部屋の隅の方からヤルーが俺を茶化してくる。奴は絨毯の上で胡坐を掻いて、猫じゃらしでイスカと戯れていた。
「……ずいぶん仲良くなったな。苦手そうにしてたのに」
「ふふふ、まぁ扱い方が分かればこんなもんよ」
ヤルーは不敵に笑うと懐からゴムボールを取り出し、遠くに投げた。
人間離れした超反応でイスカがそれ追いかけ、口で拾い上げてヤルーの元に持ってくる。そしてご褒美として小さな砂糖菓子をもらった。
二人のボール遊びを見て、シエナが頭頂部の獣耳をピクピクと動かして俺を見た。俺もたまに彼女とそんな感じの遊びをしているが、今日はさすがにそんな暇はない。
そのうちリクサが戻ってきて、書類をローテーブルの方に置いた。もう何往復かしたらそちらも一杯になりそうである。それらの全部を俺が確認し終えるまでいったい何日かかることか。
「あー、逃げ出したい。今すぐここから逃げ出したい。……ん?」
ぼやきながら書類を眺めていると、突如脳内に男の声が響いた。
『ふむ。てすてす。聞こえるか?』
「え!?」
思わず声を上げていた。
部屋の中にいたみんながきょとんとした顔で俺の方を見る。
「どうかなさいましたか、陛下」
心配そうにリクサが駆け寄ってくる。
どうやら今の声は俺にしか聞こえなかったらしい。しかし現実逃避のために脳が発生させた幻聴ではあるまい。その証拠に男の声はまた聞こえた。
『うむ。どうやら聞こえているようだな。では来てくれ』
「いや、待て。話が見えない。急すぎる」
こちらの声は届いているのか、いないのか。
それは分からないが、無感動なその声の主は分かっていた。円卓騎士団第四席、放浪ザリガニ野郎こと赤騎士レイドだ。だがその声がなぜ脳内に響いているかは分からない。赤騎士は近接戦闘の担い手であると同時に、高度な魔術の使い手でもある。これも何かの魔術だろうか。
「あの、レイド? 来てくれってどこに?」
『了承だな。では呼ぶ』
「は?」
さっぱり状況が掴めないまま、俺の視界はぐにゃりと歪み、最後にはプツンと消えた。
転移……というか召喚されたことは、レイドの台詞からなんとなく分かった。
☆
「あっつ!!」
尻もちを突き、そしてすぐさま飛び跳ねた。
地面が熱い。いや照り付ける日差しや大気も暑いが、特に地面が熱い。地面というか砂が。
「あちちち……」
火傷しかけた尻をさすり、辺りを見渡す。
砂漠だ。三百六十度、遥か先まで白い砂で覆われた大地が続いている。僅かな岩も植生もない。
あるのは風で形成された無数の砂丘のみ。俺がいたのはそんな砂丘の一つの上だった。
直立したザリガニのような異形の存在――レイドはすぐ後ろに立っていた。いつも通り、幅広の剣と大盾で武装しており、深緑の外套をはためかせている。
「久しいな、ミレウス王」
「久しいな、じゃないよ!」
ザリガニのような鋏を『よっ』と上げたレイドに詰め寄り、俺は声を荒げた。
砂漠の空は晴天だ。雨季も終わり、夏の気配もしてきたこの時期、気温はかなりのものだったが、レイドは涼しい顔をしていた。
砂漠とザリガニ。あまりのミスマッチに突っ込みたくなったが、それはさておき。
「ここ、ひょっとしてオグ砂漠か?」
「うむ。よく分かったな」
「この島に砂漠はここしかないからな。それに割と地元から近いし」
目を凝らして地平線を見ると、二方向に山脈が聳えているのが確認できた。北東に位置する低めの山脈は精霊山脈――二月ほど前に魔神将ギルヴァエン戦をやったあそこだ。南に見えるのはウィズランド島を東西に貫くヤノン山脈。我が故郷オークネルのあるベイドン山もその一部である。
このオグ砂漠は島の西部の中のやや北方に位置する。アザレアさんの故郷であり、俺の通った中等学校があった十字宿場の真北である。
「小学校と中学の遠足で来るんだよ。信じられないだろ、何もないのに。何しに来ると思う?」
「分からん」
「何もないことを確認しに来るんだ。みんなで何もないですねーって言って帰んの。そうだ、王様になったんだからあの無意味な風習やめさせるべきだな……よし、そうしよう」
このオグ砂漠は二百年前までは草原だったという。それが統一戦争後に急激に砂漠化した――というような話をその遠足の際に引率の先生にされた。小学校と中学校それぞれで。
ウィズランド島では西部が最も田舎であると言われているわけだが、この砂漠が一因になっているのは間違いない。
「で、なんで呼んだ? 観光ってわけじゃないんだろ?」
「うむ。アザレア嬢とスゥ嬢を呼べ」
「……聖剣の能力で? なんで?」
レイドはこれにはだんまりである。面倒なこと、都合の悪いことにはすぐこれだ。
「さっき、俺を召喚したのはどうやったんだ?」
「遠隔操作でその聖剣の力を借りた。コイツにそういうことができると聞いた」
レイドはその赤い鋏で腰に帯びた幅広の剣に触れた。初代円卓の騎士の一人、赤騎士レティシアの魂が宿っているという魔剣だ。
よく見るとレイドの鋏にごく小さな切り傷があり、そこから赤い血がにじんでいた。聖剣の能力の一部には該当する騎士の血が必要になるから、そのために自身でつけたのだろう。
というか血は赤いんだな、こいつ。
「騎士の召喚と騎士との心話を使ったってことか。騎士の側からでも使えるなんて知らなかったぞ」
「普通はできない。円卓システムと繋がっているこの魔剣を介して初めて可能になる」
「ふぅん? ……スゥとアザレアさんだな? ったく、お前はいつもいつも急すぎるんだよ。だいたい俺は呼ばれることに了承してないし」
「急げ」
「はいはい」
事情はまださっぱり分からないが、俺はとりあえずアザレアさんに心話を使用した。
『あー、てすてす。聞こえる? 緊急。たぶん』
驚く彼女に状況をかいつまんで説明する。
スゥにも同じように説明してやりたかったが彼女の親密度は現在『1』。そのため同じ親密度を消費する能力である騎士の召喚と併用はできない。
と、いうわけでスゥには無断で騎士の召喚を行った。
眼前に空間の歪みが二つ生じ、そこから二人が現れる。
「びっくりしたー。私、学校で試験受けてたんだけど……」
アザレアさんは制服姿だった。その手には鉛筆が握られている。
「ごめん、アザレアさん。単位は俺が後でどうにかするから」
「頼むよー。いやー、しかしあれだね。ホントにオグ砂漠なんだね」
アザレアさんは辺りを見渡しながらトラウマが蘇ったような顔で言った。彼女とは中学の遠足でここに一緒に来た。ここに抱いている印象は俺とまったく同じだろう。
「お久しぶりっスね、レイドさん」
スゥはどこで何をしていたか知らないが、説明なしで召喚したにも関わらずこの状況にほとんど動じていなかった。事前にレイドから話を聞いていたのだろうか。
その挨拶にレイドは鋏を挙げただけで答えた。
アザレアさんは気まずそうな顔でザリガニ男に向かって頭を下げる。
「あ、お久しぶりです、レイドさん」
「うむ。久しいな、少女よ。……ふむ」
レイドは人間とは異なる形状の眼球でアザレアさんの顔をじっと見つめた。かつてベイドン山の中腹で初めて会ったとき、そうしたように。
アザレアさんもあの時とまったく同じように身を逸らしながら、愛想笑いを浮かべた。
「魔王化現象は本当に止まったようだな」
レイドが顔の左右に伸びた触角を鋏で触りながら、アザレアさんから顔を離した。
俺はアザレアさんと視線を交わし、ちょうど一月前のことを思い出す。アザレアさんを円卓の騎士にしたあの夜のことを。
「レイド、お前は見てたんだろ? あの夜のこと全部」
「うむ。だが念のためな」
レイドはアザレアさんに向かって腰を折る。
「すまなかったな、少女よ。我は君を殺そうとした」
「え! あ、いえ、それは別に。スゥさんやリクサさんにも同じこと言われましたけど、それはしょうがないことですし……。むしろミレウスくんにヒントを与えて私のことを間接的に助けてくれたようなものですから、お礼を言うのはこっちのほうというか……と、とにかく気にしないでください!」
「ふむ? そうか。ふむ……ふっ」
レイドは最後ほんの少し笑ったようだった。ザリガニのような顔なのでよく分からないが、こいつがそんな感情を見せたのはたぶん初めてだ。俺とアザレアさんは顔を見合わせ、驚きを共有した。
「拡散魔王と肩を並べる日が来るとは思わなかった。よろしく頼む」
「あ、は、はい。こちらこそよろしくお願いします」
レイドから差し出された手――というか鋏を握るアザレアさん。その笑顔がぎこちないのはわだかまりがあるからではなく、単にこの男の異形にまだ慣れてないだけだろう。
ともあれ挨拶は終わったようなので、ようやく本題に入れる。
「で、なんで俺を、いや、俺たちをこんなところに呼び出したんだ」
「アレを見ろ」
「アレ?」
「時を告げる卵を」
「最初からそう言え」
レイドの言葉の少なさにうんざりしながら、懐から指定された魔力付与の品を取り出す。
「え!?」
俺とアザレアさんが声を揃えた。
時を告げる卵は真っ赤な光を放っていた。それも滅亡級危険種の出現が間近であることを示す強烈な赤い光だ。
「な、なんでだ? 何日か前に見たときは光ってもいなかったぞ?」
「王よ、しばらく世界の外にいただろう。その卵はこの島の未来を予知するものだ。島外では機能しない」
狼狽える俺とは対称的にレイドは落ち着き払っていた。この卵の輝きを予期していたかのように。
「なんでお前は分かってたんだ?」
「それもコイツに聞いた」
レイドが触れたのはやはり魔剣レティシア。
「が、そうでなくても予見はできた。我が王の元で働いてもいいかなと思ったのはおおよそ一月だからな。これまでも新たな騎士が現れてからおおよそ一月以内に、新たな滅亡級危険種が出現してきただろう?」
「あー……そうだな。ブータの時もデスパーの時もスゥの時も」
アザレアさんが円卓の騎士になったのがちょうど一月前。円卓の間があるあの塔の屋上でレイドと話をしたのも一月前か。
「それで、えーと」
俺とアザレアさんは一緒に時を告げる卵の中を覗き込んだ。そこに映っているのはどこまでも広がる白い砂漠。つまりはここ、オグ砂漠だ。なるほど、こいつの要件は分かった。
「ここも飛ばした地点に目印になるオブジェクトを配置したんスけどね。砂漠化が激しくて、もうどこにあるか分からないっスね。砂の下なのは間違いなさそうっスけど」
二百年前の当事者であるスゥが油断なく辺りを見ながら、体の中から鍔のない巨大な刀――斬心刀を出した。
直後、時を告げる卵の発する赤い光が爆発するように最高潮に達し、そしてそれがふいに収まった。
首を巡らせてみるが、辺りの景色に変化はない。
と、思っていると、アザレアさんが遥か先を指でさした。
「ミレウスくん、アレ!」
そちらの砂の中から常軌を逸したサイズの蚯蚓のような化け物が顔を出した。城のように巨大な、奇妙な光沢を持つ金属製の疑似生物。
レイドが魔剣を鞘から抜き放ち、淡々と紹介する。
「決戦級天聖機械、死毛蚯蚓のオグだ」
「見覚えある!」
アザレアさんが目を丸くする。まるで有名俳優を街中で見かけたみたいに。
俺にも見覚えがあった。円卓の内部で見せられた初代の記憶の中で、彼らが戦っていたうちの一体だ。統一王アーサーが赤騎士レティシアを仲間に引き込んだときの相手である。
そうだ。あの時彼らは赤い花が咲き誇る広大な草原で戦っていた。この砂漠は二百年前までは草原だった――。
レイドが俺から少し距離を取るように歩きながら話す。
「こいつの別名は双頭蚯蚓ともいう」
「双頭?」
「体の一番前も一番後ろも頭になっていて、それぞれが別の意志を持つかのように動くそうだ」
「へえ?」
こんな話をしている間にも、オグは天聖機械の習性に従って砂をかき分けながら俺たちに向かってきていた。その頭部には大きく横に裂けた巨大な口が一つあるだけで、他の器官は見当たらない。
ただその口が馬鹿みたいにデカかった。民家一つを丸のみできるくらいは優にある。それだけこの化け物の体がでかいということでもある。
レイドは更に話し続けた。俺から更に距離を取りながら。
「実はオグは体長も物凄いらしくてな。普段見えているのはほんの一部で、大部分は地面の下にあるそうだ。だから後ろの方の頭が、いつどこから出てきてもおかしくない。いや、今見えてる方が後ろの頭なのかもしれないが」
「どっちでもいいだろ、そんなこと」
「確かにそうだ。……ふむ?」
レイドが地面の砂へと目を向けた。
気づけば足元が震動していて、砂丘の砂が川のように流れていた。
それに足を取られて転倒しかけたその瞬間、俺のそばにいたアザレアさんとスゥが左右に飛びのいた。
「うおおおおおおお!?」
足元の砂が隆起した。かと思うと、そこから巨大な口が現れて、俺をパクリと飲み込んだ。
-------------------------------------------------
【第二席 リクサ】
忠誠度:★★★★★★★★★★★
親密度:★★★★★
恋愛度:★★★★★★★★
【第三席 ブータ】
忠誠度:★★★★★★★★★★
親密度:★★★★
恋愛度:★★★★★★★★★★
【第四席 レイド】
忠誠度:★★★★★★
親密度:★★
恋愛度:★★★★★★★
【第五席 アザレア】
忠誠度:
親密度:★★★★★★★★★★★
恋愛度:★★★★★★★★★★★★★
【第六席 ヂャギー】
忠誠度:★★★★★★★★★
親密度:★★★★★★★★★★★
恋愛度:★★★★
【第七席 ナガレ】
忠誠度:★
親密度:★★★★★★★★★★
恋愛度:★★★★★★★★★★★★★
【第八席 イスカンダール】
忠誠度:★★★★★★
親密度:★★★★★★★★★
恋愛度:★★★★★★★★★
【第九席 ヤルー】
忠誠度:★★★
親密度:★★★★★★★★
恋愛度:★★★★
【第十席 スゥ】
忠誠度:★★★★★
親密度:★
恋愛度:★★★★★★★★★★★★★★★
【第十一席 デスパー】
忠誠度:★★★★★★★★★
親密度:★★★
恋愛度:★★★★★
【第十二席 ラヴィ】
忠誠度:★★★★
親密度:★★★★★★★★
恋愛度:★★★★★★★★★★★★
【第十三席 シエナ】
忠誠度:★★★★★★★★
親密度:★★★★★★★★
恋愛度:★★★★★★★★
-------------------------------------------------