第百八十一話 真面目に論評したのが間違いだった
それからナガレは机に向かい、黙々と作業を進めた。
俺は完全に暇になった。この部屋の脱出方法を一人で考えてみてもよかったが、それらしい候補すら思い浮かびそうになかったため、テレビゲームをして時間を潰すことにした。
まず手をつけたのは乙女ゲーなるゲームソフトだ。これは昨日ナガレとやった格闘ゲームなるものと違い、一人でできるらしい。パッケージを見る限り少女漫画にも通じるところがありそうだったので、漫画制作の手伝いに役立つかもと軽い気持ちで選んだのだが。
「奥が深いな……奥が深い……」
一人目のキャラクターのエンディングにたどり着いた頃には、完全にハマっていた。
女性主人公が多数のイケメンに突然囲まれてどうしよう、みたいな小説や漫画は俺の方の世界にもたくさんある。しかし男が楽しめるものではあるまいと高をくくって俺はほとんど触れてこなかった。
この乙女ゲーなるものにも同じような先入観があったのだが、これがなかなかどうして悪くない。攻略対象であるイケメンたちはみな俺から見ても好感の持てる人物たちで、山あり谷ありの日々を経て彼らとの絆が深まっていく様は感動的ですらあった。
「全員攻略するか。せっかくだしな」
そう意気込んで、せっせせっせとゲームを周回する。
すると、あるところで突然詰まった。オレ様系の男の攻略を始めたときのことだ。
「ん? なんだこれ、普通に愛想よく答える選択肢選んでるのにぜんぜん好感度が上がらないぞ?」
今までのキャラのルートで培ったセオリーがまったく通用しない。それならばと別系統の選択肢も選んでみたが結果は同じである。
「あーダメダメ、オーギュスト様にはもっとつれない態度とらねーと」
俺の様子を見かねたのか、ナガレが作業の手を止めてこちらを振り返る。
「オーギュスト様は超絶モテ男だから普通の女には飽き飽きしてんだよ。選択肢出たら全部無視して興味を引け。あと饅頭が好物だから99個買って毎週送れ」
「ほう」
そのアドバイスに従ったら、たしかに攻略できた。どうやらこの女、このゲームを相当やりこんでいるらしい。
振り返り、本棚を見る。そこにぎっしり詰まっている漫画もだいたいはこの手のイケメン天国系の少女漫画だ。
「わ、わりぃかよ、こういうの好きだったんだよ。昔はよ」
ナガレが勝手に言い訳を垂れる。こっちは何も言っていないのに。
「中学生だぞ中学生。中学生女子ってのはな、多かれ少なかれ、こういうのに惹かれるもんなの」
「いや、それは知らないけど。趣味は人それぞれだから別に悪いだなんて思わないよ。それに俺もこういう作品の面白さ、ちょっと分かるし」
「……え、マジで!?」
大層驚いた様子で席を立つナガレ。
俺はゲーム画面が映しだされたテレビを親指で指した。
「面白く感じなきゃ、こんな何周もしないって」
「お、おお、そうか。……そうだよな! あー、じゃあそれの前作もやるか? いや、時系列的にはスリーが最初なんだよな。デキの良さでいうと外伝なんだけど――」
ナガレはその手の人特有の早口でまくしたてながら、テレビの下の収納場所からゲームソフトを漁り始めた。
その必死な姿を見て、確信する。
「ナガレ、昔は好きだったとか言ったけど、実は今も好きなんじゃなんじゃないの、こういうの」
「ぎくっ!」
「けっこー前だけど、こっちの世界のナガレの部屋に俺が忍び込んだことがあったじゃん。ほら、傭兵ギルドのイライザさんと脱衣ポーカーやったあんときさ、別に家捜ししたわけじゃないけど、妙に物が少ないと思ったんだ。特に趣味の物が皆無だった。それで不思議に思ってたんだけど、あれって実は昨日聞いた保存の渦とかいうので隠してただけなんじゃないの? ホントは今もこういう漫画とか小説持ってるんじゃないの?」
「うぐ」
ナガレの漫画的なリアクション二連発は図星であると如実に物語っていた。
誤魔化せないと察したのか、声を荒げて逆ギレしてくる。
「しょ、しょうがねーだろ! 傭兵連中にこんなの見られたら沽券に関わるからな!」
「イライザさんを筆頭に、傭兵の人たちもナガレの本性だいたい分かってると思うけどね……」
それにはナガレも反論しなかった。話を反らすためではなかろうが、本棚の少女漫画を一冊手に取って俺に見せてくる。
「実はこの手のやつ、円卓の女連中に読ませたことあんだよ」
「ほう。して反応は?」
「イマイチだった。リクサは漫画好きだけど少年漫画派だし、シエナは血がドバドバ出るようなバイオレンスなのが好みだし、ラヴィはギャグ専門だからな。スゥは実用書しか読まねぇし、イスカに至っては文字すら読まないし……」
そこでナガレはポンと手を打つ。
「あー、あいつはどうなんだ? アザレアは。こういうの好きそうな顔してるけど」
「アザレアさんは冒険モノかミステリしか読まないよ」
「そうか……」
肩を落とすナガレ。
しかしすぐに気を取りなおした。
「そうだミレウス。お前はこのゲーム、これまでだと誰が一番よかった?」
「ん? そうだなー、みんなそれぞれいいところがあったけど、ルイ様とか明るい性格で最初から好印象だったな」
「おー、ルイ様か! いいよな! 自信家だけど、優しくてさ」
ナガレは興奮した様子で本棚を上から下までひっくり返し、床に何十冊もの漫画を積み上げた。
「じゃあこれとか、これとか読んでみ。あー、あとそれの全キャラコンプしたら前作やってスリーやって外伝やって――」
とりあえずナガレがネームを完成させるまでの暇は埋まりそうだった。
そして約束だった二日後――を軽く超過して四日後の夜。そろそろ夕飯を頼もうかと思った頃、ナガレが大声を上げて席を立った。
「で、できた! できたぞ!」
「おー、やっとか。そんじゃさっそく見せてくれ」
「わ、笑うなよ」
最初に夢を打ち明けた時と同じように念押ししてから、ナガレは原稿を手渡してきた。すぐに確認してみたが、三十二ページすべてに鉛筆によるラフな絵が入っている。
「ど、どうだ、ミレウス?」
「ふーむ……」
まず雑誌を立ち読みするような気持ちで、さっと全体に目を通す。
それから先頭に戻って、じっくりともう一度読む。
そうだろうなと思っていたが、ナガレが描いたネームは少女漫画の王道、高校を舞台にしたラブストーリーだった。もちろん主人公は(自称)ごく平凡な女子高生である。
本棚の中にはけっこう過激な描写のある漫画もあったが、これはその辺は控え目である。ラストも主人公が男の告白に答えるという健全すぎるシーンで締められている。
「ど、どうだ……?」
俺が二回読み終わったのを確認したナガレが、待ちきれないとばかりに急かしてくる。
ローテーブルの上に原稿を広げて、俺は最初から話し始めた。
「転校初日に遅刻しそうになった主人公が、男の乗るバイクにはね飛ばされるっていう掴みはいいね。全体的にテンポもよくて読みやすい。キャラも立ってると思う。ただ主人公の心情描写が足りないんじゃないかな。この男の方はいいんだよ。出会いの場面で主人公に『ふーん、おもしれえ女』って言ってるし、金持ちでスポーツ万能で勉強もできてルックスもいい彼が、初めて自分になびかない異性に出会って興味を持ったってのは自然だし、その心情もよく描写できてる。それに対して主人公がこの男に惹かれていく描写が不足していると思うんだよね。例えばこのヘリコプターとかいうので男が自宅まで迎えに来るシーン。主人公が『近所迷惑考えろ!』って叫んで男を木刀でタコ殴りにするのはいいよ。でもそこから逃げ出した後も怒った顔のままなのは違うんじゃないかな。主人公は男の強引なアプローチを迷惑に感じてはいるけど、満更でもない感じなんでしょ? だったらここはそんな自分に戸惑いを覚えてるだろうから、頬を紅潮させるとか複雑そうな顔をさせるとか、もっと主人公の心情の変化を絵で表現するべきじゃないかな」
めっちゃ長くなった。
いや、真面目に論評してしまったが、こんなことしてる場合だろうか。ふと冷静になる。
ナガレはぽかんと口を開けていたが、すぐに何度も高速で頷いた。
「そ、そうか、そうだな、その辺なんか手癖で描いてる気がしてたんだ。サンキューミレウス! 今すぐ描き直すから待っててくれ!」
翌日の昼、全体的に手直しした第二版のネームをナガレが見せてきた。
これには俺も太鼓判を押した。
それからナガレは本格的な作画作業――下書きとペン入れに入った。
俺はいわゆるアシスタント業をした。原稿のコピーを取ったり、スクリーントーンなるものを貼ったり、ベタを塗ったり、ナガレの分まで“出前”を取ったり。
ナガレが作った進捗表の管理も俺の仕事だった。
その表によると漫画の完成予定はペン入れ開始から十四日後、すなわちこの部屋に入れられてからちょうど三週間後ということになっていた。
「うーん、なかなか日程に余裕ができないなー」
数日後、壁にピンで貼ったその進捗表に一日の成果を書きながら俺がぼやくと、ナガレがペンを握る手を止めて信じられないようなものを聞いたかのように頭を振った。
「バッカ、お前、漫画制作が予定通りに進むってすげえことなんだぞ? 奇跡みたいなことなんだぞ? そもそもそのスケジュールかなりキツキツで設定してあるしな」
はぁー、と玄人ぶってため息をつくナガレ。
インクのついたペン先を俺の方に向けてくる。
「今んとこ順調に進んでるのはオメーがいるおかげだよ。担当にずっと見張られてるようなもんだからな。一人で作業してたら絶対どっかでサボってるわ」
「なるほどね。……ナガレ先生、進捗どうですか?」
「その台詞はやめろって!」
ナガレは心底嫌そうな顔をして、手近にあったネズミのぬいぐるみを投げてきた。
まぁそんな風に冗談を交わす時もあるにはあったが、作業中は基本的に無言だった。
さすがにそれだと気が滅入るので、テレビはつけっぱなしにしていた。チャンネルはその時によってまちまちで、あちらの世界のテレビ番組を流すこともあれば、こちらの世界の仲間の様子を見ることもあった。
この非常時に王がこんな長く国を空けて大丈夫だろうかと少し心配していたのだが、その点は完全に杞憂だった。国の運営も“現象”への対処も後援者やリクサが完璧にやってくれていた。そもそもウィズランド王国には平時は王がいないのだ。余裕で回って当然と言えば当然である。
俺の存在意義ってあるんだろうかとぼんやり考えながら作業をこなした。この部屋での仕事は限りなく地味ではあるが、俺にしかできないことだし、これが意外と楽しかった。作業の出来栄えを確認するとき、ナガレが渋い顔をしながらいい出来だと褒めてくれるのだからなおさらだ。
「……けっこう上手いな」
俺の引いた集中線を確認した時も、やはりナガレは渋々ながら褒めてくれた。
これで得意になるなという方が無理である。
「へへへ、俺も彫刻とか手先使うのが趣味だからね。子供の頃は絵描くの好きだったし」
「あ、そう。じゃあ簡単な背景も任せていいかもな」
「ホント? やった」
そんなわけで俺の仕事が増えた。と言っても全体の進行に余裕ができるわけでもなく、ただ進捗表のとおりに進むだけだったが。
漫画制作は予定通りに進ませるだけでも凄いことだというナガレの話を、一週間もする頃には俺も実感できるようになっていた。