第百七十九話 適当に試したのが間違いだった
それから俺とナガレは半日かけて色々と試した。
テレビゲームなるもので対戦してみたり、粘着性のボールを投げあう謎の玩具で遊んだり、白と黒の石を並べるレトロなボードゲームに興じてみたり。
すべて遊戯だったのには深い理由はないし、別にそれらがここから脱出する方法としてありえそうだと思ったわけでもない。ただ単にこの部屋で二人でできそうなものというと、それくらいしか思い浮かばなかったのだ。
当たり前だがそんなものが正解であるはずがなく、俺たちは何の成果も得られないまま、初日の夜を迎えた。
「だいたいよ、ヒントが少なすぎるんだよ、ヒントが。本気でここから出す気あんのか、あのクソヤローは」
タタミの上で胡坐をかいて大盛りのかつ丼を豪快にかっ込みながら、ナガレが愚痴る。
ローテーブルを挟んだところで同じように胡坐をかいてカツカレーを食べながら、俺はそれを黙って聞いていた。
これらはシャナクが俺たちのために用意してくれたシステム、“出前”で取ったものだ。
出前というからには何者かが配達してくれるのかと思っていたが、その実態は部屋に用意されたメニュー表を見て注文を言うだけで即座にドアの前にそれが出現するというただのめちゃ便利システムだった。
たぶんこれもシャナクが訪問者の力で実装したものなのだろう。食べ物は普通に美味いし、きちんと腹も膨れる。
もっともそれでナガレの怒りがおさまるかといえば、そうでもなかった。
「あー、クソむかついてきた。酒飲みてぇ。確か出前のリストの中に酒あったよな」
「やめときなよ。明日も脱出法探さなきゃならないんだから」
「チッ……分かったよ」
ナガレはきれいに空になったどんぶりをローテーブルに乱暴に置いた。瞬間、どんぶりは跡形もなく消え去った。回収まで自動でやってくれるらしい。本当に便利なシステムだ。元の世界の諸々さえなければ、しばらくここにいてもいいかなと思えるくらいに。
ナガレもそう思ったわけではないだろうが、ふいに冷静な顔になって聞いてきた。
「もし滅びの女神が復活するまでに、ここから出られなかったらどうすんよ」
「それはさすがにないでしょ。本末転倒すぎる」
「ホントにそう言い切れるか? 精霊界じゃ時間軸が進行しねーだろ? ここじゃ逆に時間が早く進むかもしれねぇ。外に出たらウラシマタロウみたいになってて、すでに世界は滅んだ後だった、なんてこともねえとは言えねーと思うぞ」
「……いや、そんなまさか」
俺は笑い飛ばそうとした。しかし笑えなかった。ナガレの懸念を否定できる材料は何もないのだ。
不安になった俺はリモコンを手に取ってテレビをつけた。さっきちらりと見た漫才の映像にしようとチャンネルなるものを回したが、見つからない。代わりに意外過ぎるチャンネルを発見してしまった。
「あ!」
二人揃って声を上げる。
映しだされたのはデスパーだった。あのエルフの男が東都の聖剣工房にいる。一緒にいるのはイスカとアザレアさんだ。デスパーが何やら説明しているが、どうやら二人の純白の鎧一式を作るつもりらしい。そういや俺たちが北方交易街に発つ前に、そんな話をデスパーがしてた気がする。
もしやと思ってさらにチャンネルを回すと、今度は王城で書類仕事をしているリクサがの姿が映った。さらに回すとアールディアの大教会で清掃をしているシエナが、さらにさらに回すと魔術師ギルドで雑用をこなしているブータが映る。
これも“出前”と同じように、俺たちのためにシャナクが用意しておいてくれたシステムのようだ。俺たち二人を除く円卓の騎士全員の現在の様子が見れるらしい。
レイドはどこかの洞窟を一人で歩いていた。旧地下水路かもしれない。
ヂャギーは特大サイズのベッドでいびきを掻いて寝ていた。もちろんいつものバケツヘルムをかぶったままだ。
ヤルーは老夫妻と食卓を囲んでいた。奴が居候している王都のあの家でだ。
スゥとラヴィはそれぞれ情報収集をしていた。例の“現象”に乗じて悪事を働く者がいないか調べているのだ。
チャンネルをさらに回すとまたイスカとアザレアさんが映った。今度はデスパーを映すついでに映ったのではなく、二人のどちらかに焦点が合っているようだ。聖剣工房内の小部屋に二人だけでいる。
何をしてるのかと思ったら、メジャーを取り出して全身のサイズを互いに測り始めた。服を着ていては正確に測れないと思ったのか、そのうちアザレアさんがイスカを万歳させてワンピースを脱がせる。
俺は慌ててチャンネルを回そうとしたが、その前に画面全体が砂嵐のようなもので覆われて、直後『しばらくお待ちください』という文言だけが表示された。センシティブな映像は流れないようにきちんと配慮されているようだ。
「あのヤロー、こんな感じでオレたちのことをずっと見てやがったのか? 変なとこ見てねえだろうな、クソ」
ナガレは苦々しく吐き捨てたのち、またふいに冷静になる。
「この映像もリアルタイムくせーな。ってことは、やっぱこの部屋の時間経過速度は普通かもな」
どうやら二人揃ってウラシマタロウになる危険性は低そうだ。
食後、俺は腹ごなしの柔軟運動をしながら、窓から星空を見上げた。
こちらの街は夜でも驚くほど明かりが多い。そのせいで星はろくに見えないが、ナガレが言うには夜空に存在する星の数自体は大差がないらしい。
月は相変わらず一つしかない。その事実にも慣れそうにないが、見慣れた星座が一つも見当たらないのにも慣れそうにない。こちらの世界でもやはり色々と星座があるのだろうか。
見慣れないといえば――そう、壁の片隅にピンで留められた一枚の古びた紙へと俺は目を向けた。
「これ、ナガレがいた方の世界の地図だよね」
「あ? ああ、叔母さんが小学校の入学記念に買ってくれたやつだ。めっちゃ懐いな」
まだ酒に未練があるのか、ナガレは出前のメニューを持ったまま隣まで歩いてきた。
俺はどうにもまとまりがないその世界の地図をぐるっと指でさす。
「変な形してんだな、そっちの世界。島ばっかだ」
「あー、そっちは今パンゲアみたいな状態だもんな。そりゃ違和感覚えるわな」
「パンゲア?」
「たった一つの超大陸。こっちの世界でも似たような時期はあったんだよ。いくつもの大陸が一つにくっついてた時期。そういやあっちもやっぱプレートテクトニクス理論に従って大陸が動いてんのかな。よく似た地球型惑星だし、たぶんそうだな」
ナガレはなにやら難しそうなことを呟いている。
それについて聞くと長くなりそうなので、別の簡単な疑問を投げかけた。
「この地図の中だと、ウィズランド島に近い大きさの島はどれ?」
「あん? そうだな……たぶんだけど、この辺かこの辺が近けーのかな」
ナガレは地図の左端近くにある島と真ん中あたりの島を指さした。どちらも小島というほどではないが、それほど大きくもない。そこから逆算する。
「世界の、というか星の大きさ自体はそんなに変わらないのかな。陸地の総面積も」
「そだな。あっちの世界の方が人間に好都合な気候の地域が多いし、地の底もあるから居住可能面積はだいぶ広いけどな。産業革命が起きてねーし化学肥料もねーから人口はずっと少ねーけど」
この女、隙あらば難しいことを語りたがる。
それらについて説明してもらおうかとも一瞬考えたが、今日は色々あって疲れていたのでやめといた。
「……寝よっか。長丁場になるとかシャナクも言ってたし」
それから俺たちは交代で風呂に入り、歯を磨いた。風呂は俺を驚かせる機能が色々とついていたが、歯ブラシと歯磨き粉は俺の世界の物とそれほど変わらなかった。
着替えや寝間着は箪笥の中に用意されていた。せっかくなので俺は寝間着に着替えたが、ナガレは箪笥の中身とにらめっこした後、いつもの作業着風衣服姿のまま明かりを消してベッドに入った。どうやら用意されていた寝間着が少女趣味すぎたのが、お気に召さなかったらしい。
「じゃ、おやすみ、ミレウス」
「待て」
明かりをつける。明かりから垂れているこの紐を引けばまた点くことは俺にだって分かる。
「ベッドが一つしかないのになんでノータイムで自分ひとりで寝ようとしてるんだ、ナガレさん?」
「オレのベッドなんだからオレが使うに決まってんだろ!?」
「ここはナガレの部屋であってナガレの部屋ではない。シャナクが作った偽物だ。つまりそれはナガレのベッドではない。はい、論破。じゃ分かってくれたところで同じベッドで一緒に寝よう」
「なんでそうなるんだよ! いや、百歩譲ってこれがオレのベッドじゃないとしてもよ! 普通こういうときは男の方が、自分が床に寝るとか言うもんじゃないのか!」
「そんな“普通”は俺には通用しない。傭兵は眠れるときに寝るのが鉄則なんだろ? 同衾くらい我慢しろよ」
「くっ!」
俺はこれ以上の問答は無用とばかりに、ベッドに上がり込んだ。
ナガレは追い詰められたような顔で壁際まで逃げて、昼にそうしたように虚空に向かって手を伸ばした。が、やはり何も起きない。
舌打ちをしてがっくりと肩を落とす。
「ダメだ、ベッド出そうと思ったけどやっぱ無理だ」
「……ナガレのその黒い渦を出す能力って、結局なんなんだ? 今までずっと教えてくれなかったけど」
ナガレはじっと俺を睨んだ後、これ見よがしにため息をついた。
「シャナクの異形館でも言ったけど、勝手に使えるようになったもんだから詳しくは知らねーんだよ。ただ、だいたいの訪問者は世界を渡った時点でそういう固有能力を得るものらしい。あっちの世界行ってすぐに天秤同盟とかいう奴らが現れて色々警告した後に教えてくれた」
俺はベッドの上で胡坐をかいた。
ナガレもそばで同じようにする。なんだか修学旅行の夜みたいだ。
「オレが得た固有能力は、こっちの世界の望んだ物品を召喚する能力と、物品を混ぜてまったく別の物品に作り変える能力、それと色んなものを異空間に保存しておく能力の三つだ。それぞれ召喚の渦、合成の渦、保存の渦ってオレは呼んでるけど」
ナガレはベッドの脇に置いてあったスケッチブックを手に取って、そこにいつも使っている拳銃やら、たまに持ってる木刀やらをするすると描き始める。
「拳銃や木刀は召喚で出したもんを合成で特殊強化したもんだ。グウネズ戦で使った重力弾やクジラを動けなくする薬なんかもそうだな。どれも作るのに苦労したぜ。合成は法則らしきものもあるにはあるが、ランダム要素も強いからな。試行するたびに体力消耗するし、元になった物は消えるから無限にできるわけでもねえし」
「ガチャみたいなものか」
「そう、ガチャ。……そういやそっちにもガチャがあるんだよな。あれも訪問者の誰かが持ち込んだものなんかな」
続いてナガレが描いたのは前と後ろに一つずつ車輪を持つ鋼鉄の乗り物。先ほどこの部屋の窓から外を眺めた時に似たようなのを見かけたが、そういえば蜘蛛形決戦級天聖機械のアスカラ戦でナガレがこれに乗ってた気がする。
「召喚の渦で出したモノはどんなに複雑だろうと完璧に使いこなせるようになるんだ。召喚してる間だけだけどな。バイクを召喚すりゃ無免許だろうと乗りこなせるってわけ。ウルト戦で出したECM装置を起動できたのも同じ理由だな」
「へー、そりゃ便利だ」
「高度なものを召喚するとすぐ消えちまうし、それ以外にも色々制約があるからそんないいもんでもねえけどな。……そういやよ」
ふとスケッチブックから顔を上げるナガレ。
俺もスケッチブックを覗き込んでいたので、危うく額と額をぶつけるところだった。
「お前がオレの能力を借りてるの見たことねーな。一応スキル化されてんのに。訪問者の固有能力は借りられないのか?」
「……そうだな。少なくとも今は借りられない」
嘘をついた。借りられないのは本当だが、その理由はナガレの忠誠度がゼロだからだ。まぁ仮にそうでなかったとしても、ナガレの言うような理由でやはり借りられないのかもしれないけど。
「オラ、説明は終わりだ。正直に話したんだからベッドはオレに使わせろや」
ナガレに蹴られ、ベッドから転落する。その後、二枚あった毛布の片方が飛んできた。
「今夜だけだぞ、譲るのは。明日はじゃんけんだからな」
俺が床で毛布に包まりながら言うと、ナガレは無言で電気を消した。




