第百七十八話 部屋に入ったのが間違いだった
「あん? なんだテメェ。まーた残留思念か?」
喧嘩腰のまま、ナガレがガンをつける。
帰還者シャナクの姿をしたその男はそれを平然と受け止めると、煙管を口から離して煙を吐いて笑った。
「いやぁ、ワシは実体だよ。シャナク本人さ」
「嘘こけや。ただの人間が二百年も生きてられるわけねーだろーが。二百年前と外見も変わってねーし」
「けけけ。自分で答え言ってるぜ、お前さん。今のワシはもう人間じゃねぇのさ。だから歳も取らないし、死にもしない――」
斜め上方に浮いていたシャナクは、胡坐をかいたまま俺たちと同じ高さまでスルスルと下りてきた。
「今のワシは……そうさな、神みたいな存在なんだが、力の総量はホンモノにゃ遥かに及ばねぇ。だからせいぜい亜神と言ったところよ」
「神……ってことは、リクサを[天意勇者]にしたのはアンタなのか?」
もしやと思って聞いてみたが、シャナクはすぐに首を横に振った。
「ちげえよ。そんな面倒なこたしてねぇし、する権限もねぇ。力は遥かに及ばないって言っただろ? ワシがここからできることなんて、世界をのぞき見すんのと、あの館をいじる程度のもんよ」
あの館――というのはもちろんシャナクの異形館のことだろう。
あの館の入口の扉を閉めたり、例の“絵”を見た俺たちをその中に引きずり込んだのはこの男の仕業か。
シャナクはいつの間にか脇に出現していた火鉢に煙管から灰を落とし、ついでにその煙管でこちらを指してくる。
「お前さんはあんま動揺してねえんだな、六代目の王よ」
「この間スゥが『シャナクはもうこの世界にすらいない』って言ってたし、アンタの死は明確に伝わってなかったからな。予想はしてた。……でもこんな形で生存してるとは思ってなかった。なんで亜神なんかに?」
「訪問者の力を円卓のシステムに組み込むために色々無茶したせいよ。システムと一体化して永遠に生き続けるだけの存在になっちまった。今はもうこの空間から出ることもできねぇ」
シャナクは自嘲気味に笑って一度言葉を切ると、周囲の暗黒空間をぐるりと煙管で指した。
「これもお察しかもしれねえが、一応説明しとくぜ。ここは世界と世界の狭間――魔力の海の中だ。もっともお前さんたちがいたあの世界、十二の月が巡る大地にほど近い地点だけどな。さっき見せたエドの街は、ワシが訪問者の力で作り出した極小規模の異世界さ。住んでる奴らも建物もぜーんぶ偽物。円卓の騎士が使う聖馬を管理するために二百年前に作ったんだが、余りに暇なんで妙に凝っちまった。なにせここにゃ他に誰もいねーし、人が通りがかるのもごくごく稀だからな。モノづくりは暇つぶしにゃ持ってこいだろ?」
「そこは同意するけどさ」
俺も彫刻などのモノづくりが趣味なので気持ちはよく分かったが、今はそんな話をしている場合ではない。
「スゥに言われたんだ。“聖杯”を現出させるために、まずシャナクの異形館に行ってある“絵”を見てこいって。それってつまり、ここに来てアンタと話せってことでよかったのか?」
「おお、そうそう。こっからだとお前さんたちのことはよく見えてたからな。どういう状況にあるかも把握してる。すまねぇな、久方ぶりに人と話すもんで、嬉しくて脱線しちまった。……そう、お前さんたちにはこれから試練を一つ受けてもらう」
「試練?」
俺はナガレと横目で視線を交わした。
それまでどうにも胡散臭そうにシャナクの説明を聞いていたナガレだったが、ここで話を引き継いだ。
「それが必要な手順だって言うなら、受けるのもやぶさかじゃねーけどよ。なんでオレとこいつなんだ?」
「お前さんに訪問者として一皮むけてもらうためさ」
「いや、もっと具体的に言えや。だいたいテメーら初代の連中はいつもいつも」
ナガレは軽くキレかけていたが、文句を言い切ることはできなかった。
シャナクが煙管を指揮棒のように振ったかと思うと、それまで消えていた重力が突然復活した。
俺とナガレは揃って真下に落ちていき、すぐに尻もちをつく。
「いってて……」
落下した距離は短い。攻撃らしい攻撃でもなかったので、聖剣の鞘は防いでくれなかった。
したたかに打ち付けた尻をさすりながら、反射的に閉じていた瞼を開ける。
するとそこには――。
「は?」
「はぁあ!?」
デカい方の声は隣で倒れていたナガレが出したものである。俺の声は困惑の域だったが、ナガレのそれはもはや驚愕の域に達していた。
俺たちは小さな部屋の中にいた。シャナクの異形館の部屋ではない。全体的に少女趣味な、誰かの私室だ。
ドアが一つと横に開くと思しき収納が一つ、硝子のはまった大き目の窓が一つ、中央には白いローテーブルが据えられ、端には椅子とセットになっている木製の学習机とベッドがある。それから台座に乗った平べったい板がベッドの正面にあって、その横に漫画の詰まった本棚があった。床は大陸東方で使われているタタミとかいうやつだ。
エドに出たときほどではないが、ここでも俺は強烈な違和感を覚えた。
「ど、どこだ、ここ」
「オレの部屋だよ!」
「は? なに言ってんだ?」
「オレの世界の方の! オレが住んでた家の! オレの部屋だっつてんの!」
ナガレに襟元を掴まれ、ぐわんぐわんと前後に揺さぶられる。
直後、この部屋の中にはいないあの男の声が頭の中で響いた。
『おー、理解が早くてなによりだぜ。ま、そこはお前さんの部屋そのものじゃなくて、ワシが色々アレンジを加えて再現したものだけどな。さっき見せたエドの亜種みたいなもんだ。天井見てみな』
言われるがまま俺たちは真上を見た。するとそこには。
××××しないと出られない部屋。
墨汁でそう書かれた横断幕が貼られていた。
『ま、なんでもいいんだけどよ。こういうのが流行ってんだよ、あっちの世界で』
再び響くシャナクの声。明らかに楽しんでいる様子だ。
『風呂とトイレ、洗濯機は押し入れの中だ。防音と換気はバッチリ。飯はそこに出前用のメニュー表置いといたから好きなの頼みな。これ以降、ワシはもうその部屋を見ないし、盗み聞きもしない。だから“しばらく”好きにしな。長丁場になるぜ』
それでシャナクの声はぷつりと切れた。
――と、思いきや、最後に付け足しがあった。
『ああ、そうそう。机の一番下の引き出しにな。避妊具も用意しといたから、使いたきゃ使いな』
今度こそシャナクの声はしなくなった。
ナガレは無言のままドアに直行すると、ノブを回して押し開こうとした。が、やはり開かない。
次にシャナクの異形館でそうしたようにドアにケンカキックを幾度も見舞ったが、騒音が起きただけで意味はなかった。
続いてナガレは窓に向かって椅子を全力で叩きつけた。が、やはり硝子は砕けない。
最後にナガレは虚空に向けて右手をすっと伸ばした。それも何も起きなかった。舌打ちをして、手を下げる。
「ちっ。渦が出せねえ。世界の狭間だからか? それともあのヤローに封じられてるのか?」
「……俺も聖剣の力が使えないな」
適当なスキルを借りてみようとしたが、何も起きない。こうなると俺たちは本当に一般人に毛が生えた程度の存在に成り下がる。
もう一度、天井に張られた馬鹿げた横断幕を見上げる。
××××しないと出られない部屋――。
「あっちの世界で流行ってるって言ってたよな。ナガレ、なにか心当たりはないのか?」
「ねえよ。オレがいたのはもう七年以上前だぞ。こんなの聞いたこともねぇ。……つーかこれ、まずこの隠されてる部分の文字数はあってんのか? それとも文字数は適当か? そこから確認しないと候補がありすぎんぞ」
ナガレは再びドアに向かうとそこをガシガシ蹴りながら声を張り上げた。
「オイ、コラ! シャナク! これ文字数あってんのか!」
反応がない。本当にもう見ても聞いてもいないのだろうか。そもそもあのドアの向こうにシャナクがいるかどうかも分からないが。
俺は脱出するためのヒントを求めて部屋の中を見回した。
「……しないと、しないと、しないと、か。何かの行動をするってことだよな。それもわざわざ俺たち二人をこの部屋に閉じ込めたってことは、この部屋でできて、二人でしかできないことを。まぁ二人でしかって部分は確定じゃないが。なぁ、ナガレ。ちょっと色々見ていいか?」
「机には触んなよ」
そう返しながら、ナガレは自身で机の一番下の引き出しを開けて中を見た。それからしかめっ面を作る。本当に避妊具が入っていたのだろうか。
見て回るにしても目を引くものばかりだ。どこから手を付けたものか。
迷った末に俺はとりあえず窓際へ行った。どうやらここは二階らしい。そこからは異世界の異様な街並みが眺められた。
「はーーー……えええ??? すっごいな、これ」
俺は思わず口をぽかんと開けていた。そこから見える景色はウィズランド島のどの街ともまるで似ていない。
「ナガレ、ナガレ! あのデカい塔みたいなのは何!?」
「あ? ああ、タワーマンションだよ。普通の集合住宅」
「あの等間隔で立ってる柱とそれを繋いでる線は?」
「電柱と電線。電気送ってんだ。それぞれの家に」
「あの動いてるめちゃくちゃデカいのは? 危険種?」
「ヨコハマセンだよ。あー、電車だよ電車。あっちの世界でもたしか大陸のどっかにはあんだろ。大人数を一気に輸送できる地上の交通手段。馬車のバカでけー版」
「なんで道が黒いの? 変な線とか数字が描いてあるのはなんで?」
「黒いのはアスファルトだ。歩きやすいように舗装してあんだ。線と数字は自動車の……あー、ほれ、あの動いてるデカい鉄の箱」
口頭で説明するのが面倒になったのか、ナガレはそばまで歩いてきて窓の向こうを指さした。
「アレが事故おこさねーように色々指示を書いてあんだよ」
「はー、そうなんだ。すっごいなぁ」
異世界の文化や技術には感嘆させられるばかりだ。
ナガレが近くの通りを見下ろしながら窓を叩く。
「普通に外に人が歩いてんだよな。こっちの世界の映像を窓に映してるだけなのか、それともあれも全部作り物なんだかわかんねーけど」
距離からして窓を叩く音が聞こえないとは思えない。しかし外を歩く人々は誰もこちらを見上げない。窓が音を通さないようにできているのか、あるいはナガレの推理どおりなのか。
「あ、そういやさ。あの黒い線がそれぞれの家に電気送ってるって言ってたけど、この家も?」
「ああ。ほら、そこの明かりも電気でつけてんだ」
「へー! 精霊とか魔術の力じゃないんだ!」
「オレの方の世界は電気やガスの文明だったからな」
「なぁなぁ、この板は? これも電気で動いてる?」
「そうだよ。遠くの映像を映し出す機械。テレビってんだ」
俺の勢いに圧倒されたのか、ナガレは近くにあった妙な棒のようなものを操作して素直にそれを起動してくれた。すると板の前面に原稿のようなものを読み上げる女性が映しだされ、その声まで聞こえてきた。
ナガレが手に持った棒――リモコンとかいうのをさらに操作すると、映し出される映像は次々と変化した。
スポーツの模様を映したかと思えば、料理をしている様子が映される。
漫才をする男たちの姿が映ったかと思えば、何かの商品を熱心に売り込む女が映される。
映像は本当にその板の中に人がいるかのように鮮明だ。
「すっご!」
「これはあっちでも似たようなのがないわけじゃないけどな。たしか第二文明期の遺物だったと思うけど、冒険者の国あたりじゃどの家庭にもあったし。……ド田舎だからウィズランド島にはねーけど」
ナガレは最初に映しだされた原稿を読む女性のところに映像を戻してから、リモコンを俺に渡してきた。
それから腕組みをして、しばしその女性の話を聞いていた。どうやらテレビの女性は新聞を読み上げて、その日のニュースを伝えているようだ。
「これ、映像はこっちの世界のリアルタイムのもんだな。ってことは窓から見える景色も、本当のオレの部屋のをリアルタイムで投影してる線が濃厚か」
だとすれば、ナガレにとっては七年ぶりに見る故郷の世界の映像なわけだ。
テレビはそれぞれのニュースに応じて、違う場所の映像を映していく。
先ほど窓から見たのと似たような景色が映ったかと思えば、それより遥かに大きな建築物が林立する街が映しだされる。議会のような場所が映ったかと思えば、巨大な工場のような場所が映しだされる。
俺は唖然としながらそれを眺めた後、ナガレに確認した。
「この街は、ナガレのいた世界の中では特別ってわけじゃないんだな」
「ああ、ごく普通の地方都市だよ。この家だってごく普通の中流家庭だ」
「はー、じゃあそっちの世界じゃこれが普通なんだな。凄いな。まるで第一文明期だ」
「さすがにそこまでじゃねーよ。あと数百年か、数千年かしたら並ぶのかもしれねえけどな」
ナガレはベッドの下に隠れていた厚みのある円盤のようなものを引っ張り出してきた。
「これ、前にリクサがビンゴで当てた全自動掃除機とそっくりだろ? まったく同じ機能の家電だよ。精霊の力や魔術の力で動かしてるか、電気で動かしてるかの違いはあるけどな。たぶんお前が驚いた他のもんも、だいたいはあっちの世界にもあると思うぜ。ろくに普及してねえかもしれねえし、テレビみたいに遺物って形かもしれねーけど」
「そんなもんかねぇ」
「オレより前にもけっこうな数の訪問者がいたみたいだからな。そいつらが自分のいた世界の便利な物品を再現したんだろ。飲食物が似通ってる理由もたぶんそれ」
なるほど、と納得した俺はテレビの脇にある襖とかいうのを開けた。本来そこは収納スペースになっているそうなのだが、この部屋では短い廊下に続いていた。廊下はシャナクが話していたとおり風呂場とトイレにつながっており、電気の力で全自動で動くという洗濯機もあった。
そちらを一人でしばし見て回った後、俺は興奮を抑え切れずに部屋に戻った。
「トイレすげー! 便座がなんかあったかいし、水出るし! こんなのこっちの世界のどこにもないって!」
「……脱出方法、探す気あんのかオメー」
ナガレに呆れ気味に睨まれて、俺はようやく本来の目的を思い出した。