第百七十三話 伝わっている建国日が間違いだった
夢は続く。
広大な常緑樹の森が燃え盛る炎に呑まれている。
この地形にも見覚えがあった。王都の北西に広がる人狼の森だ。
遠くで稲光が走り、遅れて雷鳴が轟く。その光と音の発生した方角では木々が一直線になぎ倒されている。巨大な何者かが森の中を疾走しているのだ。
狼型決戦級天聖機械ウルト。
かつて俺がスゥと共に屠ったあの化け物が森を焼き、破壊の限りを尽くしていた。
「間に合わなかったな」
森を見下ろす丘の上で、アーサーが感情を抑えた顔でその破壊を眺めていた。
その横では美しい人狼の女射手が地面にへたりこんで泣いている。
「どうする、アルマ。今から一人で行っても犬死にするだけだぞ」
アーサーは女を横目で見て、声をかけた。
人狼アルマ。この女性もまた初代円卓の騎士の一人だ。
「あの化け物には復讐せねばなりません」
アルマは手の甲で両目の涙を順にぬぐい、決然とアーサーを見上げる。
「しかし犬死にすることは許されていません。どんな屈辱を受けようとも耐え忍び、泥水を啜ってでも生き延びて、復讐を果たさねばならないのです」
「森の女神様の教えか」
再び森に雷が落ちる。現代ではアルマの里がある方角だ。この頃にもあそこには人狼の集落があったはずだが、それは魔王信仰を捨てる前の純然たる魔族としての集落だった。
ウルトの襲撃がどれだけ急だったかは分からない。犠牲者がどれだけ出たかも分からない。しかしこれは紛れもなく惨劇だった。
アーサーはその光景を目に焼き付けるように見つめた後、踵を返した。
「アルマ。とりあえず、あの化け物を飛ばすのを手伝えよ」
「……いいでしょう。ただしアナタもいつか必ず、私がこの手で殺すつもりだということをお忘れなく」
「いいさ。むざむざ殺されてやる気はないけどな」
二人は並んでその場を後にし――場面は移る。
長い長い階段をアーサーが下りている。その後ろには松明を持った優し気な目をしたコロポークルの青年が続いていた。この島のすべての宝を手に入れたと謳われる男、冒険者ルドである。
ルドは下りてきた階段を不安そうに振り返った。
「みなさんのこと、置いてきてよかったんですか」
アーサーは振り返りもせずに返事をする。
「誰かが先に行ってあの精神攻撃止めなきゃしょうがねーだろ。マーリアには効いてなかったしな。他の奴らのことはアイツがどうにかすんだろうよ」
この階段にも見覚えがある。ウィズランド島の東に浮かぶキアン島、その中心に位置する深淵の魔神宮の階段だ。それも迷宮の最深部である十層へと向かう階段。
ルドは再び九層につながる階段を振り返ったが、反論はしなかった。精神攻撃というのは現代で俺たちも喰らった魔神将ゲアフィリのあの魔術のことだろう。受けた者をもっとも動揺させるものを見せる、あの幻覚魔術。
しばし歩いてからまたルドがたずねる。
「あの、アーサーさんはどうして平然としていられたんです?」
「俺はなんか知らんがその手のは一切効かねーんだよ。オフィーリアによると精神抵抗がめちゃくちゃ高いかららしい。俺が一番動揺するものってのが何か興味あったし、見てみたかった気もするけどな。もし絶世の美女だったりしたら、大損だぜ」
階段を下りる足は止めずにアーサーが振り返る。
「お前はどうして平気だったんだ?」
「たぶん第一文明期のお守りをたくさんつけてたからだと思います。……それでも完全抵抗はできませんでしたけど」
「何見たんだ。妹さんか」
こくりとルドが頷く。
アーサーは再び前を向いた。
「お前はアルマみたいに怒ってねーのか。妹さんが死んだのは俺が化け物どもを解放したせいだってのに」
「必要なことだったと思います。アーサーさんたちがそうしてなければ、もっと危険な存在が復活していたんでしょう? そしたらもっと大勢の人たちが犠牲になって――その中にはあの子も結局含まれてたかもしれない。だから怒ったりなんかしないです」
「しゅしょーだなぁ。アルマのやつにお前の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ」
肩を上下させて笑うアーサー。
ルドも微笑を作った。
「アルマさんもホントはもう分かってるんだと思いますよ。アーサーさんたちは悪くないって。ただすぐに態度を変えられるほど素直じゃないってだけだと思います」
「だといいけどな。……そろそろだぜ」
二人は表情を引き締めた。
長い長い階段を下りたその先。第十階層は長方形のたった一部屋だけで構成されていた。奥には無数の篝火が半円形に並んでおり、その中に光を吸い込むような漆黒の岩石で作られた玉座が鎮座している。
そこには同じような漆黒の肉体を持つ醜悪なる人型の生物が一体、足を組んで座っていた。
それは眼も鼻も持たず、代わりに三つの大きな口が顔の前面についていた。耳は一部の梟が持つような非対称のもので、強力な魔力を帯びていると一目で分かる金の錫杖を右手に握っていた。
迷宮の魔神――ゲアフィリ。
その化け物は眼球も持たないというのに、二人の侵入者を確かに“見て”いた。
アーサーが剣を構えて突撃し、冒険者ルドが部屋の影をすべるように走り――場面は移る。
戦場と化し徹底的に破壊しつくされた南港湾都市の中心で、船乗り衣装の女が口から盛大に血を流しながら高笑いしている。
「ようやく捕まえたよ!」
左腕に義手をつけたこの豪快な女性は海賊女王エリザベスだ。ウィズランド海賊をまとめ上げ、この港町を牛耳ったという伝説の女傑。
エリザベスは強力な魔力を帯びた三叉槍で腹部を刺し貫かれていた。両手でその槍を握っているのは魔神将グウネズ。かつて俺がこの南港湾都市で死闘を繰り広げたあの怪物だ。
エリザベスは他にも裂傷と刺傷と火傷を全身に負っていた。だがそれでも自前の手と義手でグウネズの腕を掴んで離さない。その義手の正体は、現代ではデスパーの“斧”となっている第一文明期の遺物――叶えるものだ。
グウネズは槍を引き抜こうとしているが、ビクともしない。常人が魔神将の膂力に対抗できるとは思えない。持ち主の内なる願望を現実にするという叶えるものの魔力が作用しているのか。実際エリザベスの義手は、その力を誇示するように眩い魔力の光を発していた。
槍を介して力比べをするように、そのままにらみ合って硬直するエリザベスとグウネズ。
辺りからは激しい戦闘音が届く。グウネズと比べればいくらか小ぶりの魔神たち――ヤツが展開した無数の“影”と、アーサーの一行がこの街の至るところで戦っているのだ。
「手下たちの仇、今ここで取れないのが残念さね」
口から血を吐きながらエリザベスが笑い、直後その表情が一変する。豪快な海賊女王のそれから、心優しい女性のそれに。ごく平凡な商家の娘だったというエリザベスの元の人格に切り替わったのだ。
「アーサーさん、お願いします!」
エリザベスが呼びかけたのはグウネズの背後。燃え盛り、崩れ落ちる寸前の家屋の屋根の上にアーサーが立っていた。マーリアによって《時空転移》の魔力を付与された魔剣を右手でぶら下げて。
アーサーもエリザベスと同程度かそれ以上にズタボロだった。左腕はちぎれかけ、腹のあたりからは臓物まで見えている。
振り返り、感情の読み取れぬ目でアーサーを見上げるグウネズ。
その視線を真っ向から受け止め、アーサーは心底感嘆したように呟いた。
「強かったぜ、お前。本当にな」
屋根の上から跳躍し、アーサーが魔剣を振るう。
その刃がグウネズを捉えたかと思うと魔神の姿が歪み、街のあちこちに展開されていた影もろとも消失して――場面は移る。
赤い花が咲き誇る、地平まで続く広大な草原。その彼方で常軌を逸したサイズの蚯蚓のような化け物が暴れまわっている。
どうやら俺の知らない決戦級天聖機械のようだ。この場所がどこかも分からない。ウィズランド島にはこれくらいの規模の草原はいくつもある。目印らしきものは何もないので特定できない。
よく見れば巨大な蚯蚓はアーサーの仲間たちと戦っていた。今では十一名にもなった仲間たちと。
それを遠くに見ながら赤い軽鎧をつけた美人が薬の入った小瓶に唇をつけた。赤騎士レティシアだ。中身を一息に飲み干し顔をしかめたが、その原因は飲み薬が苦かったからではないらしい。
「ホントなの、その話」
「嘘や冗談で言うわけねーだろ、こんなこと」
レティシアの隣ではアーサーが同じ赤い飲み薬を飲んでいた。
何を話していたのか。レティシアはずいぶんと困惑していた。
「いや、仮にその話が本当だったとして。どうしてアタシに話したのよ。いや、アタシだけじゃない。ルドやあの人狼の子……アルマや海賊女王にまで話したのはなぜ? 恨まれるだけでしょ。アンタたちのせいでこの島がこんな状態になってるなんてさ。実際アルマには命まで狙われてるじゃない」
「お前らに仲間になってもらいたかったからだ。そんなこと隠したまま力を貸してくれなんて言えるわけねーだろ」
レティシアはしどろもどろになりながら、薬瓶を放り捨てた。
「どうしてアタシやあの三人なのよ。他にも大勢いたでしょ、厄災が始まってからアンタが会った人間なんてさ」
「あ? そりゃお前……あれ、なんでだろな」
特に自覚的に選んでいたわけではなかったのか。
アーサーは腕組みをして、いまさら考え込み始めた。
蚯蚓型決戦級天聖機械と十一人の仲間たちは激しい戦いを演じながら、徐々に二人のいる方に移動してきている。いや、仲間たちがあの化け物を二人の元へ誘導しているという方が正しいだろう。
アーサーが考えていた時間はそれほど長くはなかった。
「成り行きもあるし、俺が気に入ったってのもある。でも一番の理由はやっぱり、あの時あの場にいたら、同じ選択をして共犯者になってくれたんじゃねーかって思ったからだろうな」
アーサーは真っすぐにレティシアを見つめた。
レティシアはそれを受け止めきれずに視線を逸らす。ほんの少し頬を赤くして。
しばしの逡巡。それからため息。
この放浪の赤騎士は初代の中では最も用心深かったと伝わっている。実際これまでの場面でも何度かレティシアはアーサーたちと遭遇していたが、ガードは固かった。
しかし今、そのガードは粉々に打ち砕かれていた。
「分かった。分かったわよ。アンタに力を貸してあげる。ただし」
照れ隠しのようにまくしたててからアーサーにびしっと人差し指を突きつける、レティシア。
「アンタは王になりなさい。この島のすべての勢力を統一して国を作り、その王として平和のために命と生涯を捧げるのよ」
「分かった」
ノータイムで頷くアーサー。
レティシアは面食らって、押し黙る。
その反応を見てアーサーはうっすらと笑みを浮かべた。どこか自嘲的に。
「命とか生涯ってのは、滅亡級危険種どもを解放すると決めた時からそのつもりだよ。いまさらお前に言われるまでもねー。……ま、国を作るとか王になるとかって発想はなかったけどな。だが確かに、今後帰ってくる滅亡級どもに対処する“システム”を作るにはそうするのが一番かもな」
アーサーは鞘から剣を抜き、十二に分かれた刀身を見つめる。その剣で滅亡級たちの封印を解いた時のことを思い出しているのだろうか。
「俺の選択でどれだけの人間の運命が変わったか。そんくらいは分かってるつもりだ。その責任から逃げる気はねえ。俺がこれからどれだけ善行を積もうが、俺のせいで死んだ人間の命が戻ってくるわけじゃない。でも、それでもやらなきゃならない。責任を取る手段がないからって、責任を取ろうとしなくていいわけじゃねえもんな。そのために生き抜く覚悟はできている」
もう蚯蚓型決戦級天聖機械は二人のすぐそばまで近づいてきていた。
レティシアも自身の剣を抜いた。現代ではレイドが持つ、魔力を帯びた幅広の剣だ。のちに彼女はその剣に自身の魂を移植することになる。
アーサーの方を向き、剣先を天へと向けるレティシア。
今でもウィズランド王国で行われている、伝統的な騎士の誓いの作法だ。
「アンタの生きざま、アタシが見届けるわ。だからアンタが死ぬまではこの剣をアンタに捧げる。……今この瞬間からアンタはこの島の、ウィズランド王国の王よ」
――夢が終わる。