第百七十話 英雄譚の現実を知ったのが間違いだった
――夢を見た。
ある港町の場末の酒場の片隅で、二人の若者が丸テーブルを挟んで酒を呑んでいる。
片方は野心的な笑みを浮かべたくすんだ金髪の青年だった。黄金色の麦酒を水のようにぐびぐびやりながら、もう一人に向けてくだを巻いている。
「ウィズランド島だよ、今アツいのは。激アツだ。冒険者なら行くっきゃねえ」
のちにウィズランド王国を建国し、統一王と称される男、アーサーだ。
話の聞き手は栗毛色の髪の地味な顔つきの青年。大陸においてアーサーの相棒だった男、狂人ジョアンだ。香草で苦みを効かせた蒸留酒をちびちびやっているが、渋い顔をしているのはそれが理由ではないだろう。
「それ、こっから遥か彼方にあるっていう魔の島だろぉ? 島ん中で百年も戦争続けてる上に、高レベル危険種がうようよしてるっていう。危険すぎるさー」
「だが手付かずの迷宮が山ほどある。中にゃ第一文明期のものまであるって噂だ。上手くいきゃバカでかい金が手に入る。それこそ国が買えるくらいの金がな」
時折ジョッキを傾けながら熱弁を振るうアーサー。その顔は少し赤みを帯びていた。
ジョアンは嘆息して、烏賊の干物をちぎって口に運ぶ。
「でかい依頼、片付けた後なんよ? それなりにまとまった金はあるんだし、しばらくゆっくりするべきさー」
「ないぞ」
「へ?」
「そのそれなりにまとまった金ってのな。それ全部はたいてウィズランド島行きの片道乗船券買った。明日の朝の便な。もちろん二人分」
ジョアンは絶望しきった顔で口をあんぐりと開けた。食べかけの烏賊の干物がテーブルの上に落ちる。
アーサーはそれを拾って、開いたままのジョアンの口に放り込んでやった。
「そろそろ俺に慣れろよ。いや、俺ならそれくらいすんだろーなと先に予想しとけ」
「む、無茶言うな! だいたいオメェ……はぁ!? 本気で共用資金全部使ったん!?」
アーサーは無言で頷くと、二枚のチケットを取り出して見せた。
ジョアンはそれを指さして口を何度かパクパクさせた後、テーブルを両手で叩いて立ち上がった。
「頭おかしいんか、オメェ!?」
「おかしかねーよ。むしろおかしいのはお前の方だろ。この間の依頼だって、お前が馬鹿なことしたせいで話がでかくなったんじゃねーか」
「うぐ」
「毎回決定的にやべー方向に話持ってくのはお前の方じゃねーか。その尻ぬぐいしてんの誰だと思ってんだ。ま、面白いから別にいーけどよ」
アーサーは豪快に笑うとジョアンの肩をバシバシと叩く。
「安心しろ! ここの払いくらいは残してあるからよ!」
「なんの救いにもならないさー……」
ジョアンは諦めきった様子で、瓶から蒸留酒を直接あおった。
その瓶をかっぱらい、アーサーも直接酒を呑む。
「そう気を落とすなよ、ジョアン。ウィズランド島はあちこちに温泉があるらしいぜ。混浴もあるらしいし、なにより美人が多いとか」
「どーせそういう目的だろうと予想はしてたさー……」
テーブルに突っ伏したジョアンを見て、笑うアーサー。
その声が酒場に響き――場面は移る。
「結婚してくれ!」
再び酒場にアーサーの声が響く。が、今度は先ほどとは別の酒場だ。
アーサーが絡んでいたのは、一人で呑んでいたらしい漆黒のロングドレスを身にまとった女魔術師だ。輝くような金髪に絹のように白い肌。魔術師マーリアである。
「突然なんですか。……誰です、貴方」
際立って美しい容姿だ。酒場で男に絡まれるのは初めてではなかっただろうが、マーリアは完全に男の勢いに飲まれていた。いや、初対面の男にいきなり求婚されたら、誰だってこうなるだろう。
ご機嫌な様子のアーサーは、マーリアに許可も得ず、向かいの席にドカッと腰を下ろした。
「俺はアーサー、大陸から来た。いやー、えっちらおっちら長旅してきたかいがあった。この島、美人が多いとは聞いてたが、いきなり大当たりだな。結婚してくれ。一目惚れだ」
「はぁ? ……お断りします」
「まま、そう言わず。とりあえず親睦を深めようぜ。ここは俺が奢るからさ」
「結構です」
アーサーの後ろには呆れ顔のジョアンが立っている。彼はマーリアと目が合うと、すまないとでも言うように黙って頭を下げた。
「そこまでにしとけ、蛮人。ご婦人がお困りだろう」
横から割って入ってきた凛とした声は、白銀の髪の美青年のものだった。腰に二本の直剣を携えている。双剣士ロイスだ。
アーサーはそれまでの愛想のいい笑顔から豹変し、チンピラのようにロイスを睨みつける。
「ああ? 誰だ、お前。いきなり出てきて勝手なこと言ってんじゃねーぞ」
「いきなり出てきて勝手なこと言ってるのは貴方なんですが……」
マーリアがぼそっと正論を言ったが、本人の耳には入らなかったらしい。
アーサーは手にしていたジョッキから酒をあおって空にすると、それをテーブルに叩きつけて、ロイスに向けて中指を立てた。
「どっかのお貴族様か? おぼっちゃんは引っ込んでろよ」
「表に出ろ。僕はお前みたいなのが一番嫌いなんだ」
「上等だぜ!」
そのやりとりを聞いて、酒場の中が一気に盛り上がった。荒くれ者たちが二人にそれぞれ声援を送り、指笛を吹く。
ロイスとアーサーは並んで酒場の外に出ると、広い通りでいくらかの距離を置いて向かいあった。どちらも自分が負けるとは欠片も思っていないような顔をしている。
そこは夜の港町だった。今とはまるで雰囲気が違うが、どうやら南港湾都市のようだ。
酒場で呑んでいた荒くれ者たちも出てきて、二人を囲んで賭けを始めた。どうやらこいつらは、かの悪名高きウィズランド海賊らしい。
マーリアとジョアンは酒場を出てすぐのところで並んで、その熱狂を眺めていた。
「貴方、あの男の連れなんでしょう? 止めないのですか?」
「無理無理。ああなったアーサーは止めらんないさー。相手を殺しそうになったら、さすがに止める努力はするけどね。ま、アレで意外とわりーことはしねー奴だから、こんなバカな喧嘩で殺しはしねえよ。ちゃんと手加減するはずさー」
「ふむ」
マーリアは顎に手を当てて、何やら再び罵り合っているアーサーとロイスを見やり、呟く。
「手加減は不要だと思いますよ」
「ああ? まぁ確かに相手もけっこうやりそうだけど」
二人がそんなやり取りをしている内に、アーサーとロイスがそれぞれの得物を抜いた。
アーサーが右手で無造作にぶら下げているのは、十二に分かれた蛇腹のような刀身の剣。
ロイスが左右の手でゆらりと構えたのは、白く発光する一対の直剣。
そのロイスの双剣を見て、ジョアンが目を見張った。
「あれって、まさか聖銀? もしかしてあのおぼっちゃん、勇者なん?」
「貴方も大陸の出ですか。この島のコーンウォールという街には勇者の一族がいます。あの青年は恐らくそこの人間でしょう」
「へええ。いや、それでもアーサーが負けるところはオイラには想像できないけどもね」
ジョアンは懐から薄い革の財布を出した。賭けに乗ろうとしたのだろう。
マーリアがそれを手で制して、断言する。
「引き分けになります」
「は?」
マーリアは賭けの胴元の元へ歩いていくと、魔王金貨を数枚と小粒の宝石を一つ渡して引き分けに賭けると告げた。
それを聞いて周りの男たちはさらに沸き立つ。今のところ誰も賭けていない大穴だからだ。マーリアの賭け金を狙い、男たちはこぞってアーサーとロイスのどちらかに追加のベットを始める。
隣に戻ってきたマーリアを見て、ジョアンは目を瞬かせた。
「オネエさん、ひょっとして金持ち?」
「いえ、あれが手持ちのすべてです」
少し得意げな様子のマーリア。
ジョアンは背後の酒場の方へ目をやった。
「え、いいん? さっき呑んでた酒の払いもできなくなるさー」
「平気ですよ。当たりますから。このくらい先のことであれば確実にね」
「……どゆこと?」
きょとんとするジョアン。
マーリアは答えず、妖艶に微笑み――場面は移る。
「どうしてこうなるのよ!」
真夜中。深い針葉樹の森の中を、赤い軽鎧をつけた黒髪の美人が走っている。赤騎士レティシアだ。魔術で出した光源を周囲に浮かべ、それで足元を照らしている。
「日頃の行いがわりーやつがいるんじゃねーかな、こんなかに」
剣を担いで並走するアーサーが他人事のように答える。
レティシアが彼の方を向いて、再び叫んだ。
「だからこんな依頼受けるのは嫌だったのよ! 他人とつるむとろくなことがないわ!」
二人は足を止めた。森の前方に短剣を構えた小さな人影がいくつも待ち構えているのが見えたからだ。
僅かに遅れて息を切らせた四人の人物が二人に追い付く。ジョアン、ロイス、マーリア。それと刀を腰に帯びた大陸東方の民族衣装の男――帰還者シャナクだ。
四人の後方から斧や剣で武装した男たちがやってくる。挟み撃ちだ。逃げ場はない。
「前門のコロポークル、後門のエルフってか。けけけ」
シャナクが不敵な笑みを浮かべて敵を数える。その言葉どおり、彼らを挟んでいるのは二種の亜人だった。どうやらここはウィズランド島南東部に広がる亜人の森のようだ。
「前も後ろも十五ずつってとこだ。六人殺すにしちゃ念入りすぎるねぇ。こういう時は依頼人が犯人と相場が決まってるんだが」
シャナクはアーサーへとちらりと視線を送る。
アーサーはそれを気にも留めず剣を抜き、周りの五人を見まわした。
「恨み買ってたのはどいつだ? 俺はまったく身に覚えがないが」
「ぜってぇオメェさぁ! オメェ、この島来てから何人の男ぶっ飛ばして何人の女に手ェ出そうとしたか覚えてないんか!?」
アーサーの首元を掴んでジョアンが泣きわめく。
こともなげにアーサーは答えた。
「女の数なら覚えてるけど」
「男の数も覚えとけ、チクショウ! ホントなんなんだこの島! 次から次へと! 魔の島ってレベルじゃねーさー!」
ジョアンはわめきながら、焦る手つきで弩に矢をセットした。
アーサーはそんな相棒の様子を見て肩を揺らして笑うと、油断なく杖を構えて森の奥へ目を向けているマーリアを肘で小突いた。
「依頼受けた時点でこうなるとは分からなかったのかよ。短期予知とかいうのができるんだろ?」
「我の魔術はそんな万能ではありませんよ。もしそんな便利なものなら貴方との出会いを予知して回避してます」
「相変わらずつめてーなー。ま、そこがいいんだが」
アーサーが緊張感なく笑い、マーリアが呆れたように嘆息する。
それを見てシャナクが目を細めた。
「愉快だねぇ、お前さんたち。どうだい。ここ切り抜けたら俺と組まねえか」
「あん? お断りだ。これ以上男増やす気はねーんだよ。ただでさえうざってえのがついてきてるってのに」
アーサーが舌打ちしながら目を向けたのはロイスだ。
ロイスは双剣の片方の剣先をアーサーに向け、鬼の形相を作る。
「そこの大陸産のクズがやらかさないか、見張っているだけだ!」
「へーへー。ったく、俺からしたらこんな状況より、このおぼっちゃんの方が厄介だぜ」
アーサーは舌を出してさらにロイスを挑発すると、今度はレティシアに声をかけた。
「どうだ、ネエちゃん。無事に乗り切れたら一緒に飯でも」
「い・や・よ!」
レティシアが即答したその瞬間、亜人たちが前後から一斉に襲ってきた。
マーリアの火球がコロポークルの方に炸裂し、アーサーとロイスがエルフの方に斬り込む。
レティシアは【瞬間転移装着】で装着した幅広の剣と大楯でコロポークルの方を迎え撃った。
ジョアンは《発光》の魔術で光源を増やして【暗視】を持つ亜人たちとの差を埋めた後、前衛たちに強化の神聖魔法をかけつつ、弩から矢を放つ。
刺客たちも相当な手練れ揃いだったのだろう。しかし相手が悪かった。五倍の人数を相手にアーサー達は互角以上の戦いを見せていた。
ただ一人、戦闘の中心の台風の目のような位置に陣取り、成り行きを見守っていたシャナクが感心したように口笛を吹く。
「やるねぇ、お前さんたち。ホント、ついていきたくなったよ」
「アンタも戦いなさいよ! その腰にぶら下げてる立派なものは飾り!?」
コロポークルの毒付きの短剣を大楯で受け流しながら、レティシアが罵る。
シャナクはくつくつと喉を鳴らすと、右手を真上に伸ばした。
「ああ、飾りだよ」
その右手の先に黒い渦が生まれ、そこからポトリと金属製の何かが落ちてくる。
ナガレが使っている拳銃――アレとよく似ていた。
「こっちの方がずっと楽ってもんよ。刀なんかよりな。ま、ちょいと命中率に難があるが」
シャナクがそれを掴んで前に向けたかと思うと、乾いた破裂音が立て続けに鳴った。
その数、六回。不可視の矢に撃たれたかのように、エルフが数名倒れこむ。正体不明の攻撃に、襲撃者たちは明らかに動揺し、攻撃を一時止めて後退した。
「魔術師? それともアンタも赤騎士なのか?」
奇妙な援護に、ロイスが驚いた顔で振り向く。
その言葉を、同じく驚いた様子のマーリアが否定する。
「いえ、あれは魔術ではありません。世界の壁に穴を開けて異世界の物品を召喚したようです。そんな芸当が可能なのは……訪問者?」
「お、ネエちゃん分かるかい? ご慧眼だねぇ」
シャナクは再び感心したように口笛を吹き、拳銃をポイっと手放した。
レティシアが目を吊り上げる。
「なんで捨てるの!」
「弾切れだ。これ六発しか撃てねえんだよ」
その言葉を聞いて襲撃者たちは勢いを取り戻した。
アーサーやロイス、レティシアの相手をする最低限の人員を残し、後衛のシャナクやマーリアに襲い掛かる。
「ま、拳銃自体はいくらでも出せるんだけどよ」
黒い渦が二つ生まれ、そこから落ちてきた新たな二丁の拳銃をシャナクが左右の手でつかみ取る。
亜人の森に銃声が連続して鳴り響き――場面は移る。