第百六十九話 第二の表決を通したのが間違いだった
“現象”の発生範囲はスゥの予想していた通り全島規模であり、すぐに各都市から通信魔術でその報告と指示を仰ぐ声が俺の元に入った。
眠ったまま目を覚まさない幼児と老人は現在確認できているだけでも数万人――いずれも体温が極度に下がり、呼吸と心臓の鼓動も通常の数十分の一のペースまで低下して、死んだように眠っているという。
島のあちこちで医学的な療法や魔術的な解呪が試みられたが、症状は緩和も悪化もしなかった。
国民には王都の地下で見つかった第一文明期の遺物の暴走によるものだと説明した。スゥにそう勧められたからだ。
後援者による情報操作もあり、今はまだ大きなパニックにはなっていない。実際に死んではいないという点が大きいのだろう。眠りについた者たちは数年のうちに衰弱死するとスゥは話してたが、それについては完全に伏せた。
元より国民に対しては次々と戻ってくる滅亡級危険種の件も隠しているのだ。真実を隠蔽するのに抵抗はなかった。
その日の昼過ぎには円卓の間に十二人の円卓の騎士が揃っていた。
今朝から王都で始まった“現象”については全員がある程度耳にしていた。そしてほぼ全員が今回の招集はそれについてだと察しているようだった。
スゥは俺から見て左手奥にある自分の席の前に立つと、各々の席に座る仲間たちに向けて話し始めた。
「そもそも今回の――第六代の円卓は例外だらけだったっス。だからあーしは今朝始まった“現象”は必ずこの代で起こると思ってたっス。皆さんの中にもこの代は普通じゃないと勘づいてた人はいるっスよね?」
「なんのこと? いれぎゅらー?」
首をひねったのはヂャギーだった。同じく脳筋組のデスパーも何のことかさっぱり分かっていない顔をしている。
スゥは彼らにも分かるように、ゆっくりと事例を並べた。
「まず王や騎士がいつもよりずっと遠くから選ばれたっス。ミレウスさんは大陸の東方から連れてきたし、ヤルーさんは東の果てからこの島まで誘導したっス。これまでのどの代でも、そんな遠くから連れてきたことはなかったっス」
名前を出されたヤルーは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。こいつは無駄に頭が切れる。これからどういう話になるのか、だいたい予想できているのだろう。
「次にあーし自身が円卓の騎士に選ばれたことっス。円卓システムの管理者であるあーしが選ばれるのは本来ありえない円卓の挙動っス。欠陥と言ってしまってもいい。……まぁ理由は薄々察してるっスけど、これも今までなかったことっス」
スゥもまただいぶ渋い顔をしていた。自身が騎士に選ばれるというのは、彼女にとってかなり不本意なことだったようだ。
更に事例は続く。
「三つ目はすべての騎士が選ばれる前に王が誕生したことっス。これにはあーしもびっくりしたっス。今までになかったし、これもありえない挙動っス。それと優良契約の持ち主が騎士の中にいることも例外と言えるっス。叶えるものの持ち主がいることも。勇者の試練が行われたことやルドさんの埋蔵金を見つけたこともそうっスね」
それぞれの関係者であるヤルー、デスパー、リクサ、ラヴィが表情を変える。
スゥもそれには気づいただろうが、あえて触れずに話を続けた。
「特に大きかったのはロムス――最貧鉱山で眠りについていたイスカさんが覚めたことっス。これであーしはかなり疑惑を深めたっス。そして最後に、奇妙な能力を持つ下級の魔神が旧地下水路に出現するようになった件で、あーしはこの代だって確信したっス。あれは今回の“現象”の前兆の一つとしてマーリアさんが予知してたっスからね」
「……そういうことか」
鳥肌が立つような感覚と共に、俺は思い出した。
「スゥ。君は王都に戻ってきてすぐに俺に聞いたな。旧地下水路を封鎖したのは本当かって。それは的確な指示だって君は俺を褒めた。あの時点ですでに君は今回の“現象”が近いうちに起こると確信してたんだな」
「そうっス。円卓の騎士の仕事もシステム管理者の仕事も放棄したあーしが皆さんの前に戻ってきた理由は、ミレウスさんとイスカさんを守らなきゃと思いなおしたのが一つ。管理者の卵に黒い靄の人物――アザレアさんが映ったことが一つ。そして旧地下水路の封鎖の報を聞いて、“現象”が起きるのがこの代だと確信したのが最後の一つっス」
結局のところ、スゥがこれまで告白してきた秘密はすべて正しかったし、本音だったのだろう。ただいずれの時も、抱えているすべての秘密を話したわけではなかった。その時点で相手に不要と思われる情報は常に伏せてきたのだ。
しかしそれも今日で終わりだ。すべてを明かす時が来たと彼女は言ったのだから。
「スゥ。君が本当に恐れていたのは“現象”じゃないだろ。その先にあるもの――“現象”を起こしてる何者かを、二百年間、ずっと恐れ続けてきたんだろ」
スゥは何も答えなかった。それは肯定しているのと同じだ。
俺はさらに推論を重ねる。
「そしてそれには二百年前に、統一王がなぜ滅亡級危険種たちを解放したかが関係している」
円卓がざわつく。特に二年前のあの時、魔女の館でマーリアの話を俺と一緒に聞いた面々は動揺が深いようだった。
スゥは深くため息をついた。二百年間、後援者たちにさえ言わずに来たであろう秘密だ。やはり話すのは気が重いのか。
「ミレウスさんは何もかもお見通しみたいっスね。それとも、それもジョアンさんに聞いたっスか?」
「いや、自分で気づいた。でももっと早くスゥに聞くべきだったし、そもそもマーリアからあの話を聞いたときにちゃんと理由も聞くべきだった。あの時は円卓システムやら円卓の騎士の責務やら、他に驚くことがありすぎて聞きそびれたけど……今からそれが聞けるんだな?」
「はい。皆さんにそれを知る意志があればっスけど」
スゥは円卓に両手をつき、仲間たちの顔を順に見た。
「そんなわけで、これから表決を行うっス。これが可決されればミレウスさんの言う通り、二百年前の歴史の真実のすべてが開示されるっス。それを聞いてしまったら、もう後には引き返せないから覚悟してほしいっス」
いつになく重いスゥの言葉。
確認のため、リクサが手を挙げる。
「スゥ。その歴史の真実のすべてというのには、この“現象”の解決法も含まれるのですね?」
「そうっス。“現象”が解決できれば、眠りについた人たちはみんな無事に目覚めるはずっス」
裏返せば、この表決を通さねば今回の“現象”は解決せず、多くの国民が死ぬということだ。
いや、“現象”は力が弱いものから順に広がっていくという。それが本当だとすれば、いつかは俺たち円卓の騎士も含め、すべての島民が眠りにつき、やがて死に絶えることになる。
「おいおいおい、やめてくれよ。嫌な予感しかしねえよ」
ヤルーが芝居がかった身振り手振りでうろたえ、注目を集める。
「俺っち帰っていい? 法事があるんだ。ひいじいちゃんの三回忌でよ。実家帰んねーと」
「オメーの実家、大陸の東の果てだろーが」
隣の席のナガレがヤルーの腹をどつき、それから小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「ま、別に今は過半数ギリの人数ってわけじゃねーし、このクソ詐欺師が反対しても問題ねーけどな」
「いえ、それは違うっスよ、ナガレさん。今回の表決は全会一致であることが条件っス。十三票すべてが賛成でなければならないっスよ」
スゥの言葉を聞き、みんなが揃っていぶかしげな顔をした。俺もだ。
代表してナガレが、主のいない第四席を指さす。
「いつものようにレイドのバカがいねーぞ? ミレウスに召喚させんのか?」
「それには及ばないっス。レイドさんは元々レティシアさんから聞いて全部知ってるっスからね。あーしがシステム管理者権限で非常時のための一票を持ってるんで、あの人の分はそれで代替するっス。だからあとは残りの十一人の意志次第なんスけど……」
スゥは右隣りの席で眠そうに大あくびをしている愛娘へと目を向けた。
イスカは先ほどからあまり事態を把握していないような顔で話を聞いていた。
それでだいたい推測できていたが。
「なぁ、スゥ。イスカは今から開示される情報については知らないのか?」
「知ってるっスよ。……知りすぎてるとも言える。この子にとってそれは心の傷なんスよ。だから二百年前にあーしが斬心刀を使ってその記憶を封じたっス。この前、あーしのことを思い出せたときも、その記憶だけは元に戻さなかったっス」
「それじゃあ、ええと、また思い出させるのか? ……あの方法で?」
「その必要はないっス。表決が通れば嫌でも思い出すことになるっスから」
スゥは酷く心を痛めた様子でイスカの頭を撫でた。
「今は思い出せないっスから、イスカさんはきっと表決に賛成すると思うっス。優しい子っスからね。“現象”を見過ごせるはずないっス。すべてを思い出したらイスカさんは本当に辛く、苦しい思いをするっスけど……でも大丈夫。あーしたちがついてるっスからね」
イスカはしばしきょとんとしていたが、そのうち上機嫌な顔になってスゥの手のひらに頭をすりつけた。
スゥはイスカの額にキスすると、自分の席に腰かけて一つ大きく深呼吸をする。
「それじゃあ、発議するっス。――歴史の真実のすべての開示を要求する」
スゥがおもむろにそう口にした途端、円卓の卓上が白い光で覆われた。
その光はやがて中央に集まって浮き上がり、空中で文字列の形を取った。
『表決』
どこからともなく魔術師マーリアの声がして、その文字列を読み上げる。二年前におこなった最初の表決とまったく一緒だ。あの時は過半数の票を集めることが条件で、明かされたのは魔術師マーリアの眠る座標だった。
『汝等、円卓の騎士の真の責務を負う意志があるか』
あの時とそっくりで、それでいて明確な違いのある問いかけだった。
「オイラやるよ! 誰だか知らないけど小さな子供を眠らせる奴なんて許せないんだよ!」
あの時とまったく同じように、真っ先に答えたのはヂャギーである。ヂャギーはちょくちょくあの孤児院へ赴いて、子供たちの面倒を見ていた。憤るのは当然だろう。
「嫌だけどー。面倒だけどー。……でも子供がやられてるのを見て見ぬふりはできないよね」
ラヴィも二年前にあの孤児院の子供を助けたメンバーだ。渋々というような顔はしていたが、すぐに賛意を示すように手を挙げた。
「ケケケケケッ! こんな面白そうなの、やらねえ手はねえじゃねーカ!」
デスパー――ではなく、いつの間にか入れ替わってた悪霊が鮫のような尖った歯をむき出しにして笑う。たぶんデスパーの方も同じ意見だろう。
「ま、ここまで来たらやるっきゃねーわな」
ナガレが腕組みをして席に深く腰掛け、ぶっきらぼうに言う。普段の態度からすると意外だが、この異世界人は以前から責務に対するモチベーションはすこぶる高い。
「我が祖――勇者に誓って責務を果たします」
リクサの宣誓の言葉は二年前とまったく同じだった。しかしその意志は一層強固になったように見える。
「イスカもやるぞー。まけないぞー」
予想されていたとおり、イスカは両手を挙げてやる気を示した。
心配そうに向けられる母の視線にも気づかずに。
「私も。ええと、頑張ります」
アザレアさんが控えめに挙手して円卓を見渡す。
何が待ち受けていようと、狂人の末裔であるこのイカれた女性が臆することはないだろう。
「何者かがこの島に害を成しているのならば、我々はその報いを受けさせねばなりません」
復讐を司る女神アールディアの司祭らしく、シエナが堂々と説く。
自分の席の下に隠れて挙手した二年前の表決と比べると、ずいぶんと成長したものだ。
「皆さんがやるならボクだってやりますよぉ」
ブータがお調子者らしく小躍りしてからポーズを決める。
どんな困難な試練だろうと、他のみんなに期待されればこの少年は挑むだろう。
「わーった、分かったよ。やるやる。はぁーやれやれ。感謝しろよな、ミレちゃん」
ヤルーが恩着せがましく言って、両手を挙げる。
なんだかんだ言いつつも、こいつも今の状況をスルーできるほどの悪人ではないのだ。
スゥはみんなの意志表明を聞いて、満足そうに頷いた。
「それじゃあーしは円卓の騎士としての一票と、システム管理者としての一票を賛成に投じるっス」
これで十二票。俺に十一人の仲間の視線が注がれる。
迷っていたわけではない。だが俺は宣言するまでいくらかの時間を要した。
これからの戦いを、この中の誰一人として欠けずに乗り越えられるのだろうかと、そう考えていたのだ。選択の余地などありはしないというのに。
「……円卓の騎士の真の責務を受ける。この島で二百年前に何があったのか、それと今何が起きているのか。そのすべてを教えてくれ」
『賛成十三票。全会一致で可決』
再びマーリアの声がしたかと思うと円卓が眩い光を発しはじめた。
それはあっという間に視界を埋め尽くし、俺は――俺たちは眠りについた。