第十五話 掃除をしてあげたのが間違いだった
どうしてこうなるまで放置してしまったのか、疑問にさえ感じるリクサの汚部屋で。
俺は手始めに、締め切られたカーテンを開けた。
昼前の強い日差しが入り、目が眩む。
「こ、困ります、ミレウス様……こんな部屋を誰かに見られたら」
「誰も見ちゃいないよ」
ベランダの向こう、通りを挟んだ先にも集合住宅が建っているが、人影はない。
まずは足場を確保するため、ゴミ袋をまとめて、玄関の方に積み上げる。
これだけで、だいぶ動きやすくなった。
「あ、あの、主君にこんなことをしてもらうわけには……」
「掃除は実家でいつもしてたし、普段からリクサには助けてもらってるからね。気にしない、気にしない」
いや、甘やかしすぎるのもよくないか。
魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ、とも言うし。
「気になるならリクサも手伝ってよ。一緒にやれば早く終わるよ」
「は、はい。分かりました」
リクサと共に酒瓶を集めて、中を洗い、袋にまとめる。
汚れた床とローテーブルを雑巾がけし、余ったつまみを片付ける。
「ゴミは今度、地域の集積所に直接持っていけばいいよ。ちゃんと分別してからね。何往復かすることになると思うけど、俺も手伝うからさ」
どうせもうここまできたらと、寝室に続くと思われるドアに手を掛ける。
「あ、そちらは!」
この慌てよう、不都合なものがあるに違いない。
問答無用で開ける。
やはりそこは寝室で、奥に薄紅色の割りと簡素なベッドが置いてある。
床には脱ぎ散らかした服が山のように積み重なっていて、足の踏み場もなかった。
それを蹴飛ばし、腰にしがみついて止めようとするリクサを振り切り、ベッドに触れる。
案の定、湿気と固さを感じた。
「ベッドパッドとマットレス。だいぶ干してないでしょ。干そうね」
ベランダに干した。
今日は一日いい天気になりそうだ。
床に積まれた服を取り上げ、ベランダの隅に置かれた鉄製の箱――洗濯機へと放り込む。
洗濯機は[精霊使い]であった訪問者が発明したと言われている文明の利器である。
物を洗うことを至上の幸福とする泡精霊が中にいるらしく、水と洗濯用石鹸をいくらか入れて蓋をすると、自動で衣服の汚れを落としてくれる凄いやつだ。
洗ってる最中かなりの騒音がするのと、完全に洗い終える前に蓋を開けてしまうとショックを受けた泡精霊が逃げ出してしまうという欠点があるが、人間をタライと洗濯板から解放した素晴らしい発明品であることは間違いない。
「なんで同じ服が、こんなにたくさんあるの」
「そ、そうすれば長い間洗濯しなくてもバレないので」
恐ろしい思想の持ち主だ。
適当に選んで匂いをかぐ。汗をかかない体質なのか、まったく匂わないが、それにしてもだいぶ無茶だ。
「あの、今、匂いを嗅ぎませんでしたか!?」
「気のせいだよ」
この量は何回かに分けないとダメだな。
幸いなことに泡精霊はそう簡単に疲れたりしないので、一日に何度洗ってもらっても問題はない。
「洗濯機、回しておいてくれ。……使えるよね?」
「は、はい」
洗濯機を起動させることを、なぜか『回す』というのだが、理由は知らない。
しかし心配だ。
後ろから、こっそり彼女の様子を観察する。
「リクサ、石鹸はそんなたくさん入れる必要はないし、水を入れるときそんなに勢いがいいと泡精霊がびっくりしちゃうよ」
「す、すみません!」
「謝らなくていいよ。怒ってるわけじゃないんだ。次に活かそうね」
衣服の山の掘削を続ける。
すると突然、大きな金脈――胸部用の下着にぶち当たった。
花柄がついた水色のヤツだ。
そりゃ衣服全部脱ぎ散らかしているのだから、当然あるよな。
かなり大きいかなと鎧の胸当て越しに常々思ってはいたが、なるほど、実際これくらいのサイズなのか。
洗濯機の前で悪戦苦闘しているリクサの胸元へ視線を送る。
ゆったりとした作業着風衣服の上からでも、はっきりと自己主張をするそれを、最終防衛線で守っているのはこいつなのか。
感慨深く見ていると、こちらの視線に気付いたリクサがやってきて、俺の手からその最後の守り手をひったくった。
「あの! 洗濯物は私がやりますので、ミレウス様は他のことを!」
「そうだね」
悪いとは思っている。
ベッドの向こうに無造作に積まれていた雑誌を、一つ一つリクサに確認を取って、もう読まないと判断されたものは紐で縛ってまとめる。
女性向けの雑誌も多いが、少年向けの漫画雑誌なんかもある。
彼女がこういうのを読んでる姿は想像したことがなかった。
「あの、ミレウス様のご実家はどんなご家庭だったのですか。掃除をいつもしていたと仰っていましたが」
「宿屋だよ。ド田舎の」
ちょうどいい機会だ。逆に聞きたい。
「リクサの家はどんなとこなの? かなりの名家だと思ってたから、こんなとこで一人暮らししてて驚いたよ。いや、こんなとこってのもなんだけど。円卓の騎士だから領地もあるだろうしさ」
俺の問いかけにリクサはやや考え込む様子を見せたが、答えるべきかではなく、どう説明したらいいか迷っているようだった。
「バートリ商会というのをご存知でしょうか」
「そりゃもちろん知ってるよ。なんでも揃う百貨店でしょ。地方に出店して地元の商店街を潰して回ってる、あの悪名高い。俺の最寄の都市にもあったよ」
「私の生家です」
「ええ!?」
うっかり悪口を言ってしまったが。
「お気になさらないでください。あくどいやり方をしているのは本当のことですし」
慣れているのか、彼女は気にした様子はなかった。
バートリ商会は国内でも五指に入る大商会だ。
その創業者であるバートリ家といえば、初代円卓の騎士の次席であるコーンウォール公の次女が嫁いだ先。そしてコーンウォール公といえば、真なる魔王を討伐したあの始祖勇者の血を引く英雄として名高い。
白銀の髪を持つことから、勇者の血を引いているだろうとは予想してたが、まさかそんな高貴な出自とは。
「ここだけの話なのですが、バートリ商会は私が円卓の騎士になる前から経営が大きく傾いておりまして。私の領地での税収などはすべてそこへの補填で消えているのです」
「ああ……なるほど、だいたい分かったよ」
それで高級住宅街ではなく、こんなところに住んでいるのか。女中さんの一人も雇うことなく。
部屋の掃除が一段落したところで、途中で見つけた賞味期限切れ寸前の茶葉でお茶を淹れる。
ローテーブルを挟んで、向かい合って座る。
彼女は何度も頭を下げた。
「あの、本当にありがとうございました、ミレウス様。……この家がこんなに綺麗なのは、入居したとき以来です。これからは心を入れかえて、家事も頑張りたいと思います」
意気込みは立派だけど、極めて疑わしい。
定期的に見にこよう。
「しっかし、あのコーンウォール公の血を引いてるとは驚いたよ。リクサは円卓の騎士に、なるべくしてなったんだね」
「いえ、血は選ばれるのには関係ないはずです。でも、ずっとなれたらいいなとは思ってきました」
そういや先代王のフランさんも、そういうのは選出基準ではないと話していたな。
円卓の騎士に求められるのは責務を全うするに足る能力と、魔女に聞くべき、もう一つの条件であると。
リクサは湯飲みを口に運び、音も立てずにゆっくり飲むと、ほうっとやわらかい息を吐いた。
俺の前でこんなにリラックスしているのは初めてかもしれない。
「小さい頃にコーンウォール公と統一王の英雄伝説を聞いてから、ずっと憧れてきました。五年前、天啓を受けたときは、夢が叶ったと本当に喜びました。まだ見ぬ王に、粉骨砕身の思いで尽くすことを、そのとき誓ったんです」
王がどんなヤツかも分からないのに、よくそこまで思い込めるものだ。
もし脂ぎった嫌がらせ親父だったら、どうしたんだ。
「この五年間、主君様がどんな方か、考えなかった日はありません。男性なのか女性なのか、年上なのか年下なのか。様々な王様の姿を想像しましたが、聖剣広場で初めてミレウス様のお姿を目にしたとき、この人こそがそうだと直感しました。私が絶対の忠誠を誓うべきはこの方なのだと、魂で分かったのです」
魂とは大げさだが、出会ったときから忠誠度が突出していた理由はよく分かった。
それはすこぶるいいことだけど。
「うーん、忠誠心が強いのは素晴らしいことなんだけどさ。それ以外の……ほら、友人として、とかさ。一人の人間として、とかさ。その辺の関係もね。俺は大事にしていきたいんだよね」
「そんな! 主君に対して恐れ多いです!」
こんなんだから、この人の親密度と恋愛度はなかなか上がらないのだ。
「今日、俺が部屋の掃除を手伝ったのは、王と家臣の関係だからじゃないよ。友人とか人として、リクサのことが好きだから手伝ったんだよ」
彼女の頬が桜色に染まる。
なんだか言ってて俺も気恥ずかしくなったが、ここで立ち止まるようでは聖剣の力は解放されない。
踏み込まねば。
「いいかい? 仕事で一緒にいるとき以外は主従関係はなしだ。対等な一人の人間として接してくれ」
「そ、それは無理です。いくらミレウス様の頼みでも……」
「王様に絶対の忠誠を誓ったんじゃなかったの? ってことは王様の言うことには絶対従うんじゃないの?」
王様に絶対の忠誠を誓っているなら、王様として扱うな、というのはなんだか矛盾している気もするが。
昨日、ナガレと丘で握手したときのことを思い出す。
「よし、まず呼び方から初めてみよう。呼び捨てで呼んでみてくれ」
「無理です、無理です!」
「じゃあ、くんづけでいいよ。忠実な家臣っていうからには、これくらいはやってくれないとね」
ううう、とリクサは困り果てた顔で俯き、しばし押し黙ると。
「……ミ、ミレウス……くん」
か細い声で確かにそう言った。
やらせといてなんだけど、ちょっと胸がときめいたぞ。
「や、やっぱり無理です! 呼び方だけは普段通りにさせてください!」
「まぁその辺はおいおいでいいや。希少価値ってものもあるしね」
焦らず、少しずつ攻めていくことにしよう。
この話はここでおしまい。
コホンと一つ咳払いをすると、彼女はいつものしっかり者のモードに戻った。
「ところでミレウス様。お掃除をしていただけて嬉しいのですが、ヤルーを追いかけなければいけなかったのでは?」
「ああ、大丈夫。まだ、そんなに遠くまで行ってない。馬を使えば追いつける。問題はそこじゃなくて、風の精霊で飛ばれたらどうしようかってことなんだけど」
前回はそれで逃げられたのだ。
リクサは自信ありげな顔で頷いた。
「それなら私のスキルでなんとかできると思います。少し荒っぽいやり方になりますが」
「そういえば……リクサだけ職業を聞いてなかった気がするな。なんなの?」
「[天意勇者]です。[勇者]の上級職の」
さらっと彼女は告げたが、俺は言葉を失った。
[天意勇者]は世界全体を見渡しても、両手で数えるほどしかいない特別職だ。始祖勇者の血を引く者の中でも、人類の大敵を討伐する使命を持つ者にのみ与えられるという。
あらためて、目の前にいるのは本来なら口も聞けないくらいの物凄い人物なのだと自覚する。
だらしない作業着風衣服に身を包んだ、家事もできないお嬢さんであることも間違いないんだけど。
彼女はその青の作業着風衣服の袖をつまんで、懇願してきた。
「あの……ヤルーを追いかけるの、お風呂に入って、着替えてからでもよろしいでしょうか」
☆
以前、ラヴィを訪ねに別荘地へ行ったときのように、王城の中庭にある王侯貴族用の厩舎へとやってきた。
従者にあのときと同じ黒鹿毛の立派な馬を連れてきてもらうと、【乗馬】のスキルでその鞍に飛び乗る。
リクサが驚きの声を上げた。
前回は彼女と従者の手を借り、悪戦苦闘の末にどうにか乗れたのを思い出す。
あのときの経験のおかげで【乗馬】が借りられるようになったので、あれも無駄ではなかった。
「今日は俺が前に乗るよ。さぁ、後ろに」
手綱と足で馬を制御しながら、リクサへと手を差し伸べる。
ちょうど立場が逆になった。
戸惑う彼女を引っ張り上げて後ろに乗せると、速歩で馬を進める。
別に二頭出してもらってもよかったが、このほうが好感度が上がるような気がしたのだ。
これもあのときと同じように王都の中では常歩で進み、西の門から王都を出ると襲歩に移行する。
背中から俺の腰へと回された彼女の腕の力が少しばかり強くなった。
彼女の乗馬服越しに、その体のラインが伝わってくる。
ヤルーに追いつくまで、そんなにはかからないだろう。
けどその間ずっと黙ったままというのもなんである。
ほんの少し速度を落とし、背後の彼女へ向けて、風切り音に負けないように声を張り上げ、呼びかける。
街道は俺たちの貸切のようなもので、誰かに聞かれる心配はない。
「さっきの話の続きだけどさ! 友達なんだから、文句も言っていいんだよ!」
舌を噛みそうになるし、よく聞こえないかもしれないけど。
「理想の王様と違うなら全部言ってほしい! 直すかどうか、直せるかどうかは分からないけど!」
極めて話しづらいけど、顔が見えない分、普段言ってくれない本音も聞きだせるような気がした。
彼女の腕の力が一層強くなった気がする。
顔を上げるような気配がして。
「ミレウス様は! 心配りが足りません! 先ほども私の下着に平然と触ってましたし、いつも胸ばかり見てきます!」
バレていたのか。
でもそこは男の子だからしょうがないんだ、とは言えず。
「ごめんとしか言えない!」
「あと、なんだかずるいし、私に本当のことを全部話してくれてない気がします! 絶対に何か隠してます! あと、いつの間に【乗馬】なんてできるようになったんですか!」
聖剣の力で騎士たちからスキルを借りられることは後で話そう。例によって、その条件だけは明かせないけど。
「たまに一人でどこかへ出かけてるし、もっと頼って欲しいです! 言動に王としての風格も足りません! あと身長も、もう少しだけ欲しいです!」
最後のだけはちょっと応えられるか分からない願いだったが、それ以外については善処しようと思った。
「でも! ……私のダメなところ見ても! 友人として、人として好きだって言ってくれたことは!」
声が途切れる。
風切り音と、馬の蹄が大地を蹴る音だけが、少しして。
「嬉しかったです……ありがとう」
それはとても小さな声だったけど。
そっと額を俺の背中に押し付けて言ったからか、どうにか聞き取ることはできた。
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【第二席 リクサ】
忠誠度:★★★★[down!]
親密度:★★[up!]
恋愛度:★★★[up!]
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