第百六十七話 夢を見ていると思ったのが間違いだった
最後の円卓の騎士が選定されたその日の夜――夢を見た。
夢の中でも真夜中だった。
激しい戦いが行われたのだろう。ほとんど廃墟と化した海辺の都市の大通りで、狂人ジョアンが両手両足を投げ出し、仰向けに倒れていた。
全身傷だらけで血まみれだった。しかし命に別状はなさそうだ。月明かりを浴び、満足気な顔で夜空を見上げている。
「よう、ジョアン。気は済んだか?」
隣に屈みこみ、人好きのする笑顔を浮かべてジョアンの顔を覗き込んだのは、くすんだ金髪の青年だった。ジョアンと共に大陸から渡って来た冒険者――のちに統一王と呼ばれる男、アーサーである。ジョアンほどではないが、彼もまたずいぶんな怪我を負っていた。
「ったく、まーた馬鹿なことしやがってよ」
アーサーは肩に担いでいた剣の柄でジョアンの頭を小突く。呆れたような口調ではあるが、顔は相変わらずにやけている。怒った様子は微塵もない。
「お前、どうせまた懲りてないんだろ?」
「もちろんさー。似たようなチャンスがあったら、きっとまた同じことをするさー」
率直すぎるジョアンの返答に、アーサーは可笑しそうに目を細めた。
「そんときゃまた俺たちが止めてやるよ。なぁ?」
振り返るアーサー。その視線の先には瓦礫に腰かけて二人のやりとりを見守っている十一人の仲間がいた。
双剣士ロイス、魔術師マーリア、赤騎士レティシア、黒騎士ビョルン、帰還者シャナク、精霊姫オフィーリア、海賊女王エリザベス、冒険者ルド、人狼アルマ……。
イスカとスゥの姿もある。イスカは今と何も変わらないが、スゥはまだ目の下に隈がない。
十一人は程度に差はあるものの、全員が負傷しており、酷く疲弊していた。
そしてまた全員がアーサーの言葉を聞いて、苦笑していた。
どうやらこの夢は狂人ジョアンが拡散魔王と同質の存在となった、あの事件の結末を映したものらしい。
『色々ありつつもどうにかなった』とスゥは話していた。どういう経緯を経たのかは知らないが、大きな力を得た狂人ジョアンが大暴れして、それをアーサーたちが抑え込んだようだ。
「俺たちが、じゃないよ。勝手に請け負うな。僕はもうこんなの勘弁だぞ」
ロイスが双剣を鞘に納めて不平を漏らす。
「我もご遠慮したいです。……でも結局、付き合わされるんでしょうけどね」
隣でマーリアが諦めたようにため息をつく。
アーサーは天を仰いで大笑いした。
「だいぶ俺のことが分かってきたじゃねーか、二人とも!」
釣られて仲間たちが笑う。ジョアンも一緒になって笑う。
そこですべてのものが静止して、夢は終わった。
――いや。
他のすべてのものが静止したままの世界で、狂人ジョアンがおもむろに立ち上がり、振り返った。
こちらを。
「よーやく繋がったさー」
その言葉に返事をする者はいない。
ジョアンはきょとんとして首をかしげた。
「ん? オメェさ、オメェ。ミレウス、オメェさんに話しかけてるんさー」
一瞬、思考が停止するほど驚いた。
これは夢だ。二百年以上前の。
当然俺の姿はどこにもない。俺はこの光景を俯瞰しているだけ。
しかしジョアンは俺を明確に認識していた。
ややあってから、どういう状況なのか理解する。
そのうち廃墟の街も他の仲間も消えていき、暗黒の空間にジョアンだけが残った。
彼はその場に座って胡坐を掻く。いつの間にか彼の怪我や血も消えていた。
「あー、安心するさー。そっちが考えてることはバッチリこっちに伝わってるから」
――やっぱり、そういう“回路”があったのか。
俺の思考が伝わっているというのは本当らしく、ジョアンはニヤリと笑った。
「そう。聖剣と円卓をつなぐ魔力の回路の中に、こっちから干渉するための回路をオイラがこっそり忍ばせておいたのさー。王に必要な情報を渡すためによ」
――こっちってのは円卓のことか?
「そう。今話してるオイラはオイラの本体が円卓内部に残した残留思念さー。聖剣の中の先代王とは話したろ? アレと同じ」
その辺はなんとなく予想していた。円卓の塔の屋上でレイドと話している間に、そういうものが存在するのだと、なんとなく自覚できたのだ。たぶんそう疑うこと自体が鍵だったのだろう。
――これまでの統一戦争期の夢は全部、アンタが見せていたんだな、ジョアン。
「そのとおりさー。役に立っただろ?」
ジョアンは得意げに目を細めて、くつくつと喉を鳴らす。
渋々と俺は認めた。
――確かにアレには何度も助けられてきた。なかったら正直どこかで詰んでたかもしれない。……でもこんな風に話すこともできるなら、もうちょい直接的にヒントをくれてもよかったんじゃないか?
「いや、話せるようになったんはたった今なんよ。元々そうできるように回路を組み込んだつもりだったのにずっと上手く機能してなくてよ。こっちの記憶を夢として見せることしかできなかったんさー。上手く動くようになったのはたぶん、オイラの子孫が円卓の騎士になったことで、オイラから聖剣までの回路が補強されたからだろうね」
――あー、さっきの『ようやく繋がった』ってのは、そういう意味か。しかし自分の子孫を助けるために残した回路なのに、そいつが円卓の騎士になってからじゃないと上手く機能しないって本末転倒じゃないか。
「魔王対策はあくまで副次的な目的さー。本当にオイラの子孫から拡散魔王が生まれるとは思ってなかった。この回路の主目的はスゥのサポートの方だったんよ。少しでもあの子の負担を減らしてやりたかったし、今回の円卓みたいにあの子がシステム管理者の役割を全うできなくなるケースも想定せにゃと思ったからねー。元々オイラはあの子だけにシステム管理の役目を押し付けるのは反対だったし」
――そうだったのか? ……そういや、よくアンタに気にかけてもらってたってスゥも話してたっけ。
ジョアンは再び目を細めた。それだけで、この男がスゥをどれだけ可愛がっていたのか伝わってくる。
――でもそういうことなら、堂々と追加すりゃよかったと思うんだが。
「色々事情があったんよ。回路製作に失敗してたら、オイラ死んじまっただろうし」
――は? ……え? そんなリスク高かったのか、この機能の追加って。
俺が唖然としていると、ジョアンは肩をすくめて舌をペロリと出した。まるでたいしたことではないとでも言うように。
――アザレアさんの先祖なだけあるな。イカれてるぜ、アンタ。
「褒めるなよ」
――褒めてない。
ジョアンは再びくつくつと喉を鳴らして笑うと、背筋を伸ばした。
「今日はお礼を言うために夢を見させたんよ。ミレウス。オイラの子孫をよく助けてくれた。ありがとう」
――別にアンタのためにやったわけじゃない。俺がしたいようにしただけだ。
「そう言うだろうとは思った。けど言うだけ言っときたかったんよ」
ジョアンはアザレアさんにも似た笑い方をしてから、ふと思い出したようにピンと指を一本立てた。
「ああ、そうそう。オメェさん、思ったろ? 強制代行権を使う解決法を、実際にやる前にあの子に話したらいけないって。それで正解さー。もし先に話してたらあの子を円卓の騎士に選定できなかったかもしれない。王を無条件で信じられない奴は聖剣の好感度機能が上手く機能しないかもしれないって理由で、審査で落とされる場合があるんよ」
――はーん、そうだったのか。
「ま、ミレウス。これからもあの子とスゥとイスカをよろしく頼むさー」
ぺこりと頭を下げるジョアン。
俺は少し照れくさくなった。友達の親と会ったときのような、こそばゆい感覚だ。
――アンタに言われるまでもないさ。円卓の騎士の責務にもだいぶ慣れてきたし、戦力もすっかり整った。俺があとどれくらい王でいるかは分からないけど、ちゃんと最後までやってけると思うよ。任せてくれ。きっと大丈夫。
「……いや、それはどうだろな」
急にジョアンの声のトーンが一段下がった。表情も真剣みを帯びたものに変わっている。
猛烈に嫌な予感がした。
「ミレウス。本当に大変なのはこれからさー。円卓の騎士の真の責務をオメェたちの世代が負うことになったのは運がいいのかわりぃのか――いや、オメェさんたちからしたら間違うなくわりぃんだけど――ま、これも運命だと諦めて、頑張ってくれ」
――おい、待て! なんだ、円卓の騎士の真の責務って!?
「この島が二百年に渡って先送りにしてきた負債さー。あるいは数千年かもしれないけど」
――負債? だからそれがなんなのかはっきり言えって!
「すぐに分かる……」
意味深な笑みを浮かべたジョアンの姿は徐々に薄れていき、やがて完全に消失した。
後にはただ、どこまでも広がる暗黒の空間が残るのみ。
そして今度こそ、夢は終わった。
☆
王城の自室、王様用の寝台の上で俺は跳ね起きた。
息が乱れ、全身が汗でぐっしょり濡れている。窓から差し込む朝日が目に痛い。
狂人ジョアンからのメッセージともいうべき今の夢は、ほとんど現実であったかのように脳に焼き付いていた。
最後に彼が匂わせた、この島が先送りにしてきたという負債。
その正体が何なのか、俺にはぼんやりとだがイメージできていた。それには俺が二年前に直面したあの謎が関係しているはずだ。
そう、とてつもなく大きな謎が一つ、残っているではないか。
答えを知っているはずの人物は身近にいた。スゥだ。部分的な記憶喪失だったとはいえイスカも知っているかもしれない。もっと早くにたずねるべきだった。なぜそうしなかったのか――。
統一王は、なぜ数十もの滅亡級危険種をこの島に解き放ったのか。
魔術師マーリアは言った。それは不幸な事故であり、人助けのためでもあったと。
けっして統一王が悪意をもって、それらを解放したわけではないのだと。
あれはまるで、マーリアもそうする必要があったと思っているかのような口ぶりだった。
そうしなければならない正当な理由があったとでも言うような。
では滅亡級危険種たちを解き放つことに見合う理由とはいったいなんだ?
リクサと共に受けた勇者の試練。
あの時、双剣士ロイスの残留思念は言った。
『最も深き絶望に挑む覚悟があるか』と。
『来るべき時のために備えよ』と。
この二年の間に手に入れた、初代円卓の騎士たちの断片的な情報が頭の中で駆け巡る。
勇者の試練、剣覧武会、叶えるもの、冒険者ルドの埋蔵金。
初代の連中は自分たちが未来へと送った滅亡級危険種たちに備えていた。
だが、それだけではない。明らかに。
あいつらは、遥か未来で待ち受ける別の何かに対して、滅亡級危険種たち以上に備えていた。
……ひょっとして、アレもコレも、すべてがこの時代のためだったのか?
初代円卓の騎士たちによって隠蔽された歴史の真実。
その最後の断片を、俺はその日の内に知ることになる。
それは俺たち第六代円卓騎士団の、最後の戦いの始まりでもあった。
お疲れさマッコオオオオオオオオオオオイ!!!
この第百六十七話を持ちまして第六部は完結になります。
次から『転章 歴史の真実』に入ります。短いです。
コメント、評価その他諸々、いつもありがとうございます。
やる気につながりますので、これからもドシドシお寄せください。
作品全体の完結がわりと近くなってきました。
皆様、最後まで応援いただけると嬉しいです。頑張ります。
作者:ティエル