第百六十六話 十三人揃ったと思ったのが間違いだった
「というわけで、アザレアさんは相変わらず拡散魔王のままなんだけど、魔王化現象は遥か未来まで飛んでったので、もう悪性化する恐れはありません。現時点で悪性化してないことは俺が保証する。で、ついでに未選定だった円卓の騎士の第五席でした。以上」
朝になって王の自室に円卓の騎士たちを招集した俺は、昨夜から本日未明にかけての出来事をかいつまんで話した。
「あのぉ、この度は本当にご迷惑をおかけしました……」
いつもの女中服に着替えたアザレアさんが俺の隣で頭を下げる。今回の件は彼女に責任があるかというと微妙だし、実際彼女が反省してるかは怪しいが、一応殊勝な態度には見える。たぶん謝罪というより、みんなが自分のために東奔西走してくれたことへの感謝として頭を下げているのだろう。
そのみんなはというと、部屋の入口で横一列に並んだまま、しばしぽかんと口を開けていた。
「いや、驚くのも無理はないと思うんだが」
と、俺が追加の説明をしようとしたところ、まずラヴィとイスカが駆けだした。
「よかった!」
声を揃えて、左右からアザレアさんに飛びつく。その勢いがあまりに凄かったものだから、アザレアさんは危うく後ろに倒れるところだった。
続いてデスパーとヂャギーとシエナが駆け寄ってきてアザレアさんを囲む。
「いやーよかったデス」
「ホントだよ! 一時はどうなることかと思ったよ!」
「し、心配してましたよ」
アザレアさんは照れくさそうに微笑むと、一人ひとりと丁寧に両手で握手をした。
一人遅れて彼女の元にきたのはブータだった。俺をアスカラの地上絵へ送り出した時には酷く消耗していたが、どうやらすでに回復したらしい。
他のみんなはアザレアさんから離れ、彼に道を作ってやる。
「お師匠様」
アザレアさんは感極まったようにそれだけ言って、彼に頭を下げた。
ブータは昨夜俺に宣言したように、師匠として胸を張って彼女の前に立つ。
それから二人はぎゅっと固いハグをした。
「よかったですぅ……本当に」
ブータは宝石のような目を光らせて泣いていた。
アザレアさんがそれをハンカチで優しく拭う。
美しき師弟愛。
少し離れたところでそれを見ていたナガレが、疑わし気に俺を睨んできた。
「おい、本当に信じていいのかよ。もう危なくねーってよ」
「なんだナガレ、アザレアさんを庇うようなこと言ってたくせに」
ナガレが渋い顔になって舌打ちし、みんなが笑う。
ただスゥは真剣な表情のままだった。懐から管理者の卵を取り出し、みんなに見せてくる。
「たぶん、ミレウスさんの言うとおり当面は大丈夫だと思うっスよ。これ、今朝気づいて驚いたんスけど」
昨日まで赤い光を放ち、黒い靄を内に宿していたその魔力付与の品は、今はごく普通のガラス玉のように沈黙していた。
「これに何も映ってないってことは、今のアザレアさんはこの島の脅威じゃないってことっス。だから魔王化現象は本当にアザレアさんの中から消え去ったんだと思うっスよ。現象が再開するようなことが万が一この先あったとしても、その時はまたこの卵に映るはずっスから、少なくともそれまでは安心していていいはずっス」
説明を終えるとスゥは卵をしまい、アザレアさんと向き合った。
「正直に言うっス。あーしは、いえ、あーしとリクサさんは、アザレアさんを殺すしかないっていうレイドさんの意見に賛成してたっス。魔王化現象をどうにかする方法はないと思ってたっスから」
スゥと同じような硬い表情で、リクサが隣に並ぶ。
謝罪しているわけではない。彼女たちもここで謝るような半端な覚悟で、あの時主張していたわけではないはずだ。恐らくただ単に、黙っているのは誠実でないと考えて切り出しただけだ。
アザレアさんは気まずそうに頬を掻く。
「あの、それはミレウスくんから聞きました。聞いたというか、私が当てたんですけど。でも全然気にしてないです。私も魔王化現象をどうにかできるなんて思ってなかったし、いつ悪性化するかなんてわからなかったし。だから、お二人の方が正しい判断だと思います」
アザレアさんはリクサの方に目を向けた。
「あの時リクサさんが攻撃してきたのは勇者の本能のせいだって聞いたんですけど、今はどうですか? 私のこと、攻撃したくなります?」
「いえ。魔王化現象が進行してないからでしょうか。あの時のような攻撃本能は起きません」
リクサの答えを聞いて、ほっと胸を撫でおろすアザレアさん。
改めて、二人に向けて問う。
「じゃあ、その、私のこと仲間として認めてくれますか?」
スゥとリクサは横目で視線を交わすと、表情筋を緩めて、揃って頷いた。
「もちろんっス。あーしが言うのは虫がいいとは思うっスけど、一緒に戦ってくれたら心強いっス」
「共に陛下のために戦いましょう」
アザレアさんは再び笑顔になって二人と順番に握手をした。
ヤルーが愉快そうに手を叩いて、注目を集める。
「けっけっけ。まー、終わったことは水に流して仲良くやろうぜ。スゥちゃんの言うとおり魔王が仲間になるなんてこれほど心強いこともねーしよ。魔神将をたった一人で倒しちまったんだぜ? これからの円卓の責務はらくしょーになるじゃねえか」
「いやー、そのぉ」
申し訳なさそうに、アザレアさんは再び頬を掻く。
「実はあの時ほどの力はもう出せないんです。あれは魔王化現象の源泉から一時的に引き出しただけなんで」
「なんだ。ま、それでもわるかーねーよ。裏通りでガラの悪いのに絡まれたときに『拡散魔王の友達がいるんだぜ』って脅せるしよ。けけけ」
ヤルーのジョークで、みんなが笑う。一瞬重くなった空気が吹き飛んだ。どうやらアザレアさんも、みんなとわだかまりなくやっていけそうである。
俺がそう思った矢先、その和やかな空気をぶち壊す奴がいた。
ラヴィである。
「と・こ・ろ・で。アザレアちゃん?」
ずいっとアザレアさんに詰め寄るラヴィ。口角は上がっているが目は笑っていない。
「ギルヴァエン戦の時、どさくさに紛れてミレウスくんのこと、『私の』とか言ってたよね? あたしは聞き逃さなかったよ?」
「いやー、はは……。そんなこと言いましたっけ? ……言ったかも」
誤魔化すようにアザレアさんは笑うと、ちょっとだけ間を開けて、俺の腕にひしとしがみついてきた。
「ええ、はい。ミレウスくんは私のです」
「なんだとぉ! こんにゃろー!」
ラヴィは声を荒げてアザレアさんに飛び掛かる。
揉み合いながら床を転がり、路地裏の猫のように取っ組み合いを始める二人。
その間にリクサが強引に割って入り、両者の手を捻り上げて床に押さえつけた。
「無駄な争いはやめなさい。陛下はこの国の民すべての物です。貴女たち個人の物ではありませんよ」
したり顔で説教をするリクサ。
押さえ込まれたまま、ラヴィが下から挑発する。
「そんなこと言っちゃって、リクサだって独り占めできるもんならするでしょー。んー? 正直に言ってみー?」
「い、いえ、そんなことは……その……」
しどろもどろになるリクサ。
その時、誰かが後ろから俺の腰に両手を回して、体を押し当ててきた。シエナだ。
それを見て、アザレアさんが非難の声を上げる。
「ああ、ずるい! ……シエナさん、お手!」
シエナは急に頭頂部の獣耳をピンと立てたかと思うと、俺から離れてふらふらとアザレアさんのところへ歩いて行った。それからアザレアさんの自由になってる方の手に、自身の手の平を重ねて、ハッと正気に戻る。
「む、無意識に……」
魔族への絶対命令権だ。アザレアさんは依然として拡散魔王ではあるので、その力が残っていても不思議ではない。
「あ、悪用しないでください、アザレアさん!」
「ハハ……ごめんなさい。咄嗟に使っちゃいました」
シエナに怒られ、アザレアさんは素直に謝った。しかし重ねてもらった彼女の手は、がっちり掴んだままである。
「は、離してください!」
「いやー、でも離すとミレウスくんとこ行くだろうし」
「リクサー、そろそろ離してよー、もー」
「あ、暴れるのはよしなさい、ラヴィ」
シエナも加わったことで騒ぎはますます大きくなり、収拾がつかなくなってきた。四人はほとんど一塊になったまま、それぞれがあーだこーだと喚いている。
それをぴたりと止めたのは、怒気を帯びた静かな声だった。
「みなさん、落ち着いてほしいっス。ここで喧嘩しても無意味っスよ」
スゥだ。いつの間にか体内から斬心刀を取り出しており、騒いでる連中にその切っ先を向けていた。
「ミレウスさんと交際したければあーしを通してもらうっすよ。あーしはミレウスさんの母親っスからね。あーしが認めた人じゃなきゃダメっス」
四人は唖然と口を開く。
スゥはそれに満足したのか、にっこりと笑った。
「ちなみに現時点ではこの場にいる全員アウトっスね」
四人は仲良く悲鳴のような声を上げると、それまで揉めてたことも忘れてスゥに詰め寄り、口々に不平を述べた。
スゥはそれらをにべもなくあしらった――が、後ろからトテトテと寄ってきた娘の言葉には、さすがに同じ反応はできなかった。
「イスカもだめかー?」
「え!? い、イスカさんにとってミレウスさんはお父さんなんスよね?」
「そうだけどー。べつにつがいになるのにししょーはないぞー。ちはつながってないしー」
「そ、そうっスけど」
完全に動揺しきったスゥは腕組みをして天井を見上げ、かなりの時間考え込んだ。
「ま、まぁイスカさんが本気でそう望んでいるならダメと言うわけにはいかないっスね……。とりあえず今はアリ寄りの保留ということで」
そのどう考えても甘い判断に、先の四人が文句を言わないはずがない。
「スゥさん、贔屓ですよそれ、えこ贔屓!」
「この親バカ!」
「今のは納得がいきませんよ、スゥ」
「わ、わたしはどこがダメなんですか……?」
四人はスゥとイスカを囲んで、再びわーきゃーと騒ぎ始める。
もはや俺の事など見向きもしない。
「……俺は俺のものであって、他の誰のものでもないぞ」
ぼそりと言ってはみたが、騒いでいる連中は誰も聞いてくれない。
代わりに傍観組は聞いていた。
「けっけっけ。面白くなってきたなー、ミレちゃんよぉ」
「王サマも大変デスねぇ」
「モテモテなんだよ! いいことなんだよ!」
「自業自得だ。ざまあみろ」
実に楽しそうな様子で肩を叩いてくるヤルー。
完全に他人事の様子のデスパー。
いつもどおりどこかズレているヂャギー。
にんまり笑いながら、軽蔑の眼差しで見てくるナガレ。
反応は様々だが、俺の味方は一人もいない。
いないと言えば、そういえば。
「レイドはどうした?」
あのザリガニ男がいないこと自体には最初から気づいていたし、その理由も薄々察してはいた。だが念のため聞いた。
答えてくれたのはブータである。
「あー、滞在してもらってた部屋に置手紙がありましたよぉ。置手紙というか、書き置きというかぁ」
ブータから手渡されたのは、昨日の夕刊に挟んであったチラシの紙だった。
その裏面にはデカくて雑な字で『見届けた』と一言だけ書いてある。
「……ま、いいか」
なんか知らんが、いつの間にかアイツの親密度も上がっていたので、やろうと思えばいつでも召喚できるし。
二年と少し前。俺が王になったその日に王都にいたのは、リクサとヂャギーとナガレとシエナの四人だった。俺を合わせてもたったの五人だ。
それが今では十三人――約一名、この場にいないが――揃っている。
「ようやくかー」
ひとり言ちる。
王になる前に想像していた円卓の騎士の姿とはかけ離れている。しかし、これが俺の騎士団だ。
ろくでもない奴ばかりだが、悪くはない。
俺は奇妙な感慨と共にこれまでの道のりを思い出し、いつにもまして騒々しい仲間たちの様子をぼんやりと眺めた。