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第百六十一話 結論を先延ばしにしたのが間違いだった

「レイド。いつからだ。いったいいつから、アザレアさんが魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を発症していると疑っていた?」


「最初からだ、少年。初めて会ったあのときから可能性はあると考えていた」


 半ば責めるような気持ちで俺は(にら)みつけたが、レイドは動じる様子を微塵も見せなかった。


(オレ)は拡散魔王を討伐した経験から、正対した相手が魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を引き起こしやすい人格か判別できる。先ほど話したような“力を望む純度”が高い者であるかどうか、なんとなくではあるが分かるのだ。もっともこの広大な世界に拡散魔王が二十余名しかいないことを考慮すると、それに該当したところで数百人に一人も発症しないと思われる。それゆえ(オレ)はアザレア・アンソールと出会ったとき、危ういとは感じたが、どうにかせねばとは考えなかった。ただ(オレ)の勘違いであればいいとは思った」


 一昨年の夏、オークネルのそばに(そび)えるベイドン山の中腹で出会ったとき、こいつはそのザリガニのような眼球でアザレアさんの顔をじっと見つめていた。あれはそんな疑いの眼差しだったのか。


 レイドの話は続く。


「数か月後、コーンウォールで再会した少女は見習い魔術師の域を脱していた。優秀な成長速度だが、驚くほどではない。まだ疑いは薄かった。だから半年ほど前、スゥ嬢とミーティングをして管理者の卵に映る黒い(もや)で覆われた人物のことを聞き、この島での拡散魔王の誕生を予感した時も、その容疑者として少女が有力だとは考えなかった。代わりに疑ったのは西方水上都市(アーツェンギラ)を治める四大公爵家のアーツェン家だ。アーツェン家の始祖である狂人ジョアンが(くだん)の儀式装置で魔王化現象(アーチ・エネマイズ)に近い現象を起こし、拡散魔王の亜種のような存在となった件はこいつから聞いていたからな」


 レイドは腰に帯びた幅広の剣(ブロードソード)(はさみ)のような手で僅かに触れた。その魔剣には初代の一人である赤騎士レティシアの人格が宿っているという。


(オレ)は調べた。アーツェン家と、その近傍にいる狂人ジョアンの血を引く者たちを。そして知った。少女の生家であるアンソール家とのつながりを。……今からおよそ五十年前、アザレア・アンソールの高祖母に当たる人物の葬儀の際に、遺品の中から貴族の証である貴族の指輪(ノーブルリング)が見つかった。その高祖母は十代の頃にどこからか十字宿場(ビエナ)へ流れてきて酒場で給仕娘として働き始めたそうなのだが、周りの者にはもちろん、伴侶(はんりょ)となったアンソール家の男にさえ自らの出自を語らなかった。それゆえ指輪が出てきたときは大騒ぎになったそうだが、それがどこの貴族の家のものか当時は突き止められなかった。指輪に家名が彫ってあるわけでもないし、どこの家もろくに管理しておらず、紛失してそのままということも多かったからだ。だが血縁者にしか継承できない制約の魔術がかかったその指輪を彼女の息子――アザレア・アンソールから見ると曾祖父に当たる人物が着用できたため、国はアンソール家にいずれかの貴族の血が流れていると認め、暫定認定準男爵の地位を与えた。貴族の末席に加えられたわけだ」


 滔々(とうとう)と語るレイド。

 その話の内容は、中等学校(ジュニアハイ)で出会ってからしばらくした頃にアザレアさん自身から聞いていた。彼女が自分の家柄について語るときによく使う『すっごいギリギリ解釈次第では貴族に血がつながっていなくもなくもない』という表現はここから来ている。


 そこから先は俺も知らない話だった。


「少女の高祖母が十字宿場(ビエナ)へ流れてきたのと同時期に、アーツェン家から当主の四女が出奔(しゅっぽん)している。調べた限り、両者の外見や性格的特徴は一致している。同一人物と見て間違いないだろう。出奔(しゅっぽん)した経緯や指輪を持ち出した理由は不明だが、その非凡な行動力と意志力は狂人ジョアンとアザレア・アンソールをつなぐ人物である点を考慮するとむしろしっくりくる。西方水上都市(アーツェンギラ)十字宿場(ビエナ)の近さを考えると、アーツェン家は女性の所在を把握していただろうが、放置していたようだ。ともあれ」


 こほんと咳払いをして、レイドは結論に入る。


「こうしてアンソール家にも狂人ジョアンの血が流れていると知った(オレ)は、アザレア・アンソールへの疑惑を深めた。それも最重要容疑者と考えるほどに。そして先日の剣覧武会ですっかり成長した少女を見て、(オレ)は確信に近い印象を抱いた。もしもこの島に拡散魔王が生まれるならば、それはこの少女であろうと」


 その言葉で、何もかもが繋がった。


 剣覧武会本選トーナメントの第一試合。リクサと戦うために舞台(アリーナ)に上がったレイドは観客席の最上段にいた俺の方を見上げてきた。

 アザレアさんと共にいた俺の方を。


 試合後、闘技場(コロシアム)内の通路まで追いかけた俺に、こいつはこう言った。

 “どれくらい強くなっているか”確認しにきたと。

 あれは俺たち円卓の騎士について言ったのだと思いこんでいた。しかしあれもアザレアさんのことだったのか。


「今日の戦いを『いつでも動けるように《覗き見(ピーピング)》で見てた』――ってのもギルヴァエンじゃなくてアザレアさんのことか。アザレアさんが魔王化したときに、すぐに動けるようにって」


「そうだ。何度でも言う。(オレ)の勘違いであってほしかった」


 レイドの声には相変わらず感情がにじまない。


「少年。去年の夏に旧地下水路で会ったとき、もしこの島に魔王が現れたらどうするかと(オレ)は聞いたな。それが悪性魔王ならば討つと少年は答えた。もしラヴィ嬢が魔王だとしたらどうだと(オレ)は続けて聞いた。少年は答えられないと言った。少なくとも今は、と」


 覚えている。いや、ほとんど忘れかけていたが、レイドの話を聞いている内に思い出した。


「答えは出たか? あの少女を生かしている限り、この国は破滅の種を抱え続けることになるぞ」


 答えなんて出ているはずがない。

 レイドに凝視されながら、俺は長いこと押し黙った。


 代わりに、というわけではないだろうが、ラヴィがひきつった作り笑いを浮かべて、卓を囲む仲間を見渡した。


「こ、国外追放するとかさ。……封印するとか。殺さずにどうにかする方法だってあるんじゃない?」


「それでは危険を誰かに押し付けるだけだ。国外の者や未来の者に。いずれにせよ根本的な解決にはならない。再びこの国に戻らないとも、封印を破らないとも限らないからな」


 レイドの正論を受けて、今度はラヴィも黙り込む。


 俺もラヴィも分かっているのだ。魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を発症したのが、例えばそこらにいる小鬼(ゴブリン)だとしたら、俺たちは迷いなく討伐しただろう。他の国に押し付けるとか封印するとか、考えもしなかったはずだ。


 長い長い沈黙。


 それに耐え切れなくなったのか、突然イスカが頭を掻きむしりながら席を立った。


「んがー! ころすなんてゆるさないぞー! あざれあはなー、いいやつなんだぞー!」


 それに乗っかるようにして、ヂャギーも丸太のような両腕を上げて憤慨を示す。


「オイラも嫌なんだよ! アザレアさんは友達なんだよ!」


 二人に追随してデスパーも頷いた。


「アザレアさんは優しい人デス。悪霊とも恐れずに接してくれる稀有(けう)な人デスし」


 喋っている途中でデスパーは一瞬だけ悪霊の顔になって(サメ)のような尖った歯を見せてレイドを威嚇し、また元の顔に戻る。


「悪霊も殺すこたないという意見デスね」


 三人――いや、四人かもしれないが――彼らの意見を受けても、レイドは揺るがなかった。


魔王化現象(アーチ・エネマイズ)に感情論を持ち込むべきではない。感染力の高い疫病のように、初動が肝要だ。対応を誤れば悲劇を生むぞ」


 無論、三人に感情論以外で反論するすべはない。


 魔族の一門、人狼(ウェアウルフ)の一員である証拠の獣耳をぴくぴくさせながら、シエナがおずおずと手を挙げる。


「ま、魔王が危険だと言うなら魔族だって危険だと思うんですけど。魔王に絶対命令権を使われたら逆らえないですし……」


 続いてナガレが卓に肘を突いたまま、ぶっきらぼうに言った。


訪問者(プレイヤー)魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を引き起こしやすいんだろ? だったらオレも危険じゃねーか。どうにかしなくていいのかよ」


 二人の意図は明らかだ。他にも危険な奴はいるのだから、アザレアさんのことも許容できるのではないかと言いたいのだろう。

 もちろん二人も本気でこれが通るとは思っていまい。


 案の定、レイドはすぐに首を左右に振って、まずシエナの方を向いた。


「危険なのはあくまで絶対命令権であって魔族そのものではない。島内にいるすべての魔族を隔離したところで島外の魔族を召喚されれば同じことだ。そもそもこの島の魔族すべてを隔離するのは数の観点でも現実的ではないがな」


 続いてナガレの方を向く。


(オレ)が知る限り訪問者(プレイヤー)魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を発症したのはすべて、こちらの世界に来てから一年以内だ。ナガレ嬢はすでにその時期を過ぎているし、アザレア・アンソールとは違い、性格的な危うさも感じない。魔力の増える兆候も見られない点も考慮すると、危険性はほぼないと言える」


 これでもう反対意見を述べる者はいなくなった。


 リクサが長い溜息を吐いてから、感情を押し殺したような声を出す。


「最悪を想定して行動すべきだと、私も思います」


「リクサは平気なの? あの子を殺しても」


 噛みついたのはラヴィだ。

 リクサは声を荒げた。


「私だって殺したくなどありません! ……あの子を陛下付きの女中(メイド)として雇うと決めたのは私です。私がそうしていなければあの子が後援者(パトロン)になることも、魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を発症することもなかったはずです。ですから責任を感じていますし、彼女の仕事ぶりも評価していました。なにより、ええ、もう二年以上共にいたのですから、私だって親愛の情を抱いています。ですが」


 話している内に落ち着いてきたのか、リクサは声のトーンを落として続ける。


「レイドが言うように、あまりにもリスクが高すぎます。仮定でこんな話をしても何の覚悟も示せないと分かってはいますが――もしも私が拡散魔王となったのなら、私は悪性となる前に自分を討伐するよう誰かに頼むと思います。だから、私は彼女も討伐すべきだと考えます。(はなは)だ不本意ではありますが」


 レイドはかつて言っていた。拡散魔王の中には、完全に自分を制御できなくなる前に自ら命を絶つ者もいれば、誰かに殺してもらおうとする者もいると。

 もしリクサが発症したなら本当にそうするだろう。たぶんレイドも、スゥも。その覚悟のある連中には、討伐せよと言う資格はある。


 円卓の騎士たちの意見は二つに割れていた。


 もっともこれは多数決で決める話ではない。決定権を持つのはこの俺だ。

 いや、こんなのは権利とは言えない。恐ろしい義務だ。選択の結果に責任を負わなくてはならない(たぐい)の。


 国の破滅の種か、友人一人の命か。

 どちらにせよ(つぐな)えるものではないというのに。


 俺が決断を下すのを、みんなが口をつぐんだまま待っている。


 腕組みをして考え込む。

 アザレアさんが消えたすぐ後にブータが探知の魔術で転移先を探ったが、彼女の抵抗(レジスト)にあって失敗していた。拡散魔王の魔力抵抗は勇者すら上回るという。ブータで無理ということは魔術的な探索は不可能だろう。


 懐から時を告げる卵を取り出す。今はそこには何も映っておらず、静かに青い光を発しているのみ。スゥが先ほど見せた管理者の卵にも、映っていたのはアザレアさんの姿だけだった。それも現在の姿ではなく、普段の女中(メイド)服の彼女を映していただけ。恐らくそれも魔王の魔力抵抗によるものなのだろう。彼女の現在位置の手がかりはない。


 ……そもそも彼女はなぜあの場から逃げだしたのだろう。


 リクサやレイドと戦っていたのは拡散魔王としての反射的行動だという話だった。しかし転移する寸前の彼女は正気に戻ったようにも見えた。だがあれは俺の希望的観測だったかもしれない。なぜなら正気に戻っていたのであれば何か――例えば、なぜ攻撃してきたのかリクサやレイドに聞くとか、したのではないかと思うからだ。


 悪性魔王となっても合理的な判断ができなくなるわけではないと聞く。悪性魔王となり人格が歪み、周囲の状況を見て一度その場を離れるのがベストと考えたのであれば、無言での転移も説明がつくが。


 分からない。最後に見た彼女の姿と行動だけで判断はできない。


「……決めた」


 十分すぎるほどに考えて、その末に俺が導き出した結論は先延ばしとも言える内容だった。

 卓を囲むみんなに向けて頭を下げる。


魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を治す方法を探してくれ。絶対に悪性にならずに済む方法や、進行を止める方法でもいい。レイドは治った事例はないって言ってたけど、だからってそれが絶対とは思わない」


 言葉を切って、ちらりとレイドを見る。

 何かを期待していたわけでもないが、やはりレイドはまったく動じず、突っ立ってこちらを見ていた。

 深呼吸を一つして、続ける。


「並行して、後援者(パトロン)にアザレアさんを探してもらってくれ。リクサとレイドがアザレアさんと戦ったことやアザレアさんが失踪したのは、ギルヴァエンの最後の呪いによって操られたためだと説明して。それとアザレアさんを見つけても、接触はしないように周知してくれ。考えたくもないけど、攻撃されるかもしれないし、《瞬間転移(テレポート)》で逃げられるかもしれないから。現在位置を俺に伝えてくれるだけでいい」


 誰も返事はしなかったが、了承するように頷いてはくれた。

 反対意見も対案も出てこなかった。きっとみんなもこれ以上の策はないのだろう。


「リクサもスゥも、とりあえずはこれでいいか?」


 問いかけに、二人は力強く頷いた。

 そう、どれくらいかは分からないが彼女を発見するまでいくらか時間がかかるはずなのだ。その間に討伐せずに済む根本的な解決法を探すのは、二人にしても反対するような案ではないはずだ。


「全力を尽くすと誓います」


 リクサがこれまで見せた中でも最も真剣な眼差しで言った。

 一方、スゥの方は現実主義者(リアリスト)らしい(なぐさ)めを口にした。


「管理者の卵に映らなくなれば魔王化現象(アーチ・エネマイズ)を治療できたと言えるっスね。診断法があるだけ、他の発症者よりかはマシだと思うっスよ」


 表情を見れば分かるが、スゥ自身それほど希望があるとは思っていないようだった。(なぐさ)めとしては下の下だったが、それでも彼女が心情的にはアザレアさんを殺したくないと考えているのが分かっただけよかった。


 最後にレイドにたずねる。


魔王化現象(アーチ・エネマイズ)をどうにかできれば、お前もアザレアさんを討てとはもう言わないな?」


 ザリガニ男はすぐに頷き、逆に聞いてきた。


「治療法が見つかる前に、アザレア・アンソールが見つかったらどうする?」


「俺が会う。会って、話して確かめる」


 何を確かめるのか。何を確かめられると思っているのか。

 それすら分かっていないけれど。


 席から立ち、卓を離れて、天幕(テント)を出る。


 外はもう夜だった。空は黒雲に覆われ、今にも降り出しそうだ。

 おぼつかない足取りで近くの森の方へと歩いていく。

 ゆく当てがあるわけでもない。ただ一人になりたかった。


 しかし後ろから、追いかけてくる足音が一つ。


「ミレくん!」


 ラヴィだ。振り返らずとも分かる。[怪盗(ハイドシーフ)]の彼女が足音も殺さずに走ってくるとはよほどのことだ。


 足を止める。

 彼女は俺の後ろまで来るなり、まくし立てた。


「大丈夫だよね? あの子を殺したりしないよね? 助けてあげられるよね?」


 そのどれもが、俺の方が聞きたい問いだった。

 レイドの話したことが絶対ではないと言ったのは俺自身だ。なのに、ほとんど希望を持てていなかった。


「ねぇ、何とか言ってよ」


 声に苛立ちをにじませたラヴィが前に回り込んでくる。

 それからまた何かを言いかけたが、俺の顔を見て、口を閉じる。


 憐憫(れんびん)の表情を浮かべた彼女が再び口を開けたときに出てきたのは、たぶん飲み込んだのとはまったく違う台詞だった。


「……ミレくん、泣きそうな顔してるよ」


 そりゃそうだろう。

 こんな状況、誰だって泣きたくなる。


 ラヴィに頭を掴まれ、その胸にかき(いだ)かれる。


 それでも俺は泣かなかった。

 少なくとも、声を出しては。


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【第十二席 ラヴィ】

忠誠度:★★★★[up!]

親密度:★★★★★★★★

恋愛度:★★★★★★★★★★★★[up!]

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また更新が遅くなってしまい申し訳ありません。

続きはもうちょい早くできるように頑張ります。


 作者:ティエル

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[一言] そりゃ泣きたくなるわ
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