第十四話 彼女の部屋に入ったのが間違いだった
円卓騎士団第七席のナガレを盤上遊戯でボコボコにした、その翌朝。
俺は自分の寝室で這い蹲り、ベッドの下に手を入れていた。
昔から『男子が物を隠すなら寝台の下』という格言がある。
俺もまた例外ではなく、様々なものをそこに隠してきたが、この王様用の新しい相棒はなかなか隠しがいのある奴だった。
女中さんに片付けられていないか心配だったが、無事目当てのものが見つかる。
血の付着したハンカチだ。昨日ナガレを探すのに使った、彼女の血がついたハンカチではない。
先日、円卓騎士団第九席のヤルーを探しにカーナーヴォン遺跡へ行ったが、あの時ヤツの腹部をシエナが小剣で刺した。このハンカチはその小剣を取り上げるのに使ったものだ。
だから、これについている血はヤツのもの。
王都に帰ってきた時点で血の染みがどう考えても落ちなくなっていたので、女中さんに怒られないようにとここに隠しておいたのだ。
聖剣を鞘から抜き、先代から教えてもらった好感度表示の呪文を唱える。
ヤルーのものを示す下から五番目の刃には、青い光、すなわち友人としての好感度――親密度が一メモリだけ灯っていた。
これなら使えるはずだ。
ハンカチをテーブルに置き、聖剣を近づける。
すると期待通り、ある方角と距離のようなものが、頭の中に浮かび上がる。
しかしその内容は意外だった。
バルコニーへ出て、眼下に広がる都市を見下ろす。
円卓騎士団第九席は今、王都にいる。
☆
朝食の後、俺は姿を欺く腕輪――匿名希望をつけて、王都の中心にある聖剣広場に向かった。
聖剣の鞘に例のハンカチを結んであるので、今もヤルーの居場所を漠然とだが把握できる。
聖剣広場には相変わらず屋台が並んで賑わっているが、その中央の丘にはもう何も突き刺さっていない。それを尻目に、南西にある実る秋通りへと足を進める。
そこは市場のある通りで、南港湾都市から届いた輸入食品や、隣のカーウォンダリバーで獲れた鮮魚、人狼の森から運ばれた果物や鳥獣の肉などが店先に並べられている。
朝ごはんの食材を買出しに来る時間は終わったので、今は一段落しているが、それでも十分な賑わいを見せている。
この中から一人の人間を探し出すのは、聖剣の力を借りても容易なことではない。
今更だが、円卓の騎士の誰かに協力を要請すればよかったと思い始めた頃、聖剣の反応が強くなった。
間違いなく近づいている。
どこかの店の中にいるのか、あるいは市場を散策しているのか。
いずれにしても、あのローブ姿と眼帯はかなり目立つ。
注意深くあたりを観察しながら歩いていると、偶然にも買い物客の群れが二つに割れて、そこから現れた男と目があった。
ローブ姿ではない。
眼帯もつけていない。
しかし間違いなく、ヤツだった。
あちらがこちらに気付いたのも、まったく同時。
「げえ!」
凄い声を出して、ヤルーは背中を見せて走りだした。
一呼吸遅れて、俺もそれを追う。
「おい、危ねえぞ!」
市場の店主から苦情の声が上がる。
ヤルーは行き交う観光客とぶつかったり、店先に詰まれた果物の山を崩したりするが、まったく構うことなくひたすらに逃げる。
悲鳴や怒号が、次々に市場に響く。
いいこと思いついた。
「そいつ、窃盗犯だ! 誰か捕まえてくれ!」
「な、なんてこと言いやがる!」
ヤルーは明らかにうろたえた様子を見せたが。
「そいつ王様だぞ! 今ならサインもらい放題だぞ!」
口八丁の詐欺師らしく、反撃してきた。
しかし円卓の騎士であるヤルーには普通に見えているだろうが、匿名希望の効果で一般人の目には俺の姿は別の何かに映っている。
聖剣や鞘も偽装しているので、ヤツの反撃は無意味だ。
俺の声を聞いてか、市場の屈強な店主が左右から十数人も現れて、ヤルーの前に立ちふさがる。
これにはヤツも足を止めるしかない。
「ちぃ!」
ヤルーは迷うことなく、例の優良契約とかいう名の分厚い魔導書を開いた。
風精霊の力で、空を飛んで逃げる気かと思ったが。
「契約に従い――自己責任で――我が呼び声に応えよ、光精霊!」
呼び出したのは、別の精霊だった。
ヤツの手の平の上に、小さな白い風船のようなものが現れる。
二つのくりくりとした目玉がかわいらしい。
それがぷくっと頬を膨らませるような仕草を見せると、次の瞬間、市場にパァっと眩い光が溢れた。
咄嗟に顔を両手で覆い、目を閉じる。
これは絶対無敵の加護を与える聖剣の鞘でも防げない。
光はすぐに収まるが。
「あ、あれ、どこいった!?」
「消えた!?」
店主たちの声に、目を開ける。
ヤルーと精霊の姿が、こつ然と消えている。
しかし《空間転移》したわけではない。
聖剣の力でヤツの居場所をなんとなく把握できる俺には分かる。
まだ、すぐそばにいる。
《光学迷彩》だ。光の軌道を操って、姿を隠したのだ。
「うわ、今日の売り上げが!」
ヤツの仕業か。通りに硬貨と紙幣が散乱する。
途端に、あたりはパニックになった。
治安のいい王都だ。落ちた金を盗もうとする人はそういないだろうが、騒ぎを見にくる野次馬はいるし、拾うのを手伝おうとする親切さんもいる。
この騒動に乗じて、ヤツの気配が市場の奥へと逃げていくのが分かる。
追いかけようとするが、あたりは大混乱の最中だ。とても前には進めない。
上手いことやられてしまった。
ヤルーの気配は西の門から王都の外へ出るルートを辿っている。
速度から考えてまだ徒歩であろう。こちらが居場所を察知できることは気付いてないようだし、急げば追いつくことはできるが、一人で行っては先ほどの二の舞になる。
懐から、前にシエナに作ってもらった円卓の騎士の現住所リストを取りだす。
みんなの家へ家庭訪問をしようと思ったあの日、ラヴィとヂャギーの住居は確認できたが、盗賊ギルドの一件があったせいで、ほかの人のところは行けてなかった。
ええと、ここから一番近いのは……リクサの家か。
明らかに名家の生まれである彼女は、高級住宅街である静かな冬通りのどこかに住んでいると思っていたが、リストには意外にも、この市場の近くの住所が記載されている。
彼女は今日、非番のはずだ。ちょうどいい。
しっかり者で忠実な彼女は、ダメ人間揃いの円卓の騎士の中では、群を抜いて頼りになる。
家にいてくれれば助かるのだが。
☆
市場の裏には、安い学生寮や商会の社員寮なんかが並ぶ、住宅街がある。
リクサの住所が示していたのは、この辺では割りと造りのしっかりした集合住宅だった。
その二階の三号室。
竜を模した真鍮製のドアノッカーを叩く。
反応がない。
再度叩くも、やはり無反応。
出かけているのだろうかと絶望しかけたが、ドアが僅かに開いていることに気付いた。
家にいるにしても、いないにしても、これは不用心だろう。
あるいは、急病か何かで倒れている可能性もある。
あたりを見渡し、誰にも見られていないことを確認してから。
「リクサー。入るよー」
声をかけ、ドアを少し開いて、中を覗く。
明かりはついている。
しかし生活音はしない。
代わりに少し、鼻をつくような匂いがする。
ただならぬ雰囲気を感じ取り、部屋に入る決意を固める。
これは不可抗力なのだ。非常事態なのだ。
王が体を張って家臣を守るのはいいことだって、前に彼女も言ってたし。
色々理由をつけて自身を鼓舞し、部屋に入る。
狭い玄関には彼女の靴がいくつか、雑然と散らばっていた。
まるで慌しく誰かが出入りした後のような。
まさか空き巣なのか。
「リクサ、いないのか!」
もう一度声をかけるが、反応がない。
意を決し、聖剣の柄を握り締めて、慎重に歩を進める。
居間に続くと思われる曇りガラスつきのドアを、音を立てないように押し開ける。
すると、リクサは確かにそこにいた。
小さなローテーブルに突っ伏している。
本当に急病か何かなのかと慌てて駆け寄ろうとしたが、床に落ちていた何かに躓き、転倒してしまった。
「いててて……」
足にぶつかり転がったそれを拾い上げる。
酒瓶だ。
そこでようやく部屋全体を見渡す余裕ができた。
それほど広くはない部屋の床を、ゴミの袋と酒瓶が埋め尽くしている。
リクサが突っ伏しているローテーブルにも、よく見れば酒と食べかけのつまみ。
カーテンは締め切られ、部屋中にアルコール臭が滞留していた。
さっきの鼻をつくような匂いは、これだったのか。
「……あれぇ? ミレウス様ぁ?」
ナガレがいつも着ているものとよく似た――ただ色だけが違う、青の作業着風衣服姿のリクサが顔を上げた。
カチューシャで白銀の長い髪を押さえている。
口の端から涎を垂らしたままのあたり、完全に寝ぼけているようだ。
しかし、こちらが何も言えずにいると、やがて意識をはっきりさせたようで。
彼女は絹を裂くような叫び声を上げた。
☆
「なんで!? どうしてミレウス様がうちに!? なんで!? なんで!?」
リクサは完全に混乱した様子で、俺の顔と周りとを交互に見やる。
彼女がまず気付いたのは涎だった。
慌てた様子で作業着風衣服の袖で拭く。
それで自分の格好に気付いたようで、両手で体を隠そうとするが、まるで意味はない。
「こ、これは……前にナガレがプレゼントしてくれたもので! せっかくの好意を無碍にするのもよくないと!」
何も聞いてないのに勝手に言い訳を始める。
最後に、部屋に散らばるゴミと酒瓶に気付いて青ざめた顔になると、心が折れたようにすとんとその場に両膝をついた。
そのまま両手をついて、土下座をしてくる。
「大変、見苦しいところをお見せして……」
「……ごめん、勝手に入って」
事情を説明する。
聖剣の力で第九席が王都にいると知ったこと。
市場で発見したが、逃げられたこと。
リクサに助力を願うためやってきたが、ノックをしても返事がなく、ドアが開いていたので、何かあったのかと部屋に入ったこと。
それをすべて聞いた後、リクサは部屋の隅にゴミに紛れて落ちていた直剣を拾い上げ、鞘から抜いて、自分の腹へと押し当てた。
「こんな醜態を晒しては、もう生きてはいけません。この不忠者をお許しください」
「待て待て、早まったらいけない」
もちろん止める。
直剣を取りあげると、彼女は再び床に膝をつき、えぐえぐと泣き出した。
「き、昨日は早くに帰れたし、今日はお休みだから……少しだけ好きなお酒呑んで寝ようと思っただけなのに、どうしてこんなことに……」
「いや、ごめん……」
気まずい思いで謝るが、聞いてくれてはいないようで。
「こんな姿……ミレウス様だけには見られたくなかった……せっかくしっかりした副官だとアピールしてきたのに……もう完全に嫌われてしまった……幻滅された……」
「いやいや、いやいや」
両手で顔を押さえ、さめざめと泣く彼女の両肩に手をかける。
「誰にでもオフのときはあるから! 嫌いになんかならないし、幻滅もしてないから!」
「ほ、本当ですか……?」
「ホント、ホント!」
正直、めちゃくちゃびっくりしたが、嫌いになどなりはしない。
「私……五年前に、円卓の騎士になったときから一人暮らししてるんですけど、実家にいた頃は掃除とか家事とか、全部女中さんに任せっきりだったので、そういうの何もできないんです……」
それでよく一人暮らしをしようと思い立ったものだ。
この惨状の原因はよく分かった。
「そ、それじゃあ仕方ないね。習ってないことは誰もできないしね」
「一人暮らし始めた頃は、頑張ろうと思ってたんです。でも私は最初の円卓の騎士でしたから、仕事は全部一人でやらなくてはいけなかったですし、騎士が増えても、みんな全然働いてくれないし……。毎日仕事が終わったら疲れ果てていて、市場で出来合いの惣菜買って帰って、ここで食べて寝るだけの日々で、家事を覚える余裕なんてぜんぜんなかったんです……」
こちらの様子など一切気にすることなく、彼女の独白は続く。
「そのうちお酒の味を覚えました。それからは最悪です。休みの前の日は晩酌を欠かさず、翌日は二日酔いでほとんどダメになります。いつも少しだけにしようって思うんですけど、あるだけ全部呑んでしまうんです。酒瓶のゴミも増えました。お酒は好きですけど、私をダメにするんです」
「なるほど」
「それでも職場ではしっかりやろうと気を張ってきました。これから誕生する王様のためにも、貴族や官僚や諸侯騎士団から舐められてはいけませんし、次席騎士として、他の円卓の騎士たちへの示しというものがありましたから」
「そうだね」
「でもそれも全部いっぱいいっぱいで、どうにかこなしていただけで、その反動で私生活はもっと酷くなっていきました。そもそも朝の七時に王城に出なくちゃいけないのに、ゴミ出しは朝の八時から九時までにしろって絶対無理じゃないですか。守らないと管理人さんに怒られるし、休みの日とかになんとか出せても分別ができてないって叱られるし。洗濯も夜にすると、下の階の人から怒られるんです。じゃあいつ洗えばいいって言うんですか。昼間はずっと仕事してるのに」
「大変だったね」
なんだか相槌が適当になりつつあったが、彼女は特に気にした様子もなく、話しているうちに感情の整理がついてきたのか、泣き止んで顔を上げた。
「ありがとうございます……ミレウス様はどうしてそんな海のように広く、深い心をお持ちなのですか……?」
「王様ダカラカナー」
我ながら感情のこもっていない返事だったけど、彼女にはそれで十分だったようで、きらきらと目を輝かせた。
救世主でも見つけたような顔だ。
荒れ果てた部屋を見渡し、彼女に提案する。
「とりあえず片付けしよっか」
-------------------------------------------------
【第二席 リクサ】
忠誠度:★★★★★★
親密度:★
恋愛度:★[up!]
【第九席 ヤルー】
忠誠度:
親密度:★
恋愛度:
-------------------------------------------------