第百五十五話 さっさと会議を始めなかったのが間違いだった
「ミレウスくん。私、子供ができた」
王城にある俺の自室で、女中服姿のアザレアさんは絨毯の上に座ってニッコリ笑顔でそう言った。
スゥと焼肉屋で内緒話をした、その翌日の昼下がりのことである。
「ん? ああ、おめでとう」
俺はちょうどその時、部屋に入ってきたブータに気を取られて場の状況を見ていなかった。しかしこういう時ご祝儀を渡す決まりがあるのはもう知っていたので、紙幣を一枚アザレアさんに手渡した。千ドルという表記のある、ちゃちなお札である。
「ふっふっふ。これで子供いないのミレウスくんだけだね。子供いないと終盤のマスで十万ドル寄付しないといけないからね」
「そうなんだよなー。このままだと最下位だよ。そもそもまだ結婚もできてないけど」
ぼやきながら手持ちの紙幣を数える。曲がりくねる道路状のマス目が書かれた大きなボードを囲んで絨毯の上に直に座っているのは俺とアザレアさん、それにナガレとヤルーの四人。他の連中の所持金は正確には分からないが、十万も持っていかれたら間違いなくヤバい。ここから逆転できる目はまだ残されているだろうかとボードを凝視しながら思案していると、ブータがいつものニコニコ笑顔でひょこひょこと歩いて寄ってきた。
「ミレウス陛下ぁ。貴方の忠実なるしもべ、ブータが参上しましたよぉ。時間ぎりぎりになってしまい申し訳ありませんー」
「大丈夫。まだ他に来てないのもいるから」
「……なにして遊んでらっしゃるんです? みんなして」
「ナガレが出してくれた向こうの世界のボードゲームだよ。ちょうどよかった、ブータ。代わってくれ」
「え、ええ?」
困惑するブータの手を素早くつかみ、胡坐をかいてその足の上に座らせる。コロポークルのブータは背丈が初等学校の子供くらいしかないから、彼の頭越しに余裕でボードが見れた。
「テメェ……逃げたな、ミレウス」
現状、手持ちが一番少なそうなナガレがボードを挟んだ向こうから猛禽のような鋭い目で睨んでくる。
俺はおもちゃの紙幣の束と証券をブータに押し付け、肩をすくめた。
「かわいい家臣にもゲームを楽しんでもらおうっていう俺の気づかいが分からないかね、ナガレくん」
「劣勢になったから尻尾巻いて逃げだしただけだろーが!」
「え、これ劣勢なんですかぁ?」
憤るナガレと、あたふたするブータ。
それを見てヤルーが肩を揺らして笑う。
「けっけっけ。ほれ、次ナガちゃんの番だぜ」
「ちっ。……ああ、チクショウ、また月収百ドルだ! 漫画家はホント収入安定しねえな!」
ボードに取り付けられたルーレットを何度か回して頭を抱えるナガレ。
銀行役のアザレアさんがおもちゃの紙幣を数えて彼女に渡し、ついでとばかりにたずねた。
「そういやこのドルっていうのが、ナガレさんの世界の通貨の単位なんですか?」
「まー、そうっちゃそう。オレがいた国では使われてなかったけどな。こっちと違ってあっちは国によって使える通貨がまちまちなんだ」
「へー、不便ですねー。こっちで言う魔王金貨みたいなものかな」
「いや、それともまた違うんだけどな……まぁいいや」
めんどくさそうに説明を諦めるナガレ。
しかし続けてヤルーにたずねられる。
「ナガちゃん、一ドルってこっちで言うといくらくらいなん?」
「あー、銅貨二枚ってとこだな。十ドルで銀貨一枚」
「一月働いて銀貨十枚……売れないクリエイターが大変なのはどこの世界も一緒ってか。世知辛いねぇ」
おもちゃの札束で自身の顔を扇ぎながら、シニカルに笑うヤルー。こいつは現在、ゲーム内で政治家をやっている。あちらの世界の政治家がどういう仕事をしてるかは知らないが、儲かる職業なのは異世界でも同じらしい。手番が回ってきたヤルーはルーレットを回して自分の駒をボード上で進めると、止まったマス目の指示に従い、ナガレの百倍にあたる一万ドルもの月収を手にした。酷い格差である。
「ははぁ、だいたいルールは分かりましたよぉ。ナガレ姉さんがいた世界の住人になって生涯を送るゲームですねぇ?」
基本はスゴロクなので早く飲み込めたのだろう。手番が回ってきたブータは勢い込んでローブの袖をまくると、ルーレットを回して駒を進めた。
「あ、陛下! ボク、子供ができましたよ、子供が! できちゃった婚です!」
「おお、よくやったぞブータ! ほーらほら、君たちご祝儀を寄こしなさい」
「なんでテメェが偉そうにしてんだよ……」
俺を睨みながらも、きちんと紙幣をブータに手渡すナガレ。
これで勝負は完全に分からなくなった。もはや俺の勝負ではないけれど。
手持ち無沙汰になったのでブータの子供のような顎をたぷたぷやりながら部屋の奥に目をやると、そちらで固まっている円卓の騎士のグループも何やら盛り上がっていた。いや、正確には盛り上がってるのは一人だけだったが。
「この世界は滅亡します! 人類は絶滅するんです!」
獣耳と尻尾を興奮したようにピンと立てて、身振り手振りを交えて力説しているのはシエナだった。普段はどもりがちな彼女だが、司祭の仕事をしているときだけは別人のように堂々と喋る。前に彼女がアールディアの大教会でお説教するのを見にいったことがあったが、あんな感じだ。
もっとも今日はあの時のような大観衆はいない。絨毯の上に正座しているデスパーとヂャギーが、ぽかんとした様子で聞いているだけだ。
「やがてくる終末の日、破滅の女神が蘇えり、第一文明期を荒廃させた終末戦争を再現し、この世界を無へと帰すのです。助かるためには我らが森の女神アールディア様を信仰するより他にすべはありません。慈悲深きアールディア様は我ら、か弱き猟犬たちを優しく保護し、破滅の女神に復讐なさるでしょう。そして新たに育まれる約束の森へと我らを導いて下さるのです」
熱心に話しているのはアールディア教に伝わる終末論のようだ。古参の円卓の騎士の連中は俺が王になる前に何度も勧誘したが、まるで興味を持ってもらえず断念したと以前シエナから聞いたことがあった。
懲りずにまた勧誘しているのだろうか――と思ったが、どうやら今日はただの商売のようだ。
「ということで、今日はこの宗教的象徴をご紹介! 終末の日がきてもこれさえ持っていれば安心、安全! 通常価格二十金貨のところ、今ならたったの十金貨でご提供です!」
営業スマイルを浮かべてシエナが二人に見せていたのは小剣とナタが交差した形の金属製のキーホルダーだった。アールディア教の信者が自身の信仰を示すために身に着けている装身具に似ているが、作りはだいぶ安っぽい。
別にその安っぽさが問題だったわけではないようだが、二人の聴衆の反応はいまいちだった。
「うーん、デザインが気になるんデスよね。斧だったら買うんデスけど。斧のやつはないんデスか?」
商品を一つ受け取って残念そうな顔をするデスパー。
シエナは頬を引きつらせながらも、どうにか微笑みを維持した。
「お、斧もまぁ森で生きるには必要なものですけど、一応これ宗教的象徴ですので、これ以外のデザインは……」
「残念デス。自分、斧以外の武器は身につけないと宣誓を立てているんデスよ」
これは分が悪いと悟ったのか、シエナはすぐに標的を切り替えた。
「ヂャ、ヂャギーさんはどうですか?」
「ごめんね! オイラ、こういう細かいのすぐ失くしちゃうから!」
「そ、そうですか。……ああ!」
「あ!」
二人揃って声を上げたのは、ヂャギーが親指と人差し指でつまんでいた宗教的象徴が飴細工のようにグニャリとひしゃげたからだ。彼の怪力のせいなのか、それともシエナの用意した商品の質の悪さのせいなのか。どちらにしても彼女の商売は失敗のようだ。
「……あれ一つで十金貨はさすがに詐欺だろ」
シエナに聞かれないように呟いてゲームボードの方に視線を戻すと、ブータが絶好調だった。
就いていた企業勤めという職のランクは部長まで昇進しており、いつの間にか子供も四人生まれてる。十分な現金に加え、不動産までいくつか保有しており、ぶっちぎりのトップになっていた。
「いいですねぇ、これ。生まれに関係なく平等で」
ご機嫌な様子で手持ちの紙幣を数えるブータ。
逆にナガレは苦々しい顔をしながら、いつの間にか背負っていた借金の約束手形を数えている。
「平等ってかほぼ運だけだけどな。オレのいた国にゃ身分とかなくて、全員平民なんだ。いや、一応王族みたいなのはいたけどよ」
「夢みたいな国ですねぇ」
「そうでもないぜ? このゲームにゃ反映されてねーけど生まれに左右される部分はけっこうあったからな。金持ち、貧乏、資本家、労働者、都会生まれに田舎生まれ。そりゃこっちの世界の生まれガチャよかマシだけどな。生まれていきなり奴隷ってこたねーし」
ナガレは片方の口角を上げて白い歯を見せると、含みのある視線をこちらに向けてきた。奴隷工場で商品として育てられていた俺の悲惨な幼児期のことを揶揄しているのだろう。
それに反応してやる気は起きなかったが、言いたいことがないわけではない。
「別にこの国だって、悪くはないだろ? ブータみたいな孤児でも飢え死にするようなことはないし、運や実力さえあれば誰だって十分のし上がれる。実際、俺も王様になってるし、君らも貴族になってるじゃないか」
「所詮、準のつく一代貴族だろーが。それも円卓の騎士やってる間だけの」
吐き捨てるように言うナガレ。
それで満ち足りたゲームの中の人生から現実に引き戻されたのか、ブータが嘆息して肩を落とす。
「辞めたら平民に逆戻りなんですよねぇ。悲しいなぁ……」
「ブーちゃんなら円卓の騎士辞めたって貴族並みの生活できんだろ? 魔術師ギルドの次期マスター候補さまなんだからよ」
けらけら笑いながら、ヤルーがブータの肩を叩いて励ます。それからルーレットを回して駒を進めて、さらりと続けた。
「俺っちも別に困らねーけどな。元々王族の生まれだから平民にゃならねーし」
「はいはい、すげーすげー」
「あ、信じてねえな、ナガちゃん!」
肩をすくめて流したナガレに指を突きつけるヤルー。普段から左目につけている眼帯を外し、それを俺たちの方に差し出してくる。
「見ろよ、この眼帯の裏に王家の紋章ついてんの! これ! 王族の証なの!」
「はいはい。よかったでちゅねー」
小馬鹿にしたように口を尖らせたナガレの視線はボードの方に向いていた。
彼女だけではない。他の全員がヤルーの妄言には付き合わないし、眼帯など見向きもしない。
「俺も王様やめたら平民に逆戻りなんだよなー」
長いこと考えないようにしてきたが、そろそろ現実問題として向き合わねばならないことである。遅くとも三年、早ければあと一年足らずで俺は王をやめることになるのだ。その後、どうするか少しは真面目に考えておくべきかもしれない。
そう思ってたらアザレアさんが超不真面目な顔をして勢いよく手を挙げた。
「うちに婿養子にくれば貴族になれるよ! 一緒に国民の血税で優雅に暮らそう!」
「なるほど、天才! ……いや、アザレアさんちって暫定認定準男爵だから、なんの特権も権限もないでしょうが。全貴族会議とかいう年一の飲み会に出れるだけでしょうが」
「え、なに。お前、貴族だったの?」
目を見開いてアザレアさんの方を見るナガレ。
彼女に向けて、アザレアさんは誇らしげに左手を見せる。その親指には印章のような形状の金の指輪がはまっていた。
「ああ、それ……なんだっけ。見たことあんな」
「貴族の指輪ですよ、ナガレさん! 貴族の証!」
貴重品といえば貴重品だが価値があるかと言われると首をかしげざるを得ないあの指輪は、さかのぼること二百年、長い戦国時代とその後の統一戦争が終結してこのウィズランド王国が建国されたときに、円卓の騎士やその協力者、および彼らに恭順した各地の勢力の有力者に配られたものである。
その目的は彼らに国への忠誠を根付かせることと、彼らに与えた“貴族”という特権を明確にすること。しかし血縁者にしか継承できないという面倒な制約の魔術がかかっているとか、そもそもつけているのがめんどいなどの理由で、数代も経ないうちにほとんどの貴族が着用しなくなった悲しい品である。
しかしアザレアさんにとっては大事なものらしい。最近成長著しい胸を張ってナガレに経緯を説明する。
「この前、ミレウスくんと帰省したときに、お父さんから家督を継承したんですよ。田舎の町の町会議会議員より、国王陛下のお付きの女中の方が相応しいって理由で。その時にこの指輪も一緒にもらったんです」
「はーん、そりゃよかったな」
「やー、でも我がアンソール家はすっごいギリギリ解釈次第では貴族に血がつながっていなくもなくもないって程度の家柄なんで、ミレウスくんも言ってたとおり何の権限もない名ばかり貴族なんですけどね。考えてみると、貴族でよかったって思ったのってこの指輪もらった時と今の職を得たときだけですし」
「あん? あー、考えてみりゃいくら友人でも平民が国王のお付きの女中になれるわけねーか」
そりゃそうだ、とナガレは一人納得して、ボードに視線を戻した。
このゲームでは一度職についたら完全な無職になるということはない。フリーターになることはあってもだ。
この国の王や円卓の騎士は在職中は十分な役得があるとはいえ、辞めた後の保証は一切ない。そう考えるとブータではないが、先行きが不安にもなる。
「国王は辞めた後に貴族になれるって法律作ろうかなー」
「あ、汚ねえぞ、ミレちゃん! 他の円卓の騎士も貴族になれるようにしろよ!」
いきり立って俺に詰め寄るヤルー。
その肩を先ほどブータがされていたように叩く。
「お前は王族なんだろ? 別にいいじゃん」
「いいじゃんじゃねーよ! この国にいる限りは意味のねーことなんだからよ!」
「じゃあ自慢すんなよ……。いや、嘘なんだろうけどさ」
ヤルーはまだ何か言いたげだったが、その前に足の上のブータが首を巡らせて俺の方を見てきた。
「そういえば先代の王と円卓の騎士たちって、今どうしてるんですかねぇ。ミレウス陛下、そのへんなにかご存知ないですかぁ?」
「あー……うん。知らないこともない」
俺は前にコーンウォールでリクサから聞いたことをみんなに話してやった。先代王と先々代の王は退位した直後に円卓の騎士たちと一緒に突然失踪した、という内容だ。ウィズランド島の遥か南東にある理想郷の島に移住して今はそこで優雅に暮らしてるとかいう眉唾物の噂についても話した。
なんだか不安になる話なので聞かれるまで黙っていたわけだが、案の定、円卓の騎士の三人はいい顔はしなかった。
もちろんアザレアさんも初耳だったらしく目を丸くしていた。
「へー、そんな噂あったんだね。先代の人たちが今どこにいるかなんて、考えたこともなかったよ」
「先代王が退位したのって、もう四十年以上前の話だからね。俺もリクサに聞くまで気にしたことなかったよ。その噂ってのも一部の後援者の間で囁かれてるだけらしいから知らなかったし。……俺はとても信じられないけどね、理想郷なんて。なんだかうさんくさいし」
「たしかに。でも実際のところ、どうしたんだろう、先代さんたち」
「先代王は大陸出身だから、あっちに帰ったんじゃないかな」
「円卓の騎士さんたちも一緒に?」
「たぶんね。確か先々代も大陸出身だったはずだし、やっぱり帰国したんじゃないかな。それが変な風に伝わって、そんな噂ができたんじゃないかと思うけど」
俺もこの仮説に自信があるわけではない。
アザレアさんは俺の説明を咀嚼するように目をつむり、腕組みをして、また聞いてきた。
「そういや王が退位するタイミングってどうやって決まるのかな?」
「さぁ? あ、待てよ」
退位後のことも、退位のタイミングも過去に何度か考えたことのある謎だが、今ならすぐそこに答えを知っていそうな人がいるではないか。
そう気づき、先ほどから一人で会議の準備をしているスゥの方に目を向けると、ちょうど彼女もこちらを向いていたので目があった。
しかし部屋のドアが丁寧かつ上品にノックされ、言葉を紡ぐのを遮られてしまう。
「よろしいでしょうか、陛下」
と、律儀に許可を得てから扉を開けて入ってきたのはリクサで、その右手に首根っこを掴まれてズルズル引きずられてきたのはラヴィだった。
「いやだぁー! 仕事したくないー!」
「今日は会議だけです。大人しくしなさい、ラヴィ」
「会議で仕事振られるかもしれないじゃん! いやぁー!!!」
絶叫しながら暴れているが、もちろんリクサには敵わない。サボりそうだからという理由で迎えに行かせたのだが正解だったようである。
ちなみにもう一人のサボリ魔であるヤルーは俺が直々に連行した。今日の会議における最重要人物だからだ。
「あのぉー、ミレウスさん……」
ラヴィたちの方を向いていた俺に、申し訳なさそうにスゥが声をかけてくる。それで気づいた。
「ああ、ごめん。そういや揃ったな」
よっこいしょと足の上のブータを横に下ろして立ち上がり、毎晩使っている天蓋付きベッドの方へ行く。そこで栗鼠のように丸まってすやすや眠っていたイスカの肩を揺さぶると、彼女は寝ぼけ眼をこすりながら身を起こした。
「おー、みれうす。おひるごはんのじかんかー?」
「お昼はさっき食べたでしょ。会議だよ会議」
「うえー」
ラヴィと似たような顔をして二度寝を決めようと再び横になるイスカ。
それをベッドから強引に引きずり下ろし、部屋を見渡してひーふーみーと数えてみたが、確かに円卓の騎士は俺を含めて十一名揃っていた。この場にいないのは放浪ザリガニ野郎のレイドと、未選定の第五席のみ。
みんなの注目を集めるよう何度か手を叩いて、声を張る。
「そんじゃー始めるぞー。魔神将ギルヴァエン討伐作戦会議ー」