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第百五十一話 前代未聞の幕切れにしたのが間違いだった

 ――以上、回想終わり。


 やたらと長くなった上に回想の中でまで回想をした気がするが、ともかくこんな状況になってしまった根本的な原因は見つからなかった。


 この大会に出ろというスゥの言葉を無視していれば、こんな事態は避けられただろう。

 あるいは決勝まで勝ち上がらせるのをヂャギーにしていなければ、こうはなっていなかったはずだ。




 いや、問題はそこじゃない。

 その辺はこの事態を回避できた分岐点であって、この事態の直接的な原因じゃない。




 考えるべきは、なぜ“自走式擬態茸(マッコイ)の串焼き”なんてものがこのガルティアで売られているのか。その一点だ。

 普通のキノコ料理であればこんなことにはなっていないはず。ウィズランド島隠れ三大珍味の名に恥じぬあのキノコの強い香りだからこそ、この舞台(アリーナ)まで届いているのだ。


 “自走式擬態茸(マッコイ)”。


 過去に目視した人間に擬態して襲ってくる希少危険種(レアモンスター)だ。俺も以前、シエナの故郷である人狼(ウェアウルフ)の森で食べたことがあるが、主な生息域はあの辺りであり、島の他の場所ではほとんど敵性遭遇(エンカウント)しなかったはずだ。それがなぜ今朝、この荒野の広がる北東部で狩れたのか。


 答えを導きだせない俺は助けを求めるように国王一行用の観覧席を見上げた。どうやら円卓の騎士のみんなもヂャギーの異変に気付いたらしい。慌てた様子で何やら話し合っている。

 今日の分のラヴィの忠誠度は先ほどの【影歩き(シャドウステップ)】で使い切ってしまっていたので、代わりにシエナから【聞き耳】を借りてその会話に耳を傾ける。

 聞こえてきたのはブータの喋る仮説だった。


「あ、あのぉ、この間のウルト討伐戦の時に人狼(ウェアウルフ)の森が大火事になりましたよね? あれで自走式擬態茸(マッコイ)が焼け出されて島中に散らばったんじゃあ……」


 なるほど。答えは得た。


 いや、答えを得たところで現実は変わらないのだけど

 現状をどうにかするヒントが得られたわけではないのだけど。

 そんなこと百も承知の上だったのだけど。


 それでも現実逃避のために思索せざるを得なかったのだ。


 今度は領主一族用の観覧席の方を見上げる。

 やはりグスタフもおかしなことになったと気づいてはいるようだ。だが止める気は一切ないらしい。愉快そうに目を細めて手を叩き、こちらを見下ろしている。


 他人(ひと)事だと思いやがって。


「ぢゃあああぎぃいいい!!!」


 再びヂャギーが咆哮を上げた。

 こんな風に幻覚症状を起こして暴走した彼を倒すのはリクサでも不可能だ。僅かな時間、渡り合うのが関の山である。


 まごう事なき非常事態。東都(ルド)でデスパーに作製してもらった純白の鎧一式(ラウンズ・シリーズ)を【瞬間転移装着インスタント・エクイップ】しよう。あれには円卓の騎士の同士討ちを防ぐ魔力が付与されている。互いに装着すると決着がつかなくなるのでこの大会では使わないよう事前に申し合わせていたが、もはやそんなこと気にしてはいられない。ヂャギーがこの状態になるといつも、みんなでアレを着用して彼が疲れて眠ってしまうまで放置するらしいし。


 純白の鎧一式(ラウンズ・シリーズ)を装着するみんなの姿を思い浮かべて【瞬間転移装着インスタント・エクイップ】のスキルを借りる。

 が、しかし。


「……あれ?」


 何も起きない。

 焦る心を落ち着けて、もう一度。


 だが、やはり鎧一式は召喚されない。


「な、なんで!?」


 すでに何度か行ったことがある手順をそのままやっただけである。何も変えてはいない。

 何か変わったことがあるとすれば――。


 足元を見る。

 白い一枚岩から作られた真円形のだだっ広い舞台(アリーナ)。もしかして、これが原因か?


『さぁ盛り上がってきました決勝戦! 気合十分のヂャギー選手、再び仕掛ける!』


 実況のエルの声を聞き、ハッと顔を上げる。


 迫りくるヂャギー。それと左から振るわれる斧槍(ハルバード)の刃。

 聖剣で受けたらまた脅威と判定されず吹っ飛ばされる。そう思った俺は、よりにもよって左腕を上げてそれを受けた。


 肘の辺りに何かが触れた。そう感じたときにはもう、肘の寸前で斧槍(ハルバード)の刃が止まっていた。

 いや、正確には刃と俺の肘の皮は接触しているのだ。しかしほんの少しも切り裂いてはいない。


 明らかに物理法則に反した現象を目の当たりにして、観客席が大きくどよめく。


『ミ、ミレウス選手、生身の腕でヂャギー選手の斧槍(ハルバード)を受け止めたぁ!! 解説のアールさん、これはいったい!?』


『スキルでしょうね。なんかの』


 二人は聖剣の鞘の絶対無敵の加護のことを知っている。しかし国民には秘匿されている情報であるので適当に誤魔化してくれた。たぶんヂャギーの異変についても二人は気づいているのだろうが、私情を出さず、与えられた職務に徹している。


 自身の攻撃が効かなかったことをヂャギーはどう思ったのか。今の彼の眼には俺は直立歩行する大きなキノコに見えているはずだが、やけに硬いキノコだとでも思ったか。

 更なる力を求めたヂャギーは、この試合三度目となる咆哮を上げた。


「ぢゃああああああぎいいい!!!」


 巨体のあちこちに走る刀傷。吹き出す鮮血。さらに隆起した筋肉が革鎧(レザーアーマー)(はじ)き飛ばし、その筋骨隆々の肉体をむき出しにさせる。

 【自傷強化スーサイド・ストレンクス】、それもかなりの回数の重ね掛けだ。


「ウリィ! ウリィ! ウリィイイイイ!!!」


 ヂャギーは意味を成さない叫び声を上げながら長大な斧槍(ハルバード)を振り回す。それは無造作のようでいて、的確に俺の急所を狙っていた。


 首、心臓、腰、手首。


 それらに向かってくる刃を、俺は急所ではない箇所――肘やらなにやらでどうにか受けた。後でダメージが帰ってきてえらい目にあうのはもちろん分かっている。だが今はこれで耐えしのぐしかない。


 攻めているのはヂャギーの方。

 しかし怪我が増えていくのもヂャギーの方だ。


 【自傷強化スーサイド・ストレンクス】を更に重ね掛けしているのか、その巨体に走る裂傷は次第に数を増していった。俺たちの足元も彼の血でぬかるみ始めている。

 すでに彼の筋力は上限に達しているはず。これ以上の重ね掛けは無意味だが、どうやらそう判断することすらできないようだ。


 ヂャギーの暴走具合は過去に例がないほど激しい。その原因は恐らく、観客や孤児院の子供たちの期待に応えようと彼が気負いすぎていたことだろう。極度の緊張やプレッシャーは彼が幻覚症状を引き起こす要因の一つ。今回の事態を引き起こした直接的な要因はキノコの匂いだが、それ以前にそういう心理状況にあったからこそ、ここまで酷い状態になってしまったのだと思う。


 それにしても、いくら不死身のような肉体を持つ彼であっても、これだけ血を流すのはまずいのではないか。


『解説のアールさん! あの舞台の上では自傷効果でも死なないんでしょうか!?』


『分かりません! ちょっと前例にないです!』


 彼の尋常ではない出血を見て、エルとアールも心配している。

 死人が出ないようにこの舞台に掛けられた異界化魔術。【瞬間転移装着インスタント・エクイップ】が成功しないのも恐らくそれの影響だ。他の召喚系スキルや魔法、魔術を使ってもたぶん同じく失敗する。

 異界から物品を取り寄せるのは非常に難しいことだと、前にブータから聞いたことがあった。


「ちょちょ、待った! ヂャギー、ちょっとタンマ!」


 猛攻を受けながら俺は見苦しくも停戦要求してみたが、もちろんヂャギーは聞く耳を持たない。というよりまったく聞こえていないように攻撃を続けてくる。


 どーすんだ、これ。


 打つ手がないのは相手も同じ。一応、このままヂャギーが疲れ果てるまで耐えしのげば勝てるには勝てるが、あとで帰ってくるダメージのことを考えるとこれ以上、体で受けたくないし、ヂャギーの体のことを考えるとそんな長引かせたくもない。


 もうあきらめてギブアップしてしまおうか。それとも攻撃を喰らったふりをしてリングアウトしてしまうか。試合に決着がついてもヂャギーは攻撃の手を止めないだろうが、円卓の騎士が総出でかかればさすがに止められるだろうし――。


「……ん?」


 “暴走”。“異界”。“魔法や魔術以外ならなんでもアリ”。

 その辺のキーワードが頭の中で結びつく。




 今のヂャギーを止められる手段は普通にあるんじゃないか?




 そう気づいた瞬間、ヂャギーはぴたりと攻撃の手を止めた。


 もしや正気に戻ったのかと淡い期待を抱いたが、もちろんそんな甘くはない。

 ヂャギーは顔を覆うバケツのような兜に自身の血を塗りたくると、その手を俺に向け、ぶつぶつと不気味な声を兜の口の開閉部から発し始めた。


 途端、全身に鋭い痛みが走る。


「いってえええええええ!!」


 絶叫して転倒し、舞台の上をのたうち回る。

 全身の皮膚が切り裂かれたようなこの痛み。【自傷強化スーサイド・ストレンクス】の副作用と同質のものだ。しかし俺の体に傷はできてないし、出血もしていない。


『おっとー! ミレウス選手、突然、ダメージを受けたかのように痛がり始めました!』


『【痛覚共有(レシプロシティ)】! [暗黒騎士(ブラックナイト)]系統のスキルですね! 自分が感じている痛みを対象にも与える呪いの一種です!』


 アールの解説を聞き、観客たちが盛り上がる。


 そのスキルについては俺はもちろん知っていた。聖剣の能力で借りる関係上、一度みんなに頼んで自分が使えるスキルを全部書き出してもらったことがあるからだ。

 もっとも【痛覚共有(レシプロシティ)】は円卓の騎士の責務で戦う魔神将(アークデーモン)や決戦級天聖機械(オートマタ)にはまるで効かない死にスキルだから、今の今まで忘却の彼方だった。当然、それが俺に効くとは考えたこともなかった。


 確かに痛み以外に効果はない嫌がらせ程度のスキルだが、脅威と判定されないのはいただけない。というか、聖剣の鞘(レクレスローン)欠陥(バグ)の一つだとはっきり言いたい。普通の精神攻撃には反応してくれるというのに。


「ぐぐ……く、くそう……」


 よろめきながら、俺はどうにか立ち上がった。

 軽く死ぬようなダメージを何度も何度も負ってきたからか、痛みには耐性ができている。これくらいなら、まぁギリギリ我慢できなくもない。しかしこうして立ち上がれるのは聖剣の鞘が脅威と判定しないのが正しいと証明しているようで(しゃく)に障る。


 【痛覚共有(レシプロシティ)】を使っている間は使用者は動けない。だからヂャギーは追撃してこないで、俺の方に手を向けてぶつぶつと呪文のようなものを唱え続けている。


 その姿を見た時、俺は不意に“理解”した。


 この聖剣を使うようになってからすでに何度かあったこの感覚。

 先代王の言葉が頭の中で蘇る。




 “使えるときになったら、剣の力で自ずと分かるようになる”




 今、新たに使えるようになった聖剣の能力の使用法はスキルのレンタルとよく似ていた。

 円卓の騎士がそれを使っている姿を思い浮かべるだけでよい。

 しかしこれは忠誠度を消費して使うスキルレンタルと異なり、友人としての好感度――親密度を使う能力だ。




 “強制代行権”。




 スキルの使用と停止を強制的に指示できる聖剣の能力。


「【痛覚共有(レシプロシティ)】キャンセル!」


 バッとヂャギーに手を向けて叫ぶと、すぐさま全身の痛みが収まった。

 ヂャギーの方も気が付いたのだろう。呪文のような呟きを止め、俺に向けていた手を下ろした。


「【自傷強化スーサイド・ストレンクス】キャンセル!」


 続けて叫ぶ。膨張していたヂャギーの筋肉が元のサイズ戻る。と言ってもそれでも十分な怪力を維持しているだろうが、多少はマシになったはず。


 突然自分のスキルが停止されたことをヂャギーがどう思ったか知らないが、彼はすぐさま次の行動に出た。革鎧から解放されてむき出しとなっている胸のあたり――心臓の位置に手を当てて、次の強化(バフ)スキルを使う。

 それがどんなスキルなのかも、俺は把握していた。心臓の働きを強化して一時的に限界を超えた運動能力を発揮するスキルだ。


「【鼓動加速(オーバーロード)】キャンセル!」


 ヂャギーはあきらめることなく、次のスキルに移行する。今度は両腕を交差して深い呼吸を繰り返す。

 俺はそれも停止しようと声を出した。


「【攻撃専念(オフェンス・スタンス)】キャンセ……いや!」


 防御行動を封じる代わりに攻撃力を増すスキル。考えようによっては都合がいいとも言える。ヂャギーの攻撃は俺には効かない。少なくともすぐには。だったら【攻撃専念(オフェンス・スタンス)】はヂャギーの隙を増やすだけのスキルになる。


 再び襲い来るヂャギー。

 俺は攻撃を喰らうのを覚悟で足を踏み出し、迎え撃った。


 上段から振り下ろされたヂャギーの斧槍(ハルバード)は見事に俺の肩口を捉えたが、やはり絶対無敵の加護により止まる。

 一方、俺が懐から取り出してヂャギーのバケツヘルムに叩きつけた革袋は正しく効果を発揮した。袋の中身はウィズランド島北東部に広がる荒野の砂。煙幕を使ったグスタフを見習(パク)って、一回戦と二回戦の間にこそっと闘技場(コロシアム)の外に出て採取しておいたのである。もちろん匿名希望(インコグニート)をつけて。


 目潰しは実力差に関係なく威力を発揮する攻撃だ。

 兜のスリットから侵入した砂が目に入ったのか、ヂャギーは露骨に狼狽(うろた)え、目元から砂を払うような仕草をした。が、分厚い兜に阻まれて上手くいかない。


 その隙に俺はヂャギーに背中を向けて、舞台の端まで走って逃げた。

 観客席のあちこちからブーイングが飛んでくる。国王相手だというのに遠慮がないが、この街の気風を考えれば自然ではある。


 すまない、と俺は心の中で謝った。


 別に俺も恐れをなして逃げだしたわけではないのだ。

 先ほど気づいたヂャギーを止める方法。その準備をするため、いくらかの時間が必要だったのだ。


『リクサ! リクサ、聞こえるか!』


 国王用の観覧席を見上げ、聖剣の親密度能力の一つである円卓の騎士との心話(テレパシー)の力で呼びかける。が、戻ってきたのは残念すぎる返事だった。


『はぁい、陛下ー。きこえてまふよー。うふふー、がんばってまふねー』


『もう泥酔してるのかよ! 早いよ! さっき呑み始めたばかりだろ!』


 麦酒(ビール)の入った紙コップを片手に、上機嫌でぶんぶんと手を振ってくるリクサ。その顔は遠目から見ても分かるくらい赤くなっていた。ああなってしまうと、もはやなんの役にも立たない。


『ええい、じゃあブータ! 悪いけどナガレを叩き起こしてくれ!』


『は、はぁい』


 ブータは指示通り、席でひじ掛けに突っ伏して寝ているナガレの背中をトントンと叩いてくれた。が、かなり深く寝入っているらしく、まるで反応がない。結局ブータはシエナやアザレアさんにも手伝ってもらって、なんとかナガレを起こすことができた。


 時間がない。焦る気持ちを抑えながら、心話(テレパシー)の対象を変える。


 [異界調合士(アザーアルケミスト)]。彼女の特殊能力ならば、あるいは異界化したこの舞台の上にも物品を届けられるかもしれない。


『おい、ナガレ! アレくれ、アレ!』


『ああん? なんだよぉ……アレ? アレって?』


『かすっただけでクジラとか動けなくする薬だよ! 二年前に円卓の間でヂャギーが暴れたときに使ったやつ!』


『ああ、アレ……ってか今試合中かぁ? 人が気持ちよく寝てたってのに起こしやがって。やっぱお前、昔寝てるところ襲ったの、根に持ってんだろ』


『そういうのいいから! 緊急事態なんだ! とにかく早く!』


 視界が戻ったのか、ヂャギーはこちらを向いて斧槍(ハルバード)を構え直した。本当にもう時間がない。

 ナガレは寝ぼけ眼でこちらを見下ろしているようだが、まだ状況を掴めていないようだ。


『んー? いや、よくわかんねーけど、ミレウスが勝ったらオレ損すんだろーが。だから、や・だ』


『賭けのことはいったん忘れろ! 賭け金はあとで補填するから!』


『しゃーねーなー。じゃ、右手軽く握れ』


 言われるがままにする。すると、ナガレは気だるそうにその右手を虚空に向かって突き出した。

 直後、俺の握った右手の中に小さな重量感が生まれた。見ると、透明な薬品で満たされた試験管のような長細いガラス瓶がそこにあった。物品の転送を行う例の黒い渦でナガレが届けてくれたのだろう。

 周りが助けちゃいけないなんてルールは明示されていなかったが、言うまでもなく反則だ。

 しかし観客はまったく気づいていないし、非常事態だからいいのだ。


 ナガレが大あくびをしながら心話(テレパシー)で伝えてくる。


『そーいや、それ。南港湾都市(サイドビーチ)の海で海賊相手にしたときも貸してやったよな。普通の人間相手ならあんときみたいに剣に塗って斬り付けるだけでも十分効くけど、ヂャギーは薬物耐性あるからチュウシャしないとダメだぜ』


『え、嘘!?』


『マジ。……ああ、でもなんかヂャギー傷だらけだし、今ならぶっかけるだけでも効くかもな。知らんけど』


 そこでタイムリミットが来た。


「ぢゃあああぎぃいいい!!!」


 咆哮と共に突撃してくるヂャギー。

 覚悟を決めた俺は聖剣を放り捨て、彼に向かって走った。


 決着の予感に、円形闘技場(コロシアム)が揺れる。


 まず長物を持つヂャギーの間合いに入る。

 ぞっとするような速さで振るわれる斧槍(ハルバード)。その斧部の刃は寸分たがわずに俺の胴を捉えたが、これまでの攻撃と同様に絶対無敵の加護によりダメージは先送りにされた。


 (おく)することなく、俺は彼の懐に飛び込んだ。そして右手の中に隠し持っていたガラス瓶のコルク栓を親指で抜き、そのままヂャギーの腹を殴りつける。


 無論、鋼鉄のような腹直筋に阻まれて打撃としては無意味。

 だが、ガラス瓶からあふれ出した透明な薬品はヂャギーの腹部の裂傷に十分にかかった。


 超至近距離。

 ヂャギーは斧槍(ハルバード)を手放し、両手で俺の頭部を左右から掴む。

 隆起する、ヂャギーの両腕。首をへし折り、頭蓋骨を粉砕するくらいの力を込めたのだろうが、それもまた俺には効かない。今すぐには。


「大丈夫だ、ヂャギー。……大丈夫」


 不思議と俺の心は平静を保っていた。

 彼の両腕に両手で触れて、優しく言い聞かせる。


「ここには君の敵なんかいない」


 もちろんヂャギーにこの声は届いていない。

 そのはずだったのだが、彼の動きはピタリと止まった。


 バケツヘルムのスリットから覗く彼の両眼。そこに、正気の光が戻ったようにも見えたのだが――。


 その真偽を知る前に、ヂャギーの巨体はぐらりと揺れて、俺を避けるように前のめりに倒れた。


 孤児院の子供たちが悲鳴を上げるように彼の名前を叫ぶ。


 大丈夫。彼の負けにはしない。

 崩れ落ちるようにして、俺も舞台の上に倒れる。本当はまだノーダメージなのだけれど。


『ダ、ダブルノックダウーン! 両者、倒れたままぴくりとも動きませーん!』


『第五十回剣覧武会! 前代未聞の幕切れです!』


 エルとアールの声を受け、爆発的な歓声が闘技場(コロシアム)を包む。その後も実況解説の二人はなにか色々言っていたが、観客たちの声に呑まれてほとんど聞き取れなくなった。しかしどうやら、癒し手を呼んだり担架を運び込むよう要求したりしているようだ。ヂャギーのことは心配要らないだろう。


 俺はうつ伏せに倒れたまま、気絶したふりを続けた。そのうち頭部に鋭い痛みが走る。最初に吹っ飛ばされたときに頭を舞台に打ち付けたダメージが戻ってきたのだろう。急激に意識が薄れていく。


 王と円卓の騎士の威厳を保ち、ヂャギーを応援している子供たちをがっかりさせず、ついでにバカみたいな賭けをしてた奴らにも損をさせない、たったひとつの冴えたやりかた。それが、ダブルノックダウン(これ)だった。


 我ながらなかなかいい納め方をしたものだと満足感に浸りながら、熱狂と興奮の闘技場(コロシアム)の中心で――今度は演技ではなく本当に――俺は意識を失った。

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