第百四十五話 死闘になると思ったのが間違いだった
『それでは第一試合! 選手入場!』
『まずは円卓騎士団次席騎士、リクサ・バートリ!』
一回戦の前半二試合に参加する円卓の騎士三人が闘技場内部に向かってからしばらくのち、解説と実況のエルとアールが威勢のいい声で呼び上げを行った。それに応えて闘技場の東のゲートから入場してくるのは双剣を左右の手に提げたリクサである。五万の観衆の視線を気にも留めずに堂々と舞台に上がった彼女は向かいにあるもう一つのゲートを静かに見つめた。
続いて対戦相手の呼び上げが行われる。
『対するはゴールドホライズン地方予選優勝者、ミスターⅩ!』
西のゲートから現れたのは幅広の剣と大盾を装備した大柄な男だった。背中につけた深緑の外套をはためかせてそいつが舞台に上がると、激闘を予感した観客たちから大歓声が巻き起こった。
一方、俺たち円卓の騎士はほぼ全員が唖然として口を開き、同時に叫んでいた。俺たちにはそいつが直立した人間サイズのザリガニに見えていたからだ。
「レイド!?」
「レイドじゃねえか!」
「レイドくんじゃん!」
「な、なんでレイドさんが!?」
「レイド兄さん!?」
それぞれ俺、ヤルー、ラヴィ、シエナ、ブータの叫び声である。
「なーにやってんだあいつ……」
ナガレは叫ばなかったが、呆れたような顔をして麦酒入りのコップを取り落としそうになっていた。
イスカは俺が買ってやったペミカンというシチューにも似たこの街の名物料理の一つをスプーンで食いながら首をかしげている。
「んー、だれだー?」
「ほら、イスカちゃん。去年の冬にコーンウォールの喫茶店で会ったあの人だよ。あの人」
「かふぇー? なんのことだー?」
アザレアさんに教えてもらっても、なおも首を傾げ続けるイスカ。その口元についたペミカンをハンカチで拭ってやりながら、アザレアさんは根気よく説明してやった。
「ほら、えーと、コーヒーゼリー奢ってくれたあの人だよ。いや、奢ってくれてないけど。ミレウスくんに勘定押し付けて食い逃げしたけど」
「あー、レティシアもってたあいつなー! おもいだした、おもいだした。……じゅるり」
イスカがレイドの方を見ながら今度は涎を垂らすので、アザレアさんは慌ててそれも拭ってやった。
確かにレイドは美味そうな見た目をしているが、さすがに食ってはいけない。たとえ危険種料理が盛んなこの街であろうとも。
そんな二人の会話が聞こえたわけではあるまいが、舞台上のレイドはその顔の左右に向いた眼球をふいにこちらに向けてきた。瞼のないザリガニの眼球なので分かりにくいが、何かを値踏みするかのようでもある。
「レイドくんがなんで出場してるのか知らないけどさー。まぁあの人なら地方予選くらい楽勝だよねー」
ラヴィが気楽そうにパフェを食べながらレイドを見下ろして言って、それからみんなの方を向いて閃いた感じの顔をする。
「そだ。この試合単体でも賭けしようよ。みんな、どっちに賭ける?」
「リクサ」
「リ、リクサさんに」
「僕もリクサ姉さんですねぇ」
即答したのはヤルーとシエナとブータだった。他のみんなも同意見らしい。
ナガレがわざとらしく肩をすくめる。
「賭けが成立しねーじゃねえか。誰かレイドに賭けろよ」
彼女の声に応える者はいない。
俺は五分五分くらいかと思っていたのでだいぶ驚いていた。
「意外だな。もっと意見が割れると思ったのに」
二年前の夏にみんなに聞いた話では、レイドは俺たち円卓の騎士の中でも飛びぬけてレベルが高いそうで、確か七百を超えているとのことだった。出身地である地の底での拡散魔王討伐をはじめ、世界各地で数多の戦いを経験してきたのがその理由で、ナガレも『化け物のように強い』と評していた。
そのナガレが俺の疑問に答えてくれる。
「別にレイドの方が弱いってわけじゃねーよ。ただリクサに対しては相性が悪いし、ルール的にも不利だって話」
先ほどから水のように飲んでる麦酒のアルコールが回ってきたのか、ナガレの顔は少し赤くなってきており、目も据わってきているように見えた。この闘技場で一番人気だというケチャップとマスタードがたっぷりかかった迷い豚のウィンナー盛りを楊枝で刺してひょいひょいと口に運びながらガブガブと麦酒を飲んで、滑らかな語り口で続ける。
「あいつの職……[赤騎士]ってのはハイレベルな剣技と魔術を使いこなす上級職だ。よく言えば万能、悪く言えば器用貧乏。まぁあいつくらいのレベルになるとどっちも生半可な専門家より遥かに上なんだけど、剣覧武会は魔術が使用禁止だからな。相手の弱点を攻撃しにいくっていう[赤騎士]の強みが生かせねえ。ま、そもそも勇者に攻撃魔術は効かねえから、なんでもアリのルールでもリクサの方に賭けただろうけどよ」
こういう解説をする訳知り顔のオヤジ、野球の競技場にいそうだなと俺は思ったが、ナガレがなんだか上機嫌なので黙っておいた。
が、代わりにヤルーがそれを言う。
「けっけっけ。なぁミレちゃん、こういう解説オヤジ、野球の競技場にいそうだよな」
「うっせークソ詐欺師! ぶっ殺すぞ!」
先ほどリクサに押し出されて前の座席に移動していたヤルーだが、今度はナガレに背中を蹴とばされて闘技場の下へと続く階段を転がり落ちていった。
幸い、その時階段には誰もおらず――というか、それを確認してナガレは蹴ったのだろうが――ヤルーは一番下の段までノンストップで落ちていき、転落防止用の柵に激突してようやく止まった。
階段周りの観客がざわつき、こちらを見上げてきたり、倒れたままのヤルーに駆けよったりする。
もっともヤルーは究極の燃焼と再生を司る火の上位精霊――不死鳥を常時憑依させているのでこの程度で死んだりはしない。血だらけになりながらも立ち上がり、あちこち骨折した状態で階段を上ってくる。その間に不死鳥の自動再生効果でヤルーの体の損傷は見て取れるほどの速度で治っていった。
再びざわつく階段周りの観客たち。
「す、すげえ。なんで動けるんだ、あそこから落ちてきて」
「この人も円卓の騎士さん? やっぱりバケモノ揃いなのね!」
「でもどうしていきなり上から落ちてきたんだ?」
元の席に戻ってくる頃にはヤルーの体は元通りになっていた。ひきつった顔のアザレアさんから手渡されたタオルで全身についた血を拭いながら、ナガレに話を続けるように無言のまま手で促す。
「絶対攻撃されるの分かってるのに、なんでああいう憎まれ口叩くんだ、お前は」
呆れた俺がそう言ってもヤルーに反省した様子は微塵もなかった。とりあえずここではもう黙っていることにしたようだけど。
それでナガレは気をよくしたのか、舞台上の二人の戦力分析について一つ補足を入れた。
「リクサはその気になりゃ勇者の血で剣に水棲生物への特効を付与できるからな。攻撃面でも大幅有利なわけよ」
「ああ、あいつそれ効くんだ……そりゃそうか、ザリガニだもんな」
心の底から納得した俺は聖剣の力でラヴィから【聞き耳】のスキルを借りて舞台の上に聴力を集中させた。それで聞こえてきたのは困惑した様子のリクサと、いつも通り尊大かつ泰然とした様子のレイドのやりとりである。
「レイド、貴方が何故ここにいるのかは知りませんが、私は負けるわけにはいきません。陛下の命を受けてここに立っていますので」
「うむ。全力で来るがいい」
長々と会話をしている時間はなかった。そこで試合開始を告げる銅鑼が打ち鳴らされ、観客がワッと沸く。
「いきます!」
滅亡級危険種を相手にするときと同じように、リクサの行動には迷いがなく、迅速だった。全身から勇者特権の白とも黄色ともつかぬ湯気のようなオーラを立ち昇らせると、地を這うように駆けて瞬く間に間合いを詰める。
そして振るわれるのは右手に握った天剣ローレンティアと左手に握った地剣アスター。
どちらもそれなりに長さのある直剣だが、リクサは腕だけでなく全身を上手く使い、それら二本で目にもとまらぬ波状攻撃を繰り出した。手数も多いが、威力も十分にある。どれも一太刀で勝負をつけられそうな斬撃だ。
レイドは上下左右から襲い来るリクサの猛攻を大盾で捌きつつ、隙を見て強力な魔力を帯びた幅広の剣――魔剣レティシアで渾身の反撃を繰り出す。リクサは攻撃の手を緩めることなく、それに対応した。時には躱し、時には攻撃に用いていない方の剣で受け流す。
「リクサの奴、最初から全開だな」
ぽつりとナガレが呟いた。
今大会はトーナメントだ。勝ち残れば最大あと二試合戦わなければならないが、力を温存して勝てる相手ではない。長期戦に持ち込めば有利になる相手でもない。きっとリクサの判断は正しいのだろう。
すでになぜ息が続いているのか不思議なくらい長く二人は攻防を続けているが、剣戟は一向に収まる気配を見せない。互いに相手の体を捉えられぬまま、ただ撃ち合う金属音だけが繰り返される。
当初は大盛り上がりで声援を送っていた観客たちだが、二人の攻防のレベルの高さに圧倒されたのか、次第に口をつぐみ、息を飲んで静かに見守り始めた。
「はー。二人ともすっごいねぇ」
アザレアさんが見開いた目を舞台に向けたまま、感嘆の声を漏らす。俺も同じ感想を持っていたが、戦闘のプロたちの意見はやはり違った。
「レ、レイドさんはやっぱり厳しいですね」
「まぁこうなっちゃいますよねぇ」
シエナとブータが囁きあっている。俺にはまだ互角のようにしか見えないのだが、みんなにはもう勝負がつきかけているように見えているらしい。
「そろそろげんかいっぽいぞー」
イスカがあまり興味なさそうに言って舞台の方を指をさし、俺の視線を誘導する。それでようやく気が付いたが、広い舞台の中央で戦い始めた二人がいつの間にかだいぶ端に近いところまで移動していた。戦いの間に少しずつ、リクサがレイドを後方へと押しやっていたのである。
この剣覧武会は舞台から落ちても負けになる。舞台は円形なので、場外を避けるようにぐるりと動く手もあるだろうが、リクサほどの強者を相手にそれができるとは思えない。
このままリングアウトで勝負が決まるか――と思ったところで、意外にもレイドは前方に大盾を構えて突進をした。意表を突かれたのかリクサはその大振りな攻撃を回避できず、後ろに弾き飛ばされた。
【盾殴り】の一種であろう。リクサはそれほど体勢を崩したわけではないが、間合いは離れた。
その隙に、レイドは幅広の剣を腰につけていた鞘に納め、開いた右手をすっと前方に伸ばす。
あの構え。まさか、ルールで禁止されている魔術を使うつもりか。
観客たちも同じように思ったのか、しんと静まり返っていた闘技場の中に緊張が走った。
そんな中、いつものようにレイドは淡々と語り掛ける。
「ギブアップ。腕を上げたな、リクサ嬢」
『え』と会場の誰かが声を漏らした。これまた先ほどまでの俺と同じように、勝負はまだまだこれからだと思っていたのだろう。
『決着ゥー!!』
『第一試合の勝者はリクサ・バートリ!』
エルとアールの勝ち名乗りには戸惑いの色はなかった。二人も円卓のみんなと同じように勝負が傾いていたことを理解していたようだ。
リクサにとってもこの降参は意外なことではなかったらしい。驚いた様子は見せず、緊張が解けたかのように息をついて剣を握った両手を下げた。
「安心しましたよ、レイド。腕は衰えていないようです。もし魔術が使えるルールであれば結果は違っていたでしょう」
「それは話しても詮無いこと。ではさらばだ」
レイドは背中につけた深緑の外套をはためかせて舞台を降りると、闘技場の西ゲートへと颯爽と走って消えた。
いまだに事態が飲み込めていないのか、観客たちは無言のままそれを見送ったが、やがて素晴らしい試合を繰り広げた二人の戦士に向けて惜しみない拍手を送り始めた。リクサがそれに応えて手を挙げると、今度は勝者である彼女の名を称えるコールが始まる。
闘技場内部には下見に行っていたので跳ぶことができる。
俺はブータから《瞬間転移》の魔術を借りるとすぐさまその呪文を唱えて、消えたレイドを追いかけた。