第百四十四話 適当に負ければいいと思ったのが間違いだった
それから続けて行われた予選BブロックとCブロックも、Aブロックのヂャギーと同じようにデスパーとリクサがまったく危なげなく勝ち残った。
二人は対称的な表情をして国王用の観覧席までやってくる。
「歯ごたえなさすぎなんだヨ! つまんねえヨ!」
ぷんぷんしながら席に座ったデスパー――というか悪霊は、ラヴィから串焼き肉を受け取るとそのサメのような歯で勢いよく齧り付いた。途端に相好を崩し、絶叫する。
「うんめェェエエエ!!! うめエナ、コレ!」
これには渡したラヴィも苦笑いである。
「悪霊くんとデスパーくんって味覚共有してんの?」
「してねぇヨ! ……だから、こういう時は体の操作権の取り合いになるんデスよ」
話してる途中で口調と顔つきが悪霊のそれからデスパーのそれへとシームレスに変化する。なかなか難儀な体をしているものだ。
「ど、どうでしたか、ミレウス陛下。私の戦いぶりは……」
リクサの方はもじもじしながら俺のところにやってきた。俺は串焼き肉とソフトドリンクを彼女に差し出して労う。
「すごくよかったよ。お疲れ様。リクサも食べたら?」
「ありがとうございます。いただきます」
ほっとした表情を浮かべたリクサは俺の隣の席にいたヤルーを押しのけて、そこに座って食事を始める。その寸前、ナガレが手にしている麦酒入りのコップの方にちらりと目を向けたのを俺は見逃さなかったが、まだ彼女には試合が残っているので呑ませるわけにはいかない。
先に本選進出を決めていたヂャギーは闘技場の最下段の席にいる孤児院の子供たちのところに寄っていた。デスパーやリクサの戦いぶりもこの街の人々に大いにウケていたが、やはり一番反応がよかったのはヂャギーのシンプルかつパワフルな戦い方だった。子供たちと話す彼の周りには多くの観客が押しかけており、その屈強な肉体を興味深げにぺたぺた触ったり、着用している革鎧の隙間におひねりとして紙幣を差し込んだりしている。
「ヂャ、ヂャギーさんも人に慣れてきましたよね。……昔と比べると」
古参の騎士であるシエナがヂャギーを見下ろしながら微笑む。
同じく古参のナガレが麦酒を片手に大海魔スルメを噛み、同意するように頷いた。
「そういやそうだな。昔は精神安定剤なしじゃ人前に出れなかったのによ」
「さ、最近は例の幻覚症状も出ていませんしね」
二人の会話を聞いて、俺はおよそ二年前、王に即位したその日に円卓の間で起きた出来事を思い出していた。あの時あの場にいたのは俺、シエナ、ナガレ、リクサの四人とヂャギーだけだった。
白い錠剤をすりつぶして細い筒状のもので鼻から吸引する彼の姿、それと斧槍を使って暴れる彼の姿は今も鮮明に覚えている。魔王信仰者に攫われたあげく山に捨てられ、そこで自走式催眠茸という危険種に育てられたという異色の過去を持つ彼は、ストレスが溜まったり緊張したり茸を見たりすると、周りの人間が歩く菌糸類に見えるという幻覚に襲われることがある。そのたびに正気を失って暴れてしまうのが彼の欠点であったが、シエナの言うとおり最近はそれも頻度が落ちてきていた。
『さぁさぁ、みなさんお待たせしました! 本戦のトーナメント組み合わせ抽選の時間です!』
ヂャギーや孤児院の子供たちがいるあたりのすぐ横のボックス席から、実況のエルの声がした。見るとその隣にいるアールがくじ引きの箱のようなものを闘技場中の観客に見えるように高く掲げていた。
『このボックスには本選進出者八名の名前が書かれた札が入っております! 今から私たちがそれを一枚ずつ引いて対戦カードと試合順を決めるという寸法ですね! 実況のエルさん!』
『そのとおりです解説のアールさん! それじゃあさっそく引いていきましょう!』
二人が箱の中に一緒に手を突っ込むと、いつの間にか舞台の横に現れていた鼓笛隊が雰囲気を盛り上げるためにドラムロールを始めた
それを見ながら、ヤルーが悪知恵を働かせているような表情を浮かべる。
「はーん、この形式だとグスタフもさすがに仕込みはできねえな。いや、絶対無理ってこたないが、やらんだろ。なぁ、ミレちゃん」
「詐欺師のお前がそう言うならそうなんだろうな。……しかしガチ抽選か。円卓の騎士とは一回戦で当たりたくないなー。確率は七分の三か」
こういうことを言うと、逆に当たってしまうものだが。
ドラムロールが終わったその瞬間、エルとアールは入れたときと同様に、ぴったり揃った動きで箱から手を出した。そしてその手に一枚ずつ握った札の記名をしっかり確認して、決定した対戦カードを発表する。
『第一試合! リクサ・バートリ 対 ミスターⅩ!』
『おおっと円卓の騎士次席にして双剣士ロイスの末裔であるリクサ女史が第一試合から登場! 対するミスターⅩはゴールドホライズン地方予選の勝者です!』
『これは注目のカードですね! 勇者の血を引くリクサ女史を相手に、プロフィール一切不明の謎の戦士がどこまで戦えるか!』
闘技場を埋めた観客たちが大きくどよめく。
王になる前の俺にとってそうであったように、多くの国民にとって円卓の騎士は謎多き存在だ。それは後援者によって情報統制されているためであるが、シエナやリクサ、デスパーなどは自身がそうであると隠してもいなかったため、身近な者や情報通には普通に知られていた。つまり情報統制していることにはそれほど深い意味はないのである。
今回こうして円卓の騎士のプロフィールが解説されているのは、大会に出場した三名が特に素性を隠さなくていいと事前に運営に伝えていたためだ。だから当のリクサはそれについては気にした様子を見せていなかったが、代わりに今発表された対戦相手のことを考えているようだった。俺の横で思案顔を作り、『ふむ』とその形のよい顎に手を当てている。
「ミスターⅩ……本名でなくてもエントリーできたのですね」
「あー、そういや、そだね。どんな奴だろうとリクサが負けるとは思えないけど」
「それはどうでしょう、陛下。世の中は広いですから、どんな強者が出てきても不思議ではありません」
リクサには一切慢心する様子はない。そういう人だからこそ俺には負けるとは思えないのだ。
エルとアールは観客の反応が収まるのを待ってから、再び箱に手を突っ込んでくじを引いた。
『第二試合! ヂャギー・クーン 対 デスパー・C・クラーク!』
『おっと今度は円卓の騎士対決です! これまた大注目のカードですね! ヂャギー選手は大陸から渡ってきた[暗黒騎士]! 一方、デスパー選手は亜人の森出身のエルフの戦士です!』
今度は先ほど以上に観客が沸き上がった。特に下の方、ヂャギーがいる辺りは祭りのような大騒ぎである。
もっとも俺のすぐそばにもお祭り騒ぎの奴が一人いた。
「ヒャッハー! 最高だゼェー! ヂャギーの旦那とヤれるなんてヨォ!」
噛み砕いた串焼き肉の肉片を口から飛ばしながら、再び体の操縦権を取り戻した悪霊が歓喜の声を上げる。
脳筋組二人の激突というのは俺も見てみたくはあったが、同時に少し不安でもあった。あの舞台の上なら絶対に死なないという話が本当なら、大ごとにはならないだろうけど。
続く第三試合の組み合わせは地方予選を勝ち上がった者同士だった。どちらも聞いたことのない名前であったが、予選を突破するくらいなのだから腕は十分に立つのだろう。
ここまで名前が上がらなかったのは二名。よって最後の試合の組みあわせはもう誰もが分かっていたが、それでも一応エルとアールはくじを引いた。
『第四試合! グスタフ・ノルデンフェルト 対 ミレウス・ブランド!』
『前回大会優勝者のガラティア公と国王陛下が激突です!』
『これは結果次第では政治問題なりますよ! まずいですよ!』
と、二人が煽るのでまた観客たちは沸き返った。
闘技場の一角に置かれた大型掲示板にトーナメント表が描かれた紙が張り出され、その下に参加者の名前が書かれた大きな札が並べられていく。俺としては決勝まで円卓の騎士に当たらない組み合わせだから割とくじ運に恵まれた方である。まずグスタフに勝たなきゃならないが、円卓の騎士を相手にするのと比べりゃ遥かにマシだと思う。
それから半刻ほどの休憩を挟んだのち、掲示板のトーナメント表の名前の下に数字が書き込まれ、再びエルとアールの声が闘技場に響き渡った。
『さぁ皆さん! 優勝者予想くじのオッズが出ましたよ!』
『おおっと、一番人気はミレウス陛下! 二番人気はガラティア公!』
『その後、円卓の騎士の面々が続きます!』
闘技場中がどよめき、揺れる。観客たちは先ほどの休憩の間に購入した賭け札の枚数を確認して、それが的中した場合の払戻金を計算していた。
俺は黒丸蛙の卵が入ったミルクティーのカップから口を離して目を丸くする。
一般国民は俺の持つ聖剣の効果を知らない。聖剣の鞘については存在すら知らない。代わりに俺が田舎の宿屋の息子で、王になる以前には何の戦闘経験もなかったことは知っているはずだ。それなのにどうして推されているのか。
「なんで俺が一番人気なんだ? グスタフが裏工作でもしたのか?」
と、怪訝に思っていると、シエナがこちらを振り返り、珍しく強い語気でずいっと詰め寄ってきた。
「な、なにもおかしくないですよ、主さま! みんな主さまに期待しているんです! 絶対優勝してくださいね!」
「ありがとう、シエナ。ところでずいぶん大量に賭け札持ってるみたいだけど誰に賭けたのかな?」
「そ、それはもちろん……えへ」
抱えていた数百もの賭け札を背後に隠しながら誤魔化すように笑い、頭頂部の獣耳をへたんと前に折るシエナ。幼少期に厳しい生活を送ったためか、はたまたただの生来のものか、妙に金にがめつい子である。
その左右から金の亡者がさらに二人、姿を現わす。
「俺っちもだいぶ賭けたからな! 負けんなよ、ミレちゃん!」
「あたしも現金全部ぶっぱしたからね! 絶対勝ってね、ミレくん!」
ヤルーとラヴィである。俺が一番人気になった理由はこれで分かった。
しかし、こいつらが賭けているのはまだいいとしても。
「君らもか」
賭け札を手にニコニコしているアザレアさんとブータを見て、俺は肩を落とした。
二人は揃ってきまりが悪そうに笑う。
「いやー、ハハ。私はまー、お小遣いくらいね。ほんのちょっとだよ、ほんのちょっと。賭けた方が観戦もより楽しくなるしね。アハハ」
「ボクも一口だけ、陛下を応援する意味も兼ねて買わせてもらいましたぁ」
「……まぁ別にいいけどね。君らが楽しんでるのなら何よりだ」
俺も大会に参加する側でなければ同じように全力で楽しんでいただろう。観光気分の彼らを責めるわけにはいかない。
「でも優勝しろと言われてもな。君ら、ホントに俺が勝ち残れると思ってる?」
「き、汚ない手段を使えばいけますよ、主さま!」
力説し、再び俺に詰め寄ってくるシエナ。
俺はどうどうと彼女を落ち着かせながら、顔をしかめる。
「国民の前で汚ない手段は不味いだろ」
「汚くない手段に見せかければいいんです! 主さま得意ですよね、そういうの!」
「得意だけどさぁ」
俺はただ一人興味がなさそうに欠伸をしているイスカの頭を撫でながら、どうしたものかと思案した。イスカは『ん?』と首を傾げた後、小さな角が生えたその額を俺の手の平に擦り付けてくる。
「みれうすー、はやくつぎのりょうりたべたいぞー」
「よしよし、それじゃあまたなんか買ってあげよう。イスカはえらいな、金銭欲がなくて。……代わりに食欲が人一倍だけど」
それはまぁ可愛いものである。
そういえばと思い出してナガレへと視線を向けると、彼女もこちらを向いていたので目が合った。彼女の手にもけっこうな数の賭け札が握られているが、その口からは俺への激励の言葉は出てこない。
「おい、ミレウス! 言っとくけどオレはヂャギーに賭けたからな! オメーは負けていいから! 一回戦で負けてもいいからな!」
と、ナガレは俺を指さしてけん制した後、いつの間にか孤児院の子供たちのところから戻ってきていたヂャギーの分厚い胸板をドンと拳で叩く。
「ぜってぇ勝てよヂャギー! オレもガキどもも応援してんだからな!」
「頑張るよ! 死力を尽くすんだよ! ……あ、でも」
意気込みを示すためかヂャギーは拳を握って両手を振り上げたが、そのままの格好で固まり、俺の方を向いて声のトーンを落として聞いていた。
「みーくん、今回は優勝賞品もらうのが目的なんだよね? 決勝で当たったらわざと負けたほうがいい?」
相変わらず妙なところで常識人らしいところを見せる男である。
当たり前だが今度はナガレが俺に詰め寄ってきて、襟元を両手で掴んできた。
「ふざけんな、八百長なんて許さねえぞ! 最後までガチでやれガチで!」
「えー、どうしようかなー」
「テメェ! ぶっ殺すぞ!」
「うーん」
と、悩んだふりをしてナガレをイラつかせてみたが、心の内ではすでに決めていた。ナガレも言っていたが、ヂャギーのことを本気で応援している人もいるのだ。決勝に俺と円卓の騎士の誰かが進んだ時点で『殻砕き』をもらうという目的は達しているし、無理に八百長をする必要もない。
ヂャギー、デスパー、リクサの三人に向けて言う。
「うし、もし決勝で当たったら全力でやることにしよう。そこまで勝ち進めたのなら、王の威厳を保つのには十分だろうしね」
「よっし、よく言ったミレウス!」
途端に喜色満面になって、俺の首に腕を回してくるナガレ。
一方、俺に賭けていた連中は考え直せと一斉に取り囲んでくる。
「まぁまぁ。シエナに言われたからじゃないけど、俺も色んな手を使って全力でやるからさ。案外普通に優勝するかもよ?」
なんて言ってみんなをなだめてみたものの、私利私欲のために金を賭けた連中を儲けさせるために頑張るつもりは毛頭なかった。
もし決勝に進めたとしても、少しの間適当に戦ったらそれらしく演出してやられたふりをすればいいだろう。それこそシエナが言っていたように、そういう汚いことは得意である。
――と楽観的に考えたのは完全に間違いだったのだが、この時の俺はそんなこと知る由もなかった。