第百四十三話 苦戦すると思ったのが間違いだった
「予選のブロック、かぶらなくてホントよかったですよねぇ」
事前に配布されていた予選参加者のリストを手にブータが笑顔でこちらを振り向く。
先ほどエルとアールが解説していたとおり、予選参加者の名前は三つのブロックに分けて書かれていたが、リクサとヂャギーとデスパーはそれぞれ別のブロックに配置されていた。
「グスタフが気を利かせてくれたんじゃねーの。知らんけど」
ナガレが自分の膝に肘を突き、頬杖をしてブータの手元を覗き込みながら投げやりに言う。たぶんその推測は当たっているだろう。
あの大貴族は自分が楽しめるかどうかは大事だと話していた。円卓の騎士と戦うのが楽しみだとも。円卓の騎士たちが予選で潰しあうのは彼の望みの展開ではないだろう。
そのうち管楽器と打楽器によるファンファーレが鳴り響き、闘技場の東西にある入場口から、いかにもな連中がぞろぞろと入場してきた
その多くは危険種の鱗や卵の殻でできた鎧を装着した連中――ガラティアの戦士たちだったが、他地域から来たと思われる金属製の鎧を着た者の姿もちらほら見受けられた。
屈強な男性がほとんどだが、女性も僅かだがいる。手にする武器は様々で、大剣、片手剣、槌、槍、斧などメジャーな近接武器は一通り揃っており、弓やボウガンなど遠距離武器を手にした者も僅かではあるがいた。変わったところでは双剣や刀を使う者や徒手空拳で挑もうという猛者までいる。
ざっと数えてみたが、入場してきたのは三十名ほどだった。しかしやはり一番目立っていたのはあの男である。
『さて、アールさん! Aブロックの注目選手は誰でしょう!』
『ずばり円卓の騎士のヂャギー・クーン選手ですね! あのバケツヘルムのイカしたお方です! 要チェックですよ!』
二人に言われるまでもなく、会場中の視線は最後に入ってきた巨漢に集まっていた。
他の選手たちに続いてだだっ広い舞台の上に上がるヂャギー。あの男に体格で劣らぬ者はちらほらいたが、存在感で勝る者は一人としていない。
『今年はミレウス陛下がシード枠ということで本予選の枠が一枠減っています!』
『前回の本予選は四ブロックに分かれてやっていましたからね! 他の選手からするといい迷惑です!』
『事前インタビューではその怒りを円卓の騎士にぶつけるぞという意気込みの選手が多数! さぁいったいどんな展開になるのか! いよいよ予選開始です!』
二人が要らんことを言ったからなのかは知らないが、舞台の上の選手たちは互いにアイコンタクトを取り、一つの戦略を共有していた。すなわち一時的な同盟である。
試合開始を告げる銅鑼が打ち鳴らされ、観客がワッと沸き上がった。
しかし舞台上では大きな動きは起きない。
『おおっと意外にも静かな立ち上がり!』
『いつもは開始の合図と同時に激しい攻防が始まりますからね!』
『これは一体どういうことでしょうか、解説のアールさん!』
『やはりあの方が影響してるようですよ! 実況のエルさん!』
舞台の上で選手たちは各々の得物を構えて、ヂャギーをぐるりと囲むように円を組んだ。
一方ヂャギーは一切動じた様子を見せない。まだ周りの選手が間合いに入ってきていないとはいえ、背に担いだ長大な斧槍を手に取ろうともしなかった。
『さぁどうやら他の選手たちはまず協力してヂャギー選手を脱落させることに決めたようです!』
『強者が集中攻撃されるのはバトルロイヤルの定め!』
『ヂャギー選手、これにどう対応するか!』
なんだかヂャギーへ攻撃するように誘導しているような口ぶりであるが、エルとアールは心情的には彼の味方のはずである。二人は王都にある孤児院の運営を無償で手伝っているのだが、その近くに宿を取っているヂャギーもなんやかんやとそこに顔を出しているため良く知る間柄なのだ。
他の選手たちはじりじりとヂャギーへの包囲を狭めてはいたが、なかなか襲い掛かろうとはしなかった。と、言っても当たり前ではある。無駄な戦闘を極力避けるのもバトルロイヤルの定石の一つだ。優勝候補との戦闘など、できることなら他の奴らに押し付けたいというのが全員の心情だろう。
「しっかし、さすがにヤバいんじゃないか? これ……」
俺は舞台を眺め下ろしているうちに少し心配になってきた。
「あそこにいんのって、日頃から大型危険種を相手に戦ってる危険種狩りがほとんどだろ? それ以外の連中も同じくらいの実力者だろうし……全員少なくともレベル三十はあるだろ。それがあんだけいたらさすがのヂャギーも捌ききれないんじゃないかな」
ヂャギーのレベルは現在いくつだったか。彼は魔神将や決戦級天聖機械ともまともに戦うことができる希少な戦士だが、これだけの数の敵を相手にしているところは今まで見たことがない。
さしものヂャギーも数の暴力には敵わないのではないか。そんな風に戦闘の素人である俺は思ったのだが、どうもプロの奴らの意見は違うらしい。
円卓の騎士の面々は売り子から買ったガラティア名物の一つである串焼き肉の方に夢中であった。
「おいしー! これなんのにくだー?」
「毒鶏蛇の腹の肉だぜ、イスちゃん。あいつはその名のとおり猛毒があるからな。毒が弱い部位だけ慎重に切り出して、それをくっそめんどい手順踏んで無毒化すんだ。まず適度なサイズにカットした肉に少量の灰をまぶして壺に入れて土の中で三日ほど寝かせてだな。腐る寸前にそれを取り出して――」
「詐欺師の講釈はどうでもいいけど確かにうめえな、これ。砂肝みてえだ」
串焼き肉を一本、二本とすごい勢いで食っているイスカと、彼女にうんちくを語りながら食っているヤルー。そしてそれを横目に見ながら串焼き肉を肴に、コップに入った麦酒をごくごく飲んでいるナガレ。
三者三様ではあるが、舞台のことなどもうほとんど見ていない点では共通していた。
「お前ら……もう少しヂャギーのことを応援してやれよ」
俺が言うと、みんなはきょとんとした顔をしてこちらを向いた。それからなぜか冗談でも聞いたかのように笑って、また食事に戻る。
「だ、大丈夫ですよ、主さま。そんなに心配しなくても」
「そうですよ、陛下。ヂャギー兄さんなら楽勝ですよぉ」
シエナとブータはそう言ったが、その根拠は分からない。シエナは尖った犬歯で串焼き肉を噛みちぎるのに必死の様子だし、ブータはブータで次に買うものを考えているのか場内を歩く売り子たちの方に目をやっていたので、やはり舞台の上など見てすらいなかった。
「いや、うん。私はミレウスくんの気持ち分かるよ」
と、同情的にアザレアさんが言ってくれたのだけが救いである。もっとも彼女も串焼き肉は美味しそうに召し上がっていたが。
そのうちなかなかヂャギーに襲い掛からない選手たちに業を煮やした観客たちが野次を飛ばし始めた。だが膠着状態を動かしたのそれではなく、むしろ真逆の声だった。
「ヂャギーくん、がんばれー!」
エルとアールのいるボックス席のすぐ横から、そんな風に声援が送られる。声の主はずらりと並んで観戦している十数人の子供たちだった。この街の子供かと思ったが、そうではない。俺にも見覚えのある顔ぶれである。
「あー、そういやヂャギーくんが招待したとか言ってたなぁ、あの子たち」
串焼き肉にかぶりつきながら、ラヴィが思い出したように言う。それで俺も思い出した。あそこに並んでいるのはエルとアールが面倒を見ている孤児院の子供たちだ。以前、俺とラヴィも訪れたことがあるので面識があった。
ヂャギーは子供たちの声に気づくとそちらを向いて、嬉しそうに丸太のような太い両腕をぶんぶんと左右に振った。無論、真剣勝負の場において、それは大きすぎる隙である。
大剣、槍、そして槌。それぞれの得物を手にした男が三人、背後からヂャギーに襲い掛かった。子供たちの声援が一瞬で悲鳴に変わる。三つの武器は完璧にヂャギーの体を捉えていた。
――の、だが。
ヂャギーは攻撃してきた男たちの方をゆっくりと振り返った。恐怖劇に出てくる殺人鬼のように、本当にゆっくりと。
彼が着用しているぴっちりめの革鎧の肩口には大剣が刺さっている――が、それは極めて発達した僧帽筋の表層で止まっている。
腹のところには槍の先端についた三角錐状の穂が突き刺さっている――が、それは鋼のような腹直筋を僅かに傷つけただけである。
槌はヂャギーのバケツヘルムを強烈に殴打していた――が、真銀製であるというその兜には凹み一つできていないし、ヂャギーにも効いてるような様子は一切ない。
襲い掛かった三人を含め、他の選手はみんな唖然として硬直していた。
闘技場を埋める五万人の観客も絶句して静まり返っていた。
動き、音を発するのはヂャギーただ一人。
「そい! そい! そぉい!」
テンポのいい掛け声と共に恐ろしい速度で三度振るわれるヂャギーの大きな右の拳。それは攻撃してきた三人の男の顔面に深々とめり込んで、彼らを何度もバウンドさせながら場外まで吹っ飛ばしていった。
ほんの一瞬だけ間を置き、闘技場中が沸き返る。
「つ、つえええ!!!!」
「うおおおおおおお!! さすが円卓の騎士!!」
「ヂャ・ギ・イ! ヂャ・ギ・イ!!」
どうやら観客たちのハートを一瞬で掴んだようである。孤児院の子供たちのみならず、闘技場中の観客が彼に向けて熱い声援を送りはじめた。
『さぁ盛り上がってまいりました予選Aブロック! 逃げ惑う他の選手たち! それをヂャギー選手が追いかける!』
『おっと今一人捕まりましたね!』
『捕まえた選手を場外へ! いや観客席まで投げ飛ばすヂャギー選手! 武器を使うまでもありません! 強い! 強すぎるぅ!』
エルとアールの喋りも熱を帯びてきた。彼女たちは最初からヂャギーの勝利を確信していたのだろうか。
もはや惨劇の場と化した舞台を見下ろしながら、ナガレがぽつりと漏らした。
「アレとやるくらいなら、不毛の荒野で大型危険種相手に戦う方がよっぽどマシだよな」
他の円卓の騎士の面々から異議は出ない。ただ肉を食いながら、冷めた表情で同僚の戦いぶりを見下ろすだけである。
みんな、こうなると思っていたのだろう。
結局、予選Aブロックはそのまま一方的すぎる展開のまま終わった。