第百四十二話 開会式を見たのが間違いだった
数多の魔術同盟が覇を競った第二文明期、魔術を扱えぬ者は被支配階級に置かれていた。それはこのウィズンランド島も例外ではなく、非魔術師はすべての人権を奪われて過酷な労役を強いられていたという。
そんな者たちの中には魔術師たちの支配から逃げ出し、島の北東に位置する広大な不毛の荒野で生きることを選んだ連中がいた。そしてその連中は荒野の中心に街を造った。
それが荒野都市、あるいは蛮族都市とあだ名されるガラティアの興りである。
第二文明期においてガラティアは一切侵略を受けることがなかった。続く第三文明期――真なる魔王と魔族がすべてを支配し、それ以外の者は家畜以下に扱われた時代においてもそれは同様だった。
なぜか。
理由は単純だ。極限の環境で生存する人々がいるだけで何の産業も持たないガラティアには侵略する価値すらないと判断されたのである。
無論、人が住んでいる土地なら普通は奴隷の産地くらいにはなりうる。しかしガラティアは普通の土地ではない。その地の民は他者からの支配を拒み、過酷極まる自然と戦うことを選んだ者たちの末裔である。彼らは捕虜、あるいは奴隷となりそうな時、死ぬまで戦うか即座に自決するという恐るべき習性を受け継いでいた。ゆえにガラティアは奴隷の産地としてすら適さないと判断されたのである。
では侵略を受けぬ自由の地に、それ以外の地の被支配階級の民が大勢逃げ出してきたかと言えばそうでもない。
昔読んだ学術論文では当時のガラティアの民の平均寿命は三十歳にも満たなかったという。しかも乳幼児を除いた統計での話だ。それほどまでにガラティアでの生活は過酷だった。
周囲の荒野に実りはなく、食料となるような動物も皆無。いるのは危険極まる大型の危険種ばかり。
他の地の奴隷たちはそんな土地で明日をも知れずに生きるよりは魔術師たちに支配されている方がマシだと考えていたという。
ではそのような環境でガラティアの民はどのように生き抜いたのか。これまた答えは単純だ。その荒野に住む大型危険種を狩り、肉を食い、鱗や毛皮で衣服を作り、骨や牙や角を建材として家を建てるという原始的かつワイルドな生活形態を取ってどうにか命をつないだのである。
第二文明期のある魔術師が残した、ガラティアに関するこんな言葉がある。
『あの街には三種類の職業しかない』
『危険種狩りと大工、それと腕のいい料理人だけ』
もちろんこれは相当に誇張されたものだろう。
しかしウィズランド島北東部の荒野がそれほどまでに何もない場所であるということは確かである。
「……って、話に聞いてたのになー。おかしいなー」
ガラティアの街の中心に位置する巨大闘技場。その最も高いところに設けられた国王一行用の豪華な観覧席から街の方を見下ろして、俺はどうにも腑に落ちず、首を捻っていた。
この闘技場は第二文明期の初期に、支配階級にあった魔術師が奴隷たちに作らせたものだという。なんでもこのウィズランド島北東部の荒野に生息する大型危険種を捕まえてきて奴隷たちと戦わせる残酷なショーをしていたらしいのだが、すぐに飽きて打ち捨てたとかなんとか。
前述の魔術師の支配から逃げ出した連中がこの荒野へとやってきたとき、この闘技場はそっくりそのまま残っていたのでここを中心として街を作った。そのため大型危険種からはぎ取った骨やら牙やらで作られた白い平屋の建物は、この闘技場を中心として放射状に建ち並んでいる。……ここまではこの街に来るまで俺が想像していたとおりなのだが。
問題はその白い平屋の建物のゾーンの外である。そこには島の他の街でも見られるようなごく普通の煉瓦造りの二階建て、三階建てが整然と立ち並んでいる。しかもどう見てもそちらのゾーンの方が平屋のゾーンよりも遥かに広い。
「おいおい、なんだよミレちゃん。お祭りだってのに難しい顔して何見てんのよ」
俺がガラティアの街並みを眺めて渋い表情をしているのを見て、ヤルーが面白がって肩を組んできた。その手には売り子から買った揚げ菓子が大量に握られている。
俺はそれを一本奪って口にした。元々俺の財布――国庫から貨幣を直接取り出せる魔力付与の品、財政出動から出した金で買ったものなのだから権利はある。
「いや、俺この街、つーかこの北東部来たの初めてなんだけどさ。この島で一番田舎なのは西部地方だってよく言うじゃん? あれさ、東西南北の四つで分けた場合の話だと思ってたんだよ。もしくは北東部は田舎を通り越して秘境だから殿堂的位置づけなのかなって思ってたんだよ。……でも意外と都会じゃん」
「そりゃーミレちゃん、抱いてるイメージが古いぜ、イメージが」
この手のお祭りごとが好きなのか、ヤルーはやけに上機嫌だった。揚げ菓子を観覧席にいる仲間たち――剣覧武会に参加予定のリクサ、ヂャギー、デスパーを除いた円卓の騎士たちとアザレアさんに配りながら話す。
「二百年前にウィズランド王国ができた後、島の東部が東都を中心に開拓されてったろ? そんで北部が北方交易街を中心に発展していったろ? ここはその二大都市の中間なんだよ。だから交易中継地として栄えるようになった。ついでにいやー平和になったおかげでこの街の奴らも冒険者や傭兵稼業なんかで出稼ぎできるようになったしな。周りが不毛の荒野かどうかなんてもう関係ねぇってわけ」
「……なるほどね。そりゃここも発展するわな」
俺は街の方から闘技場の内部へと向き直り、静かに認めた。
この会場は最大で五万人入る設計になっているらしいが、階段状の観客席は超満員の状態であり、すさまじい賑わいを見せている。なんでも切符はかなりのプレミア価格になったとか。
観客の多くはこのガラティアの民のようで危険種の皮を使った独特の衣服を身にまとっている。しかし粗末とかみすぼらしいとかいった印象は受けない。貧しい暮らしをしているわけではないようだ。
「そういや、これの材料はどこかからの輸入品か?」
砂糖とシナモンがふんだんにまぶされた揚げ菓子を口にしながら俺は首を傾げた。この街に入るまで延々と続く荒野を馬車で丸一日ほどかけて通ってきたが、何かを栽培しているような施設は皆無だったし、自然の植生すらほとんど見られなかった。
誰ともなしに放った俺の問いに答えてくれたのは、隣の席でヤルーからもらった揚げ菓子を豪快に齧っていたナガレである。
「小麦や砂糖はコーンウォールあたりから来たもんだろ。揚げ油はこの辺の危険種から採ったもんだろうけどな」
「……危険種の油ってなんかイメージ悪いな」
「なーに言ってんだ。テメーの地元で食ったカワワカメだって似たようなもんだろうが。それとシエナの地元で食った自走式擬態茸とかもな」
ナガレがその危険種の名を口にすると、前の方の席で揚げ菓子を素直に渡してくれないヤルーと格闘していたシエナが肩をびくりと震わせた。人狼の森の周辺に生息するあの希少危険種の通称は彼女のファミリーネームと同じである。そのため彼女は妙な苦手意識を持っていた。
「も、危険種料理自体は割とどこでも見られる文化ですよ、主さま。ここみたいにどんな食材でも無理して食べてるところは他にないですけど」
ついにヤルーから揚げ菓子を奪い取ることに成功したシエナは満足気な様子で教えてくれた。
「無理して食べてる……ってことは不味いのもあるのか」
「は、はい。ポポゼラとかすごいですよ。ふふ」
聞いたことのない料理名を出して、見たこともない邪悪な笑みを浮かべるシエナ。どんな意図の笑みなのかはわからないが、背筋がぞくりとした。
「ミレくん、ミレくん。そのうちここにも危険種料理の売り子が回ってくると思うからさ。いろいろ買って食べようよ」
斜め前の席のラヴィが揚げ菓子を口にしながら振り返る。言わずもがな、俺の財布を当てにした発言だろう。
「たのしみだなー。きょうはめっちゃくうぞー」
「楽しみですねえ」
イスカとブータは背が低いので一番前の席に座っていた。二人も今日は完全に観光気分らしく、リラックスした様子で揚げ菓子を嬉しそうに食っている。
そこで拡声石で拡張された二人の元気な女性の声が場内に響き渡った。
『さぁ、いよいよ始まります第五十回剣覧武会! 実況は私! エルことエレオノールが!』
『解説は私! アールことアルテュールが!』
『務めさせていただきます!』
『二人揃って勇者信仰会の美人修道女二人組!』
『皆さん、覚えておいででしょうか!』
ほとんど継ぎ目なく交互に喋るハキハキとした二つの声。その主たちは闘技場の客席の一番下、つまりは舞台のすぐ手前に設けられたボックスシートにいた。
二人に応えて、場内を埋め尽くした観客から割れんばかりの大歓声が上がる。
なんであの二人がと俺が唖然としていると、二人の冒険者仲間であるアザレアさんが振り返り、揚げ菓子を頬張りながら教えてくれた。
「あの二人、前回大会で準優勝とベスト4だったんだってさ。その時の戦いぶりがこの街の人たちに大ウケしたらしくて、今回は出ないって伝えたら『だったら司会実況を』って頼まれたらしいよ」
「……色々やってるな、あの二人も」
エルとアールは俺たちが来ていることも当然知っていたらしく、こちらに向かって手を振ってくる。
『皆さん、闘技場の最上部をご覧ください! 本記念大会は特別に! なんと!』
『ミレウス国王陛下と円卓の騎士の皆様にも参戦していただいております!』
闘技場を埋め尽くす五万の観客の視線が一斉にこちらを向く。
俺がそれに片手を上げて答えると、再び割れんばかりの大歓声が上がった。
『それではガラティア公爵にして前回大会優勝者、グスタフ・ノルデンフェルト様より開会のお言葉を頂戴します!』
『みなさん、ご静粛に! ご静粛に!』
ご静粛にという割に、二人は客たちを煽っているようだった。客たちもまたそれに応えて、より一層大きな歓声を上げる。
ちょうど俺たちの向かい側、闘技場の最上部に設けられた観覧席にグスタフはいた。どうやらノルデンフェルト家一同揃って観覧してるらしい。
大会スタッフらしき人物から拡声石がグスタフの手に渡る。その瞬間、闘技場はぴたりと静寂に包まれた。
なんの前置きをすることもなく、グスタフは野太い声でたった一言だけ告げる。
『開会!』
文字通りの開会のお言葉である。それに合わせて会場のあちこちで爆竹が鳴らされ、色とりどりの風船が空へと飛んでいった。
会場のボルテージは最高潮に達している。観客は総立ちになり、拍手喝采を領主に送る。中には興奮のあまり失神する者までいた。
ちなみに俺は挨拶とかは一切依頼されていなかった。そういう堅苦しいのは好まない風土なのだろう。
『それでは試合に入る前におさらいしておきましょう、アールさん! まずはルール!』
『武装は自由! 魔力付与の品もオールオッケー! 魔術と魔法は全部NGですがスキルはなんでもOK! 戦闘不能になるか、場外に出るか、ギブアップすると負けです!』
『対戦相手を殺してしまった場合はどうなるんでしょうかアールさん!』
『いい質問ですねぇエルさん! 当闘技場は第二文明期の遺物です! そのため試験用として、舞台の上を星幽界のようなこことは少しズレた世界に転移させる機能があります! なんだか難しそうですが、要するにどんな大ダメージを受けても死ぬことだけはないんです! 致死ダメージはギリギリのところで軽減されます! 舞台の上から出ても怪我が治るわけではないですし、死ぬほど痛いのは変わらないですけど!』
『前回ガラティア公に斬られたときの痛みは忘れてませんよ!』
『忘れてませんよ!』
『次に日程!』
『まず参加者の皆さんにはA、B、Cの三ブロックに分かれてバトルロイヤル形式で予選を戦っていただきます! 各ブロック勝ち残れるのは一名のみ! それからそれぞれのブロックの勝者に先月コーンウォール、ゴールドホライズン、サウスリュートの三か所で行われた地方予選の勝者とシードであるガラティア公とミレウス国王陛下を加えた八名でワンデイトーナメントを戦っていただきます! その優勝者にノルデンフェルト家の至宝『殻砕き』の四年間使用権が授与される運びとなっております!』
『地方予選とシードの選手が大幅有利ですねアールさん!』
『そうなんですよエルさん! そのため中にはこのガラティア在住でありながら地方予選に参加した人もいたようですよ! ところでエルさん、喋る量の比率おかしくないですか!?』
『気にしないほうがいいですよ、アールさん』
最後だけ冷静に答えるエルと、ゼェハァと荒い息をするアール。
会場中から笑いが起こる。
最後の台詞はエルとアール、二人揃ってのものだった。
『それでは予選Aブロック、全選手入場ッ!!!』
第五十回剣覧武会はこうして大盛り上がりの中、幕を上げた。
もちろんこの時点では、あんな結末を迎えることになろうとは誰一人として想像していなかったことだろう。