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第百三十九話 奥義に賭けたのが間違いだった

 谷底の最後の角を曲がってウルトが俺たちの視界の奥にその巨体を現わす。

 スゥは斬心刀(ざんしんとう)を構え、俺は鞘に入れたままの聖剣を腰に帯びて重心を落として立ち、迎撃態勢を取る。


 奴の体の横幅とこの谷の幅はほとんど変わらない。つまり容易には方向転換できないということだ。それは同時に俺やスゥの逃げ場がないということでもある。猛スピードで突進してくるウルトに()ね飛ばされる自分を想像して、俺は身震いした。


 一つ、二つと呼吸をする間に奴の姿はすぐそこまで迫ってくる。


 ここから先のタイミング指示はヤルーに一任してあった。伝達石(ポストジェム)から奴の声がしたのは、いくらなんでも引き付けすぎじゃないかと俺が危惧(きぐ)し始めた時である。


『シエちゃん、今だぜ!』


「女神アールディアよ――我らに慈悲深き、その御手(みて)を!」


 どことなく指示者への嫌悪感を含んだシエナの声は伝達石(ポストジェム)を通しても聞こえたし、直接聞こえてもいた。ウルトがこの谷に入ったのち、シエナは俺たちの頭上、谷を形成する二つの丘の片方に、ブータに転移してもらっていたのだ。


 俺たちとウルトの間に半透明の分厚い障壁が(そび)え立つ。最高速度で走ってきたウルトはそこに思い切り激突し、先ほどと同じ不快な大音響を引き起こした。

 やはりウルトにも障壁にも損傷はない。もっともこの障壁はウルトをその場に足止めするのが目的だ。それはほんの一瞬で十分だった。


『イスちゃん! ゴー!』


『いっくぞー』


 次にヤルーの指示を受けたのは鳥形態で上空に待機していたイスカだ。見上げると、黒雲を背景に垂直に落下してくる彼女が小さな白い点のように見えた。かつてイスカの付属パーツである四翼竜“精神(スピル)”が最貧鉱山(アイアンマイン)で敢行したあの攻撃――質量爆弾ほど高所から落下してきているわけではない。しかし十分に加速はできていた。


 ウルトも顔を上げて空を見やる。同類が攻撃を仕掛けてきたのを感知したのだろう。しかし左右は谷に阻まれ、前は障壁に阻まれている。後ろにもすぐには下がれない。回避は不可能と判断したのか、ウルトは即座にイスカを撃墜する方向に行動を切り替えた。


 極太の雷の柱がウルトの背から空へと放たれて、高速落下してくる白い鳥を飲み込む。しかしイスカは物ともしなかった。雷の柱を逆流するように落下してくると、そのまま翼をたたんで体をねじ込むように谷へと進入してくる。


「こんにゃろー!」


 叫びながら、イスカは一切減速することなく足から突っ込み、ウルトの背中を強烈に踏みつけて奴を地面に這いつくばらせた。その衝撃は隕石でも落ちたかのような轟音と激しい地震が生じさせ、谷の一部をガラガラと崩落させる。さらに大質量の高速落下が引き起こした凄まじい突風は大量の土煙を谷底に流れさせた。


 思い切り突っ込んだのだから当然だが、ウルトの全身を覆う銀の針はイスカの体にいくつも突き刺さっていた。降下中に受けた雷撃のダメージも軽微ではない。白い羽で覆われた体はあちこちが重度の火傷(やけど)痕のように溶けている。

 しかしイスカはまったく(ひる)んでいなかった。針がさらに刺さるのも構わずに全身を使ってウルトを押さえこみ、空を向いて大きく息を吸い込む。すると彼女の額の角が輝きはじめ、口からは白い光が溢れだした。


 【浄化の息ブレス・オブ・ピュリファイ】。


 この島の南の海の空で彼女の白い羽が長い時間をかけて集めた太陽エネルギーが、膨大な量の熱と衝撃波に変換されて吐き出され、超至近からウルトの背中を焼く。それはバチバチと音を立てながら乱反射し、谷底はしばし真夏の昼のような暑さと明るさになった。


 すでにシエナが立てた障壁は消えており、熱と衝撃波は俺たちのところまで飛んできた。両腕で顔を覆い、目を(つむ)る。

 直後、ブータとヤルーの声が伝達石(ポストジェム)から順番に聞こえた。


『四十五パーセント! あと少しですぅ!』


『最後の一押しだ! 行け、お前ら!』


 (まぶた)を開けると、イスカのブレスは止んでいた。ウルトは半ばまで溶けた背中を再生しながら、しがみついているイスカを振り落とそうと無茶苦茶に暴れている。

 その手前の空間が歪み、そこからラヴィ、リクサ、デスパー、ヂャギーが現れて各々の得物を手にウルトに襲い掛かる。

 奴の背後、谷底の奥からは白い気の塊――神聖魔法の《気弾(フォース)》と、銃弾が次々と撃ち込まれる。ナガレとシエナによる援護射撃だ。

 さらに透明な蚯蚓(ミミズ)のような群体――土精霊(ノーム)がウルトの両前脚に絡みつき、魔術文字で構成されたロープが一人でに動いて両後ろ脚を拘束しようとする。ヤルーとブータによる精霊魔法と魔術での妨害だ。


 しかしこれだけの猛攻を与えてもなお、奴を完全に押しとどめることはできなかった。


 ウルトは背中の再生を完了するとそれまで以上に激しく暴れるようになり、イスカは今にも振り落とされそうになった。もしも彼女という重しが外れれば、すぐにもこちらに向かって走ってくるだろう。


「……本当に強いな」


 苦々しく認めて、俺は(うめ)いた。

 これまで何体もの滅亡級危険種(モンスター)と戦ってきたが、こいつはその中でもかなり上位に位置するように思える。決戦級天聖機械(オートマタ)の中でも後期に作られたのだろうとヤルーが推測していたが、その分性能も高いということなのだろうか。


 ともかく、みんなの奮闘のおかげでここまでは作戦通りに進んできた。


 俺はその時に備えて意識を集中した。間違いなくチャンスは一度きりだ。ここまでお膳立てしてもらって、俺がしくじるわけにはいかない。


 そしてついにブータのカウントがその時を告げた。奴の口腔内の使用済み魔力(マナ)が先に確認していた“閾値(いきち)”に達した、その時を。


「四十八……四十九……五十……今ですぅ!」


「跳躍!」


 固く閉ざされていたウルトの口が再び開いたのを見るや否や、《短距離瞬間転移(ショート・テレポ)》を唱えるブータの姿をイメージして俺は叫んだ。

 視界が歪み、奇妙な浮遊感が体を包む。


 次の瞬間、俺は金属で覆われた洞窟の中のような異様な空間に転移していた。ウルトの口腔(こうこう)内――口の先端付近である。その内部の様子を仔細に確認する間もなく、刃のような歯が二列に並んだ口蓋(こうがい)が吊り天井の罠のように落ちてきた。呼吸を終えたウルトが口を閉じようとしているのだ。

 こうなることは事前に分かっていたが、それでも狼狽(うろた)えずにはいられなかった。


「うおおぉお!?」


 俺は咄嗟(とっさ)に両手を突き上げて口蓋(こうがい)を支えた。(あらが)えそうもない凄まじい圧力が両腕にかかる。が、それは一瞬だけで、すぐに腕は楽になった。聖剣の鞘(レクレスローン)の絶対無敵の加護が発動したのだろう。ウルトは依然として口を閉じようとしているようだが、俺がここでつっかえ棒になっている限りそれは叶わない。


 とりあえずここまでは期待していた通りの流れだ。しかし予想以上に揺れる、揺れる。ウルトが暴れているためだろうが、口腔(こうこう)内はまるで嵐の中を行く船の甲板のようだった。

 俺は転倒しないようウルトの牙を両手で掴み、足に力をこめてバランスを取った。もしかすると口の中の異物を外に出そうと、ウルトはより必死になって暴れているのかもしれない。


「……ん?」


 そんな風に四苦八苦しているうちに、口腔(こうこう)の奥にある紫色の巨大鉱石――決戦級天聖機械(オートマタ)の動力源にして命そのものである(コア)と、その手前に立っている分厚い魔術障壁へと目が向いた。


 それ自体はこれまで戦ってきた決戦級天聖機械(オートマタ)たちについていたものと、なんら変わらない。問題はその魔術障壁の表面に奇妙な赤い点が円を描くように並んでいることだ。

 それには見覚えがあった。初めて戦った決戦級天聖機械(オートマタ)、百足蜘蛛のアスカラの口の周りに同じような表示があったのだ。あれは熱光線(レーザー)を放つための魔力(マナ)のチャージを示すものだった。


 よく見るとウルトの魔術障壁に表示された赤い点はまだ完全な円にはなっておらず、わずかに上部が欠けていた。だが俺が困惑している内にその欠けている箇所に一つ、また一つと赤い点が表示されていき、魔術障壁全体がバチバチと音を立て始めた。


 当たり前だが、この口腔内の詳細についてはブータが発見した例の覚え書きには何も書かれていなかった。何が起きても不思議ではない――。


「全員逃げろ! ウルトの前から!」


 猛烈に嫌な予感を覚え、口の外に向けて俺は叫んだ。

 その直後、赤い点による円は完成し、魔術障壁が凄まじい光を発した。太陽を直視したかのような激痛が眼球に走り、恐ろしいほど強烈な耳鳴りがして頭の中がぐわんぐわんと揺れる。


 視界が真っ白になり、聴覚が完全な機能不全に(おちい)った。それでも俺は口から放り出されないよう、ウルトの牙を握る手に力を込めて必死に(こら)えた。


 魔術障壁から電撃、あるいはそれを変換した熱光線(レーザー)が放たれたのだろう。まさかこんな奥の手があるとは思っていなかった。俺は聖剣の鞘(レクレスローン)の加護のおかげで無事であるが、もしスゥを召喚した後に放たれていたらと思うとぞっとする。


「ミレウスさん!」


 視力と聴力が回復するとすぐに、外からスゥが叫んでいるのが聞こえた。早く自分を召喚しろと言いたいのだろう。


 俺はほんの一瞬だけ迷った。口が閉じないように押さえていても、この中も安全ではない。しかしここでこいつを倒さなければこれまでのすべてが無駄になり、恐らくこの島は滅びる。スゥ一人の心配をしている場合ではない。


「ミレウスさん早く!」


 スゥに再び()かされて、俺はようやく決心がついた。

 大きく息を吸い、聖剣の親密度能力――円卓の騎士の召喚を行う。これを使うのに必要なスゥの血液は、聖剣の柄に結んだハンカチに事前に染み込ませてもらっていた。


「王の名を持って命ずる。――我が剣、ガウィスよ。呼び声に応え、我が元に来たれ!」


 目の前の空間が歪み、スゥがそこに現れる。彼女は左へ右へ首を巡らせて口腔(こうこう)内の様子を確認すると、俺の方に振り返った。


「大丈夫っスか、ミレウスさん」


「なんとかね。死ぬほどビビったけど」


 俺は(コア)を覆う魔術障壁を指さそうとした。が、両手がふさがっているからできない。仕方なく俺は顎でさした。一度攻撃を行ったからか魔術障壁の表面にあった赤い点の円はリセットされていたが、早くも点が二つ、三つと現れて新たな円が描かれ始めていた。


「そこの表示がエネルギーの充填率を示してるみたいなんだ。さっき赤い点がぐるりと丸くなった瞬間に攻撃が飛んできた」


「ふーむ。二百年前はそんな攻撃してこなかったんスけどね。(コア)を破壊されないための最終防衛機構ってとこっスかね」


 足元が激しく揺れているというのにスゥは平然と立っていた。体幹がとんでもなく強いのだろう。俺たち二人がこの内部に入った時点で、外のみんなはウルトのそばを離脱したはずだ。ウルトは今、囮班のところに向かって走っているのだと思う。


 スゥは魔術障壁の表面をコンコンと手の甲で叩いて調べてから、そこに表示されていく赤い点を観察し、また俺の方を向いた。


「ぐるりと丸くなった瞬間に撃ってきたってことは、逆説的に言えば円になるまでは安全ってことっスよね。アスカラみたく完充填(フルチャージ)じゃなくても撃てる可能性もあるっスけど。とにかく落ち着かないと技能拡張(スキルエンハンス)はできないっスからね。ミレウスさん、リラックスしましょう、リラックス」


現実主義者(リアリスト)! こんな状況でリラックスなんてできるか!」


「ふっふっふ。まだまだ修行が足らないっスねぇ。これが終わったら、一緒に旅してた頃みたいにまた色々教えてあげるっスよ」


 スゥは保護者の顔をして言うと、再び魔術障壁の表面を叩いた。


「これは【爆勁(ばくけい)】では無理っス。(コア)まで離れすぎて、力が伝わらないっスからね。シャナクさんが登録した[剣豪(マスターブレイド)]のオリジナルスキルの方が有効そうなんでそちらを拡張(エンハンス)するっス。ミレウスさん、恋愛度の残りはいくつっスか?」


「四十五。いや、スゥの恋愛度が上がったから五十七だな。それだけ多重化すれば威力は足りる?」


「威力がどうのうこうのってスキルじゃないっスよ。発動さえすれば拡張(エンハンス)しなくてもどんなものでも斬れるっス。ただうちの流派で一番難しい技なんで、残念ながらあーしだと百に一つくらいしか発動しないんスよ」


「百回に一回って! ……ええと」


 俺は頭の中で必死に計算した。

 しかし先にスゥが答えを出してくる。


「百面ダイスを五十七回振って『1』が一回以上出れば勝ちって図式だから、勝率はざっと四割四分くらいっスね」


現実主義者(リアリスト)! くっそ、冷静に計算しやがって! それってあんまり賭けたくなる確率じゃないぞ! 賭けんのがこの島の命運ならなおさらさ!」


 俺が(わめ)きたてるとスゥは嘆息して、聞き分けのない子供にそうするように静かに言い聞かせてきた。


「ミレウスさん。これまでの円卓じゃ、これより分の悪い賭けなんていくらでもあったっスよ。それらを全部乗り越えて、この島は存続してるんス。……大丈夫。この時代に出てきたってことはこいつはあーしたちに倒せる敵ってことっスよ。マーリアさんと聖剣と円卓を信じてほしいっス」


 スゥの声は一貫して理性的だった。

 だが俺は気が付いた。斬心刀(ざんしんとう)を握るその手がほんの(かす)かに震えていることに。


 やはり彼女も怖いのだ。

 自分が死ぬことが、ではない。ここで失敗したら多くの人が死ぬということが怖いのだ。


 それでも平静であるかのように振舞っているのは、俺が心を乱して技能拡張(スキルエンハンス)を失敗しないようにするためだろう。


 やはりスゥは筋金入りの現実主義者(リアリスト)だ。そして本当に強い心を持っている。



「分かった。……分かったよ」


 俺も覚悟を決めた。

 それが伝わったのか、スゥは微笑み、俺の前に立った。


 落ち着くよう、胸の中で自分に言い聞かせ、聖剣に秘められた技能拡張(スキルエンハンス)の力を解放する。いつもは聖剣を天に向けて行っているが、あれは必須条件ではない。


 スゥとの精神の同期が始まる。


 技能拡張(スキルエンハンス)中は五感がすべて上書きされるような奇妙な感覚を味わうが、その内容は相手によってまるで違う。

 スゥとの同期もやはりこれまでの誰とも違う感覚だった。暖かい春の日差しの下で眠っているようであり、緊張や不安が和らいでいくようでもある。


 スゥも同様の体験をしているはずだ。背中を向けているから、その表情はうかがえないけれど。


「不思議な感覚っス。なるほど、確かに相手の記憶を探れたりはしないっみたいっスね」


 スゥはわざわざ声に出して話したが、すでに互いに今考えていることくらいは筒抜けになっていた。それでも彼女は言葉を(つむ)いだ。それが礼儀であるかのように。


「ミレウスさん。さっき、あーし、大陸から戻ってきてミレウスさんが即位したっていう報を聞いて限界が来たって言ったっスよね。絶望に耐え切れなくなったって。……あれはつまり、ミレウスさんが円卓の騎士の責務で死ぬかもしれないって思ったら耐え切れなくなったってことっス。当たり前っスよね。自分の子供が死ぬかもしれない危険な仕事に就くのに、動揺しない母親はいないっス」

 

 当たり前と言われても、子を持つ母親の気持ちは俺には百パーセントは分からない。しかしそれは彼女のような人が絶望するのに十分な理由であるように思えた。

 同時に疑問が一つ思い浮かぶ。これもさっきの会話で聞いておくべきだったかもしれないが。


「……それじゃあどうして戻ってきたんだ? 一度心が折れたのに、また円卓の騎士をする気になったのはどうしてだ?」


「いくつか理由はあるっス。一つはロムスの街の百年雲が消えたってニュースを聞いて、イスカさんが目覚めて再び円卓の騎士になったって分かったからっス。あの子だけに戦わせるわけにはいかないと思ったんスよ。……それと一つは」


 スゥはこちらを振り返った。決意に満ちた、力強い表情で。


「やっぱりミレウスさんを(まも)らなきゃって思ったからっス。幸運にもあーしには力があるっス。魔神の力。アーサーさんたちに救ってもらったこの命。シャナクさんから習ったこの剣術。これからはミレウスさんはあーしが守るっス。……命を賭けてでも」


 その背中、その表情は、かつて共に大陸を旅していた頃の、俺を(まも)りながら戦ってくれた姿と重なって見えた。あの頃は大きく見えた、あの背中。今ではずっと小さく見えるけれど、頼りになる母の背中であることには変わりはない。


 精神の同期はさらに深まり、スゥの思考が流れ込んでくる。

 それでこれから彼女が何をしようとしているか分かった。




 初代円卓の騎士の一人、帰還者シャナクは訪問者(プレイヤー)である。

 彼はあちらの(・・・・)世界――一つの月の大地(アン・レリュアド)で、ある流派の剣術を学び、そこにいくらかのアレンジを加えて新たな流派を生み出した。もっともその使い手となったのは、彼自身と彼の弟子である剣豪ガウィス――スゥの二人だけだが。


 その流派は“魔”を斬ることを究極の目標としていた。


 魔とはすなわち魔力(マナ)である。

 魔力(マナ)はあらゆるものに変化する可能性を持つ万能因子。


 シャナクは“世界”というのは広大な魔力(マナ)の海であり、俺たちが住むこの世界――十二の月が巡る大地オー・ダン・イリュアドや、ナガレやシャナクのいた一つの月の大地(アン・レリュアド)はその海の中の魔力(マナ)が一定の指向性を得て形成された小さな氷塊のようなものなのではないかと考えていた。

 つまり今この世界にある物質は、人も動物も自然もすべて、元々は魔力(マナ)であったと考えていたわけである。


 そんなシャナクが編み出した究極の剣技は、刃で(とら)えたあらゆる物質を魔力(マナ)に戻して斬るというものだった。


 魔力(マナ)に戻ってしまえば、防御力も硬度も関係ない。

 実現さえできれば――理屈上は――いかなる物質をも斬ることができる、そんな必殺の技。




 ウルトの口腔内は奥に行くほど縦にも横にも広がっている。

 それにスゥは俺よりかなり背が低い。だからギリギリではあるが刀を振るう余裕はあった。


 スゥは右足を引いて体を斜めにし、斬心刀(ざんしんとう)を右の脇の辺りで握り、剣先を後ろに下げた奇妙な構えを取った。魔術障壁の赤い点はすでに半円を描いている。いつ先ほどのような攻撃が来るか分からない。


 スゥは肺からすべての酸素を絞り出すように、長く長く息を吐く。

 そしてその技の名を告げた。




東洲北辰(とうしゅうほくしん)流、奥義――【魔断・零式(ゼロしき)】」




 硝子(ガラス)が切断されるような高く尾を引く音がした。

 そして気が付いた時には、引いていたスゥの右足は前に出ており、彼女は斬心刀(ざんしんとう)を下から上へと振り切った体勢で静止していた。


 一見、魔術障壁には何の変化もなかった。


 賭けに負けたのか。

 俺がそう思った矢先、魔術障壁の表面に、縦に走る限りなく真っすぐな裂け目が現れた。そしてそこから左右に無数の亀裂が走り、障壁は粉々に砕け散る。

 俺は静止したままのスゥに声をかけた。


「早く! 早く(コア)も!」


「もう終わってるっスよ、ミレウスさん」


 振り返り、微笑むスゥ。その手から斬心刀(ざんしんとう)が手品のように消えてなくなる。

 彼女の向こうで(コア)にも同じように縦に走る裂け目が現れて、そこから亀裂が入り砕け散った。


 今の一太刀で、魔術障壁ごと斬っていたのか。


 感嘆の声を漏らしかけたところで、突然足元の感覚がなくなった。《短距離瞬間転移(ショート・テレポ)》を使ったときとは異なる単純な浮遊感を一瞬だけ覚え、俺は地面に肩から激突した。ウルトの巨体が細かな粒子となってあっという間に霧散したためである。終末戦争(メギド)で使われた決戦級天聖機械(オートマタ)はそのボディに使われている遺失合金(オーパーツ)を相手陣営に渡さぬよう、機能停止した場合、自然崩壊するようにできているのだ。


 スゥは俺とは違い見事に足から着地した。

 立ち上がるために彼女に助けてもらおうと手を伸ばす。だがその前に、全身の前方の皮膚に焼けるような痛みが走った。ほぼ同時に呼吸ができなくなり、目にも焼けるような激痛を覚える。先ほど先送りにした魔術障壁から放たれた電撃だか熱光線(レーザー)だかのダメージが帰ってきたのだ。


「あああああ!」


 絶叫して地面をのたうち回る。そんな俺を誰かが抱きとめた。――きっとスゥだろう。


 俺を心配するみんなの声と、駆け寄ってくるいくつもの足音が聞こえた。

 それとぽつりぽつりと体に当たる水滴の感触――どうやら雨が降ってきたらしい。それはすぐに勢いを増し、本降りになった。


 ウルトが起こした火災の消火は後援者(パトロン)たちに任せるつもりだったが、この雨ならだいぶ楽になることだろう。アルマの里まで延焼することも、たぶんないはずだ。


 全身の痛みは耐え難いほどになっていたが、無事に仕事を終えた安堵(あんど)からか意識は簡単に遠のいていった。


 そして完全に気を失う寸前。

 優しく抱きしめられ、耳元で(ささや)かれた。


「本当に立派になったっスね、ミレウスさん。いい王様になったっス。……よく頑張ったっスね」


 その言葉に応えるように力強く笑ったつもりだったが、ちゃんと見てくれただろうか――。

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