第十二話 決闘を受けたのが間違いだった
早朝、窓から朝日が差し込み、明るくなり始めた王専用の寝室で。
夢から醒める寸前、腰の辺りに何かが乗るのを感じた。
ほとんど無意識のうちに薄目を開ける。
赤い作業着風衣服を着た、艶のある長い黒髪の女性が腰に跨っていた。
木刀を肩に担いでいる。
まぁ人生は長い。こういう朝もあるだろう。
俺は再び惰眠を貪るべく、瞼を閉じた。
「なに二度寝キめようとしてんだ、オイ!」
寝巻きの襟元を掴まれ、起こされる。
再び目を開けてみると、そこにいたのはやはり円卓騎士団第七席のナガレだった。
「おはよう」
「お、おう。おはよう……じゃねえ! これを受け取りやがれ!」
ナガレが突きつけてきたのは白い封筒。
墨で果たし状と書いてある。
「決闘だ!」
「いいよ。朝ごはん食べてからでいい?」
ふぁぁとあくびをして、寝返りを打とうとする。
が、上に乗っかられているので、できない。
「中、読めよ!」
なんだかぷんぷんとお怒りだが、こんなのタイトルだけで何が書いてあるかなんてだいたい分かるだろう。
「ところでナガレ。ここ王様の寝室なんだけどさ。どうやって入ってきたの」
「オレが代わりに起こしてやるって言ったら、女中さんが喜んで入れてくれたぞ」
「警備がざるだなー」
まぁ通したのは円卓の騎士だったからだろうけども。
俺は安眠妨害されるのが一番嫌いなので、今度から睡眠中は、たとえ円卓の騎士であっも絶対に通すなと言っておこう。
今回はどうせもうすぐ起きる時間だったからいいけども。
面倒だけど、封筒を開けてみる。
中の書状には『なんだか気に入らないので勝負しろ、オレに勝ったら王として認めてやる』という趣旨が悪口を交えて書いてあった。
斜め読みしかしてないので、たぶんだけど。
「はい、読んだ読んだ。じゃあ朝ごはん食べてからね」
「ちゃんと読んでないだろ、お前!」
「読んだよ……」
もう一度、あくびをする。
世話焼きの幼馴染の娘に毎朝起こしてもらうのが、昔から密かに思い描いていた夢の一つだったが、こういう乱暴なのはちょっと想定してない。
だが毛布越しとはいえ、女の子に跨られるというのはなかなか興奮するものであった。
「そうだ。ナガレも朝食、一緒に食べる? 今朝はゲストを呼んであるんだよね」
「あぁん!? オレとオメェは敵同士だぞ! 食うわけねえだろ、バカ!」
と、口では言っていたが。
ぐるるるるとナガレのお腹が鳴った。
朝ごはん食べてきてないのだろう。
勝ち気なその顔が、赤く染まる。
「一人前、増やすように言っておくね。いや、ナガレはもっと食べるかな」
以前、人狼の里でがっつり食べていたナガレの姿を思い出し、付け加えると。
「余計なお世話だ、バカ!」
彼女の鉄拳が飛んできた。
☆
いつもは一人で座っている王専用の長食卓だが、今朝は左右に同席者がいた。
左手の席にはバケツヘルムを被った[暗黒騎士]、円卓騎士団第六席のヂャギーが革鎧で包んだ筋骨隆々の体をできる限り小さくして行儀よく座っている。
朝食に騎士たちを順番に呼ぼうと思いついたのはけっこう前だが、いざ誘うとなるとなんだか気恥ずかしくて、結局昨日まで実行に移すことができなかったのだ。
色々考えて、一番断られなさそうなヂャギーからにしたわけだけど、これはどうやら正解だったようである。
「昨日は楽しみで、ぜんぜん眠れなかったよ! だから目が真っ赤だよ!」
ヂャギーは食卓にセットされたナプキンやら食器やらを、興味津々といった様子で眺めている。
喜んでもらえたようでなによりだけど、その赤い目とやらはバケツヘルムのせいでほぼ見えない。
「なんでオレが、お前らと一緒に飯食わなきゃなんねーんだよ……」
と、右手の席でぶつくさ呟いているのはナガレである。
片肘をついて、ぶすっとした顔をしている。
彼女がこういう態度なのはいつものことなので、もう気にならなくなってきた。
食事が運ばれてくるのを待ってる間、今朝がた俺の元に届いた手紙に目を通す。
それをナガレが見咎めてきた。
「なに読んでんだ?」
「義母さんからの手紙。王様になった次の日に出した手紙の返事が、ようやく来たんだよ」
「……そういやオメェ、王都には修学旅行で来てたんだったっけか。息子が旅先で急に国王になったってんだからな。親御さん、驚いただろ」
「どうだろなー。ちょっと変わった人だからなー。少なくとも心配はされてないなー」
心配してるようなら、こんなに返事が遅くはならないだろう。
ぺらっぺらのその手紙をナガレに投げて渡すと、彼女はその全文を朗読した。
「『頑張りなさい』」
「放任主義だからなー。王様になってまで、こんな感じだとはさすがに思わなかったけど」
悪い人ではけっしてないのだが。
王都に呼び寄せようかとも考えたけど、たぶん面倒くさがって来ないだろう。そのうち実家に顔を出したいとも考えているけど、いつになることやら。
そうだ。せっかく王様になったのだから、仕送りでもしよう。実家の建て直しができるくらいの額を送れば、あの義母さんもさすがに驚いてくれるのではなかろうか。
よし、あとで執事さんに頼んでおこう。王になってから、もうだいぶ苦労している。それくらいの職権濫用してもバチは当たらないはずだ。
「なんかろくでもないこと考えてるだろ、お前……」
ナガレが険しい表情で見てくるが、ちょうどそのとき、最初の紅茶とビスケットが運ばれてきた。
「食べていい? 食べていい?」
待ちきれないといった様子のヂャギーに頷いてやると、彼はバケツヘルムの下半分をパカッと開けてビスケットを口に運んだ。
「美味しい! こんな美味しいの食べたことないよ!」
それはなにより。
「あとで包んでもらって、孤児院の子たちに持って帰ってあげようかな! あ、でもこれ、しょっけんらんようになるかな」
「……いや、いいと思うよ」
俺の超個人的な職権濫用と比べれば可愛いものだ。
給仕係を呼んで、彼にお土産として後で持たせるように命じる。
ナガレはビスケットを頬張りながら俺達の様子を見ていたが、なにかを思いついたように手を叩いた。
「ちょうどいいや。ヂャギー、アンタこの後、立会人してくれよ。決闘するんだ」
「いいよ!」
なんて安請け合いする男なのだろう。
決闘の件は飯を食ったら忘れてくれないかと思っていたのだが、どうやらそう上手くはいかないらしい。
さて、どうしたものやら。
☆
食後、俺とヂャギーはナガレに連れられて、王城の鍛錬場へとやってきた。
そこでは王都に詰める諸侯騎士団の若手が訓練を行っていたが、ナガレによって外へ追い払われる。
彼女は作業着風衣服の上を脱いで白いTシャツ姿になると、屈伸やらなにやら準備運動を始めた。
どうやら本気のようである。
初めて会ったときからやたらと俺に敵対的な態度を取っていたが、聖剣の好感度表示を信じる限り別に嫌われているということはないらしく、むしろ人としては好かれてさえいる。
それなのにどうしてと、ずっと疑問ではあったのだが、まさか決闘を挑まれるとは思ってもみなかった。
「あのさー。なんでこんなことやるのー?」
「アァ!? 果たし状に書いただろ! 気に食わねえからだっての!」
「気に食わないって、どの辺が」
「いきなり出てきて、王様やってるとこだよ! オレはな、自分より弱いやつの下につくのなんか、まっぴらごめんなんだよ!」
うーん、つまりは俺が弱そうに見えるのがいけないということなのだろうか。
人としては嫌いじゃないが、部下になるのは癪に障ると。
一度ボコボコにされたというリクサには従順なようだし、全力で相手をするのがいいのだろうか。
「勝負の方法は?」
「どっちかが降参するか、致命傷になりそうなところに寸止めしたら勝ちでいいだろ。そっちは聖剣使っていいぜ」
と、ナガレは愛用の木刀を構える。
しかしさすがにそれを相手に真剣を使うのは気が引ける。
鍛錬場の脇に並んだ、刃を潰した訓練用の剣の方に目をやるが。
「安心しろよ、ただの木刀じゃねえ。錆びない、折れない、攻撃力強化、一つ目特効、竜系特効だ。そこらの魔剣よりつえーよ」
ずいぶん自信があるようだが、こちらとしては心配だ。できれば怪我はさせたくない。
聖剣を握ってなくても聖剣の力が使えるのは証明済みだし、別に俺は訓練用ので構わないのだが。
ナガレは『よし』と気合の声を上げると、鍛錬場の隅で胡坐をかいているヂャギーへ視線を送る。
ヂャギーは先ほどお土産としてもらったはずのビスケットを頬張っていた。
「勝負がついたと思ったら、適当に止めるよ!」
ヂャギーがその丸太のような右腕を上げ、振り下ろす。
それが開始の合図だった。
「行くぜ!」
予想通り、ナガレは様子見など一切することなく猛然と打ち込んできた。
だが、目で捉えられないというほどではない。
円卓の間でヂャギーが暴れたときと比べれば、まるで遅い。
聖剣の力でリクサの剣技を借り、彼女の打ち込みを受け流す。
剣の扱いには慣れてはいるようだが、正規の訓練を受けたようではない。
攻撃パターンも単調で、全力で急所を狙ってくるだけ。
そこらの危険種を狩るくらいなら十分かもしれないが、リクサと比べれば雲泥の差だ。彼女に勝てなかったというのも頷ける。
そのうち打ち疲れて、ナガレの息が上がってきた。
人狼の里の一件から体力がないことは分かっていたので、こちらははなから持久戦に持ち込むつもりだったのだ。
そろそろ勝負をつけてやるかと前に進み出ると、ナガレが逆切れのように叫んだ。
「なんでお前が、リクサの剣術を使えるんだよ!」
「あー、それはね……」
やはりバレたか。
いずれは言わなければならないことなので、騎士たちからスキルを借りる力が聖剣にあることを素直に話す。もちろん、借りる条件は伏せた上でだ。
ナガレは説明を聞いて、しばしぽかんと口を開けていたが。
「ズルじゃねーか!」
猛禽のような鋭い両目を、かっと見開いて抗議してきた。
「聖剣を使っていいって言ったのはナガレじゃないか。使っていいってことは、当然その力も全部アリってことだろ」
だいたいそうでなければ俺に勝ち目があるはずがない。
反論できないのか、ナガレはぐぬぬと悔しそうにしていたが、ハッと何かを思い出したような顔をした。
「そうか、分かったぞ。前に人狼の里行ったときも、シエナから【足跡追跡】借りただろ!」
「御名答。賢いね」
怒らせるつもりはなかったのだが、どうやら頭にきたようで、ナガレは木刀を投げ捨てると両手を組んで骨を鳴らした。
「上等だ……こっちも特権を使ってやる。オレの職業、覚えてるか?」
なんだったろう。初対面のときに言われたけど。
聞いたこともないなと思ったのは覚えてるが。
「[異界調合士]だ。オレのいた世界から品を呼び出したり合成したりできる、単独限定の特別職」
告げて、ナガレは虚空へと右手を伸ばす。
するとその先に黒い渦が現れ、そこから細い缶のような落ちてくる。
ナガレはそれを掴み取ると、その上部についたピンのようなものを引き抜いた。
「オレのいた世界って……まさかナガレ、君は訪問者なのか!?」
「そうだよ」
冷たい返答と共に、その缶のようなものを俺の目の前に投げてくる。
それは床に当たると同時に大量の煙を噴出し、あたり一面を白で覆った。
煙幕だ。
訪問者は、異世界からの来訪者。
真なる魔王もそうだと言われている、望まぬ漂流者。
この武器も彼女の世界のものなのだろうか。
次にどう動いてくるか、まったく読めない。
どうするべきか。頭を必死に働かせ、こんなときに使えそうな円卓の騎士たちのスキルを探す。
しかしどれも状況を打破できそうにない。
正面――煙の向こうに黒い人影が見えた。
こちらへ迫ってくる。
咄嗟に、そちらに向けて聖剣を振りかざした。
煙幕を使ったのに、前から来るのはおかしいと思いながら。
「コンニチハ、シンソツサイヨウノ、カタデスカ?」
抑揚の弱い、奇妙な声。
その主は足のない、白くてつるつるとした体の人形だった。
生き物じゃない。自走人形の類か。
「もらった!」
人形に気を取られたその一瞬、脇からナガレが襲い掛かってきた。
またも見たことのないものを手にしている。今度のそれは手のひらサイズの黒い器具で、ナガレは体当たりと共にそれを俺の体に押し付けてくる。
次の瞬間、バチッ! という大きな音がして、体がしびれて聖剣を取り落とした。
冬場にドアノブを触ったときの痛みを何百倍にもしたような衝撃だ。
その間にナガレは俺の背後に回りこみ、後ろから抱きつくような形で首を絞めた。
裸絞と呼ばれる形である。
「どうだ、まいったか!」
前に自走式擬態茸に絞められたとき、聖剣の鞘の効果では抜け出せなかったことを彼女に話していた。そのことを参考にしての戦術だろう。
いくら首を絞められても死にはしないが、抜け出せないようなら負けを認めざるをえない。
しかし、諦めるのはまだ早い。
「……絞まってないぞ……」
ぎりぎりのところで、首に回された腕に片手を挟み込んでいた。
「往生際がわりぃぞ!」
ナガレは渾身の力で絞めてきているようだが、聖剣の鞘の効果でイマイチ分からない。
ただ完全に背後を取られているし、両足も絡み付けられて、引き剥がせそうにない。
この状況で使えそうなのは、アレくらいのものだ。
本当は使いたくなかったが。
自由になっている方の手を背中に回し、ナガレの体に触れる。
そして聖剣の力で、ラヴィからスキルを借りた。何か有用なものを頼むと、祈りながら。
ナガレの胸元のあたりで、何かが指に触れた。
【スリ】の力で一気に引き抜く。
それは白い帯状の布。包帯のようではあるが、それよりは幾らか幅があり、だいぶしっかりしたものだ。かなりの長さがある。
ナガレの体温が移ったのか、なんだかまだ暖かい。
「テ、テメェ!」
意外なほどに、ナガレは動揺した。首を絞める腕の力が急激に緩む。
俺はその一瞬を見逃さず、彼女の腕を両手で掴んで捻り上げ、その拘束から脱出した。
体勢を崩し、ナガレが体を床に打ち付ける。
俺が聖剣を拾い上げてナガレに突きつけるのと、煙幕がふっと一気に晴れたのはほぼ同時だった。
先ほど見た自走人形も、いつの間にか消えている。こちらの世界へ呼び出していられる時間が過ぎたということなのだろうか。
「そこまでだよ!」
ヂャギーが手を挙げて、勝負を止めた。
聖剣を鞘に収め、大きく息をつく。
なんだかよく分からないが、どうにかなったようだ。
「クソッ! 認めねえぞ、こんなの!」
床を叩いて、ナガレが悔しがる。
「それ返せよ! いつまで握ってんだよ!」
ナガレは胸元を押さえながら、俺の手から先ほどの白い布を奪い取る。無我夢中で盗ったものなので、結局なんなのかよく分からない。
ナガレは俺の顔を、悔しさと羞恥心と怒りが混ぜこぜになったような表情で睨んできた。それも実に十呼吸ほどの長い時間を使って。
それが終わるとナガレはぷいっと顔を反らし、鍛錬場を出て行こうとする。
慌ててその手を掴み、引きとめる。
「待って」
「なんだよ!」
振り返るナガレに、ぐっと顔を近づける。
僅かだが額から出血していた。どうやら最後に振り払ったときに、床でぶつけて傷ができたようだ。
興奮しているからか、ナガレは気付いていなかったようだが。
「慈悲深き、森の女神よ――」
今度はシエナから力を借りて、《治癒魔法》をかけてやる。
残った血をハンカチで拭くと、傷跡もない綺麗な額に戻っていた。
「……あ、ありがとう」
ナガレはぽかんとしたまま、そう口にした。
なんだか、俺と同い年くらいの少女のような台詞と表情だ。
しかしすぐに我に返ってしまう。
「い、今のは礼じゃないからな! 勘違いするなよ!」
ありがとうが礼じゃないなら、なんなんだろう。
ナガレは苛立ちを隠せないようで、床を思い切り蹴りつけると。
「クソッ! 明日、また決闘するからな! 首を洗って待っとけよ!」
捨て台詞を吐いて、鍛錬場を出て行った。
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【第六席 ヂャギー】
忠誠度:★
親密度:★★★
恋愛度:★
【第七席 ナガレ】
忠誠度:
親密度:★[up!]
恋愛度:★★★[up!]
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