第百三十六話 大事な話をしたのが間違いだった
伝達石での前衛班との交信を打ち切り、《覗き見》を解除して姿見を消す。
それから大きく息を吐き、ひとりごちた。
「ふぅ。一応、ここまでは順調だな」
いや、すぐそばにスゥがいるので、独り言ではなく彼女に向けたものみたいになってるけど。彼女はここに転移してきてから一言も喋らず物音も一切立てなかったので、すっかり忘れてしまっていた。
スゥの方に向き直り、ぎこちないかもしれないが笑顔を作る。
「ウルトがここに来るまでだいたい四半刻だってさ。ああ、前衛班がもう一度戦うから、もう少しかかると思うけど。俺たちはこのままここで待機しとこう」
「あ、はい。……そうっスね」
スゥは素っ気ない返事をすると、もじもじと両手の指を合わせて何かを警戒するように俺に背を向けて膝を抱えて座った。
あまりにも不自然。
今日のスゥはこれまで以上にそわそわしているように見える。
彼女と二人きりになるのは初めて会った日の翌日、一緒に卵サンドを食べたあの時以来だ。あの日はあんなに上手く話せたのに、どうしてこんなぎくしゃくした関係になってしまったのか。
好感度上げでここまで手こずらされた騎士は他にいない。
自分に好感を抱いていない――少なくともそれほどは抱いていないと分かるのは、正直心地いいものではなかった。
俺はずっと人と人が上手くやっていけないのは相手がどう思っているか分からないからだと考えていたが、最近は逆に相手がどう思っているか分かってしまうのも、それはそれで問題があるなと考えるようになっていた。
本当にこのままでいいのかという思いがあった。
これから俺はスゥと技能拡張を行う。これまでに四人の騎士と行ったあの工程だが、あれは心を重ね合わせるデリケートな行為だ。できることならこれまでと同じように、互いのことを幾らかでも理解しあってから行いたい。
もちろんどんなに努力してもすべてを理解しあえるとは思わないし、俺にだって聖剣の秘密をはじめ絶対に人には言えないことが色々ある。けれど、少なくともこんな風に相手のことが何も分からない状態でやっていい行為ではないように思えるのだ。
僅かな時間だけど、こうして二人きりになることができた。
これはチャンスだ。
俺はスゥのそばに両ひざをつくと、唾を飲み込み、一つ深呼吸をしてから声をかけた。
「大事な話があるんだ」
「大事な話があるッス」
彼女の背中に向けたつもりの俺の声と、思いつめたような表情で振り返った彼女の声は完璧に重なった。
互いに次の言葉を紡げぬまま、先にどうぞと手振りで譲り合う。
「あ、じゃあ、スゥからどうぞ」
俺が先に口に出して言うと、スゥはそのどこか幼さの残る顔を今にも泣きそうなくらい、くしゃくしゃにした。それから地面に両手をついて、俺に向かって頭を下げてくる。
彼女の額が勢いよく地面と当たる鈍い音がした。いわゆる土下座である。
「すみませんッスぅぅううう!!」
「ど、どうした。……突然、何を謝ってるんだ?」
慌てふためいた俺は、彼女の肩に手をやって頭を上げさせようとする。
しかし彼女は岩のように固く姿勢を維持しており、びくともしない。
頭を地面につけたまま、まくし立ててくる。
「あーしは救いようがないダメ人間っす。あーしの心が弱いせいで、みなさんにどれだけ迷惑をかけたか分からないッス。ホントならすぐにでも腹を切って自害すべきなんスけど、あーしのこの体ではそれもできないッス。どう詫びればいいのか分からないッス」
「いや、えーと。もしかして大陸からの帰還が遅れたことを謝ってるのか?」
今更? という想いもあったが、そう聞くと、スゥは顔を上げてこくりと頷いた。声でなんとなく分かっていたが、その頬にはボロボロと大粒の涙が流れている。
俺は釈然としない気持ちのまま、慰めるように言う。
「確かにスゥがもっと早くこの島に帰還してくれてれば、これまでの戦いももっと楽だったかもしれない。でも帰還が遅れたのはスゥのせいじゃないだろ? 精霊界、だったか。そこに囚われてしまったのはただの事故なんだし。不可抗力だよ」
「……ミレウスさんはあの話、信じてくれてたんスね。やっぱりミレウスさんはいい人ッスね」
「え?」
信じる? 信じるってなんだ?
それじゃあの話は嘘だったってことか?
こちらが疑問を発する前にスゥは手の甲で涙をぬぐうと平静を取り戻し、地面に正座をして逆にたずねてきた。
「あの、ミレウスさんの方のお話はなんスかね」
「あー、えっと。上手く言いづらいんだけど、俺とスゥの関係についてなんだ」
決心をつけてから声をかけたのに、どう話せばいいかはまったく考えてなかった。
ところどころ詰まりながら、こちらの気持ちを言葉にする。
「俺と君は……表面上は仲良くできてると思うんだけど、その、まだ心の壁があるというか。深いところで分かりあえていないような気がして。もっとちゃんと話がしたいんだ。スゥの方もずっと何か言いたいことがあったみたいだし、気になってた。さっきのがスゥの言いたいことだとしたら、全然気にすることないよって俺は思うんだけど」
これで伝わっただろうか。
スゥは目をぱちくりとしばたたかせて首を傾げた。彼女の金髪のツインテールが振り子のように左右に揺れる。
それからスゥはポンと手を叩いた。
「あ、なるほど。あーしの好感度が思うように上がらなかったんスね。だからその原因を見極めようと」
「え?」
“好感度”。
彼女がそう口にしたとき、俺の心臓が跳ねた。
いや、その単語自体は誰が口にしてもおかしくないものだ。しかし文脈が“異常”だった。
彼女が今なんと言ったのか。俺がその台詞を咀嚼しきる前に、彼女はこちらの混乱など意に介さず、“異常”な長台詞を続けた。
「まず弁明しておきたいんスけど、あーしはミレウスさんのこと大好きッスよ。ここ一月の間にミレウスさんがあーしにしてくれた色んなことも全部ホントに嬉しかったっス。ただ無意識の内に警戒しちゃってたみたいっスね。ミレウスさんの行動は全部あーしの好感度を上げるためにやってることなんじゃないかって心のどこかで考えちゃってて、きっとそれが心理障壁になったんだと思うっス。それであーしがミレウスさんに対して抱いてる好意が聖剣に正しく表示されなかったんじゃないッスかね。ミレウスさんがご即位なさった夜にフランさん――先代王から説明があったッスよね。好感度の件は絶対に誰にも話しちゃいけないって。もし円卓の騎士のみなさんにバレたら人間関係が歪になって好感度を上げにくくなるからって。どうもあーしはその状態になってたみたいッスね。ホント申し訳ないッス」
「……いや。は? ま、待ってくれ。なにがなんだって?」
混乱の極みに陥った俺は自身のこめかみを右手で抑え、彼女の話を遮るように左手を前に出した。
しばし考え、ようやく今の話の意味するところを理解した。激しく総毛立つような感覚が俺を襲う。
話が飛躍し過ぎて、とてもではないがついていけない。
どこからたずねればいいのか、見当もつかない。
しかし問いかけは自然と口から出てきた。
「どうして君が“好感度”のことを知っている?」
「あ、それはあーしが聖剣を作ったメンバーの一人だからッス」
「…………は?」
今度こそ俺は言葉を失った。
夜が更ける。
今この瞬間もウルトはこちらへ向かってきている。
しかし今はそんなことを考える余裕は欠片も残っていなかった。
スゥは自身の薄い胸に人差し指を当てた。
「あーしは円卓システムの管理者ッス。……と言うより初代円卓の騎士の一人、剣豪ガウィスって言った方が分かりやすいッスかね」
そんな風に、たいしたことではないとでも言う風に彼女は自身の秘密を明かした。
☆
「初代のみんなと聖剣と円卓を作ったとき、これから数百年、全自動でこのシステムを運用するのは不可能だって結論になったんス。まぁそれも当たり前ッスよね。いくらマーリアさんが“魔女”でも完全な未来予知をできるわけじゃないッスから」
こちらが動揺から立ち直れないうちに、スゥは話を続けた。俺がきちんと聞いているかも確認せず、どこか遠い目をしながら。
「あまりにも多い未来の不確定要素に対処するには、やっぱり誰かしらがずっとシステム周りを監視して、メンテナンスを行う必要があるってことになったっス。それで寿命っていう概念がないあーしに白羽の矢が立ったっス。……それがそもそもの間違いだったんスよ。なんであーしなんかにそんな責任重大な役割を任せたんスかね? 今でもそれが分からないッス」
スゥの声には無数の感情が込められていた。
罪悪感、怨嗟、感傷、悲嘆。
そして激しい後悔。
溢れだした感情は彼女の表情にも表れていた。
今にも泣きそうにしているが、実際に大粒の涙を流していた先ほどよりも遥かに深い感情がそこには見られた。
彼女の言葉は懺悔のようでもあった。
嘘をついているような様子は微塵も感じ取れない。
だがあまりにも信じがたい話であったし、俺が知る情報との矛盾もあった。
「待ってくれ。……君が剣豪ガウィスって……おかしいだろ。だってガウィスは男性で、大陸東方の民族衣装を着た刀使いの男だろ?」
「ああ、聖剣があの頃の夢を見せたんスね。それはあーしじゃなくてシャナクさんッス。帰還者シャナク。ご存知ッスよね? 初代の第七席の人ッス。あーしはそのシャナクさんから刀の使い方を習ったんスよ。あの人はあんまり刀を使いたがらなかったから、あーしの方に剣豪って異名がついちゃったッスけど。あ、スゥっていうのはガウィスだと女の子っぽくないからってアーサーさんがつけてくれたあだ名ッス」
スゥは模範解答でも読むかのようにすらすらと答える。
それが納得のいく答えだったかどうか考えもしないうちに、俺の内に別の疑問が沸き上がった。
「ガウィスは二百年前の人物だろ? 魔力がとびきり高いってわけでもなさそうだし、エルフの血が入ってるようにも見えないけど、君は二百年以上生きてるって言うのか? 寿命の概念がないとかさっき言ったけど」
「あー。その質問はたぶんこれを見てもらえれば納得してもらえると思うッス」
スゥは立ち上がると右腕を横に伸ばした。
何を見せる気なのか。俺がぽかんと口を開けて見ていると、その伸ばした右腕の先、右手の手の平から影が伸びるように音もなく何かが生えてきた。
驚きすぎて、俺は危うく腰を抜かすところだった。
スゥの手の平から生えるように現れたのは、彼女の背丈くらいの刃渡りの刀。鞘も鍔もないシンプルな形状で、その刃は夜の闇のように黒く昏く、光をほとんど反射しない。見ているだけで不安になるような不気味な刀だった。
スゥはそれの柄を掴んで、軽々と肩に担ぐ。
「な、なんだそれ! どっから出した!?」
「あーしの体の中からッス。あーし、元々この島で生まれた戦災孤児だったんスけど、物心つかない内に魔神崇拝者たちにさらわれて、そこで魔神将への生け贄にするために適度な年齢になるまで育てられたんス。ただ訳あって生贄の儀式が途中で中断されたんであーしは死なずに済んで、ついでにその魔神将の力の一部があーしの中に宿ったんス。この刀はその力で出したものっス。体も半分、魔神みたいになっちゃったんで寿命が無限になっちゃったし、肌も浅黒くなっちゃったんスよ」
相変わらずすらすらと話すスゥ。
ついでとばかりに付け加えた。
「あーしが生贄に捧げられた魔神将、ガウィスって名前なんすけど、だからって、そのまんまあーしにもガウィスって名前つけるなんて酷いと思わないっスか? 女の子の名前じゃないっスよ」
聖剣が見せた夢の中で、統一王が『変な名前だな』と言って笑ったのを俺は思い出した。
スゥも思い出したようにさらに付け加えようとする。
「あ、そうそう。生贄の儀式が中断された理由は――」
「統一王、だろ?」
俺が話を遮って言うと、スゥは目を丸くした。
しかしすぐに気づいたようだ。口元を隠して苦笑する。
「ああ、あの時の夢も見たんスね。なんだかこそばゆいッス」
「いや、あの、恥ずかしがってるところ悪いんだが……。スゥ、きみ、大陸の出って話してなかった? どっかの奴隷工場で育って、拳法の達人に助けられたとかって話は?」
「ああ、あれは全部嘘っス。ホントのプロフィールを言うわけにはいかないんで、誰かに生い立ちを聞かれたときはいつもああ言うんス。……騙してしまって申し訳ないっス」
最後、謝るときに急にスゥは心を痛めたような顔をした。
「ホント申し訳ないっス。仕事柄、嘘をつくのが常態化していて、人を騙すことへの意識とか罪悪感がおかしくなってるんスよ。あーし、他にも色々ミレウスさんに嘘ついてたっス」
話しながらスゥは黒い刀身の刀を慣れた手つきでくるくると操って見せ、さらに刃が見えないほどの速さでそれを左へ右へと振るう。剣豪と呼ぶに相応しい、とてつもない技のキレだ。
「職が[達人]だっていうのも嘘っス。ホントは[剣豪]っス。[達人]もサブとして前にやってたんでスキルが使えるんスけどね」
その声にはほんの少し得意げな様子も見られた。
しかしそれから突然、スゥの表情が曇った。
俺から目を反らし、震える声で打ち明ける。
「それと精霊界に囚われていたから大陸から戻れなかったなんてのも嘘ッス。ホントはシステム管理者の仕事の重責に耐え切れなくなってバックレてたっス。この島にはとっくの昔に戻ってたんスけど」
「……さっきの土下座はそういうことか」
不思議なくらい、俺は騙されていたことに憤りを感じていなかった。システム管理者と円卓の騎士、二重の職務放棄していたことを責める気にもなれなかった。
なぜだろう。
俺がその理由を考えているうちに、やはりスゥは話を進めてしまう。
「あーしを今代の円卓の騎士にスカウトしたのはレイドさんだって話はしたっスよね? あれはホントっス。でも円卓システムの管理者であるあーしが円卓の騎士に選ばれた理由は実のところはっきりとは分からないっス。推論はあるんスけどね。……レイドさんが持ってる魔剣のことはご存知っスよね?」
「ああ、人格が宿っていて、時々レイドにだけ聞こえる声で話すっていうアレだろ」
「そうっス。あれには初代の一人である赤騎士レティシアさんの魂が宿ってるっス。あーしはスカウトされたとき、レイドさんを通してレティシアさんと話したっス。それで絶望しちゃったんスよ。それから円卓の騎士としてどうにか活動してたっスけど、大陸から戻ってきて、ミレウスさんが即位したっていう報を聞いて限界が来たっス。絶望に耐え切れなくなっちゃったっス」
「……絶望?」
「そうっス。考えてもみてもらいたいっス。二代目から五代目までの四つの円卓と彼らの責務をあーしはずっと見てきたんスよ? 現れる滅亡級危険種は一体の例外もなく島を滅ぼせる力を持った化け物で、一度たりとも楽な戦いなんてなかったっス。円卓の騎士が死ぬことも、後援者が死ぬことも、無関係な国民が死ぬこともたくさんたくさんあったっス。毎回毎回、あーしは頭がおかしくなりそうだったっス。いっそのことあーしも戦いに参加して戦死した方がマシなんじゃないかって何度も思ったっスけど、システム管理者の仕事ができるのはあーしの他にはいないから、それも選べなかったっス。ずっとずっと裏方に徹して大勢の人が死んでいくのを見届けたっス。ずっとずっとこんなのはおかしいとあーしは思ってたっス。あーしの心は汚れてるから」
スゥが大きく息を吸う。
同意を求めるように。そして誰かを責めるようにまくし立てる。
「この島にはもう誰もいないんすよ? アーサーさんも、ロイスさんも、ルドさんも、ジョアンさんも。みんな! みんなもういないんスよ!? なのに、なのにどうしてあーしだけがいつまでもこんな重荷を背負い続けなきゃいけないんすか!?」
少女の慟哭が人狼の森に響き渡る。
その剣幕に気圧されて、俺は何も言うことができなかった。
スゥは大きく頭を振って、ツインテールを揺らし、さらに声を荒げる。
「マーリアさんは生きてはいるけどもう何もできない。レティシアさんは剣になっちゃうし、イスカさんはずっと寝てるし。ビョルンさんもいない、エリザベスさんもいない、アルマさんもいない。オフィーリアさんも、シャナクさんもここにはいない! あーし一人で! たった一人で! いったい何ができるって言うんスか!」
二百年間、溜め込んできた気持ちなのだろう。それをすべて吐き出して、スゥはようやく落ち着いた。
肩を上下させながら息をして、手の甲でぐいと涙をぬぐい、ようやく俺の方を向く。
次に口を開いたときには、もういつもどおりの穏やかな声に戻っていた。
「すまないっス、ミレウスさん。何を言っても言い訳にしかならないっス。ミレウスさんにも、他の人にも、たくさん迷惑かけたッス。あーしがきちんとしていれば円卓の騎士のみなさんも後援者のみなさんも、もっと楽に仕事ができたはずっス。滅亡級危険種の被害も少なくて済んだはずっス。死ななくていい人も大勢いたはずっス。……だからあーしは死ぬべきなんスよ」
言うや否や、スゥは手にしていた刀を自分の首に向けて振るった。
俺には止める間も『あっ』と口に出す間もなかった。
刃はスゥの首の皮に触れたところで止まっていた。
刀の柄を持つ彼女の手が震えてる。『止めた』というより『止まった』という風に俺には見えた。
スゥは大きく息を吐くと、刀を下ろす。その表情は諦観に満ちていた。
「魔神の力を得て体が変質したとき、自害できないようになっちゃったんスよ。本気で死ぬ気で試したことがあるわけじゃないんで絶対かは分からないっスけどね。……死ぬ勇気すらないなんて、あーしは本当にどうしようもないダメ人間っス。幻滅したっスよね、ミレウスさん」
うつむき、肩を落とすスゥ。
俺はなんと声をかけてやればいいか分からなかった。
天を仰ぐ。
分厚い黒雲からは今にも雨が降りそうだ。
遠く、雷鳴が聞こえた気がする。
ウルトが落としたものだろうか――。
「俺の代の円卓の責務じゃ、今のところ民間人にも作戦参加者にも死者は出てない。いや、死者が出るには出たけど、みんな蘇生に成功してる。……奇跡的だってヌヤは言ってたけど」
ずいぶん時間が経ってから俺に言えたのはそんなことだった。
彼女が仕事を放棄することを決めるまで、どれだけの重責を感じ、どれだけ葛藤したかは分からない。彼女のような仕事を二百年も続けた人なんていないのだから当然だけど。
顔を上げ、こちらを向いた彼女に俺は話を続けた。
「君はこうしてすべてを打ち明けてくれたし、円卓の騎士にも復帰してくれた。それで十分じゃないかと、俺は思うけど」
「……本当にミレウスさんは優しいっスね。優しすぎるっス。みんなが好きになったのも分かる気がするっスよ」
スゥは苦笑のようなものを浮かべた。少しは気が楽になっただろうか。
それからしばし目を閉じて考え込むような様子を見せてから彼女は言ってくる。
「実はもう一つ謝ることがあるッス。これもミレウスさんにとってはすごく大きなことっス」
「まだなんかあるのか。もう今日は何を聞いても驚かないよ。言ってくれ」
「たぶんこれは口で説明するより直接体験してもらった方がいいんスけど……でも、うーん、やり方が……けど他に方法はないし……」
スゥは何やら悩むようにぶつぶつと呟いて それから躊躇いがちにこんなことを聞いてくる。
「あの、ミレウスさん。あーしのこと、どう思うッスか」
「……どう、とは?」
「異性としてどう思ってたかッス。キスしたいとかハグしたいとか、そういう感情ほんのすこーしくらいなら……あったッスかね?」
よく意図の分からない質問だ
そわそわと自信なさげに返事を待つスゥ。
素直に答えればいいのだろうか。
「そりゃまぁそういう感情は少なからずあるよ。スゥは可愛いし。愛想もいいし」
「そ、そうッスか。ならよかったッス」
スゥは赤く染まった頬を人差し指で掻く。
いつも少女らしい振る舞いのこの子であるが、こういう初心な仕草を見たのは初めてのような気がした。
スゥが手を差し伸べてきてきたので、その手を取って立ち上がる。
「あーし、これやるの初めてなんスけど、たぶん上手くいくんで心配しないで欲しいっス。あの、ホント申し訳ないんスけど他に方法がないんで我慢してほしいんスけど」
「いや、さっきから何を言ってるんだ?」
「あ、少し屈んでほしいっス」
言われるがまま、彼女と視点の高さが同じくらいになるよう膝を曲げる。
彼女の顔がぐいっと近づいてきた。
「ちょ」
『ちょっと顔近くない?』と言おうとしたときには、彼女に両手で頬を挟まれ顔をホールドされていた。ついでに言葉を発しようとしていた俺の口が封じられる。彼女の小さな唇で。
俺の視界が瞼を閉じたスゥの顔で埋まる。
ふんわりと、いい匂いがした。
唇の間を割って、スゥの舌が俺の口腔内に侵入してくる。
熱い。
舌と舌が触れ合い、そのやわらかさと熱さを感じる。それで今が凍えるほどに寒い真冬であることを思い出した。
彼女の舌は独立した生き物のように動き、俺の舌と口の中をたっぷり蹂躙してから離れていった。彼女の顔も離れる。
今の口づけの意図を聞く間もなく、俺はくらりと立ち眩みのようなものを覚えて地面に前のめりに倒れた。
一瞬、連想したのは毒。睡眠薬。
しかし不快感や痺れはない。この子がそんなことをするはずもない。
恥じらいを含んだ声が上からかけられる。
「ミレウスさん。五歳より前の――オークネルに来る前の記憶がないッスよね? それを消したのもあーしッス。……ホント申し訳ないッス」
今日何度目かも分からない、スゥの謝罪。
途端、十数年間封じられてきた膨大な記憶が頭の中に溢れかえってきた。




