第百三十四話 銀針狼に挑んだのが間違いだった
そして決戦の夜が訪れた。
アルマの里から人狼の森を歩くこと半刻ほど。約二百年前に造られたという環状列石に、俺と十人の円卓の騎士は完全武装の状態で集まっていた。
ここは森が開けた場所に横幅も高さも大の男三人分ほどの巨石が円形に並んでいるだけの地味な遺跡だ。中等学校の修学旅行で王都に来た際に読んだ観光パンフレットには『製作者も製作意図もいまだ分かっていない浪漫溢れるスポット』なんて風に都合よく書かれていた。
今の俺はこの遺跡の存在目的を知っている。
これは初代円卓の騎士たちが滅亡級危険種を未来へと飛ばした場所を後世に伝えるために残した目印だ。そしてこの地で未来へ飛ばされた滅亡級危険種は決戦級天聖機械、銀針狼のウルト。
円卓の騎士の責務――滅亡級危険種との決戦はこれで都合五回目。いや、イスカの付属パーツをそれぞれカウントするなら六回目だが、いずれにしても慣れるものではない。出現時刻が迫ると今でも緊張で胸が苦しくなる。
『てすてす、てすてす。もしもしミレウスくん? 聞こえてる?』
少しくぐもったアザレアさんの声は、俺の手の中にある奇妙な光沢を持つ細長い石から聞こえてきた。南港湾都市の一件でも使った伝達石と呼ばれる第一文明期の遺物だ。同期させた別の石に音声を伝えることができる便利な代物で、アザレアさんとここにいる十一名全員が同期させた石を一つずつ持っているのだが、今届いた音声は俺の石だけに向けた直通交信だった。
こほんと咳払いをしてから返事をする。
「ああ、聞こえてるよ、アザレアさん」
『後援者全員配置についたよ。いつ始めても大丈夫』
俺はぐるりと首を巡らした。この人狼の森は差し渡し徒歩一日半くらいの広さだ。後援者たちにはそれを囲うように待機してもらっている。情報漏洩防止のためであるが、アザレアさんを含む精鋭二十名には別の目的で、ある場所に集結してもらっていた。
「悪いね。危険な役目を任せちゃって」
『もー、それもう耳にタコができるくらい聞いたよ? 第一ミレウスくんたちの方がよっぽど危険なんだから、気にすることないって。みんな納得して引き受けてるんだしさ』
「そうだけど。なんかこう、もう少しいいやり方があったんじゃないかってもやもやするんだよね」
『ないない。そんなのあったら誰かが提案してるって』
これはすでに俺たちの間で何度も交わされたやりとりである。
彼女が現在いるのはここから北西の方角に数刻ほど歩いたところにある丘の向こう。その丘の間には王都の大通りくらいの幅の浅い谷があり、今回はそこをウルトにトドメを刺す討伐地点として想定していた。
アザレアさんを含む二十名に任せた危険な役目というのは要するにウルトを誘導するための囮のようなものである。
天聖機械と魔神は第一文明を崩壊させた終末戦争で、相手陣営の人間を殺戮するために造られた兵器だ。それゆえ人が集まっている場所を感知するレーダーがあり、基本的にその方向に動く性質がある。以前、王都の南西の荒野に出現した蜘蛛型決戦級天聖機械のアスカラは王都の方角に向かって動いたが、あれはこの性質によるものだった。今回はそれを逆手に取って討伐地点まで誘導することも可能なのではと考えたわけだ。
囮班には魔術師ギルドにお願いして《瞬間転移》の使い手を十分な数配置してもらっている。万が一ウルトを谷で仕留められずに通過させてしまっても囮班が逃げられるようにだ。
アザレアさんが囮班に配置されているのもそれが一つの理由である。魔術を習い始めて二年足らずだというのに彼女はすでにあの最上級難度の魔術を習得していた。
そう、いざとなれば逃げられるはずなのだ。
だが心配する気持ちを抑えられるわけではなかった。
「ウルトの能力に未知数な部分が多い以上、いきなりみんなのところに攻撃が飛んでく可能性だってなくはないんだよなー」
『大丈夫だって。みんなしっかり覚悟できてるし、そう簡単にやられるほどやわでもないって。……ですよね?』
アザレアさんの最後の言葉は俺に向けたものではなく、囮班のみんなに向けたもののようだった。伝達石の向こうから勇ましい返事が戻ってくる。
『ご心配いりませんよ、陛下! 無問題です!』
『なるようになる、ですよ陛下!』
この明るい二つの声は勇者信仰会の美人修道女二人組、エルとアールのものだ。アザレアさんと俺が話していたのを最初から聞いていたのだろう。
他の後援者たちからも続々と声が届く。
『チューッチュッチュ! こっちはちゃんともらうもんもらってるんです。変に気ぃ回してないで、しっかり働けっていつもみたいに命じりゃいいんですよ、ミレウス陛下』
盗賊ギルドのスチュアートの声だ。あの鼠顔の男がさもおかしそうに笑っているところが目に浮かぶ。
『ま、そうですね。私らも無理して死ぬ気はさらさらないですし。あんまり心配することないですよ。引き際くらいわきまえています』
傭兵ギルドのイライザの声だ。普段から金で自分の命を危険に晒しているだけあって、その言葉には説得力があった。
『大丈夫ですわ、ミレウス陛下。我が魔術師ギルドが立てたプランは完璧です。あらゆる事態に万全に備えていますわ」
この誇らしげな声はブータの姉弟子にして魔術師ギルドの十年に一度の天才、ネフのものだ。囮班に配置した《瞬間転移》の使い手は彼女に選んでもらった。これまでと同じように、きっと今回も彼女の仕事は完璧だろう。
『心配めされるな、陛下。もし陛下たちが討ち漏らしたなら、我々が仕留めてごらんに入れましょう。いい機会です。一度決戦級天聖機械とやらと手合わせしてみたかったんですよ』
冗談めかして言ったのはリクサの親戚であるコーンウォール公エドワードだ。威厳溢れる風貌のあの老人だが、意外と茶目っ気がある。もちろんいざという場合は計画通りきちんと逃げてはくれるだろうが、仮に戦ったとしても彼ならば善戦しかねない。
『案ずるな、王よ。収束ビームの一つや二つ飛んで来ようと、ワシがどうにかしてやるわい。ぬしはいつもどおり敵を討伐することだけを考えておればよい』
最後にそう励ましてくれたのはアールディア教会の前最高司祭のヌヤだった。
彼女やシエナが信仰する森の女神は優れた結界魔法を多く授けると聞く。蘇生魔法まで使いこなす彼女ならば、確かに一発二発の流れ弾は防いで見せてくれるかもしれない。
俺は瞼を閉じ、大きく深呼吸をして、みんなの言葉を噛みしめた。
そうだ、この戦いは俺だけのものではない。
俺たち円卓の騎士だけのものでもない。
気づけば肩の力が抜けて、少しだけ緊張が解けていた。
瞼を開けて、ふっと笑う。
「分かった。ありがとう、みんな。後は打ち合わせ通りに頼むよ。……健闘を祈る」
そう言って俺は交信を打ち切った。
伝達石を懐にしまって代わりに時を告げる卵を取り出す。それが放つ色は出現時刻が近いことを示す眩い赤色になっていた。
「さて。みんなも準備はいいか?」
俺を取り囲むように立っている円卓の騎士たちへと目を向けて、注目を集めるために手を叩く。
彼らは思い思いの表情で頷き、臨戦態勢に入った。
その中の一人、今回の一番槍を担うリクサに問う。
「どう? いけそう?」
「はい、陛下。……少し気分が高揚してきました」
リクサは珍しく緊張した面持ちで答えると、天剣ローレンティアと地剣アスターの切っ先を順番に己の腕に刺し、その素材である聖銀を活性化させ、天使特効を付与していった。
腕の刺し傷はすぐに癒える。彼女の体に流れる勇者の血の力だ。
ブータとシエナが前衛班の四人と、ついでに俺とスゥに強化の魔術と魔法をいくつもかけていく。
その間に俺はリクサ、ヂャギー、ラヴィ、デスパーの四人を順々に見た。
「前衛班は今回特にしんどいと思うけどさ。できるだけ頑張ってくれると嬉しい。最初の戦闘で“閾値”を確認できたら理想的なんだけど」
「“イキチ”ってなんデスっけ?」
案の定、脳筋組の一人、デスパーが手を挙げて聞いてきた。
俺は嘆息しつつも、根気強く説明する。すでに何度も話したことなんだが。
「ウルトの口腔内の使用済み魔力がどれくらいの割合になったら口を開けるのかってことだ。それは五割かもしれないし八割かもしれないし十割かもしれない。けど、とにかく一定の割合だろうってイスカが言ってた。逆に言えばその割合に達するまでは絶対に口を開かない。……だよな、イスカ?」
「そだぞー。たぶんそいつ、あたまよくないたいぷだからなー。……ふぁぁぁ」
眠たげな眼をしていたイスカは答えてから一つ欠伸をした。この子は知識と常識はないが地頭は抜群にいい。“頭がいいタイプ”の決戦級天聖機械ということなのだろう。
彼女の様子を不審げに見ながら、ナガレがふと俺に問いかける。
「……おかしな話だよな。第一文明期ってのは超高度な文明だったんだろ? それこそオレが住んでた世界よりもよ。そんな文明の産物がどうして単純なアルゴリズムで動いてるんだ?」
「さぁ。でも最初に戦ったアスカラもそんな感じだったし、そういうものなんじゃないか? なにか複雑な事情でもあったのかもしれないけど、そういう肝心なところはイスカは覚えてないし」
長い話に飽きたのか、うつらうつらとし始めたイスカを見て、俺は肩をすくめる。
それからデスパーに向き直った。
「ま、とにかくウルトが口を開けるとしてもほんの一瞬だ。その一瞬で俺は《短距離瞬間転移》で口の中に飛び込まないといけない。だから実際に飛び込む前に、一度ウルトに口を開かせて、そのタイミングを把握しておきたいってわけ」
「なるほど。よく分かったデスよ」
まったく分かってない様子で頷くデスパー。まぁこれについてはデスパーが理解している必要はないので敢えてスルーした。
ブータとシエナが強化をかけ終わる。
「それじゃそろそろ配置についてもらうか。ブータ、頼んだ」
「お任せください、陛下ぁ」
自信ありげに返事をした彼の手に握られているのは金の錫杖。かつて深淵の魔神宮で討伐した魔神将ゲアフィリが使用していたものだ。
「ぞれじゃあイスカさんからいきますねぇ」
「ういー。いいぞー。ふぁぁ」
再び欠伸をして眠たげな眼をこするイスカ。ブータは彼女に錫杖を向けて一言だけ唱えた。
「跳躍ゥ!」
途端、イスカの体がぐにゃりと歪んで掻き消える。《瞬間転移》によるものだ。
長い詠唱が必要なこの魔術は、プレッシャーがかかると呪文を噛んでしまう悪癖を持つブータが苦手とするものだった。しかしゲアフィリの錫杖に魔術全般の詠唱を短縮する魔力が付与されていることが分かったため、単詠唱で完成させられるようになったのだ。
もちろんあの杖を使えば誰でも同じようなことができるというわけではない。あくまでも突出した魔術の才を持ち、詠唱短縮理論を得意とするブータだから可能な芸当だ。
「んじゃー行ってくるわ。かったりぃけど」
「ご、ご武運を、主さま」
ナガレとシエナが一言ずつ残して、ブータに転移してもらう。次いでブータも自身に《瞬間転移》をかけて待機場所に転移していった。
「いいよなー。ああいう便利アイテム、俺っちも欲しいぜ。次に出てくる魔神将は精霊使いだったりしてくんねえかな」
ヤルーが羨ましそうにそんなことを言い、魔導書『優良契約』を開いて風精霊を召喚して宙に浮かんだ。あの本も十分便利アイテムだと思うのだが。
「そんじゃ頑張れよ、ミレちゃん」
「お前も頑張れよ」
「俺っち今回は楽な役回りだからな。頑張るポイント特にねえから。けっけっけ」
そう言い残してヤルーは上空へ飛んでいった。
これで残ったのはトドメ班の俺とスゥ、それと前衛班の四人だけ。
俺はリクサと視線を交わして頷きあうと、その背後に立って聖剣エンドッドの剣先を天に向けた。
意識を集中し、聖剣に秘められた技能拡張の力を解放し、彼女との精神同期を開始する。
南港湾都市でブータと。
最貧鉱山でイスカと。
キアン島の深淵の魔神宮でデスパーと。
すでに三度行ってきたこの工程だが、相手によってまるで感じが違う。
リクサとの精神同期はまるで全身を清涼な風が吹き抜けるかのようだった。
感動したようにリクサがぽつりと漏らす。
「素晴らしい……まるで陛下と心が繋がったかのようです」
「いや、実際ほとんどそうなんだけどね、これ」
そこではわざわざ言葉を交わしたが、やがて精神同期が深化していくと心話のように互いに現在考えていることが伝わるようになっていった。
「こ、これを後であーしもやるんスよね……うう……」
スゥがそう呟いて身震いするのが視界の端に映る。
そしてその時がやってきた。
時を告げる卵が爆発でもするかのように膨大な赤い光を発し、それがふいに収まる。
次の瞬間、環状列石の内側の空間が大きく湾曲し、そこに銀色の毛並みの巨大な狼のような化物が現れた。
その毛並みの正体は体表にびっしりと並んだ直剣ほどの長さの銀の針である。
決戦級天聖機械、銀針狼のウルト。
そのガラスのような双眸は緑の眼光を放ち、僅かに開いた顎からは口腔内に並んだ鋭利な牙が見て取れる。
サイズは鳥形態に変身したイスカと同程度。つまり百足蜘蛛のアスカラと比べるとかなり小さいが、発見した資料によればその出力や堅牢さは勝るとも劣らないという。
これから仕掛けるリクサの奥義はアスカラには通じなかったが、果たしてどうか。
「いきます!」
ウルトが動きだす前に、リクサは動いていた。
垂直にそそり立つ近くの巨石の側面を重力の影響など受けていないかのように駆け上がると、そこから高く跳躍し、最高到達点で地上のウルトを見据えた。
彼女が左右の手で握った天剣ローレンティアと地剣アスターが白く輝きを放つ。
「【剣閃】!」
勇ましい声と共に振り下ろされた二つの刃は純エネルギーの奔流となり、凄まじい轟音を立てながらウルトを襲った。人狼の森の大地がはじけ飛び、環状列石の巨石たちが次々になぎ倒されてゴロゴロと転がっていく。
その時点で俺は他の騎士たちと一緒にかなり離れた樹の影まで退避していた。しかし膨大な光と熱は寒気がするほどに感じられた。俺の【超大物殺しの必殺剣】には及ばないものの凄まじい火力だ。
現在の恋愛度の合計は六十ほど。そのうち十五を使って【剣閃】を多重化したが、これだけの威力が出たのは他にも要因があるだろう。アスカラ戦以降のリクサの成長や、勇者の試練で手に入れた地剣アスターの力。その辺りも大きいはずだ。
広範囲に大火力を出す彼女の技は核を防護しているウルトには相性が悪いと考えて恋愛度を全振りするのは避けたが、あるいはオールインしていればこれで倒せてしまった可能性もなくはない。
そう思うほどの威力だったのだが。
「うげー。やっぱ化け物じゃん」
先ほどの轟音でやられた耳はまだ回復しきっていなかったが、近くの樹の影に隠れていたラヴィが毒づいたのはどうにか聞き取れた。
彼女が見つめる先、もうもうと立ち込める熱と土煙の中に四足獣のシルエットが見える。
【剣閃】により深く陥没した地面に立っているためウルトの全身を確認することはできない。しかし損傷具合はおおむね把握できた。
右前足は完全に欠損し、右上部も欠けている。ふらついているようでもある。
しかし左半身はほぼ無傷だった。
どうやらあの一瞬の内に咄嗟に回避していたらしい。
ウルトは高機動型だという情報は手に入れていた。しかしあれの直撃を避けるほどとは想定していなかった。
土煙が薄らいでいく。
それと同時にウルトの欠損が驚くべき速度で修復されているのが見てとれるようになった。
大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、みんなに声を掛ける。
「初手で仕留めきれないのは織り込み済みだ! 攻撃し続けて修復に魔力を使わせればそのうち口を開ける! 作戦通りいくぞ!」
「よーし、行ってくるよ!」
「ヒャッハー!!」
樹の影から得物である斧槍を手にヂャギーが飛び出し、デスパーが巨大な片刃の戦斧――叶えるものを手にそれに続く。【剣閃】を撃った後に隠れていたのか、倒れた巨石の一つの影からリクサも飛び出した。
彼ら三人の動きに反応してか、ウルトが天を仰いで耳をつんざくような遠吠えを発する。それも口を閉じたままで。
ウルトのガラスのような緑の双眸が見据える上空は、いつの間にか分厚い黒雲に覆われていた。そこから爆発的な雷鳴と共に極太の雷が落ちる。それはウルトを貫き、その巨体を帯電させた。
無論、偶然落ちたのではなく、ウルトに備わった機能によるものだろう。この化け物が電撃を操る性質があるという情報もすでに得ていた。
仕組みはリクサが以前使用していた勇者専用のスキル【天機招雷】とよく似ている。しかし出力は段違いのようだ。
「散開して戦え! 的を絞らせるな!」
叫ぶや否や俺はスゥの小さな手を取り、彼女と自身を対象として、ブータから借りた《瞬間転移》の呪文を唱えていた。
魔術が完成し、奇妙な浮遊感が体を包む。
視界がぐにゃりと歪んで暗転する、その寸前。最後に俺が観たのはウルトが強烈な雷の束を全方位に向けて放射する姿だった。