第百三十二話 ガールズトークを聞いたのが間違いだった
アルマの里で過ごしたそれからの二週間は、本当にあっという間に感じた。後援者代表者たちとの作戦会議、ウルトを誘導するルートの選定、想定される状況の精査とイレギュラーな事態が起こった場合の行動マニュアルの策定、それから本番に近い形でのリハーサルなどなど、タスクが山積みだったからだ。
そして訪れた狼型決戦級天聖機械ウルトの出現予想日の前夜。
寝泊まりしている高床式住居で最後の書類仕事を片付けた俺は里の近くにある無人温泉施設へ一人で行くことにした。このウィズランド島は海底火山が隆起してできたという伝説があるが、それを証明するかのように各地で温泉が湧く。それはこの人狼の森も例外ではなかった。
「まー、ここのはだいぶ小さい規模だけどね」
温泉施設のそばに建てられた掘っ立て小屋の中で服を脱ぎながら一人ごちる。
普段ここを利用するのは男子禁制であるアルマの里の住民だけらしく、男湯と女湯という概念がない。そのため脱衣所も女性用のものしかなかったので、俺とヂャギーでこんな小屋を作って男性用脱衣所としたのだ。
浴場の方はというと、森の中の小さな熱水泉を岩で囲ってあるのが一つあるだけ。これまた俺とヂャギーで簡易的に木材で二つに区切り、男湯を急造してあった。ただでさえ狭い浴場を分割したわけだからその広さはお世辞にも褒められたものではないが、一人で入るには十分ではあった。
季節はもう完全に冬だ。
俺は寒さに震えながら髪と体を洗って、かけ湯をして、肩までどっぷり湯につかった。
「ああー。極楽極楽……」
思わずおっさんくさい声が出る。
明日の決戦のためにもここでしっかり疲労を抜いておこう。と、ぼーっとしたまま目を閉じているとそのうち眠気がやってきて、俺はうつらうつらと夢現の狭間をさまよい始めた。
それからどれくらい経っただろうか。
身も心もすっかり温まった頃、隣の女湯から楽しげな声が聞こえてきて、目が覚めた。
「あっれー? アザレアちゃん、まーた少し胸大きくなったんじゃない?」
「え、そうですか? カップ数は変わらないですけど……あ、でも確かにそうかも」
声はアザレアさんとラヴィの物だった。
しかし気配や話してる内容から、他にも何人か来ているのは明白だった。
俺は思わず耳をそばだてていた。
「いいなー。アタシももうちょっと欲しいんだけどなー。まー、アタシもまだ可能性はあるか。リクサもまだ育ってるみたいだし」
「な! なんで知っているのですか、ラヴィ!」
「だってこの前、鍛冶屋で胸当ての調整してもらってるの見たし」
「くっ、不覚です……」
「ナガレちゃんもまだ成長してる気がするんだよねー。なんでデカい人に限ってまだデカくなるのかなー」
「ああん? 別にデカくてもいいことなんてねーぞ。邪魔なだけだし。ちいせえこと気にしてんなよなー」
「小さい!? あたしのは小さくはないっての! 普通! 平均! ちょうどいいサイズ!」
「ちょうどいいならもういいだろ」
「よくないっての! ファック!」
パシャリという水の音。ラヴィがお湯をかけたのだろう。ナガレのウザがるような声が聞こえたから多分そうだ。
落ち着いたのか、ラヴィが大きくため息を漏らす。
「はぁー……スゥちゃんはどう? バインバインになれそう?」
「いやぁあーしはもう絶望的ッスよ。育つ見込みゼロッス」
「えー? ミレくんと同じくらいの歳でしょ? まだまだ成長期だろうし諦めるのは早いって」
「うーん、無理だと思うッスけどねぇ」
諦観しているようなスゥの呟き。
木材の仕切りがあるから実際には見えはしないが、彼女がだいぶ控えめな浅黒い自分の胸を触って確認する姿が目に浮かんだ。
「イスカちゃんは……天聖機械だし成長するわけないか」
「べつにしなくていいぞー」
「シエナちゃんは……どうなの、それ」
「こ、これからです、これから」
全員名前が出てきたが、まぁそうでなくともよく知った声である。どうやらアザレアさんと円卓の騎士の女性陣の全員で入浴に来たらしい。そしてどうやら男湯に誰かがいるとは露ほども思っていないようだ。でなければこんな話はすまい。
別に俺は何も悪くはないが、ここで聞いてたなんて知られたら好感度ががっつり下がりかねない。早めに出ていくべきだと思うのだが、胸の話が終わった後はあちらも静かになってしまった。この状況だと【気配遮断】を使ってもバレずに出れるかどうかは微妙なところである。とりあえず好機が訪れるのを待とう。
と、考えていると、世間話でもするかのようなスゥの声がした。
「そーいえば、前から聞いてみたかったんスけど」
何を言うのかと思ったら。
「みなさん、ミレウスさんのこと好きッスよね?」
そんなことを言い出したので、思わず立ち上がりかけて水音を立ててしまった。
が、女湯の方でも何人かが立ちあがる音がしたので気づかれずに済んだ。
「す、すすす、好きとは!?」
動揺しきったリクサの声。
それに対し、スゥは平静な声のまま答える。
「いやー、みなさんずいぶんミレウスさんと親しいように見えるんスよ。王と臣下としてだけでなく、こう、友達とか人として好意を抱いているような節があるッス。実際ミレウスさんのどういうところがいいと思ってるのかなーって」
「ああ、好きってそういう……友人や人としてということですか」
胸を撫でおろすようなリクサの声。
いや、たぶん実際胸を撫でおろしているのだろう。
「そうだなー。あたしはやっぱ一緒にいると楽しいから好きかなー。あとはまぁ意外と男らしくて頼りがいがあるところも好き、かな」
まず答えたのはラヴィだった。彼女らしいストレートな物言いだ。
なんだか照れるというかムズかゆくなる。
「わ、わたしはやっぱり優しいところが好きです……時々意地悪なときもありますけど」
いつも以上におどおどした調子で言ったのはシエナである。
意地悪なんてした覚えはなかったが、よくよく思い出してみると彼女が礼拝でお説教をするのを抜き打ちで観にいったし、南港湾都市でヌヤが経営するケーキ店を手伝うよう有無を言わさずに命じたりもした。今後はもう少し優しくしてあげるべきか。
「イスカはなー。みれうすのにおいすきだぞー。あとあったかいからなー。いっしょにねるときもちいいぞー」
バシャバシャと音を立てながらのイスカの声。どうやら行儀悪く、温泉で泳いでいるらしい。
続いてリクサが咳払いをする音が聞こえた。
「私が陛下の美点だと思っているところはですね。まずはなんと言っても民と臣下を想う御優しい心。次に円卓の騎士の責務で見せるような、国のためなら自分が傷つくことも厭わない献身的で勇敢な姿勢。また民や後援者の前で見せる威風堂々とした佇まいはまさに理想の王の姿と言えます。さらに聡明で機転も利きますし、最初は物足りなかった背丈も今ではすっかり成長し、体も厚みを増して男らしく……」
「長い長い長い。長いって、リクサ」
いつまでも続きそうなその賛辞はラヴィによって止められた。
むぅ、と不満げな声を漏らすリクサ。
スゥがアハハと笑って、今度は別のところに話を振る。
「ナガレさんはミレウスさんのどういうところがお好きッスか?」
「ああ? 別にオレは好きじゃねーよ。あいつすっげースケベだし、ずっと前のことやりかえしてきたりするし。陰険なんだよ、根っこがよ」
これは予想通りの反応である。こんな話に巻き込むなとばかりにナガレがしかめっ面を浮かべているのが目に浮かぶ。
そんな彼女をリクサが窘めた。
「ナガレ。貴女はもう少しミレウス様を王として敬うべきです」
「いや、最初にあいつから言われたんだぞ。王様として認めてくれなくていいって。対等な仲間になれればそれでいいって。そういう文句はあいつに言ってくれよ」
ナガレは俺が即位するより前にリクサにボコボコにされたことがあるらしく、彼女に苦手意識を持っている。なのでその反論もどこか弱気なものだった。
言い訳をするように続ける。
「ま、そうだな。仕事仲間としては認めてるよ。別に嫌いとかではねーし。ただお前らみたいに好きだのなんだのってのはねーってだけ」
「まーた、ナガレちゃんは素直じゃないんだからー」
ラヴィの声と共に再びバシャバシャというお湯をかける音がする。それに対してナガレはまたウザそうな声を出すだけ。
やり返さないのが少し不思議だったが、考えてみるとやりあったところでこの二人では勝負にならないのだ。たぶんナガレは俺にしたみたいにラヴィにも突っかかり、痛い目を見たことがあるのだろう。反省というか学習はできる女である。
最後にスゥは我が元同級生に話を振った。
「アザレアさんはどうッスか? ミレウスさんとは昔から仲がいいんスよね」
「ええ、まぁ。中等学校からの付き合いだから昔というほど昔でもないですけど、いい友達ですよ」
「じゃあミレウスさんのお好きなところは?」
「うーん、ノリがよくて一緒にいて楽しいところかなぁ。あとよく笑うところ。ナガレさんの言うとおりちょっとスケベなところもあるけど、ティーンエイジの男子ってだいたいあんなものじゃないかな」
ずいぶんと達観したアザレアさんの意見。
バシャバシャと誰かが湯の中で移動する音がする。その後の声でラヴィがアザレアさんの隣に移動したのだと分かったが。
「ねぇねぇ、アザレアちゃん。学生の頃のミレくんってどうだったの? その頃からあんな感じだった? モテた?」
「いやー、あの性格だから男女問わず人気はあったけど、モテたっていうのとは違うような。中等学校の三年間で浮いた話は一個も聞かなかったですし」
「へぇ! ちょっぴり意外。一人か二人くらいアタックしてた子がいてもおかしくないと思ってたのに」
「そうですね。ま、そういう子がいなかったのは、私とミレウスくんが付き合ってるって噂が流れたりしたからかもしれないけど」
「え」
最後の『え』はラヴィとそれ以外の数名が同時に発したものだった。
ついでに俺も発してた。
なんだその噂。知らないぞ。
『え』と声に出していたうちの一人、シエナが恐る恐るといった感じで確認した。
「あ、あの、アザレアさん。あ、主さまとは、そういう関係ではなかったんですよね?」
「普通の友達でしたよ。ごく普通の。いや、現在進行形で友達ですけど」
アザレアさんの言葉の真偽について考えるかのような、奇妙な沈黙が僅かに続く。
懐疑的にたずねたのはナガレだった。
「確かミレウスって中学の修学旅行で王都に来たときに聖剣を抜いたんだよな。んで、そんとき一緒だったのはアンタ一人だったと」
「ええ、はい。そうです」
「修学旅行の自由時間での話だよな。こっちの世界の学生の風紀がどうなってんのかしらねーけどよ。普通、男女がそういうときに二人きりで行動するか? ただの友達の男女がさ」
「いやー、あれは私とミレウスくんの行きたいところがたまたまかぶっていたからなんでー……」
そうだっただろうか。どちらが言い出してそうしたかは覚えてないが、わざわざ二人で相談して行くところを決めたような気もする。いや、そこで意見が合っていなければ一緒に行動しなかっただろうから、アザレアさんの今の言葉が間違っているというわけではないのだけれど。
「先ほど陛下には三年間浮いた話がなかったとおっしゃいましたね。……アザレアさん、貴女とのことが、まさにその浮いた話というものだったのでは」
「なんか怪しいよねー。アザレアちゃんが女中になったときのミレくんの喜びよう、凄かったし」
「しばらくご機嫌な感じで鼻歌歌ってたよな、あいつ。無意識だっただろうけど」
リクサ、ラヴィ、ナガレの三人が次々に言う。
そして先ほどと同じように、代表するようにシエナが聞いた。
「あ、あの、ホントにただの友達だったんですか? 実は昔、こ、交際してたとかそういうことは……」
「ないない! ないでーす! ホントにただの友達でーす!」
アザレアさんは誤魔化すように早口で言って、アハハと笑った。いや、誤魔化すもなにもホントにただの友達だったのだけど。
「そ、そうだ。スゥさんはどう思いました? ミレウスくんのこと好きになれましたか?」
矛先を反らすように話を発端のところへ向けるアザレアさん。
スゥは少しばかし考えこむような間を空けてから答えた。
「もちろん好きッス。凄くいい人だと思うッスよ。なんだかお世話したくなるッスね」
「あー、分かる。分かります。案外、根っからの王様体質なのかも」
うんうん、と同調するアザレアさん。
スゥの表情はもちろん見えない。だから今の言葉が本心からのものなのかは推測もできない。
二週間前――アルマの里に来た翌日の夜に決戦級天聖機械ウルト討伐作戦会議を行ってから、スゥの様子はずっとおかしかった。どこかそわそわしているようであり、俺を避けているようであり、それでいて俺の様子を窺っているようでもあった。
その姿はクラスチェンジの儀式の件を俺に言い出せなかったシエナにも似ていた。スゥも何か俺に話したいことがあるのではないか。そう思いはしたのだが、互いに多忙であったこともあり、結局聞きだせずに今日まで来てしまった。
たぶん嫌がる彼女にトドメ役をお願いしてしまった件に関することだと思う。しかし具体的に何を話したいのかは分からない。
……分からないと言えば彼女からの好感度の変化もそうだ。俺はあの作戦会議の夜に決定的に嫌われてしまっただろうと落胆していた。実際はむしろ逆で、あの夜を境にほんの少しではあるが好感度のメモリが表示されるようになった。どうして下がる一方だった彼女からの好感度があのタイミングで上がったのかはまったく分からない。
とにかくスゥについては謎だらけだ。何か秘密を抱えているのは間違いない。だがそれが何なのかは見当もつかなかった。
「そういえばミレくんって割と謎多いよね」
俺の思考を読んだかのようにラヴィが口にしたので、思わずドキリとした。
「ほらさー。オークネル? だっけ。あの村に来るまでの記憶がまったくないらしいじゃん」
「え、なんですかそれ。初耳なんですけど」
アザレアさんがびっくりしたような声を出す。そういや彼女には話したことがなかったか。
「五歳のときだと仰っていましたね。若い女性に連れられて陛下があの村の宿屋にやってきたのは」
リクサが記憶を掘り返すように慎重に語る。
「陛下によれば、その女性のことやそれ以前のことをまったく思い出せないのは、オークネルに置いて行かれた心理的ショックによる記憶喪失だろうとのことでした。一度専門家に診ていただいたらと進言したこともあるのですが、実害はないので構わないと仰られていましたね」
女湯はしばし考え込むような沈黙に包まれる。
「あ、主様、本当はどこの生まれなんでしょうね」
ぽつりとシエナが呟く。
「実はよその国の王子だったりしてな」
冗談めかしてナガレが言う。
それにラヴィが乗っかった。
「それあるかも! ラッキースケベ体質だし、どこかでハーレム作ってる王様の隠し子だったりするかも!」
「そーいや前も温泉入ってたらそんな感じのこと起こったよな。最貧鉱山でだったか。男湯との間の竹垣にイスカが登ったら、倒れてきてさ」
ナガレの声は途中から少し大きくなった。
男湯との間を仕切る木材の方を向いたからだろう。
「案外、今も隣にいたりしてな」
「まっさかー」
ナガレの冗談で、けらけらと笑うラヴィ。
熱い湯に浸かっているというのに、俺の額に冷や汗のようなものが流れた。
まぁさすがにこのまま大人しくしていればバレることはないだろう。
……と考えたのは慢心だった。
「みてみるかー?」
イスカが何気なく言って、それから男湯と女湯の間の木材がガタガタと揺れた。
俺はこれ以上なく狼狽えた。木材の上からイスカの小さな白い両手が見える。あの野生児、またも登ってきたらしい。
万事休すか。
諦めかけたその時、天の助けとなってくれたのはアザレアさんの声だった。
「こらー! ダメだよイスカちゃん! 前それで壊したでしょ!」
ばしゃーんとお湯の跳ね上がる音がする。どうやらアザレアさんに足だか腰だかを掴まれてイスカが湯に落ちたらしい。
幸い、それで木材が倒れたりはしなかった。
湯が飛び散ったからか、きゃーきゃーとあちらで軽い悲鳴が湧き上がる。
またイスカが登ってこないとも限らない。
俺は今がチャンスとばかりに【気配遮断】をラヴィから借りて、そそくさと浴場から逃げ出した。