第百三十一話 作戦会議をしたのが間違いだった
今回の作戦本部である人狼の森のアルマの里に到着した、翌日の夜半。
俺と円卓の騎士たち、そしてアールディア教会のヌヤ前最高司祭は集落でもっとも大きな高床式住居の一室で車座になっていた。
積み上げられた丸太で構成された壁の一面にはこの森の詳細な地図と『虎穴に入らずんば虎子を得ず作戦』と墨汁で派手に書かれた横断幕が貼られている。
集落の人々は今朝、避難のために王都へ発っており、ここに残っているのは俺たちだけ。そのため辺りはとても静かである。時折、森の奥の方から獣や鳥の鳴き声がするが、むしろそれが静寂を引き立たせているようでもある。
その静寂を打ち破り、給仕用の大きなカートを押して部屋に入ってきたのは冬用の女中服姿のアザレアさんだった。
「はーい、お待たせしましたー」
そんな風にいつも通りの元気な声で挨拶をしてから、アザレアさんは茶菓子が山盛りになった大皿を俺たちの中心に置き、お茶の入ったカップを順番に配っていく。
「この作戦名、ミレウスくんがつけたでしょ」
「うん。……なんで分かったの?」
「センスがねー。昔のまんまだし」
俺にカップを手渡しながら、横断幕に目をやって元同級生の少女が笑う。
「そんなに分かりやすいかなー。……いや、分かるか」
俺も横断幕に目をやって、お茶を口に含む。そしてその予想外の熱さに驚いて、思わずカップを取り落としてしまった。
熱々のお茶が盛大に膝にかかり、俺は反射的に飛び上がる。
「あっちち!」
「ああ、ミレウスさん! 大丈夫ッスか? 動かないで」
咄嗟にハンカチで拭いてくれたのは隣に座っていたスゥである。ついでに手際よくタオルを濡らして患部に当ててくれた。
聖剣の鞘の絶対無敵の加護は自傷ダメージであっても物によっては先送りにしてくれる。たまに借りてるヂャギーの【自傷強化】なんかがそれだ。しかし【超大物殺しの必殺剣】がそうであるように、無効化してくれない自傷ダメージの方がずっと多い。今回のお茶もそうだった。
「ありがとう、スゥ。もう大丈夫」
「どういたしましてッス」
俺が礼を言うと、スゥはにっこりと屈託のない笑みを浮かべた。
ラヴィがそれを見て、アザレアさんを手招きをする。
「ねぇねぇ、アザレアちゃん」
「はいはい、ラヴィさん」
二人は満足気にお茶を飲んでいるスゥへ視線を注ぎ、何やら互いに耳打ちをしている。よくないこととは思いつつ、俺はラヴィから【聞き耳】のスキルを借りてその内容を聞いてしまった。
「スゥちゃんの今の、完全に下心なかったよね」
「ですねー。ミレウスくんをまったく男として見てない動きでした」
「アタシたちには都合がいいような気もするけど……ミレくん、かわいそう」
「まー、人の好みはそれぞれですし」
二人の視線が俺へと移動する。それは明らかに憐憫の眼差しであった。大きなお世話である。スキルを使って盗み聞きした罪悪感は完全に消え失せた。
「それにしてもスゥさん、いい人ですね」
「そだよー。いい子なんだよ、あの子。本当に」
二人は内緒話を終えると再び視線をスゥに戻した。それに気づいたスゥが首を傾げると、二人は揃って笑顔でなんでもないよと手を振る。
確かにスゥはいい子だ。今のように相変わらず世話を焼いてもくれる。
しかし俺に対する好感度が高いわけではない。いや、むしろまったく好感を抱いてくれていない。
この間王城の池で一緒に楽しく釣りをした後、今度こそは上手く交流できただろうと自信を持って聖剣で確認してみたのだが、好感度は上がるどころか完全なゼロまで下がってしまっていた。これまで唯一伸びていた恋愛度さえもである。
これはもう表示の欠陥に違いない。そう俺は考えて、試しに忠誠度能力や親密度能力――スキルのレンタルや居場所感知などを使おうとしてみたのだが、一切発動させられなかった。つまりそれらがゼロなのはもう疑いようがなくなってしまった。そして一つだけ表示がおかしいということもないだろうから、恋愛度もやはり表示のとおりゼロなのだろうと俺は結論付けた。……あれだけ好感触だったのに好感度が上がらなかった理由はさっぱり分からないけれど。
「さーて、そんじゃ野郎ども。第一回狼型決戦級天聖機械ウルトくん討伐作戦会議を始めるぜ」
俺たちに向けて、なぜか高圧的にそう言い放ったのは精霊詐欺師のヤルーである。その手に握られているのは塾の講師が使うような大きな指示棒。今回の討伐作戦の骨子は主にこいつと相談して決めたので司会を任せたのだ。
ブータやヂャギーを中心としてまばらな拍手が起こった後、アザレアさんが大型黒板を運んできて、ヤルーがそこへ得意げに作戦の詳細を書いていく。
その内容をざっくり説明すると、こうだ。
ウルトが出現予想地点である環状列石に現れた後、まず動くのは前衛班であるリクサとヂャギーとデスパーとラヴィ。この四人はウルトを全力で攻撃して、その内蔵魔力を再生で消費させる。
次にシエナとナガレがウルトの移動ルートを制限し、討伐地点である森の奥の谷へと誘導する。狼型らしく高機動であるというウルトを上手く導くのは大変だろうが、二人ならきっとやってくれるだろう。
上記二班をサポートするのはブータとヤルー。ブータは魔術で移動面の手助けをしたりウルトの状態を監視したりする。ヤルーは風精霊の力を借りて空を飛び、全体の状況を見て指示を出す。
討伐地点である谷にウルトを上手く誘導できたら、鳥形態になったイスカがその動きを止める。
そしてウルトが使用済みの魔力を循環させようと口を開けたところで、俺とスゥがその喉奥にある核を破壊してとどめを刺す。
今回の後援者の主な仕事は森を囲って立ち入り規制を敷き、情報が漏洩しないようにすることである。また一部の精鋭にはそれとは別にウルトの誘導に関する重大な役割を任せるつもりだが、それについては本人たちに直接お願いするつもりなのでここでは省かれた。
「……と、まぁこんな感じだ。どうだ、野郎ども。なんか質問あるやつはいるか?」
指示棒でバンバン黒板を叩き、ヤルーが部屋の中を睥睨する。言うまでもなく、ここには野郎でない者の方が多いのだが、いまさらそれに突っ込む者はいない。
特に奇をてらった作戦でもないし、このまま他の後援者も含めた本会議に進めるだろう――そう俺は思っていたのだが、意外なところから異議が上がった。
「あ、あの、あーしがトドメ班っすか?」
不安げな顔でまっすぐ手を挙げたのは、今回の新規戦力であるスゥだった。
ヤルーに代わって俺が説明する。
「そう、技能拡張って聖剣の力のことは話しただろ? 君の持ってるスキルを多重化できるんだ。それでウルトの核を破壊する」
「へあ!? い、いや、待ってほしいッス! あーしはやめといたほうがいいッスよ! きっとあーしよりも相応しい人がいるッス!」
思いがけぬ激しい拒絶である。
俺だけでなく他のみんなも大きく驚いていた。
首と手をぶんぶんと振り続けるスゥに、俺は冷静に言い聞かせる。
「確証があるわけじゃないんだけど、たぶん今回はスゥが適任なんだよ。ブータの時もデスパーの時もそうだった。円卓の騎士の誰かが帰還した直後に時を告げる卵が光ったってことは、その騎士が次に現れる滅亡級危険種を倒す鍵になるってことなんだよ」
「……り、理屈は分かったッス。でもやっぱり、あーしじゃないほうがいいッスよ。絶対にあーしじゃなきゃダメってわけではないッスよね?」
申し訳なさそうにうな垂れて、上目遣いで俺に尋ねてくるスゥ。
確かに他の近接職の者でもなんとかなる気はするが……さて、どうしたものか。
「おい、スゥ。なんでそんな嫌がんだよ」
退屈そうに足を投げ出していたナガレがぶっきらぼうに問いかける。
スゥはしどろもどろになりながら、自分に視線を集める部屋中の者に釈明をした。
「いや、その、あーしだと上手くやれるか分からないッスよ。メンタル弱いから、そういう責任重大な役目は苦手なんス。もし失敗したらと思うと身が縮こまるッスよ」
ブータと似たようなタイプということだろうか。しかし彼のようにおだてたり、期待を寄せればやってくれるお調子者タイプでもなさそうだ。
「みんなでフォローするから大丈夫だよ、すーちゃん!」
ヂャギーがあまり深く考えていない様子で勇気づける。
それから他の面々も次々とスゥに声を掛けた。
「ボクでもできたんですからそんな心配することないですよ、スゥ姉さん。それにミレウス陛下もすぐそばについてくれますし」
最年少であるブータが自分の経験を元に語る。
「そうデス。スゥサンならきっと平気デスよ」
続いてデスパーが励ます。しかしいつもの無感動な顔で茶菓子を貪りながらの言葉なので、あまり説得力はない。
「なかなかおもしろいのになー、あれ」
同じく茶菓子を貪りながらイスカが不思議そうに首を傾げた。
三人の経験者の言葉を受けてもスゥの不安げな表情は変わらなかった。
俺はポンと手を叩いて、作戦名の掛かれた横断幕を指で指す。
「あー、もしかしてアレか。アレ見て危険っぽいから尻込みしてるのか」
『虎穴に入らずんば虎子を得ず作戦』。ぶっちゃけ今回はその名前の通りの作戦であり、確かにスゥに危険がないというわけではない。
嫌な予感でも覚えているかのような顔でシエナが尋ねてくる。
「あ、あの、主さま。そういえば具体的に、どうやってウルトの喉奥の核を破壊するかまだ聞いていないんですが……。ウルトが魔力の循環のために口を開けるとしてもほんの一瞬だけですよね? その短時間で喉奥を狙い撃つ方法は?」
『蘇生魔法はそう何度も成功するとは限らないので、できれば死なないでいただけると嬉しい』と、そういや前に彼女は言っていた。その希望に今回応えられるかどうかは分からない。
俺は出来る限り軽いノリで説明をする。
「あー、つまりアレだ。まず討伐地点の狭い谷へ追い込むだろ? 次にイスカにウルトを押さえつけてもらうだろ? で、そこでウルトが口を開けたら、俺が《短距離瞬間転移》でその中へ飛び込む。ウルトは口を閉じるために俺を噛み砕こうとしてくるだろうけど、聖剣の鞘の加護があるから絶対に閉じられない。ちょうど俺がつっかえ棒の役割を果たすわけだ。で、聖剣の力でウルトの口の中にスゥを召喚して、彼女に技能拡張をかけて攻撃してもらって核を破壊して終わり……って感じ。ハハ」
場を和ますために最後に笑ってみたものの、それはだいぶわざとらしいものにしかならなかった。
他の面々が唖然として黙る中、一人内容を知っていたヤルーがけっけっけと能天気に笑っている。
「あ、危なすぎるよ、ミレウスくん!」
「危なすぎます、主さま!」
アザレアさんとシエナがほぼ同時に心配してきた。他のみんなも声には出さなかったが、だいたい似たようなことを言いたそうな顔をしている。イスカとデスパーは興味がないのか、相変わらず茶菓子を食べていたけれど。
「まー、うん。でもこれが一番確実だと思うんだよね。相手が高機動型で隙を見せるのが一瞬である以上、作戦名のとおり危険を冒さなきゃ成果も得られないと思う。……こんな危険な役目に付き合わせて悪いとスゥには思ってるんだけどさ」
俺は座ったままスゥに向けて頭を下げた。
「どうにかお願いできないかな。必ず俺がウルトの口を閉じさせないようにするって約束するから」
先ほどのお茶の件もそうだが、聖剣の鞘の絶対無敵の加護はその名の割にずいぶん穴のある力だ。しかし噛み砕きという単純な物理攻撃に対しては確実に作用するだろう。戦闘後に俺が酷い目に遭うのは目に見えていたが、少なくともスゥのことは守れるだろうと自信を持っていた。
「安心せい。もし死人が出てもワシとそこのシエナでどうにかしてやるわい」
両手でカップを持ってまったりとお茶を啜っていたヌヤが勇気づけるように言う。もっとも死んでも大丈夫だと言われて安心できる奴は、世界広しと言えどそう多くはないだろう。
当然スゥにも効き目はないだろう――と思ったのだが、そもそも彼女が危惧していたのはそこではなかった。
「いえ、あーし、自分が死ぬのはぜんぜん怖くないッス。怖いのは自分が失敗したとき、島中の人が死んでしまうってことだけッス」
スゥは拒絶の意志をにじませながら首を横に振った。不安げな表情は変わらなかったが、それが我が身可愛さから来るものではないことははっきりと分かった。その言葉には嘘や見栄のようなものは一切感じられない。この子は本当に自分の死を恐れていない……。
そこでリクサが割って入った。いつもよりも厳格な、強い口調で。
「スゥ。もし今回技能拡張をやらなかったとしても、いつか緊急でやらなければいけない時が来るかもしれません。それに貴女の役目ほどではありませんが、私たち他の騎士も、後援者も、失敗できない仕事を担うという点では同じです」
正論である。しかし俺は心情的にスゥをかばいたかった。
「待ってくれ、リクサ。ここまで嫌がってるのに無理にやらせるのはよくないんじゃないかな。スゥもトドメ役以外ならやってくれそうだから、配置換えをしようよ」
「臣下を思いやる陛下のその御心の広さ、いつも敬服しております。しかしお言葉ですが滅亡級危険種との戦いは円卓の騎士の存在意義とも言うべき最も重大な仕事です。ここで陛下の命を拒否するとなれば、それは円卓の騎士であることを放棄すると言うも同然です」
珍しくリクサが俺に対して譲らなかった。俺は返答に窮する。
確かに彼女の言うとおりだ。言うとおりなのだけど。
俺の胸の内に奇妙な違和感が芽生えていた。
しかしそれを上手く言語化できないうちに、スゥの方が折れた。
「リクサさんの言うとおりッス。せっかくミレウスさんがあーしを重要な役割に抜てきしてくれたのに、我がままを言ってしまって申し訳ないッス。きちんと役割をこなすので今のは忘れてほしいッス」
床につきそうなくらい深々と頭を下げるスゥ。その声に不満げな様子はまったくない。だがそれもまた不自然だった。先ほどまであれほど嫌がっていたのに。
「スゥ、本当にいいの?」
俺はもう一度確認する。
スゥは頭を上げて、困ったような笑顔を俺に向けた。
「はい。かばってくれて嬉しかったッス。ありがとうッス、ミレウスさん」
この子は、何かが変だ。
ヤルーに言われていたからではないが、さすがに俺も疑い始めた。
そして同時に先ほど感じた違和感の原因も、直感的に分かった。
自分が死ぬのは怖くないというのは本当だろう。
自分が失敗したとき、島中の人が死ぬことを恐れているというのもきっと本当だ。
しかしトドメ役を拒もうとした理由は、どこかほかにあるような気がした。
それがなんなのかは、分からないが。
「本当に我がままを言ってしまって申し訳ないッス、皆さん」
スゥはもう一度そう謝って、みんなに向かって何度も何度も頭を下げた。それでこの件は終わりとなり、本会議に向けた段取りの調整へと話は移っていった。
しかし俺の頭の中ではスゥへの疑念が猛烈に渦巻いており、会話に集中することなど到底できなかった。
スゥはすでに平静を取り戻し、何事もなかったかのように振る舞っている。
……彼女から俺への好感度はすでに一メモリも表示されないほどに低いが、結局嫌がっていた役目をやらせることになってしまったし、さらに下がってしまったことだろう。
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【第十席 スゥ】
忠誠度:★[up!]
親密度:★[up!]
恋愛度:★[up!]
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