第百三十話 壇上に上がったのが間違いだった
「まさか! いくらなんでも早すぎる!」
王都の北西に広がる人狼の森。その真っただ中で、目指していた方角の空に幾筋もの白い煙が立ち上っているのを見て、俺は思わず叫んでいた。
あの空の下にはシエナがかつて住んでいた人狼の集落、アルマの里がある。俺は即座に懐から、時を告げる卵を取り出した。
脳裏をよぎったのは、先ほども話に出た魔神将ゲアフィリのこと。魔術に特化したというあの化物は、二百年前に魔術師マーリアにかけられた時間跳躍の魔術にも部分抵抗できていたらしく、予想出現時刻よりも僅かに早く出現した。
今回の相手である決戦級天聖機械、銀針のウルトも同様に予定より早く出現したのではないか。そんな危惧をしたのだが、あの時とは違い、卵の放つ光は黄色のままだった。
「お、おい、ミレウス。もう避難指示は出したんだよな?」
追いついてきたナガレが息を整えながら聞いてくる。
俺は空に立ち上る煙を見上げたまま頷いた。
付近の住民が戦闘の巻き添えにならないよう、今回も適当な理由をでっちあげて避難させるよう指示してあった。範囲はこの人狼の森全域で、避難場所は王都である。この森に住む人間はごく僅かだからそれほど時間は掛からないはずだった。
しかしそれが完了したという報告は、まだ受けていない。
「とにかく急ごう! 何かあったに違いない!」
俺は背負っていた荷物をその場に置くと聖剣と鞘だけを手に駆けだした。他のみんなもそれにほとんど遅れることなく続く。
ただ一人、先頭にいたシエナだけが足を止めていた。
「あ、あの、主様、あれは……」
そんなことを彼女を追い抜いたところで言われたような気がした。
しかし事は一刻を争う。俺は立ち止まらなかった。
これも早朝ランニングで体力がついたおかげか、俺は真っ先に森を抜けてアルマの里にたどり着いた。
そこに広がっていたのは無残にも焼け落ちた高床式木造家屋の群れ――ではなく。
「いらしたわ! ミレウス陛下よ!」
「鐘鳴らして、鐘!」
「ミレウス陛下、ばんざーい!」
村の入り口からすぐのところで半円を組んで待ち構えていたのは毛皮の衣服とコートで防寒した人狼の老若男女、数十名だった。多種多様な民族楽器を鳴らして歓喜の声を上げている。
その向こう、村の中央には仮設の祭壇のような奇妙な構造物があった。そしてそれを囲むようにいくつもの木組みの焚火が並んでいる。幾筋もの煙の元はこれだった。
この集落は祭りの時以外、男性の人狼の立ち入りは禁止されている。それが入ってきているということは実際これは祭りという扱いなのだろう。しかし王と円卓の騎士たちを盛大に迎えるために祭りを開いたというわけではないように見えた。……ただの直感だけど。
事情を聞くため、興奮した様子の人狼の人々へと視線を走らせて村長を探す。
するとその向こう、祭壇のようなものの上から老成した女性の声が掛かった。
「おお、王よ。よく来たのう。ささ、こちらへ上がってくるがよい」
見上げるとそこには狐のような尖った耳を頭頂部につけた人狼の少女が立っていた。いや、少女のような外見をしているというだけで、実年齢はその話し方に相応のもののはず――アールディア教会の前最高司祭、ヌヤである。今日の彼女は弟子のシエナと同じ迷彩柄の修道服を身にまとっており、どことなくいつもより威厳のようなものを感じさせた。
「あ、あの、主さま、申し訳ありません……」
そこでシエナが追いついてきて、俺に向かって深々と頭を下げてきた。いったいどういうことかと事情を聴こうとしたが、その前に俺と彼女はヌヤに手を掴まれて祭壇の檀上に引っ張り上げられた。
「シエナ、おめでとー!」
「よかったわねー!」
集落中から謎の祝福の声が掛かる。見下ろすと、誰も彼もがニコニコ笑顔でこちらに手を振っていた。シエナはこの森の領主であり、かつてはこの集落でアールディア教の司祭もやっていた。しかし別に敬われているわけではない。愛されてはいるのだろうが。
困惑しきった俺はヌヤに尋ねる他なかった。
「……なんなんだ、これ」
「決まっておるじゃろ。ぬしとシエナの結婚式じゃよ」
「いや、嘘だろ」
俺が半眼で断定すると、ヌヤはデフォルメされた犬が描かれたいつもの扇子を広げて口元を隠して笑った。
「かっかっか。いや、嘘ではない。ただのアールディア・ジョークじゃよ」
「詐欺師みたいなこと言いやがって……。で、ホントになんなんだこれ」
「ま、信仰者にとっては結婚式と同じくらいには大事な儀式じゃな」
ヌヤはさも面白げに目を細めると扇子をパタンと閉じ、俺の隣に立ったシエナの方をそれで指した。そちらに聞けということだろう。
「申し訳ありません、主さま……」
再び謝り、頭頂部についた狼のような耳を折り曲げて、しゅんとした姿を見せるシエナ。
今考えると、王都を発つ前からこの子はそわそわしていた気がする。きっと今日、この集落でこの謎の祭りのようなものが行われることを知っていたのだろう。先ほど俺に声をかけてきたのもこれについて話そうとしていたのか。
シエナは両手の人差し指を合わせて、もじもじしながら説明する。
「あ、あの。実はわたし、ヌヤ様にクラスチェンジの儀式を執り行ってくださるようお願いしていたんです。……ようやくどの上級職になるか決心がついたので」
「ああ、なーるほど。それで集落の人たちも、お祝いするために避難しないで待ってたのか」
他の円卓の騎士の連中が[天意勇者]だの[怪盗]だの[暗黒騎士]だの[大精霊使い]だのといった大仰な名前の上位職だった中、シエナはただ一人、[司祭]というシンプルな名前の下位職だった。
下位職は下位職でメリットがあるし、別にクラスチェンジすることで劇的に強くなるわけでもない。しかしシエナくらいのレベルではもう下位職で得られるスキルはほとんどないだろうし、どうして上位職になっていないのだろうかと不思議には思っていたのだ。
「で、何になるつもりなんだ、シエナ」
「さ、[純司祭]です。結界や回復魔法に特化した専門職の。円卓の騎士の責務だと攻撃は他の人に任せられますので、主さまやみなさんを助けるためなら、司祭系が得意とするところを伸ばすのが一番かなと思って……」
「へぇ。いいね。うん、俺も賛成だよ」
献身的なこの子らしい選択だと、俺は思った。
ヌヤが聖印を切ってから聖句を唱える。
集落の人々がそれを輪唱する。
ウィズランド王国建国後、つまりは二百年ほど前、この森に住む人狼の人々は自らの祖である真なる魔王の信仰者だった。それを初代円卓の騎士の一人、人狼アルマがアールディア教徒に改宗させたのだが、その名残で現在もこの地域の人々は森と狩猟と復讐を司る女神を信仰している。
もっともシエナによれば熱心な信者はまったくいないとのことだったが、揃って両手を合わせてお祈りをしている村人たちの姿を見ると、それなりに様にはなっていた。
詠唱は厳かに、意外なほど長く続いた。
そのうち俺は手持ち無沙汰になり、なんだかそわそわしてきてしまった。シエナはたまに王都の大教会で昼のお説教をしているのでこういう舞台には慣れているだろうと思ったのだが、彼女も彼女でなんだが不安げな様子だった。
司祭系のクラスチェンジの儀式は高位の聖職者しか執り行えないが、条件さえ満たしていれば失敗するようなものではない――と、噂話で聞いている。何を心配しているのかと思ったら。
「あ、あの、主さま。この儀式……けっこうお金かかるんですけど、経費で落ちますよね?」
そんなことをお祈りの間に耳打ちしてきた。
思わず苦笑する。
「ああ、大丈夫。心配しないで」
途端、シエナの表情がパァッと輝いた。
それからいくつかの工程を踏み、儀式が最終段階に入ったと思われる頃、ヌヤが俺に向けて悪戯っぽく笑って片目を閉じた。
「では王よ。最後に仕上げとして、シエナに祝福のキスをするのじゃ」
「いや、絶対に要らんだろ、その工程」
別に俺はアールディア教のクラスチェンジの儀式に明るいわけではない。しかしさすがにこれは分かる。事実シエナにとっても想定外の話だったようで、顔を真っ赤にしているし。
「そんなことをやらせるために俺を檀上に上げたのか?」
呆れながら問うと、ヌヤは少しも悪びれもせず俺を肘で小突いた。
「かっかっか。サービスじゃよ、サービス。シエナには日頃から世話になっておるじゃろ? 《蘇生魔法》とか《蘇生魔法》とか《蘇生魔法》とかでのう。たまには労ってやるべきじゃろうて。ほれほれ、口にせいとは言わんから」
そう言ってウィンクをするヌヤ。相変わらず歳に似合わず軽い人だ。
祭壇の下を見下ろすと、集落の人たちに混じって他の円卓の騎士たちやアザレアさんも俺たちの方を見上げていた。
みんなの前だというのは大問題だ。しかしここでしないとシエナが気にするだろうし、これは裏返せば彼女の好感度を上げるチャンスでもある。
……俺もまぁ、していいのならしたいし。口でなければ公衆の面前でも構わないだろう。
ここ最近度胸がついたのか、こういうことをするのにも慣れてきた。どうやら俺も一年半経って色々変わったようである。
俺が両肩をそっと掴むと、シエナは頬を紅潮させてこくりと頷いた。彼女も覚悟はできているようだ。
シエナが目を閉じて、両手で前髪を上げて額を露出させる。
どうやらそこをご指定らしい。
思ったよりもこっぱずかしかったが、俺は躊躇うことなくそこに唇をつけた。
途端、下から大きな歓声が上がる。リクサやらラヴィやらアザレアさんやらが上げた悲鳴のようなものが混じっていたような気もしたが、判然としなかった。
そして歓声が収まった頃、空から一筋の白い光が差し、シエナの全身をほんの少しの間だけ包み込み、消えていった。
ヌヤが満足気な様子でみんなに向けて宣言をする。
「これにて儀式は終了じゃ! シエナの新たな門出を盛大に祝うがよい!」
集落の人々から一際大きな歓声が上がった。
円卓の騎士のみんなとアザレアさんも拍手をしている。
「あ、あの……お役に立てるよう、これからより一層がんばりますね。主さま」
口づけされたところを両手で押さえ、そう言って微笑むシエナ。
その顔は、先ほど白い光に包まれていた時以上に光り輝いているように俺には見えた。
-------------------------------------------------
【第十三席 シエナ】
忠誠度:★★★★★★★[up!]
親密度:★★★★★★★★
恋愛度:★★★★★★★★[up!]
-------------------------------------------------