第百二十九話 再度人狼の里を訪れたのが間違いだった
スゥとブータとヤルーの三人と城の中庭にある池で釣りを楽しんだ日から二週間後――つまりは狼型決戦級天聖機械ウルトの出現予想日時のおよそ二週間前。
俺は円卓の騎士のみんなとアザレアさんと共に、王都の北西に広がる人狼の森を歩いていた。目的地はシエナが以前住んでいた人狼の集落、通称アルマの里である。あの里はウルトの出現予想地点である環状列石にほど近いため、今回の作戦本部を置くことになっていたからだ。決戦当日まで寝泊まりもさせてもらうことにしてある。
この常緑樹の森には舗装された道など存在しない。鬱蒼と茂る樹々の間に、踏み慣らされた細い道が延々と伸びているだけである。
前にここを歩いたのは去年の春、俺が王に即位してすぐくらいだった。あの時はこの辺りに来るまでにだいぶバテてしまっていたが、今回はまだまだ余裕があった。
今は冬の初め。季節的に歩きやすいというのもあるだろうが、どちらかというと俺自身の変化の方が大きいだろう。
「こうしてみると体力ついたって実感するなー。毎朝ヂャギーと一緒にランニングしてるのが効いてるのかなー」
額に浮かんだ汗をぬぐって一人ごち、心地よい疲労感と満足感にひたる。
俺は《蘇生魔法》で復活した経験が何度かあるが、あの大魔法を受けた代償としてそのたびに体力が少し落ちていた。早朝ランニングはそれを取り戻すためのものだったのだが、どうやらそれが期待以上に成果を上げていたらしい。
「ナガレも俺たちと一緒にランニングすればいいのに。傭兵なのに体力ないってヤバいだろ」
振り返り、一団の最後尾でブータと共にへとへとになりながら歩いているナガレに声を掛ける。今にも吐きそうな顔をしているあの元傭兵は、動きやすいように長い黒髪を頭の後ろで一つにくくっていた。
「ゼェ……ハァ……あんな、ミレウス……傭兵ってのはな……馬車移動が多いから……体力なんて……いらねーんだよ……」
息も絶え絶えに反論してくるナガレ。無理にしゃべらせて悪かったなと気の毒に感じるくらいのバテバテぶりだった。早朝に王都を発ってから現在――昼過ぎまで小休止を二回挟んだだけだから無理もないけど。
彼女とシエナは、前回俺と共にこの森へ来たメンバーだった。
「も、もう少しで着きますから、がんばってください」
涼しい顔で先頭を歩いていたシエナがナガレの方を振り返って気遣う。それからチラリと意味ありげに俺の方にも視線を送ってきた。
「あ、あの、主さま」
「ん? ああ、俺はまだ大丈夫だよ」
手を振って、彼女の優しさに感謝を示す。
シエナは『そうですか』と呟き、どこか不本意そうに眉を八の字の形にしてから前方に向き直った。何か別の用事でもあっただろうか。
そういえば前回来たときは、シエナはずっと俺のすぐ後ろに隠れるようについてきていた。最近も二人きりだと相変わらずあのポジションを取るのだが、人前だとあまりしなくなっていた。心境の変化によるものだろうか。
「まぁ前に来てから一年半以上経つんだし、色々変わって当然だよな」
再び一人ごちる。
すると、隣で気楽そうに歩いていたヤルーが反応した。
「なんだ、ミレちゃん、この森来たことあんのか?」
「最初の表決通すためにお前を探しに来たんだよ。見つかったのはお前に化けた自走式擬態茸だったけどな」
あれも結局、この男が行方をくらましていなければしなくていい苦労だった。それを責める意味も今の一言に込めたのだが、ヤルーは一切動じなかった。鈍感だからではなく、単純に図太いからである。
「ヤルーもこの森に来たことあんだよな。自走式擬態茸に擬態されてたってことはさ」
「おうよ。今から四、五年くらい前だったかな。手ごろな精霊を探しにアルマの里を訪れた俺っちが、そこで暮らしてたシエちゃんに素質を感じて、円卓の騎士に勧誘したんだ」
なぜか得意げなヤルー。
話を聞いていたのか、シエナが歩きながら無言で小剣を鞘から抜いた。俺には見せたこともない怒りの形相で振り返る。
「わ、わたしの里で邪神の教えを広めようとした恨みは忘れてませんからね」
「おー、こっわ。けどよ。円卓の騎士の責務が終わるまでは手を出すなってミレちゃんに言われたのも、頭のいいシエちゃんなら当然覚えてるよなぁ?」
降参するように両手を挙げて、俺の後ろに隠れながら挑発をするヤルー。
シエナは本気の殺意を込めた視線をじっとヤルーに送っていたが、やがて嘆息して小剣を鞘に収めた。
「主様。もしわたしが責務の途中で殉職したら、わたしの代わりにヤルーに復讐してくださいね。故人は復讐を望んでいないとか言う人よくいますけど、アレ嘘ですからね」
「ああ、うん。……いや、そんな縁起でもないこと言わないでくれよ。ちゃんと生き残って自分で復讐してくれ、頼むから」
一年半以上経ったのだから色々変わって当然だとさっきは言ったが、この二人が犬猿の仲なのは一切変わっていない。きっと円卓の騎士の責務が終わるまで変わらないのだろう。その後どうなるかは俺の知ったことではない。
「あ、それで思い出した。シエナがゲアフィリ戦の幻覚で見たのってヤルーだよな?」
「は、はい、そうです、主さま。里のみんなに邪教を布教しようとするヤルーの姿が見えました」
今年の春にキアン島の深淵の魔神宮でやった魔神将ゲアフィリ討伐戦。あの迷宮の第九層まで来たところで、一つ下の第十階層に現れたゲアフィリから、それぞれが一番動揺するものが目の前に見えるようになる幻覚の魔術をかけられた。
当然みんな様々な反応をしていたのだが、シエナはあの時、半狂乱の様子で虚空に向かって小剣を幾度も突き刺していた。あれの相手はやはりこの精霊詐欺師だったのか。
「デスパー、というか悪霊はゲアフィリを幻覚で見てたな。ずっと戦いたがってたし。ラヴィは宝箱だったか。ブータはいきなり卒倒してたけど、何見たんだ?」
「氷結蝙蝠の群れですぅ。昔、孤児院の仲間に洞窟の奥に置いて行かれたときに襲われたのがトラウマでしてぇ」
「ほほう。ヂャギーは?」
「オイラは自走式催眠茸の群れだよ! ひさしぶりでびっくりしちゃったんだよ!」
二人ともその時見た幻覚のことを思い出したのか、ブータは怯えたように肩を震わせ、ヂャギーは興奮したように丸太のような両腕をぶんぶんと振った。
「あ、あの、ミレウス様」
前の方を歩いていたリクサが振り返り、耳まで赤くして懇願するような視線を送ってくる。
俺は何も言わずに頷いた。彼女が幻覚で見たものはなんとなく察しがついているが、たぶん触れられたくないだろう。
同様にイスカが見たものも、彼女が思い出したくないものだろうから触れずにおいた。あの時イスカはうずくまって膝を抱えて震えていたが、たぶん第一文明期に起きた最終戦争の幻覚を見たのだろう。
「ヤルーは父親を見たんだよな。なんか必死に謝ってたけど」
「ああ。俺っちが見るとしたらそれしかねぇからな」
珍しく苦々し気な表情を見せるヤルー。
「父親のいない俺にはわからんけど、やっぱ怖いもんなのか?」
「怖いなんてもんじゃねえよ。恐怖の象徴だよ。あれに比べりゃ魔神将も決戦級天聖機械も可愛いもんだね。特に俺っちは家業ほっぽりだして家出したからな。次に会ったらマジで殺されちまう。これ、比喩じゃないぞ」
そう話すヤルーの額には疲労とは別の脂汗が浮かんでいた。円卓の騎士の責務でもまったく臆することないこの男がそこまで言うということは、きっとホントに怖いのだろう。
「ナガレは? なんか妙なリアクションだったけど」
「……ハァ……ハァ……ああ、オレもあれだ……家族だよ。向こうの世界に残してきた妹……」
相変わらず息切れしながら返事をするナガレ。
この異世界からの訪問者が、あちらでどのような人たちと暮らしていたかは興味があったが、今は歩いているだけでもしんどそうだったので、それ以上聞くのはやめておいた。
代わりに、前の方で平気な顔をして歩いている女中服姿の元同級生に尋ねる。
「アザレアさんだったらどんな幻覚を見ると思う?」
「私? 私かー。うーん、試験終了間近なのに白紙のままの答案用紙とかかなー」
「……リアルに怖いね、それは」
彼女は女中業と魔術師修行、冒険者稼業と平行して現在も王都にある女学校に通っている。こうして俺の仕事についてくるのは課外授業扱いで単位がもらえるそうだが、他の試験を免除してもらえるわけではないらしく、いつも期末が近づくと眠そうな顔をして女中の仕事を行っている。きっと睡眠時間を削って勉強をしているのだろう。それでも優秀な成績で三年に進級できそうだというのだからたいしたものだけど。
最後に俺はアザレアさんと同じく前の方で歩いている浅黒い肌をした金髪ツインテールの少女へと目を向けた。先日帰還したばかりのあの騎士も前衛職らしく体力は豊富のようで、険しい森の道もなんのそのといった感じの顔で歩いていた。
「スゥはどう? 何を見たら一番動揺する?」
「あーしっスか。そうッスねぇ。ちょっと候補がありすぎて分かんないッスね」
腕組みをして首を捻るスゥ。
彼女のことが苦手だと言っていたヤルーがそこに茶々を入れた。
「意外だぜ。怖いものなんてなんもなさそうな振る舞いしてんのによ」
「いやいや、ヤルーさん。あーし怖いものだらけッスよ。怖がりすぎて夜も眠れないんス。あーしのこの目の深い隈、不眠症でできたものなんスよ」
冗談めかして自分の目の下を指さすスゥ。さらに苦笑しながら続ける。
「怖いものなしって言ったら、やっぱしレイドさんじゃないッスかね」
「けっけっけ、違いねえ。あいつならあの幻覚の魔術喰らっても平然としてそうだよな」
ヤルーがおどけて言って、それもそうだと古参の円卓の騎士たちが笑いあう。
ただ一人、ピンときてない様子のイスカが、アザレアさんの隣からわざわざ俺のところまで戻ってきて、腰のところにタックルするような形で抱き着いてきた。野生児は元気が有り余っているらしい。
イスカが俺を見上げて問う。
「みれうすはなにみたんだー?」
「俺なー。実は覚えてないんだ」
正直に答えて、彼女を腰から引きはがす。そして、あの時のことをもう一度回想した。
ゲアフィリとの戦いが終わった後。いつものように聖剣の鞘の加護で先送りにされていた様々なものが帰ってきた。
まず戻ってきたのは最初に受けた攻撃――第九階層で受けた幻覚の魔術だったのだが、その際、目の前に人影のようなものが見えた気がした。しかしその後に戻ってきた第九階層から落下したダメージやら、デスパーの巻き添えで喰らった攻撃魔術やらの激痛のせいで俺はすぐに気絶してしまい、その人影が誰だったのかはっきりとは分からなかった。
「別に動揺はしなかったんだよな。なんだか、懐かしい気持ちになった気がしたけど」
あれがなんだったのか分かる日が来るとは思えない。あの幻覚の魔術はすでにこの時代では遺失したものらしく、ブータでも再現できないという話だからだ。
しかし気になると言えば気にはなった。
そこで前を歩いていたラヴィが立ち止まって、前の方を指さして声を上げた。
「あ、見えてきたよ! アルマの里!」
俺とイスカ、それと周りで話を聞いていたみんなが一斉に前を向く。確かに道の遥か先で森が開けているのが確認できた。一年半以上前にも観た光景である。
しかしあの時と何もかもが同じというわけではなかった。
「なにか様子がおかしくないデスか?」
デスパーが呟き、背中に担いでいた悪霊の斧の柄を握った。
それで俺も気が付いた。
アルマの里の方角の空。そこに白い煙が立ち上っていた。
それも炊事のものとは明らかに異なる量の煙が、幾筋も。