第百二十四話 ムードを求めたのが間違いだった
下位魔神と戦った地点を後にした俺とラヴィは、ついに三枚目の暗号文が指示する最後の分岐に差し掛かった。
「よし! ここを右だな!」
二人でしっかり指さし確認してから、そちらへ曲がる。
右へ、左へ、上へ、下へ。これまで長いこと歩いてきたが、ここは地上にある王都で言うと、どのあたりなのだろうか。すでに俺もラヴィも方向感覚や上下感覚を喪失していたので分からなくなっていた。
「……ミレくん、あたしたち、ここまで指示間違えずに来たよね?」
「そう思うよ。そう思うけどね」
最後の分岐から歩いた距離はそれほどでもなかった。
俺たちがたどり着いたのは行き止まりだった。横幅が狭くなり天井が低くなった、何の変哲もない坑道の終わり。
俺は聖剣の鞘にかかった《発光》の魔術の明かりを投げかけて、その行き止まりの様子を確認した。
ラヴィもその明かりを頼りに、坑道の壁をペタペタと触って隠し扉などがないか調べ始める。
「ラヴィ。もしここに『ここまでの冒険が宝だ』とか書いてあったらどうする?」
「とりあえずルドをぶん殴るよね」
「もう生きてないぞ」
「じゃあ子孫をぶん殴る。マーサ・ルフトをぶん殴る。ってのは、さすがに悪いから、マーサ・ルフトを問い詰めるかな。……あ!」
ラヴィが突然、声を上げて俺を手招きし、天井の一角を指さした。
そこは天然の岩でできているように見えたが、ラヴィが背伸びをして手を伸ばすと、まるで液体か何かに突っ込んだかのようにするりと入り込んだ。
「ここ、幻覚の魔術でカモフラージュされてるけど、実際は床板か何かみたい。押し上げられそうだから、ミレくん、ちょっと馬になって」
「ええ……馬かよ」
「上見ちゃダメだよ? 下着見えちゃから」
「見えねえよ! スカートじゃないじゃん! デニムのショートパンツじゃん!」
「そうだけど! ほら、早く馬になる!」
へいへいと俺がそこで四つん這いになると、ラヴィは躊躇うことなくその上に両足で乗った。重くはない。しかし靴のまま乗られたので割と痛い。
「ミレくん上半身裸だし、なんかそういうプレイみたいだよね」
「それ、俺も思ったけど言わなかったんだよ! その胸に巻いてるシャツ返せよ、ちくしょう!」
頭上からラヴィの笑い声。
それからパカリと何かが外れるような音がする。
「……はぁ!? うっそ!? ……はぁあああ!?」
なにか信じがたいものを見たかのようなラヴィの声。
「どこに出たんだ? はよ、上がってくれ」
俺が急かすと、背中に掛かっていた重みがふっとなくなった。どうやら天井の上の空間へ上がったらしい。
立ち上がって見上げると、天井の岩からラヴィの手が生えており、ひょいひょいと手招きしていた。
その手を掴むと、彼女にぐいっと引っ張り上げられる。
幻覚の魔術でそう見えるだけだと分かっていても、天井の岩のところを抜けるときは思わず目をつぶってしまった。
しかし当然、頭を何かにぶつけることもなく、俺は上の空間に出た。
途端、むせ返るような熱気を感じた。
旧地下水路のひんやりした空気とは違う。
地上に出たのだろうか。
「……マジかよ」
俺は唖然として呟いていた。もしも先にラヴィの驚いた声を聞いていなければ、俺も同じように叫んでいたことだろう。
そこは何列もの棚が並んだ体育館くらいの広さの部屋の中だった。
セキュリティのため窓一つない、よく見覚えのある部屋。
今回の冒険の出発点、王城の宝物庫である。
俺たちのすぐ横には例の冒険者ルドの銅像が立っていた。ラヴィが外したのはまさに、この間俺と彼女がキス未遂をしたところの床板だったのだ。
「も、もしかして、『ルドの埋蔵金』ってこの宝物庫の中のお宝のこと?」
ラヴィが困惑したまま、部屋の中を見渡す。
俺はすぐにそうではないと思った。
「この間話したけど、この部屋は円卓の騎士か四大公爵家の当主しか入れないよう魔術が掛けられているんだ。暗号を解いたのが俺たちじゃなかったら、そこの幻覚のところで弾かれて、この部屋自体に入れない。だからここの宝が『ルドの埋蔵金』なわけがないんだけど……やばい、混乱してきた。ちょっと待ってくれ」
俺はラヴィに落ち着くように手振りをすると、頭を抱えて情報の整理を始めた。
冒険者ルドは、俺たち円卓の騎士に見つけてもらうつもりで財宝を残したのだと俺は推理していた。だから第二の暗号文の鍵が、俺たちにしか見ることができないもの――そこのルドの銅像なのではないかと思ったし、実際それは正しかった。第三の暗号文の鍵もそこの像だった。
つまり俺たち以外、ここにたどり着けないのは間違いない。
だが逆に俺たちなら、正規のルート――この部屋唯一の出入り口と思われていたあちらの扉を使えるのだから、そもそも暗号文に沿ったルートで来る必要がない。
……いや、この部屋に入ることができる条件から考えると、俺たちというのは、円卓の騎士だけではないな。ルドが暗号文を解いてもらいたかったのは四大公爵家の当主たちの方という可能性もある。
ルドの子孫は四大公爵家の一つであるルフト家だ。
将来、ルフト家の人間がこの宝物庫から密かに物品を持ち出せるようにするため、別ルートを用意しておいた?
いや、それもない。
定期的に棚卸しをしているのだからすぐにバレるし、国宝級のものは《物体召喚》の魔術で回収されてしまうのだからそんなことをする意味はない。
そもそもルドの人格から考えてそんな狡いマネをするとは考えにくい。
分からない。
ここまでの冒険にはいったい何の意味があったと言うのか。
俺は答えを出せぬまま、外れたままになっている床板と先ほど出てきた穴を見つめた。
宝物庫に出ることに意味があるのではなく。
この広い宝物庫の、あの位置に出ることに意味があるとしたら。
俺はすぐそばに立つ、ルドの銅像に目を向けた。
「え、ミレくん。まだこの像に何か……?」
ラヴィの問いかけに俺は頷き、ルドの銅像の台座部分にはめ込まれたプレートを叩いてみた。『十の教訓』が刻まれたあのプレートだ。
だが本職であるラヴィに聞くまでもなく、中が空洞になっていないことは音から明らかだった。
あと、あり得そうなところと言えば。
俺は台座の上に登り、銅像が持つ短剣の鍔を握った。
「な、なにすんのミレくん! それ国宝だよ!?」
「俺は王様だ。そんなの関係ない」
銅像が持つ短剣……といっても、それ自体も銅であり、ルドの手と一体化している。
しかし俺が手に力を込めると、あまりにもあっさりと抜けてしまった。
バランスを崩した俺は台座から後ろに飛び降りて、どうにか無事に着地する。
その衝撃で、というわけではないだろうが、取り外した銅の短剣の表面部分がひび割れてボロボロと崩れ落ちた。そして中から新たに、奇妙な形状の短剣が出てくる。
今度のは銅ではなく実用的な素材でできていた。
二人揃って、おー、と驚きの声を上げる。
「なんだか、鍵みたいだね」
ラヴィが目を丸くして、俺の手元の短剣を見つめた。
その言葉どおり、それは鍵によく似ていた。鍔の先の銀の刃は、ある種の受け用の短剣のように櫛状になっている。
ラヴィが俺からその短剣を受け取って、慎重な手つきで【鑑定】を行う。
「かなりの年代物だねー。第一文明期か、第二文明期のものかな。魔力付与の品っぽいけど効果は分かんない」
「あとでブータに【能力解析】させてみよう。何か特別な効果があるかもしれない」
頷くラヴィ。
「ねぇ、ミレくん。これが『埋蔵金』ってことでいいんだよね?」
「……たぶんね」
「うーん、そこそこ高く売れそうではあるけど、なんか案外、普通って感じ。第一の暗号文には『この島のすべてと同等のもの あらゆる人々にとって最も価値のあるもの』とか書いてあったのに」
そう口にはするものの、不満に思っているわけではないらしい。
その顔には満足気な笑みが貼りついていた。
「はぁー、これで冒険も終わりかー。楽しかったー」
大きく伸びをしながらラヴィが呟く。
俺も、まぁ、満足した。
「なんか思ったより、冒険らしい冒険になったな」
「そだね。ネタの提供がアレだったから期待してなかったけど、後であいつに礼くらいは言わなきゃだね」
鍵のような短剣をうっとりと眺めるラヴィ。それをどうするかは決めていなかったが、なんだかこのままなし崩し的に彼女のものになりそうだ。
思い出の一品ということで大事にしてくれそうだからいいけれど。
ラヴィはそれを腰のホルダーに挿すと、俺に向き直ってあらたまる。
「あの、ありがとね、ミレくん。……あ、これはさっき爆発から庇ってくれたことへのお礼ね。傷治してしてくれたお礼は言ったけど、こっちは言ってなかったと思って」
「どういたしまして」
「ミレくん、初めて会ったときも守ってくれたよね」
「ん? ……ああ、そだね。懐かしいな」
去年の春のことだから、もう一年以上も前の話だ。
俺から財布――というか財政出動を盗むのに失敗したラヴィが路地裏へ逃げ、そこで盗賊ギルドの構成員二人に絡まれたので、それから守るために聖剣を抜いたのだ。
彼女が俺に協力的になったのはその後からである。
「あたしね。あたし、たぶん……ううん、絶対、あの時から……ミレくんのことが好きだったんだ」
思いがけぬ直接的な告白に、胸がドキリとする。いや、今までも好きだの惚れただの言われたことはあったが、ここまで真剣に言われたことはない。
ラヴィはもじもじしながら一歩寄ってきて、さらに追撃してきた。
「今も好き。大好き」
トン、と彼女が俺に身を預けてくる。
シャツは彼女に貸したままなので、俺の上半身は剥きだしだ。
素肌に彼女の頬と両手が触れる。
俺は自然とラヴィの背中に手を回し、そしてそのままキスをしていた。
『他の子たちとしたのがおまじない的な意味ならあたしとしたって問題ないでしょ』という理屈だったのはもうすっかり忘れていたし、ムードがどうのとかいうのも忘却の彼方だった。
その時はただ、目の前のラヴィのことだけを考えていた。




