第百二十二話 旧地下水路を冒険したのが間違いだった
十七回目の誕生日の翌日の昼、俺とラヴィは料理店『万魔殿』の奥にあるVIPルームに来ていた。
四人用の小さなテーブルがあるだけの窓もない窮屈な部屋だが、今はテーブルが脇によけられ、床下に隠されていた地下へと続く階段が露わになっているため、いくらかマシに感じられる。
「いやー、凄いね、ミレくん! 言われてみると、なるほどって感じなんだけどさ!」
感心した顔でラヴィが二枚目の暗号文を見ている。そこに並んだ数字の横にはある文書によって復号された、その数字が意味する文字が付け足されている。
『56(パ) 14(ン) 22(デ) 17(モ) 10(ニ) 25(ウ) 12(ム)……』
さらにこれに『三つ首番犬風の三種ソースがおいしいふわとろオムライス三つ。不死騎の怨念コーヒー。食後で。金貨を三枚』と続く。
つまり、二枚目の暗号文はこの店の名と、このVIPルームに入るための符丁を示していたのである。
百年もの間、誰にも解けなかった暗号を復号する鍵となったのは、冒険者ルドが残した『十の教訓』――王城の宝物庫に立っているあの銅像の台座部分にはめこまれていたプレートだ。
復号法則自体は極めて単純で、例えば暗号文の14という数字を復号する場合、プレートに刻まれていた文章の、句読点を除いた十四番目の文字を参照する。
『このしまはこのしまにすむみんなのもの。みんなできょうりょくしあっていきていこう』
前から十四番目の文字は『ン』なので『14』という数字が表す文字はそれというわけである。
「この間、スチュアートのやつがこの店もこの符丁も二百年前からあるって言ってたからな。それをルドが知ってて暗号に利用した可能性はあると思ったんだ」
「さすがミレくん! 天才! 惚れなおしちゃう!」
「はっはっは。そう褒めるなよ、ラヴィ」
そんな寸劇をしてから、俺はブータから《発光》の魔術を借りて聖剣の鞘にかけて、地下への階段を降りた。
出るのは旧地下水路の一角。
王都の地下に蜘蛛の巣状に広がるこの広大な坑道は、ウィズランド王国が成立する以前、つまりは群雄割拠の戦国時代、あるいはさらに時代を遡り、真なる魔王が世界を支配した第三文明期に建設されたものだと言われている。
この王都がある土地には昔から大きな都市があり、そこの歴代の統治者たちが拡張や修繕を繰り返した水道の跡地がここというわけだ。
「さて、問題はここからどう進むかだな」
俺とラヴィはスチュアートに渡された三枚目の暗号文を二人で持って、そこに並んだ数字を睨む。
『6 2 7 5 1 2 13……』
この紙がここからの道順を示しているはずだと、俺たちの意見は一致していた。しかしこの数字の列をどのように解釈するかについてはまだ結論が出ていなかった。
この三枚目も前の二枚と同じく書籍暗号なのではないかとも考えた。しかしルドの『十の教訓』でも解けなかったし、他の目ぼしい書籍を使っても意味のある文章にはならなかった。
「とりあえず、六番目の分岐を右、二番目の分岐を右、七番目の分岐を右……って感じで行ってみるか。それでダメなら左に、左にって感じで」
「ラジャー、王様! いやー、俄然冒険っぽくなってきたねー」
《発光》の淡い明かりの中で、ニヒヒと笑うラヴィ。
盗賊系の[怪盗]である彼女に先導されて、旧地下水路を進んでいく。
「実言うと、あたしもここは盗賊ギルドへの道くらいしか知らないんだよね。深部ならともかく、こんくらい浅い層なら罠もないし、危険種も弱っちいのしか出ないから心配しなくていいけどね」
そう話すとおり、ラヴィの足取りは軽かった。複雑な成立経緯を経たことを感じさせるように次々と様相を変えていく旧地下水路を我が家のように進んでいく。
岩石の層を掘って作ったエリアを抜けると、自然の鍾乳洞を利用したエリアに出て、煉瓦で補強されたエリアの次は壁面が漆喰が塗られたエリアに出る。
この地下通路の規模は地上の王都とほぼ同じだという。俺たちが降りてきたあそこに以外にもあちこちに出入口があり、盗賊ギルドだけでなく、多種多様な立場の者がここを利用しているそうだが、その全容を把握している者は皆無だという。
確かにここならば、どこかに冒険者ルドの埋蔵金が隠されていたとしてもおかしくないかもしれない。
ラヴィが突然立ち止まり、俺を手で制したのは、そんなことを考えたときだった。
「シッ! ……向こうから何かが近づいてきてる。今、二つ先の角のあたり」
適当に進んでいるようにしか見えなかったが、どうやら【気配感知】のスキルを使っていたらしい。ラヴィの視線は油断なく、通路の先へと向けられていた。
「危険種か?」
「分かんない。人型っぽいけど、ただの人間の気配じゃない。武器……たぶん、剣を持ってる」
と、すると亜人か、魔族か、妖魔の類か。
俺は音を立てぬように注意して聖剣を抜いた。ラヴィも腰に巻いた革のホルダーから短剣を抜いた。俺たち二人ならばさすがに大丈夫だとは思うが、相手が分からないというのは緊張するものだ。
そのうち俺にもその気配の立てる足音が聞こえるようになった。人型特有のコツコツとした足音は間違いなくこちらへ向かってきている。
そして角の向こうから《発光》の明かりの範囲内に、その気配の主が姿を現わした。もっともそいつは亜人でも魔族でも妖魔でもなく、危険種でもなかった。
いや、もし知らなければ危険種と勘違いしてもおかしくない異形の存在だったが。
「む? ラヴィ嬢と少年ではないか」
「ええ……お前かよ」
「あっれー、レイドくんじゃん。ひさしぶり」
現れたのは幅広の剣を腰に帯び、深緑色のマントを背中につけた直立した巨大なザリガニ――としか形容できない姿の男、円卓の騎士第四席のレイドだった。
放浪癖のあるこの男とは過去に二度、去年の夏のオークネルと今年の冬のコーンウォールで会っているが、まさかこんな訳の分からない場所で遭遇することになるとは思わなかった。
俺は剣を鞘に納めて、嘆息する。
「レイド、こんなところでなにやってんだ」
「無論、正義のために動いている」
相変わらず、端的で迷いのない口調である。
しかしこれまた相変わらず抽象的で、要領を得ない。
「正義ってなんだよ」
「正義とはつまり、平和を乱す存在を討つことだ」
「滅亡級危険種とかか?」
「そうだ。……あるいは魔王とか」
レイドの言葉は、そこだけ妙な重みがあった。
滅亡級危険種とは一体で国を滅ぼすような化物、例えば竜や魔女、魔神将や決戦級天聖機械などを指す言葉だ。
三百年前に真なる魔王が残した最後の呪い『魔王化現象』によって、強大なる魔の力を発現した生物――『魔王』ももちろんその中に含まれている。
それをわざわざ付け足したのは、こいつが魔王という存在に対して特別な感情を持っている証左に他ならない。大地の下に葉脈のように広がる地下世界――地の底の出身だというこの男は、そこで魔王を一体討伐しており、このザリガニのような異形もその魔王が死に際にかけてきた呪いによるものだという話だが、実際問題、『魔王』というのはこの島に住む人間にとっては縁遠いものだった。
「魔王化現象なんてそうそう起こるもんじゃないだろ。この島じゃ少なくとも二百年以上、誰も発症してないんだし」
俺が肩をすくめると、レイドは髭のような長い触覚をいじりながら、その顔の左右に向いたつぶらな眼球で天井を見上げた。
「記録に残っていない魔王なぞ山ほどいるぞ、少年」
「……魔王として成長しきる前に、人知れず討伐されたのとか?」
「それだけではない。真なる魔王のような攻撃性を伴う魔王――悪性魔王は人格が歪み、周囲の者を見境なしに殺すようになる。ゆえに完全に自分を制御できなくなる前に自ら命を絶つ者もいれば、誰かに殺してもらおうとする者もいる」
レイドが俺に視線を戻す。何かを試すように。
「少年。もしこの島に魔王が現れたらどうする?」
「……もちろん討つ。それが悪性魔王なら、だけど」
「悪性かどうか判別できる頃には魔王として成長しすぎて、手遅れになるケースがほとんどだ。一度良性と判断された魔王がずっと後になって悪性になったケースもある。だから中央神聖王国は魔王化現象が僅かでも見られた生物は、問答無用で殺しているのだ。それに――」
レイドは俺の横で退屈そうに話を聞いていたラヴィを指さして続ける。
「魔王化現象は一定の傾向はあるものの、誰にでも起こり得るものだ。もしそこのラヴィ嬢が発症したら、少年は手を汚す覚悟はあるのか?」
俺は返答に窮した。
『魔王』はこの島に住む人間にとっては縁遠い存在。もちろん俺にとってもそうであって、身近な誰かがそうなるなんて、考えたことはない。
レイドはラヴィに向けていた指を下げた。
「答えられないか」
「……今は無理だ。ラヴィがそうなるなんて考えたことなかったし、今ここで考えても答えは出せない」
「そうか」
相変わらず何を考えているのか分かりにくい、端的な返事である。
しかし――ザリガニのような顔つきのため判然としないものの――その表情はどこかやわらかくなったようにも見えた。
「あれ? で、レイドくんは結局なんでこんなとこいんの?」
ラヴィが尋ねると、レイドはその腰に帯びた幅広の剣――初代円卓の騎士の一人、赤騎士レティシアが作った人格を持つという魔剣に耳を近づけた。いや、ザリガニのような顔なので耳がそこにあるのかは分からないけど。
「なに? ふむふむ。下か」
「なにが下なんだ」
「気をつけろ、少年。旧地下水路は危険だ。少年が想像しているより、遥かにな」
レイドはそれだけ言い残すと、深緑色のマントをはためかせて、颯爽とその場を去っていった。
後に残された俺とラヴィはしばしポカーンとそちらを見つめて立ち尽くす。
「……結局、何が言いたかったんだ、あいつ」
「この旧地下水路の下層に魔王がいるとか? まっさかねー」
さすがにそれはないだろうと思う。しかしレイドは以前、あの魔剣から聞いてリクサが近づいて来るのを知ったような動きをしたことがあった。あの剣に何かしらの探知の力があるのは確かだろう。
「しかしあいつ、よくあのザリガニのハサミみたいな手で剣とか持てるよな」
「めっちゃ不便そうだよねー。ジャンケンめちゃくちゃ弱そう」
「チョキしか出せないもんな」
俺はレイドのマネをして両手を人差し指と中指だけを立てた形に変える。
それを見て、ラヴィが俺を指さして大声を上げた。
「あー! それだよ、ミレくん!」
「ん? 何が? ……あ、そうか! これもあの銅像か!」
王城の宝物庫にある冒険者ルドの銅像。あの台座にはめ込まれたプレートが第二の暗号文の鍵となったが、第三の暗号文の鍵もあの像に隠されていたのだ。
冒険者ルドが開いた右手を空へ伸ばし、短剣を持った左手でピースサインを作って地を指すという謎のポーズの銅像――そう思い込んでいたが、もしもあの両手が『5』と『2』を表していたとしたら。
俺とラヴィははやる気持ちを隠し切れぬまま、先ほどと同じように三枚目の暗号文を二人で持って、そこに並ぶ数字を見た。
『6 2 7 5 1 2 13……』
「ええと、右手が『5』で左手が『2』だよな。ってことは」
「六番目の分岐を左、七番目の分岐を右、次の分岐を左!」
「これに従って、『万魔殿』のVIPルームの下から進めば!」
「いける! いけるよ、ミレくん!」
「いけるな、ラヴィ!」
暗号文を放り出し、興奮を隠し切れない様子のラヴィと両手でハイタッチをして、ハグをしあう。
今度は本当にいける気がした。
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【第四席 レイド】
忠誠度:★★[up!]
親密度:
恋愛度:★★★★[up!]
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