第百十九話 大鼠の話を聞いたのが間違いだった
宝物庫の棚卸しを終えて王城を出た俺とラヴィは、王都の恋する夏通りの外れにある『万魔殿』という名の料理店に向かった。
恐ろしげな名前とは裏腹にファンシーな内装で、三十席ほどの広い店内を魔族風の衣装を身に纏った女給さんたちが笑顔を振りまいて歩く、そういう趣向の店である。
ここには以前、ヂャギーが盗賊ギルドと揉めたときにラヴィも含めて三人で来たことがある。この店の奥に旧地下水路と呼ばれる大規模な地下通路への入り口の一つがあり、そこに盗賊ギルドがあるためだ。
「ミレアスさん! こっちですよ、こっち」
テーブル席の一つから俺の偽名を呼んで手を振ってきたのは、痩せこけた尖り目の男。盗賊ギルドの幹部にして、情報屋の元締め、後援者でもある“大鼠”のスチュアートだ。
王城を出たところから、姿を欺く腕輪――匿名希望を着用しているため、他の客や店員には俺が国王だとはバレていない。
テーブルを挟んだ向かいに俺とラヴィが並んで座ると、スチュアートは例のわざとらしい笑い声を上げた。
「チューチュッチュ! すいませんねぇ、お呼び立てして」
「別にいいけどさ。なんで待ち合わせ場所がここなんだ?」
俺は半分くらい客で埋まった店内をきょろきょろと見渡す。
先ほど、宝物庫の棚卸しをしている間に人をやってスチュアートにアポを取ったのだが、こいつが指定したのがなぜかこの店だった。
季節のフルーツがふんだんに使われたパフェをスプーンでひょいぱくひょいぱくと口に運びながら、スチュアートがただでさえ細い目をさらに細める。
「実は私、甘いものには目がないんですよ。特にここのパフェが大好物でしてね。陛下もお一つどうです? 奢りますよ」
「……お前に借りを作るのは嫌だから自分で出すよ。ラヴィの分もな」
もちろん財政出動――国庫から直接貨幣を取り出せる革袋から出すのだけど。
俺が注文をすると、すぐに邪眼鬼風の眼帯をつけた妖艶な女給さんがパフェと飲み物を二つずつ持ってきた。女給さんは他にも人魚やら歌姫やら吸血鬼やら色々な魔族に成りきる衣装をつけたのがいるのだが、たぶん本物は人狼の子くらいだろう。このウィズランド島に集落があるのが、あの一門だけだからだ。
「チューチュッチュ! いい店でしょう、ここ」
やたら機嫌がよさそうにスチュアートが笑う。
俺はパフェを喰いながら首肯した。
「いや、絶対に陛下もお好きだと思ったんですよ、こういう趣向」
「そりゃ好きだよ。ってか、男はみんな好きだろ、コスプレは」
「ですよねぇ。いやぁ、よかった。実はここ、盗賊ギルドが経営してるんですよ」
「え」
俺とラヴィはスプーンを動かす手を止めて、同時に声を発していた。
得意満面の笑みでスチュアートが続ける。
「この店、ギルドの初代マスターが開いたんですよ。つまり二百年前からあるんです。ま、建物自体は何度か建て直してますけどね」
「……ああ、奥に旧地下水路に続く入り口があるのはそういうわけか」
「そういうわけです」
俺は店の奥の個室の方に目を向けた。
特別席と名付けられたあの部屋の中に地下への階段があるわけだが、あそこに案内してもらうには女給さんにメニューに載っていない特別な注文をして、入場料としてチップを渡さなければいけないはずだ。
確か、注文の内容は……。
「『三つ首番犬風の三種ソースがおいしいふわとろオムライス三つ』『不死騎の怨念コーヒー。食後で』。それから金貨が三枚。この符丁も二百年前から変わらないそうですよ」
「へーえ」
そんな雑談をスチュアートとしているうちに三人のパフェは空になった。
俺はラヴィの元に送られてきたスチュアートからの便箋を取り出し、人差し指と中指の間で挟む。
「で、ここに書いてある、金になりそうな面白いネタってのはなんなんだ。もしつまらないネタだったら、無駄足を踏ました詫びとして、やっぱりここの支払いを持ってもらうぞ」
「チューチュッチュ! 国王様と円卓の騎士にご足労願った代金としちゃずいぶん安いですね。ま、安心してください、自信はあります」
そう胸を張ってスチュアートがテーブルの上に並べたのは二枚の紙切れだった。
そのどちらにもスペースで区切られて、数字がいくつも並んでいる。こんな感じに。
1枚目
『16 4 21 23 9 7 45……』
2枚目
『56 14 22 17 10 25 12……』
「これ、冒険者ルドの埋蔵金じゃん」
俺と一緒に紙を覗き込んでいたラヴィが呆れたように声を出した。そして座席に深くもたれかかり、先ほどパフェと一緒に頼んでおいたオレンジジュースをグラスからストローで飲む。
もちろん俺もこれのことは知っていた。
『冒険者ルドの埋蔵金』はこのウィズランド島でもっとも有名な都市伝説の一つで、この島のすべての宝を手に入れたと謳われる初代円卓の騎士の一人――冒険者ルドが島のどこかに莫大な埋蔵金、もしくはそれと同じだけの価値がある物を隠したという内容の伝説である。
この都市伝説自体は彼が存命であった二百年前からあるのだが、『実在するのでは』と騒がれたのはそれから百年ほど後。財宝を隠した場所を示すと言われる二枚の暗号文が、彼からそうするように依頼されたという匿名の人物によって世間にばらまかれてからだった。
この二枚の紙切れこそが、その暗号文である。これ自体はいくつも複製されたものの一つだろう。ちなみに一枚目の紙の方は暗号文が世に出てすぐに、ウィズランド王国建国宣言書を鍵とした『書籍暗号』で作られたものだということが判明していた。
つまりは、こうだ。
まず建国宣言書を句読点で句切り、前から数字を振っていく。
次に暗号文の数字に対応する文を探し、その最初の文字を抜き出す。
例えば一枚目の暗号文の最初の数字は『16』なので、建国宣言書の十六番目の文『この島の』からそれが表している文字が『こ』であることが分かる。
そんな感じに暗号文の数字をすべて復号すると、一枚目の内容は以下のとおりになる。
『この島のすべてと同等のもの あらゆる人々にとって最も価値のあるもの 後世のために残す 詳しい場所は二枚目に記す』
それから老若男女、職業、身分を問わず多くの人が二枚目の暗号文を解読しようと試みたが、結局、今に至るまで成功したと名乗り出た者はいない。一枚目と同じように書籍暗号なのではないかという説が根強いが、少なくとも建国宣言書では復号できなかったし、他の目ぼしい書籍もすべて正解ではなかった。
出版された書籍や、有名な公文書などではなく、もはや誰も見ることができないルドの私的な書類――たとえば日記や誰かとやりとりした手紙、あるいは単純にこれのためだけに作成した対応文字表が鍵なのではないか。次第に研究者の間で諦めと共にそんな風に囁かれるようになり、やがてそもそも暗号文自体が悪戯で作られたものなのではないかとまで言われるようになった。
そんなわけで『冒険者ルドの埋蔵金』は、俺が生まれた頃にはもう、毒にも薬にもならないただの話題の種――都市伝説のあるべき姿に戻っていたのである。
「スチュアート。お前、こんなもんを金になりそうなネタとか言ったのか。俺たちに島中の人間が百年かかっても解けなかった暗号を解けっていうのか? ええ?」
こりゃここのお代を持ってもらわないとな、と言おうとしたところ、スチュアートがニヤリと口端を上げて俺を手で制した。
「実はこんなものが手に入りましてね」
差し出してきたのはまたもや同じようなサイズの一枚の紙。しかし先ほどの二枚とは異なり、ずいぶん古い紙だ。丁寧に保管されていたようだが質感で分かる。
そしてこれにもやはり数字がいくつも並んでいたのだが、前の二枚とは異なる数列だった。
『6 2 7 5 1 2 13……』
「なんだ、これ」
「冒険者ルドが書いたとされる幻の三枚目の暗号文ですよ」
「はぁ!? そんなの聞いたこともないぞ!?」
ラヴィに視線で問うてみるが、彼女も聞いたことがないようで驚いた顔のまま首を左右にふるふると振った。
俺は半信半疑、というよりほぼ完全に疑いつつ、ニヤケ顔のスチュアートに確認した。
「……本物なのか?」
「そりゃあもう。信頼できる筋から手に入れたんです。間違いなく本物ですよ」
もちろんこいつにそう言われても、はいそうですかと信用はできない。
ラヴィが慎重な手つきでテーブルの上からその紙を取り上げて、目を皿のようにして【鑑定】をする。
「そうだなー。紙自体が二百年くらい前のなのは確かだと思う。インクもそんくらい前のだろうね。真贋は断定できないけど、偽物にしてもよくできていると思う」
まぁそんなところだろう。本物だと言い切れるはずはない。
しかしこれが仮に本当に冒険者ルドが書いたものだとすると……。
「おい、スチュアート。お前、今までの人らが暗号を解けなかったのはこの三枚目っていうヒントがなかったからだって言いたいわけか?」
「さぁそれはどうでしょう。私もこれを手に入れてから色々考えたんですが、復号できなかったので断言はできません。しかし円卓の騎士である陛下とラヴィなら、必ずお宝にたどり着けると私は確信していますよ」
肩をすくめるスチュアート。
なんか嫌な予感がする。俺は恐る恐る聞いた。
「で、いくらなんだこれ」
「無料ですよ、無料。他でもない陛下からお金を取るはずないでしょう」
「はぁ!?」
またもや俺とラヴィの声が重なった。
二人揃ってテーブルに身を乗り出し、スチュアートに詰め寄る。
「お前、前に南港湾都市で魔神殺しとかいう短剣を俺に金貨十万枚で売りつけただろうが!」
「なに企んでんのアンタ! キモッ!」
店内中の視線がこちらに集まった。
しかしスチュアートは一切動じず、相変わらず意味深に笑って食後のコーヒーを優雅に楽しんでいた。
ラヴィが席に戻り、横目でたずねて来る。
「どうする、ミレくん。めっちゃ怪しいけど」
「うーん……『冒険者ルドの埋蔵金』ねぇ」
実を言えば、先ほどラヴィがその単語を出したときに思い出したことがあった。今年の春に深淵の魔神宮の底で、聖剣によって見せられた夢のことだ。
二百年前の東都の街の聖剣工房で冒険者ルドが床下の収納場所に小さな金庫のようなものを隠す夢だったのだが、後日俺が探してもそんな収納場所は見つからなかった。
確かルドはその金庫のような物のことを『この島すべての人のために残されていたもの』と言っていた。第一の暗号文の解読結果にある『この島のすべてと同等のもの あらゆる人々にとって最も価値のあるもの』と酷似しているようにも思うのだが、もしかするとあれが『冒険者ルドの埋蔵金』で、何か事情があって隠し場所を変えたのかもしれない。
正直、徒労に終わる気もするのだが。
「一応、これで探してみようよ。最悪この紙をどっかに売りつけて美味いもんでも食えばいいし」
「そだね。無料でもらったもんだし、二束三文でも問題ないもんね」
俺たちのあくどい相談を聞き、ようやくスチュアートが余裕の表情を崩して苦笑いのようなものを浮かべた。
「渡した本人の前でそれ言いますかね……陛下、性格的に盗賊に向いてますよ」
「そりゃ嬉しい。じゃあ国王の仕事が終わったらギルドに入れてもらおうかな。前代未聞だろ。王様から盗賊なんて」
「チューチュッチュ! うちとしちゃ大歓迎ですよ。本当に、そうできたらいいですねぇ」
含みのある言い方である。
俺は最後に念押しした。
「もし俺たちがこの暗号を解いて、何かを見つけたとしても、お前に分け前を渡さなくていいんだよな」
「ええ、ええ。もちろんです。その紙は陛下に差し上げたものですから」
「……よし、分かった。本当に無料でもらうのは嫌だから、ここの支払いは俺が持ってやる」
テーブルに置かれた伝票を掴んで、席を立つ。
本当にここが盗賊ギルドが運営してる店だというのなら、そもそも支払う必要もないのかもしれないが。
「ああ、ちょっと待ってください、陛下」
テーブル席を出ようとした俺とラヴィをスチュアートが呼び止め、懐から手のひらサイズの紙を出した。
「スタンプカードあるんでお会計するときに推してもらってください。全部貯まると好きな女給さんとツーショットで擬似投影紙撮ってもらえるんですよ」
「……断る。そんなサービスがあるなら俺もカード作ってもらう」
スチュアートがまたもや苦笑する。
ついでにラヴィからジトッと睨まれた。




