第十話 階層移動の罠に気をつけなかったのが間違いだった
『残念! ミレウスくんの冒険は終わってしまった!』
と思うような余裕が、突然足元に開いた穴に落下していく瞬間にあったかどうかはわからない。
ただ、慌ててこちらへ手を伸ばすシエナの耳と尻尾がピンと立っていて可愛いなぁと思うくらいの余裕はあった。
こうなったのは【罠探知】持ちの癖にサボりやがったラヴィのせいだと心の中で罵る余裕も。
頭上で遠のく穴の蓋はすぐに閉じ、視界は完全に暗闇に閉ざされる。
それと同時に腰を強打。
ぐえっと変な声を出す。
垂直落下から斜めへの滑り降りに切り替わり、やがてポイッとどこかの空間へ吐き出された。
ぐるぐると何度か前転してから、ようやく止まる。
「いててて……」
ほのかに明るいその場所、地下通路のようなところで、先ほど打ち付けた腰を摩る。
骨折するくらいのダメージならば聖剣の鞘が未来へ飛ばしてくれたと思うが、どうやらそこまでではなかったらしい。
何にせよ落とし穴の罠ではなく、階層移動の罠で助かった。
どれくらい下に来たのか分からないが、今の距離を普通に落下していたら聖剣の鞘の効果があっても死んだかもしれない。
《治癒魔法》が使えるシエナとはぐれてしまったし。
「おんやぁ? 誰だ、お前」
背後からの声に振り返る。
そこには手持ち灯を片手に持った、ローブ服の男が立っていた。
――片目を眼帯で塞いでいる。
☆
カーナーヴォン遺跡は王都から馬車で数刻ほどの距離にある同名の宿場町のそばにある。
第三文明期の初期に、真なる魔王に対抗するために当時の人々が建てた隠し砦だという話だが、その立地と手ごろな出現危険種のため、駆け出し冒険者の腕試しの場として長らく活用されていたらしい。
もっとも今では危険種は狩り尽くされ、価値のある財宝は何も残されておらず、訪れる者はめっきり減ったという。
第一回の円卓会議を病欠という名目でサボった第九席がここで目撃されたという話が飛び込んだのは、ちょうど一日前だった。
そのとき動ける人間、ラヴィとシエナと俺で宿場町まで移動したのが昨日の夜。
ラヴィが『ごめーん、めんどくなった!』と書置きを残して姿をくらませたのが今朝。
そして遺跡へやってきたのが、ついさっき。
要するに色々と準備不足だったのは否めず、俺が罠に引っかかるのも仕方がないところだったのである。
「あーひゃっひゃっひゃ! それにしたってあんなところの階層移動の罠に引っかかるかね! 第二層までは町で売ってる地図にも載ってるし、罠の場所まで書いてあるんだぜ!」
ヤルーと名乗ったその眼帯の男は、急ぎのため準備不足だったという俺の言い訳を聞いて腹を抱えて笑った。
この場で唯一の光源である手持ち灯が揺れ、俺達の影が遺跡の壁でゆらゆら動く。
見上げると俺が落ちてきた階層移動の罠の末端の穴が確認できたが、とても上れそうにはない。
「連れがいるらしいが、追ってくるのを待っても無駄だぜ。階層移動の罠はしばらく経たないと再発動しないし、どこにつながってるかも分からん罠をわざと踏んで追いかけてくるような馬鹿はいない」
それもそうか。
だとすると合流するためには俺が上に行くか、彼女が迎えに来るまで待つしかないが、冷静に考えると後者はない。
「で、お前、名前は?」
「え!? えーと……ミ、ミ……ミレアス」
あまりに捻りのない偽名を出してしまったが、別にミレウスなんてどこにでもいるような名前なのだから、そのまま名乗ってもよかったかもしれない。
「んじゃミレちゃんだな。明かり持ってないみたいだし、俺っちと一緒に行くか」
「そうしてくれるとありがたい。暗闇で助けが来るのを待ってたら、発狂しそうだ」
「違いない」
ヤルーはくつくつと笑うと、手持ち灯を投げて寄越してくる。
「照明係くらいやってくれよ。どうせこの遺跡で戦闘はないからな。剣士が一人増えても得がねえ」
俺の持つ聖剣……というか、それを収める鞘を見て判断したんだろう。
ヤルーはすたすたと歩き始めた。
慌てて、それについていく。
「ここは第何階層なの?」
「第四だ。俺っちの目的地はこの辺のはずなんだが」
ヤルーは道の先や遺跡の壁ではなく、地面をよく観察しながら歩いている。
その足元を手持ち灯で照らしてやりながら俺も見てみるが、特に何かがありそうな雰囲気はない。
今更この遺跡に、隠し通路や知られざる財宝があるとは思えないが。
「おっと。そこ、毒矢の罠あるわ。踏むなよ」
「……ヤルーは何の職なんだ? 【罠探知】持ちみたいだけど」
「俺か? ふっふ。まぁ待て。すぐ分かる」
通路はやがて、広いホールのような場所にたどり着いた。
出入り口は奥の方へと続くのがもう一つ。
部屋の中央にくぼ地があるが、頭上からバシャバシャと水が降ってきており、小さな池のようなものができていた。
「よう! お困りのようだな」
ヤルーが手を挙げて挨拶をした先は、池の周囲のむき出しの地面。
誰もいないじゃないかと訝っていると、そこからニョロニョロとした半透明の気色の悪い蚯蚓のようなものが無数に生えてきた。
口とも目ともつかない奇妙な器官が、全身で閉じたり開いたりしている。
「土精霊だ。名前を聞いたことくらいはあんだろ」
「それは……うん。そうか、アンタの職は」
「[大精霊使い]だ。ここにゃ、こいつと契約しにきたのさ」
ヤルーはうごめく土精霊に歩み寄り、腰を落とした。
【精霊交信】は精霊使い系の固有スキルだ。
彼らが声をかけない限り、精霊は滅多に姿を現さないし、人間と会話をしようともしない。
「そこの水でお困りなんだろう、土精霊さんよ。どうだ、俺と契約しないか。こいつに一筆してくれたら、そこの水を止めるよう精一杯努力をしよう」
ヤルーが取り出したのは一冊の分厚い本。
適当にそれを開くとペンでなにやら書き足して、土精霊に向けて見せた。
「お得な契約だと思うぜ。常時召喚じゃない。必要なときにだけ来てくれりゃいいんだ」
土精霊の群生――というより、そのひと塊で一体なのかもしれないが――それは何かを確かめるように、ヤルーの体にうにょうにょと巻きついたかと思うと、彼からペンを借りて器用に本に署名をした。
「よし、これで契約完了だ! グレイ型土精霊、八六四九番くんね。よろしくぅ!」
土精霊は手を振るように体の上部を左右に動かし、そしてまた土の中へ帰っていった。
上機嫌でヤルーが解説してくれる。
「精霊ってのは自分の領域に別属性の要素が入ってくるのを極端に嫌がるもんでね。土系のヤツにとっちゃ流れる水なんか最悪だ。だから、そこにつけこんだってわけ」
「つけこんだ……って。ちゃんと水は止めてやるんだろ?」
「は? なんで?」
心底分からないというような顔をして、先ほど土精霊に署名させた本のページを見せてくる。
「いいか、ミレちゃん? この魔導書、優良契約は、ページに書かれた事項を署名した精霊と人間の両者に遵守させる効力がある。さっき口頭でも言ったが、俺がアイツに提供すると約束をしたのは、水を止める努力。そんだけ」
本をパタンと閉じ、ローブの中にしまい。
「努力はあくまで努力だからな。結果につながらなくてもしょうがない」
ヤルーは池のほとりへ歩いていくと、降ってくる水へと手を差し出して。
「うわぁー。この水量を止めるの無理だー。力不足だーもうしわけないー」
素に戻り。
「はい。努力完了」
「詐欺だろ、それ!!」
思わず叫ぶ。
ヤルーはやれやれと大げさなジェスチャーをして、奥の方の通路に歩いていった。
「人聞きの悪いことを言うなよ、ミレちゃん。俺っち、嘘は一個もついてねえ」
一切悪びれてないあたり、どうやら常習犯のようだ。
「精霊使いにゃ色んなタイプがいるが、共通してんのは精霊を呼び出せて会話ができるってことくらいだ。契約の仕方は人それぞれ。単純に好かれるやつもいりゃ、根気強く説得するやつもいる。俺の場合、まぁなんだ……公平なギブアンドテイクを申し出るだけさ」
「どこが公平だ、どこが」
「だってあいつら馬鹿なんだもん」
「酷すぎる……」
俺もラヴィをその気にさせるために多少のペテンっぽいことはしたが、ここまでではなかったと思う。
「なんであそこに土精霊がいるって知ってたんだ?」
「同業から情報をもらったんだよ。困ってる精霊がいるってな」
「……カモを融通しあう詐欺仲間がいるってことか」
「違う違う。俺のことを、困った精霊がいればどこにでも駆けつける心優しいナイスガイだと思いこんてる子がいるってだけ」
「騙してるだろ! それも!」
叫んでみるが、ヤルーはどこ吹く風である。
通路を奥へと歩いていくうちに、今度は吹き抜けのような開けた場所に行き当たった。
見上げると、地上まで貫通しているわけではないが、かなり高いところまで縦穴が続いている。暗くて分かりづらいが、上の方には第二階層あたりにつながると思われる横穴もあった。
「あの横穴まで飛べれば楽なんだが、密閉空間だと風精霊は使えねえからなー。ミレちゃん、【登攀】とかできないの?」
「悪いけど、そういう器用なことは」
できない、と言おうとしたところで、その横穴から人型の何者かが落下してくるのが見えた。
受け止めるべきなのかとか、考える余裕もない。
【跳躍】持ちなのだろうか。かなりの高さがあったが、その人物は音もなく、俺のすぐ隣に見事に着地する。
そして腰の高さに小剣を構え、不味いという顔をしている精霊使いに向かって突進した。
「ヤルーゥゥゥ!!!」
シエナである。見たこともない憤怒の形相をしている。
止める間もなく、彼女の全体重を乗せた一撃が命中する。
「オウフ! ひ、久しぶりだな、シエちゃん。尻尾、出すようになったんだな。似合ってるぜ」
脇腹を刺されながらも引きつった笑みは絶やさず、ヤルーが軽口を叩く。
俺はなおも攻撃を続けようとするシエナを引き剥がし、その手に固く握り締めた血まみれの小剣をハンカチで包んで取り上げた。
「待て待て、落ち着いて。この人、敵じゃないから」
「いいえ、主さま! こいつは敵です! 滅すべき、巨悪です!」
完全に正気を失った様子で、聞く耳を持ってくれない。
「ヤルー。アンタ、この子になんかしたの?」
「別にたいしたことはしてねえよ。ちょっとこいつんとこの神殿で邪教広めたくらいかな」
「刺されて当然だぞ、それ」
とんでもないことをするやつだ。
刺す方も刺す方だとは思うけど。
小剣の一撃は致命傷になりかねないくらい強烈だったが、出血は思いのほか少なかった。
いや、それどころか、もう止まっている。
ヤルーは刺された脇腹を押さえていた手を離し、一息ついた。
「ふぅ、俺っちが不死鳥を常時憑依させてなかったら、死んでたぞ」
自動再生を持つという火属性の上位精霊の名だ。
そんなものまで使役してるとは驚きだが、やはりそいつも詐欺のような方法で従えたのだろうか。
「リクサに聞いてたけどさ。腕はいいみたいだな。腕は」
「んっふっふ。さすがだねぇ。やっぱそっちも気付いてたんだな、俺っちの正体」
出会い方が急だったので、なんとなく互いに化かしあうみたいな形になってしまったが、共通の知人の登場でそれも続けられなくなった。
「そりゃアンタを探しにきたんだしな。前に自走式擬態茸が擬態してるところも見たし、すぐに分かったよ」
くつくつと笑い、ヤルーが臣下の礼を取る。
「さーてと。そんじゃ、ミレウスちゃん。改めて、自己紹介させてもらおうか。円卓騎士団第九席、外道のヤルーといえば俺っちのことさ」
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【第九席 ヤルー】[new!]
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【第十三席 シエナ】
忠誠度:★★
親密度:★
恋愛度:★★
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