第百十七話 本人のせいじゃないと思ったのが間違いだった
深淵の魔神宮でゲアフィリを討伐した数日後、俺たちはまだ王都に帰らずに、東都の街のルフト家の館に滞在していた。
理由は単純で、今回の件の後始末が残っていたからである。大量の人員を動員した分、その事後処理もまた膨大であり、関係各所に手伝ってもらってもなお、なかなか終わりが見えてこなかった。
「うーん……思ったよりもかかったな……金が」
マーサ・ルフトに用意してもらったゲストルームでデスクチェアに腰かけて、俺は収支報告書を眺めて嘆息した。収支報告とは言うものの、記載されているのは全て支出である。
作戦に参加した一般人および後援者に支払う謝礼金、キアン島での滞在費、各種物資の運搬費、迷宮内で破損したなどの理由で戻ってこなかった参加者への貸与品の損失等々、とにかく凄い額が赤い文字で並んでいた。
その合計額は国家予算の二割にもおよぶ。先代王が退位してから積み立てていた今回の円卓用の資金すべてが吹っ飛ぶほどの額ではないにせよ、少し使いすぎたかなと反省しなくてはならない数字ではある。
「費用対効果はそう悪くはなかったと思います。統一王以来の深淵の魔神宮踏破ということで、国民からのミレウス様への支持は大いに高まっておりますので」
こちらの険しい顔つきを見て、目の下に立派な隈をこしらえたリクサが慰めるように言う。この報告書はこの女性が三日三晩寝ずに作成してくれたものなのだ。
俺は肩をすくめて苦笑した。
「こんだけ金が掛かったって知っても同じように支持してくれるといいんだけどね。……なんにせよ誰も死ななくてよかったよ。いや、けっこう死んだけど。全員蘇生できたからいいけど」
俺は収支報告書をデスクの上に置き、リクサが作ってくれた別の資料を手に取った。こちらは今回の作戦の死傷者数をまとめたものだが、奇跡的に今回も死んだままになった者はいなかった。
もちろんアールディア教会のヌヤが迷宮から運び出された犠牲者に片っ端から蘇生魔法をかけてくれたからであるが、『全員蘇生できたのは百に一つか二つくらいの幸運じゃ』と彼女自身も言っていた。
できることならもう二度と、こういう総動員作戦は取りたくはない。しかしいつか再び、同じような決断を下さねばならない時が必ず来るだろうと覚悟もしていた。
「ま、赤字を出しちゃったのはしょうがないとしてさ。積み立て資金を少しでも減らさないために、これを使おうと思うんだ」
俺はデスクの引き出しを開けると、指で摘まめるくらいの大きさの白い鉱石を取り出してリクサに見せた。
「それは……あの闇の玉座の中から見つかった石ですか」
「そ。ブータに解析してもらってたんだけど、どうもこれ、所持者の魔力を増幅する効果がある魔鉱石みたいなんだ。しかも新発見のね。……念のため持ち帰ってきてよかったよ。あいつがずっと玉座から離れないからおかしいとは思ってたんだ」
俺は引き出しから同じものをじゃらじゃらと取り出してデスクの上に並べる。これらもすべて戦いの後に闇の玉座の中から出てきたものである。
深淵の魔神宮攻略の参加者を募るため、第九階層に貴重な魔鉱石鉱脈が出現する――かもしれない、という御触れを出したが、奇しくもあれが嘘から出た真になったわけである。いや、俺としては嘘を吐いたつもりはないし、魔鉱石があったのは第十階層なので厳密には違うのだけど。
「ブータによると、この魔鉱石は本来、一人につき一個しか効果を発揮しないんだってさ。つまりあの玉座は中に入ってた大量の石の効果をまとめて、座った人物に与える一種の魔力付与の品だったってわけ」
「あれも第一文明期の貴重な遺物だったのですね。……デスパーが完全に破壊してしまいましたが」
「中が露わにならなきゃ俺もそうとは気づかなかっただろうし、デスパー様様とも言えるよ。初代の人らも、あれがそういうものだとは気づいてなかったみたいだしね」
リクサはデスクの上から石の一つを手に取ると、それを窓から差し込む陽光にかざして目を細めた。俺も同じようにする。
しかし俺も彼女も魔素行使者ではないので手に取ったところで効果は感じ取れない。
「まー、そんなわけでさ。大量に抱えててもしょうがないから、円卓の騎士が使う分を確保したら、あとは後援者に謝礼金の代わりとして渡そうと思ってる。もちろん希望者だけだけど、魔素行使者の後援者が強化されれば、今後仕事を頼むときに俺たちも助かるから一石二鳥ってわけ」
「さすがミレウス様。名案です。しかしそれでもいくらか残りそうですが」
「その分はオークションにでも出品しようと思ってるんだ。あの闇の玉座の中にあったものを国王自らが持ち帰ったと宣伝すれば好事家たちがこぞって落札しようとするだろうからね」
「なるほど! ……そうだ。でしたら提案なのですが」
リクサは何か自分も名案が浮かんだとばかりに両手を合わせると、きらきらと顔を輝かせてデスクの上に身を乗り出してくる。
「この魔鉱石、新発見だと仰いましたよね? 陛下のお名前をいただいて、ミレウス石と命名するのはいかがでしょうか」
「いや、無理。恥ずかしい。……でもそっちの方が価値が出るか? うーん」
「一つ一つにナンバーをつけて、ミレウス様の直筆サインを入れればオークションの落札額もはね上がると思います。ぜひ、そうしましょう!」
「……うーん、まぁそれも希望者がいればね」
希望者が殺到するに違いない、と考えているのが丸わかりの顔でリクサは何度も頷いた。俺はそんなもの好き、そんなにいないと思うのだけど。
「あの、ミレウス様。ところで、そちらは?」
彼女がちらりと目を向けたのは、デスクの端に置いておいた金属製の筒である。国家間で重要機密文書をやり取りするときに使われるものだが、先ほど俺が蜜蝋による封印を解いていた。
「カフカス王国からの書状だよ。書状というか、感謝状。今朝、王都から転送されてきたんだ」
「カフカス、ですか? うちとは国交がない国ですが……」
怪訝そうな表情をリクサが浮かべる。無理もない。俺も書状が届いたときには似たような顔をしていたはずだ。
カフカスは大陸の中原にある小国である。学校の地理の授業で名前を聞いたことがある程度でよくは知らなかったのだが、書状によるとつい最近まで隣国である帝政国家に侵略されていたらしい。
「で、窮地に立たされてたところで、一人のエルフの男が加勢に入ってくれたそうなんだ。その男の獅子奮迅の活躍もあって帝国は侵略を諦めて引き上げていったらしい」
「エルフの男とは……まさか」
リクサが息を呑んで、目を丸くする。俺は彼女の推測が正しいことを肯定するために頷いた。叶えるものの効果と悪霊の正体についてはすでにみんなに話してあった。
「男は名前を名乗らなかった上に、戦後の混乱のうちに姿を消していたそうなんだ。だけどカフカスにとっては救国の英雄。あちこちに人をやってその足取りを調べたら、どうやらこのウィズランド島に渡ったことが分かった。それでこうして書状を送ってきたわけなんだけど……さすがにどういう身分の人間かは突き止められていないみたいだね」
「はぁ。あの、御返事はいかがしますか」
「とぼけつつ、口止めして、そのような人物に会ったら感謝の旨を伝えておくと書いといてくれ」
「かしこまりました。正しいご采配かと存じます」
リクサは呆気に取られたような顔で書状の入った筒を俺から受け取った。それから複雑そうに眉根を寄せてから首をかしげた。
「それにしてもデスパーに戦好きの自覚がなかったとは思いませんでした。危険種討伐任務ではいつも生き生きとしていましたから」
「ナガレが言ってたんだけど、『めんどくさいところがある天然野郎』ってのが正しいんだろうな。だからこそ、あの斧が必要になったんだろうけど」
デスパーと初めて会ったあの日、こいつが厄介なのは悪霊のせいであり、本人のせいではないと思ったのを覚えているが、やっぱり全面的に本人のせいだったわけである。悪霊もそんな害のあるやつじゃなさそうだから別にいいけど。
「書類作成ご苦労様、リクサ。書状の返事とかオークションの手配は寝てからでいいよ」
「はい。ありがとうございます、ミレウス様」
微笑んで頭を下げたリクサが外に出てドアを静かに閉める。
そこで一つの懸念が浮かんだ。
デスパーは悪霊が大陸の各地で暴れていたと話していた。
まさかこれから、これと似たような書状がいくつも届くんじゃあるまいな。
「あのー、国王サマ、いらっしゃいますデスか?」
ノックと共にマイペースなあの男の声。噂をすれば、である。
俺の許可を得て部屋に入ってきたデスパーは相変わらず例の斧を持っていた。
「よう、悪霊の調子はどうだ」
「大人しいデスよ。どうもこの間、力を使い過ぎたせいでしばらく出て来れないみたいデス」
そう話すデスパーは完全に前と同じ様子である。ゲアフィリとの戦いの中で悪霊と意識が重なったそうなのだが、結局また元のように分離したらしい。
俺は先ほどの書状の件を伝えるべきか少しだけ迷った。悪霊がどんなつもりで戦争に介入したのか分からないからだ。
まぁ言うにしてもそのうちでいいかと考えて、デスパーにデスクのそばの椅子を勧める。
「それで何の用だ?」
「ハイ。聖剣工房で約束した国王サマ用の斧のことデスが、具体的にどんなのがいいか、お決まりになられてないデスか?」
そういやそんな約束もしたなと、俺は頭痛のようなものを覚えてこめかみのあたりを押さえた。なんだかワクワクしているデスパーには悪いのだが、斧を作ってもらっても使う予定はないし、正直扱いに困る。
「えーと、悪いがじっくり考えたいんでな。もう少し時間をくれ。王様を辞めた後に頼むから」
「そんな先デスか? そうデスか……」
しょんぼりと肩を落とすデスパー。かと思うと、俺と同じように頭痛を覚えたみたいに顔をしかめた。
「あの、悪霊が『キアン島でした約束を果たせ、俺サマと戦え』と言ってるんデスが」
「あー、それも王様辞めた後な」
「ええと。『詐欺だー』と喚いていてるんデスが……」
よほどうるさくされているのか、デスパーの表情が一層険しくなった。
ふっと笑って、彼の中の悪霊に向けて言う。
「俺は仕事が終わった後にやってやるとしか言ってないぞ。俺たちの仕事はゲアフィリ討伐だけじゃない。少なくともあと二年くらいは滅亡級危険種と戦ってもらうぞ。ヤるにしてもそれからだ」
「『ふざけるなー』……だ、そうデスよ」
「なに言ってんだ。めちゃくちゃ強い危険種と戦えるんだから本望だろ? それにどちらにせよ、お前はヤる気のない相手とはヤらないんだろ。だったら待つしかないな」
デスパーはそれからもしばらく頭が痛そうな様子を見せていたが、ふいに平静に戻る。
「悪霊、寝ました。熟睡デス」
「……ふて寝か。なんかちょっとかわいそうな気もするな。俺が言うのもなんだけど」
鞭ばかりでは人はついてこない。悪霊にもデスパーにも、そのうち何か飴をくれてやるべきだろう。
もっとも悪霊についてはこの男の選択次第なのだが。
俺は腕組みをすると、例の斧、叶えるものを見やった。
「どうする? 一段落したし、その斧をブータに解析させてもいいけど。もしかしたら装備状態を外す方法が見つかるかもよ。海賊女王エリザベスが言ってたけど、それを外せば第二人格も消えるみたいだし」
どうやらそれは考えもしなかったらしく、デスパーは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。
眼を閉じ、ウーンとしばらく唸ってから、頭を下げてくる。
「せっかくのお申し出デスが……」
「そうだな。俺もそれがいいと思うよ」
予想通りの答えである。
俺は少し気をよくして、短く鼻歌を歌った。
「これからもしっかり仕えてくれよ。悪霊も、君もな」
「はい、もちろんデス。国王サマ」
デスパーは目を細め、口角を上げてにっこりと笑う。
この天然で、何を考えているのかイマイチ掴みづらい男の心からの表情を、俺は初めて見ることができた気がした。
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【第十一席 デスパー】
忠誠度:★★★★★★★★★[up!]
親密度:★★★[up!]
恋愛度:★★★★★[up!]
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この第百十七話を持ちまして第四部は完結になります。
次からは第五部との間の幕間に入ります。
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これからも頑張っていきますので、皆様今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
作者:ティエル