第百十六話 内なる望みを叶えさせたのが間違いだった
恋愛度に依存する聖剣の力、技能拡張を使うのはこれで三度目である。
最初は南港湾都市でブータと、二度目は最貧鉱山でイスカと行った。そのどちらもが滅亡級危険種を倒す決め手となっている。
まぁ最貧鉱山でのことは変則的だったため置いておくにしても――南港湾都市での件は一つの教訓を俺に与えてくれていた。
つまり、新たな円卓の騎士が現れた直後に時を告げる卵が滅亡級危険種の出現を予告した場合、それは『その騎士の力でその滅亡級危険種を倒せるから出現することになった』と考えられるということである。
今回もデスパー、あるいは悪霊が俺の前に現れた途端にゲアフィリの出現が予告された。だからこの男を技能拡張することがゲアフィリを倒す鍵になるのではないかと俺は考えていたのだ。
『聞こえるか? デスパー』
『ハイ、聞こえますデスよ』
精神同期が深化したのを見計らって呼びかけると、いつも通りのマイペースな声が頭の中に返ってきた。体の主導権を握っているのは悪霊のはずだが、応答したのはなぜかデスパーの方だ。
今思えばだが、先ほど使った親密度能力の心話は、この技能拡張に近いものがある。恐らく原理は似たようなものなのだろう。
煙の向こう、闇の玉座の周囲に一体、また一体と大きな人影が現れる。どうやらゲアフィリが上位魔神を召喚しているらしい。攻撃魔術の連打で倒しきれなかったから《存在否定》を仕掛け、《存在否定》をかわされたから、今度は配下を召喚して動きを止める。なるほど、実に臨機応変だ。
しかし俺は慌てていなかった。
『なぁ、デスパー。悪霊がどういった存在か、きちんと考えたことはあるか?』
デスパー、あるいは悪霊が俺の方を振り向く。現在、体の主導権をどちらが握っているのかは、その表情からは読み取れない。もっとも俺にはどうでもいいことだった。
『夢を見たんだ。初代円卓の騎士の一人、海賊女王エリザベスの夢を。知ってるだろ? 統一戦争期に南港湾都市の街を牛耳って、ウィズランド海賊をまとめあげたっていうあの伝説的な女傑が出てくる夢だ。俺たちはデスパーが帰ってくる前――去年の夏に南港湾都市の南の海で、彼女の根城を見つけて探索したんだけど、そこで発見した彼女の日記によれば、彼女は元々大陸の商家の生まれのごく普通の娘だったそうだ。それがある日、呪いの義手を装着してしまったせいで荒々しい第二人格が現れて、あれよあれよという間に海賊の首領になってしまったらしい。……これって、今のデスパーの状況に似てると思わないか』
返事はない。驚いているのか、それともちゃんと聞いていないのか。
いずれにしても技能拡張を完成させるには今しばらく時間が掛かる。俺は意識の集中を維持したまま、話を続けた。
『夢の中でエリザベスの意識が流れ込んできて分かったんだ。彼女が手に入れた義手は第一文明期の遺物の一つで、内なる強い願望を持つ者の前に、その者に相応しい姿で現れて力を貸す魔力付与の品だったんだ。エリザベスは心優しい女性で、ウィズランドの海賊たちに船を襲われて犠牲になる商人たちのことで心を痛めていた。だから彼女の内に眠っていた荒々しい人格を目覚めさせて、海賊たちを統べさせるという形でその願望を叶えた。彼女の場合、生まれつきの隻腕だったから義手という形態で現れたんだな。その魔力付与の品の名は――』
『叶えるもの』
返事が返ってきた。その声は冷静だったが、新鮮な驚きを含んでもいた。
デスパーはボロボロになりながらも手放さずにいた斧を茫然と見やる。
『その魔力付与の品が、これだというんデスか?』
『そうだ。デスパー、それが君の望んだ形だったから、そいつは君の前にその形で現れたんだ。ここで勘違いしちゃいけないのは叶えるものは新しい人格を作り出すわけじゃないってところだ。あくまでその人の内に眠る人格を呼び覚ましているに過ぎない。……悪霊は君自身なんだ。受け入れろ。憑りつかれたんじゃない。君の願望をかなえるために目覚めた、君のもう一つの人格なんだ』
今思えばヒントになるようなことはたくさんあった。
呪いや危険種の仕業ではないという悪霊自身の言葉。
斧の効果に抵抗した形跡がないというブータの見解。
悪そうで悪くない悪霊の人格。
それと、戦闘好きだという周りの評価と本人の自己評価のズレ。
そう、そのズレこそが、彼の前に叶えるものが現れた理由だった。
『内なる望みは本人すら自覚してない。エリザベスもそうだった。叶えるものに叶えてもらって――それからようやく気付く。前に否定してたけど、君は本当は戦いに飢えているんだよ。育てた筋肉と大好きな斧で思う存分暴れたいんだ。それも自分よりも強者と、こんな風な絶対的な苦境で』
デスパーは静かに俺の話を聞いていた。
完全に腑に落ちたという風ではない。しかし何か思うところはあったのだろう。斧を握る手に力を込めたように見えた。
『俺が命じてやる。好きなだけ暴れろ、デスパー、悪霊。お前が――お前たちが望んでいた敵が、苦境が、ここにはあるぞ』
『……ケケケケケッ! 了解デス!』
デスパーが悪霊のように笑い、ギザギザの歯を見せた瞬間、技能拡張の力が発動した。
エルフは第一文明期に戦闘用に改造された人々の末裔であり、その戦闘方法は遺伝子に刻まれている。始祖勇者が真なる魔王を討伐し、職業継承体系を構築した際、彼ら、亜人の持つ特殊能力もまたスキル化され、種族固有スキルとして登録された。
技能拡張はそれらのスキルも問題なく、多重化できる。
【緊急再生】。
まずデスパーが使用したのはその種族固有スキルだった。互いに考えていることが筒抜けになった今、彼が何をしたかはすべて分かる。
軽く十回分ほどの致命傷を負っていたデスパーだったが、それらの欠損が少しずつ修復されていく。
俺はそのスキルを十倍に多重化した。
デスパーの全身の傷が見る間に塞がり、おかしな方向に曲がっていた腕や足も元通りになる。その再生力は魔神将のそれをも凌駕するほどだった。
俺たちと闇の玉座を隔てていた煙が晴れて、呪文の詠唱をしているゲアフィリとその周囲を囲む十体ほどの上位魔神の姿が露わになる。
瞬間、デスパーが弾かれたように駆け出した。
「ウオオオオオオオオ!!」
これまでで一番の咆哮を上げるデスパーに、上位魔神たちが襲い掛かる。
熊のような鋭利な爪で攻撃する魔神がいれば、魔剣で斬りつける魔神もいる。だがデスパーはそれらすべてを無視してゲアフィリへと直進した。
上位魔神の攻撃は熟練の冒険者を一撃で絶命させることもあるという。
だが、それらはどれもデスパーに傷一つつけることはできなかった。
【破壊不能】。
体の強度と精神抵抗を飛躍的に引き上げる種族固有スキルで、先ほどの魔術の連打をどうにか耐えることができたからくりでもある。俺はこのスキルも十倍に多重化して、奴に無敵の肉体を与えていた。
デスパーが闇の玉座にたどり着く。そしてそこに座ったまま詠唱を行うゲアフィリに、先ほどと同じように横薙ぎの一撃を放った。
ゲアフィリはそれを、これまた先ほどと同じように錫杖を手にしていない方の腕で受けた。
結果だけが、先ほどとは違っていた。
ゲアフィリの黒い腕が肘の上あたりから切断され、くるくると宙を舞う。さらにデスパーが振るった叶えるものの刃はゲアフィリの首深くまで食い込んでいた。
【絶対蹂躙】。
攻撃に相手の防御力と再生能力を阻害する効果を乗せる種族固有スキルである。悪霊は先ほど攻撃したときもこれを使っていたようだが、今回は俺が残りの恋愛度すべてをつぎ込んでおよそ三十倍に多重化していたため結果が変わったのだ。
その効果は絶大で、不死身とも思える魔神将の再生能力が一切機能していなかった。致命傷には至っていないようだが、確実にダメージは入っている。
いける。俺はそう確信しかけたが、当然、そう簡単にはいかなかった。
ゲアフィリの魔術が完成し、地面から無数の触手が現れる。それらはデスパーの肉体に絡みつくと、そのまま宙に持ち上げて、天井に叩きつけた。
【破壊不能】のおかげでデスパーにダメージはない。しかし衝撃で斧を取り落としてしまった。
「オイ、コラ! 放セ!」
デスパーは触手を引きちぎろうと奮闘しているが、ぬるぬるとした粘液で覆われているため上手くいかないらしい。
助けに行かねばと俺は聖剣を手に走り出したが、当然見過ごされるはずはなく、上位魔神たちに進路をふさがれてしまった。
そこで気づく。声を出せるようになったのだから、こちらも仲間たちを召喚すればいいのだ。
もっともそれが無用であることにもすぐに気づいた。背後にある第九階層に続く階段から、ドタバタと降りて来るいくつもの靴音が聞こえてきたためだ。
「お待たせいたしました、陛下!」
まず先頭を切って駆け下りてきたのはリクサだった。それにヂャギーとイスカが続いている。そのまま三人は俺を追い越して、上位魔神と近接戦闘を始めた。
それにほんの少し遅れて後衛組――ヤルーとラヴィとブータとシエナもやってきた。
「うっひょー。なんかやべえ情況になってんじゃん、ミレちゃんよぉ」
混沌とした戦況を眺めて、いつも通りの皮肉気な笑みを浮かべるヤルー。
「分かってるならさっさとみんなを支援しろよ」
「へーいへい。人使いが荒いこって」
俺が命じるとヤルーは肩をすくめて、精霊との契約に用いている魔導書『優良契約』を開いて闇精霊を召喚し、ラヴィたち三人と共に戦闘に加わった。
最後にヘロヘロになったナガレが今にも吐きそうな顔でやってきた。そして俺の横で立ち止まると、両膝に手を置いてゼェハァと上がった息を整えてから、こちらを恨むような眼で見てきた。
「おい、ミレウス! めっっっちゃ苦労したぞ! 幻覚見て好き勝手やってるこいつら全員に薬打つのはよ!」
「だろうな。お疲れさん」
「労いの言葉が軽すぎるんだよ! テメェはよ!」
ナガレはチッと舌打ちをすると、俺を再度睨んでから拳銃を構えて戦場へ走っていった。
上位魔神の危険種レベルは軽く五百を超える。しかもそれがおよそ十体もいる。
さすがの円卓騎士団と言えど苦戦は免れまいと思ったが、それは完全な杞憂に終わった。
上位魔神たちの頑健な黒い肉体をリクサが舞うようにして双剣で切り刻み、ヂャギーが斧槍で渾身の一撃を放って切断し、イスカが口から小規模ブレスを吐いて吐きつくす。
彼らが敵対心を引き受けている間に後ろに回ったラヴィが短剣で首を刎ね、ナガレが拳銃で遠くから援護射撃を行う。
ヤルーの精霊魔法とシエナの神聖魔法とブータの魔術で、攪乱と強化効果と弱体効果も完備されており、戦闘はほとんど一方的なものになった。
ゲアフィリも次々と新しい上位魔神を召喚して対抗していたが到底追いつかず、敵の数は次第に減っていった。
俺が王になる前――つまりは円卓の騎士の責務が始まる前、彼らの主な仕事は島の各地に出現する上位魔神や戦略級天聖機械と戦うことだったという。その頃の話を前に聞いたことがあるが、毎回、それなりに苦戦していたらしい。
それが今このように相手に付け入るスキを与えないような展開になっているのは、リクサが地剣アスターを手に入れて双剣士となったことやイスカという新戦力が加入したことなどもあるだろうが、ここ一年間の数度に渡る滅亡級危険種との戦いでそれぞれがレベルアップしたことが一番大きいのと思う。
やがてゲアフィリは戦況を覆せないことを悟ると、上位魔神の召喚とは異なる呪文を唱え始めた。
やはり第一文明語なので意味は分からない。しかし《存在否定》と同じように、この呪文のリズムにも聞き覚えがあった。
ブータが焦りの声を上げる。
「テ、《瞬間転移》です! 《瞬間転移》を唱えてどこか遠くへ逃げようとしてますぅ!」
「……道を作ってくれ! 闇の玉座まで!」
指示を聞き、みんなが上位魔神を一層激しく攻撃して、ゲアフィリまでの最短距離の道を開いてくれる。俺は脇目も振らずにそこを駆け抜けた。
デスパーの忠誠度をすべて使って【絶対蹂躙】を借りる。そして駆ける勢いそのままに、闇の玉座についているゲアフィリへと突撃し、奴の三つの口に聖剣を縦にして突き刺した。
詠唱が、止まる。
これでも魔神将にとっては致命傷には程遠い。だが今回は、それを与えるのは俺の役割ではないと分かっていた。
「ナイスだゼ! 王サマァ!」
頭上から届いたのは実に嬉々とした声。
見上げると悪霊がその尖った歯で自身を束縛している触手を噛みちぎっていた。そして体の自由を取り戻して落下してくると、地面に転がっていた斧を掴んで、即座にこちらに向かって走ってくる。
驚くべきことに、ゲアフィリは全ての口を串刺しにされているにも関わらず、なおも詠唱を行った。錫杖の先から火球が次々と現れ、悪霊を襲う。
しかし先ほど技能拡張した【破壊不能】はいまだ有効であり、そのゲアフィリ最後の抵抗も奴を妨げられはしなかった。
着弾した火球が爆発して黒煙を上げるその中を、悪霊は一直線に駆けてきた。
俺は慌てて魔神の顔から聖剣を引き抜いて、玉座の前から飛び退く。
「あばよ、ゲアフィリ! 楽しかったゼ!」
悪霊は眼を爛々と輝かせて、大木の幹にでも向けるかのように微塵の容赦もなく叶えるものを振るった。
ゲアフィリの上半身が闇の玉座ごと切断されて吹き飛び、第十階層の奥の壁に激突する。
さしもの魔神将と言えど、再生能力を封じられ、真っ二つにされてはもはやどうにもならない。ゲアフェリは最後にほんの少しだけ痙攣してから、真っ白な灰となって崩れ去った。
悪霊がのけぞるような恰好で勝利の雄たけびを上げ、そしてそのまま後ろにぶっ倒れる。エルフの種族固有スキルはどれも強力だが、効果時間が過ぎると大きな反動を受けるのだ。気絶しただけだろうから、心配は要らないだろうが。
戦いの後に倒れるのは俺の役目だろうと苦笑しながら、残った上位魔神たちと戦う仲間の元へ加勢に入る。
しかし俺はもう勝利を確信していた。