第百十四話 迷宮の魔神に挑んだのが間違いだった
デスパーと共に落下しながら『えーと、これで何度目だったか』と、考える余裕は当然あった。過去に階層移動の罠を踏んだことが二回あったからだ。
一回目は王都の北のカーナーヴォン遺跡で一人で落ちた。
二回目は海賊女王エリザベスの根城でナガレと共に落ちた。
階層移動の罠は危険な罠ではない。かかったものを傷つけぬよう、途中で垂直落下から斜めへの滑り台に切り変わるようにできているからだ。そのような作りになっているのは、元々捕虜を得るために開発されたからという説があるが、なにせ第二文明期の頃の罠のためその真相は分からない。
「んん!? ヤバくないか!?」
空中で、俺は思わず声を上げた。
ここは第二文明期の遺跡ではない。それより遥か前――第一文明期に生み出された危険種である魔神が製作した魔神宮だ。当然階層移動の罠があるはずはなく、そして階層移動の罠でないのなら、それはもっとえぐい罠であるに決まっていた。
「デスパー!」
俺は咄嗟に手を伸ばし、デスパーの体を自分の方に引き寄せていた。地面が迫っている。いや、そこに見えるのはただの地面ではない。いくつもの鋭い杭が殺意を持って整列した殺傷帯だ。
それを確認した俺は、自分がデスパーの下になるように空中で上手く体の位置を入れ替えた。落下しきる前の僅かな時間に、こんな行動がとれたのは過去に階層移動の罠で落ちた経験が生きたからだろう。鎧を召喚するなり、聖剣の力で飛行スキルを借りるなり、それ以外にいい手がいくつもあったような気もするのだが。
聖剣の鞘の加護で落下ダメージが先送りにされることを分かっていても、杭に激突する瞬間、目を瞑るのは避けられなかった。
予想どおり衝撃はまったく感じない。
次に目を開けた時、俺は杭が並んだ殺傷帯のそばの床に横たわっていた。もちろん何のダメージも受けていない。ほっと胸を撫でおろしながら探すと、共に落ちたエルフの男は俺のすぐ横で寝転がっていた。
「デスパー、大丈夫か?」
「ハイ。大丈夫デス」
俺がかばった効果があったのか、それともエルフの丈夫さゆえなのか、デスパーはケロっとした顔をしており、目立った外傷もなさそうだった。
先に立ち上がり、デスパーに手を差し出す。すると彼は目を瞬かせ、その手を取って立った。
「国王サマ、もしかして自分をかばってくれたんデスか?」
「ああ、俺はこんくらいどうってことないからな。……もしかすると、そのまま落ちてもデスパーもどうってことなかったのかもしれないけど」
唖然として口を半開きにするデスパー。
俺はそれは放置して、今の状況を確かめることを優先した。
第十階層はたった一部屋だけで構成されており、狭すぎて変身できなかったというイスカの証言のとおり、その部屋もそれほど広くはなかった。せいぜい庭球コートを三面連結させた程度の面積で、天井も普通の建物の二階くらいの高さまでだ。
俺たちの落ちた殺傷帯の後ろには第九階層に続く上り階段があり、その反対側の奥には無数の篝火が半円形に並んでいる。それに囲まれるようにして鎮座しているのは、光を吸い込むような漆黒の岩石で作られた玉座。
そしてそこには同じような漆黒の色をした屈強な肉体を持つ醜悪なる人型の生物が一体、足を組んで座っていた。
それは眼も鼻も持たず、代わりに三つの大きな口が顔の前面についていた。耳は一部の梟が持つような非対称のものて、強力な魔力を帯びていることが明らかな金の錫杖を右手に持っている。
迷宮の魔神――ゲアフィリ。
統一王の英雄譚に登場する、最も有名な滅亡級危険種。それが今、はっきりと、俺たちの方を見ている。
眼球も持たないというのに。
俺は即座に聖剣の柄に手を伸ばした。親密度能力で騎士の召喚を行うためだ。
「王の名を持って命ずる。我が剣、リクサよ。呼び声に応え――」
呪文の詠唱はそこで潰えた。いや、俺は詠唱を続けて完成させたつもりだったが、それは声という形にはならなかった。
見ると、ゲアフィリが錫杖を持たぬ方の腕を上げ、俺をその鋭い人差し指で指していた。
恐らく空気の振動を著しく減退させる魔術を使われたのだろう。精霊魔法の《沈黙魔法》のように対象に直接働きかけるものではないらしく、魔術抵抗などとは無関係に機能するようだ。
つまり、聖剣の鞘では防げない。
次にゲアフィリはその三つある口の一つを開閉させ、身の毛のよだつ不気味な声で詠唱を始めた。第一文明語のため、その意味するところは分からない。しかしその手の錫杖をこちらへ向けているところを見るに、俺たち二人に攻撃しているのは間違いない。
それを証明するかのように、突然デスパーがその場で受け身も取らずに倒れた。そしてそのままピクリとも動かない。俺も同じ攻撃を喰らったと思うのだが、聖剣の鞘の加護が弾いてくれたらしく何ともない。
――デスパー!
そう名を呼んだつもりだったが、またも声にはならない。デスパーに駆け寄って容態を見るが、完全に昏睡していた。しかし命に別状はないようだ。
そこでゲアフィリの詠唱のリズムが変わった。どうやら別の魔術に切り替えたらしい。今度のは俺にも効果があった。
視界を埋めるように鮮やかな色の光が高速で明滅する。さらには頭の中で吐き気を催すような不協和音が大音量で鳴り響く。
それは攻撃と呼ぶにはあまりにも軽いものだった。つまり聖剣の鞘の加護が発動しない。しかし俺になんの影響も与えないわけではなかった。
ぐらりと体がふらつく。まるで脳がゆっくりと揺さぶられているかのようだ。
目と耳を閉じるが、光も音も消えてくれない。
信じられないことだが――そして信じたくないことだが――ゲアフィリはすでに聖剣の鞘の加護を完全に理解しており、その上で加護が発動しない攻撃を仕掛けてきているらしい。
少しずつ意識が薄らいでいく。
俺は両膝をつき、そのまま前に倒れた。
完全に気を失う寸前、俺は闇の玉座に腰かけたゲアフィリがこちらを向いて三つの口を開いて笑うのを見た。
魔神将は人間をも上回る高い知性を持つ化物だという。
しかしこのゲアフィリの知性は俺たちの想定を遥かに超えていた。
こちらをあまりにも簡単に分断し、聖剣の鞘の効果すら無効化してきた。搦め手を多用するその戦い方はこれまで戦ったどの滅亡級危険種とも違ったが、こいつもやはり、たった一体で国を滅ぼす存在であることに変わりはないようだった。
魔術師マーリアは滅亡級危険種たちを、それらを対処可能な時代へ送ったと言った。つまりこの時代にここに現れる以上、この場にいる人員だけで必ず倒せるはずだった。
少なくとも、これまで現れた滅亡級危険種たちは全員そうだった。
しかし、時空転移の魔術に部分抵抗できていたかもしれないこの怪物にも同じことが言えるのだろうか。
このゲアフィリもマーリアの計算どおりに行くと、本当に言えるのだろうか。
それが俺が意識を失う前の最後の思考となった。
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【第十一席 デスパー】
忠誠度:★★★★★★[up!]
親密度:★★[up!]
恋愛度:★★★
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