第百六話 感動の対面だと思ったのが間違いだった
東都の街を訪れ、悪霊と契約を交わしたその翌日。マーサ・ルフトに用意してもらったゲストルームで、俺はデスパーと共にテーブルについて朝から長いこと話をしていた。
俺が国王に即位した経緯、七人で行った円卓での最初の表決、沈黙の森の館での魔術師マーリア――あるいは魔女ノルニルとの対面、彼女から聞かされた歴史の真実と円卓の騎士の責務、後援者の存在と時を告げる卵が持つ力、そしてそれからの三度に渡る滅亡級危険種との死闘。
デスパーはそのすべてを真剣な顔で聞き終えた後、こくこくと頷き、緊張が解けたかのように大きく息を吐いた。
「イヤー、驚きデス。そんなことになっていたとは思いもしなかったデスよ」
そう口にはしたものの、デスパーの表情は到底驚いているようには見えなかった。感情が顔に出にくいタイプなのはすでに分かっていたけど。
「ま、そんなわけで、次で滅亡級危険種と戦うのは四回目なんだ。……念のため聞いておくけど、円卓の騎士の責務を果たす覚悟はある? 間違いなく命を賭けた戦いになるけども」
「ハイ、もちろんデスよ。それは円卓の騎士に選ばれた時からずっと覚悟してきたことデス」
「そ、そう? ならいいんだけど」
あまりにあっさりとした返答に、俺は少しばかし拍子抜けしてしまった。
円卓の騎士に選ばれるには、その責務を果たすに足る力を持つと同時に、その責務を果たす強烈な動機を持っていなければならない。
その動機は金だったり、領地だったり、名誉だったり、騎士によって様々だが、この男の場合、なんなのだろう。デスパーの領地はこの東都とコーンウォールの間に広がる亜人の森のエルフ居住区である。その税収は雀の涙のようなものだと、前に同じ亜人の森のコロポークル居住区の領主であるブータから聞いた覚えがある。
と、すると金のためではないのだろうが、あまり他の欲がありそうな男にも見えないので、皆目見当がつかなかった。
「あの、国王サマ」
「ん?」
「次の相手の滅亡級危険種って、あそこのやつデスよね?」
デスパーが指で示したのは部屋の壁の一面を占有している豪華な連作の織物である。それはこの東部地方で統一王の一行――初代円卓の騎士たちが成し遂げたことを讃え、記録するためのものであった。
東都の東の海に浮かぶは、魔の秘境たるキアン島。
キアン島の臍にあたるは深淵の魔神宮。
深淵の魔神宮の最下層に鎮座するは闇の玉座。
闇の玉座に座するは魔神将ゲアフィリ。
統一王、十二の仲間を率いてこれを討つ。
すべての織物を順番に見ていくと、そのような物語が読み取れるのだが、もちろんこれは事実に反する。俺は織物にも描かれている当事者の一人、魔術師マーリアから真実を聞いているが、この島のほとんどの住民はこの織物に描かれているような捏造された物語が史実であると信じきっている。
俺たち円卓の騎士と後援者たちはその真実を隠し通したまま、この島を護っていかなければならないわけだが。
「……そういや当事者といや、そこにもいたなぁ。おーい、イスカ! そろそろ起きなよ!」
呼びかけたのはこの部屋の隅に置かれた寝台の方。その上では生地の薄い涼しそうな白のネグリジェを着た少女が、窓から差し込む春の麗らかな日差しを浴びながら栗鼠のように丸まって、すやすやと寝息を立てている。そこは俺の昨夜の寝床だったのだが、いつものごとくイスカが潜り込んできて、そのまま朝まで同衾したのだ。さすがにもう慣れたし、服も着てくれるようになったので、もやはやめさせようとも思わないけど。
「ほら、朝だよ。というか、もうすぐ昼だよ。起きて」
と、寝台までいって体を揺さぶると、ようやくイスカは上半身を起こし、寝ぼけ眼を手でこすりながら、喉の奥まで見せて欠伸をした。
「ふぁー。おはよう、みれうす」
「うん、おはよう。ところでゲアフィリって覚えてる?」
「げあふぃり?」
イスカは四十五度くらい首を傾げて、そのまましばし硬直した。単純に覚えていないのか、それとも寝起きで頭が働いていないのか。
「ええと、あれだ。もしかして名前は知らないのか。ほら、ここで戦った奴だよ」
闇の玉座が映る時を告げる卵を見せると、イスカは再び喉の奥が見えるくらい大きく口を開けた。
「あー、おもいだしたぞー! あのくらくてせまいとこでたたかった、くろくてちいさいやつなー」
「そう、そいつそいつ。どんな攻撃してきたか教えてくれる?」
「んー。あつくてさむくてびりびりしたなー。ジョアンとかしにかかってたなー」
「ほうほう、他には?」
「あと、こう、こえがだせなくなるのやってきてー。それでマーリアとかアルマとかこまってたなー」
各種攻撃魔法に、魔術師マーリアの魔術抵抗を抜くほどの弱体効果まで備えていると。
意外と有益な情報を聞きだせたので、俺は頭を撫でて褒めてやった。
「よしよし、ありがとな。昼飯はイスカの好きなハンバーグにしてもらおうな」
「やったー! はんばーぐー。はんばーぐー。い・ち・ぽ・ん・どー」
ベッドの上で謎の歌を口ずさみながら小躍りしてはしゃぐイスカ。
デスパーが俺の隣までやってきて、無感動な表情のまま、それを見上げる。
「この子、初代円卓の騎士の一人で、聖イスカンダールで、決戦級の天聖機械……なんデスよね」
「信じがたいだろ? 俺やみんなも最初はそうだったよ。付属パーツがついてるところ見たら嫌でも信じられるようになるだろうけど」
イスカが体内に収容している二つの付属パーツ、“肉体”と“精神”。それらを身にまとった彼女の姿は説得力十分である。
今回の戦いでもあの自立意志を持つ付属パーツたちには手伝ってもらうことになるだろう――と考えていたのだが、それは唐突に踊るのをやめたイスカに否定されてしまった。
「そういや、そのげあふぃりとかいうのとたたかったところ、せまかったからへんしんできなくてめんどくさかったぞー」
「あ、そうか。迷宮内だとそりゃそうなるよな。うーん」
ゲアフィリ自体は魔術対策や弱体効果耐性をバッチリしていけばどうにかなりそうではある。しかし戦場は相手の本拠地で集団戦に向く場所でもない。そもそもそこにたどり着けるかどうかも不確定である。
深淵の魔神宮。
ゲアフィリ自身が魔術により造りだしたと言われる迷宮であり、その内部には致命的な罠と高レベルの危険種門が恐ろしい数配置されていると聞く。
このウィズランド島で最も深く、最も難易度が高いとされる迷宮であり、ゲアフィリがいたその最深部までたどり着いたのは歴史上、統一王の一行のみであると言われている。
まずそれを踏破することができるのか。
踏破できたとしても、消耗した状態で、かつ相手の本拠地で、魔神将に勝てるのか。
不安は尽きないが、かといって迷宮外におびき出して戦うという選択肢も、ゲアフィリを放置しておくという選択肢もない。ゲアフィリは迷宮の最深部――闇の玉座からまったく動かず、無数の危険種を召喚して地上へと放っていたと伝説では語られているからだ。
こちらから倒しに行かなければならないのは間違いない。ベストなのは闇の玉座の前で待機しておき、出現と同時に討伐すること。
だが迷宮の攻略に長い時間を掛けられるわけでもない。深淵の魔神宮が最高難易度の五つ星に認定されている理由の一つでもあるのだが、あそこは五日で内部構造がリセットされる可変迷宮であるらしいのだ。
つまりコツコツ地図作成をして、罠を解除し、危険種を排除していくにしても、最大でも五日間しか時間がない。
「どうにか楽に迷宮攻略できないかなー」
と、考え込み始めたところで、部屋のドアが無遠慮に開けられた。国王である俺のいる部屋にノックもせずに入ってくるのは、すでにこの部屋にいるイスカを除けば一人だけなので、誰かは容易に察しがついた。
「おい、ミレウス。デスパーにお客さんだぞ」
かったるそうな顔をして部屋に入ってきたのは、俺の予想通り作業着風衣服姿のナガレであった。その後ろについてきたのは、今年の冬に亜人の森で出会ったあの女性である。
「お久しぶりデス、陛下。それと兄サンも」
デスパーの妹、デスビアはそう言いながら、丁寧にお辞儀をした。
一方、興味を持たれたのか、イスカにその尖った耳をいじられていたデスパーは軽く手を挙げ、妹に答えた。
「おお、デスビア。元気そうでなによりデス」
「兄サンこそ、ご息災のようで安心したデスよ」
兄妹の会話はそこでパタリと途切れた。部屋の中、絵にかいたような美男美女が、やや距離を置いて見つめあう。
俺とナガレは二人の会話が再開するのを待つために硬直し、動くのはただデスパーの耳をいじり続けるイスカのみ。
しかし待てども待てども、兄妹は口を開かなかった。
「え、感動の再会はこれで終わりか? 淡泊だな、おい……」
ナガレが肩を落としたが、俺も同じような感想だった。
「妹は昔からこういう子なんデスよ」
「兄は昔からこうデスよ」
同じような訛り方をした二人が俺の方を向いて同時にそう語る。
なるほど、似たもの兄妹のようだ。
ナガレは腕組みをして冷めたような面をして二人の様子を眺めていたが、ふと思い出したように手をポンと叩くと、こちらを向いた。
「そうだ、ミレウス。デスパーも帰ってきたんだし、鎧作ってもらえよ。ちょうどこの街にいることだしな」
「ん? 鎧って?」
「お前も見たことあんだろ。オレたちが使ってる、あの白い鎧だよ。お前が【超大物殺しの必殺剣】使うときに着ける、同士討ち防止の効果があるやつ」
「ああ、あれね」
もちろん覚えている。よくみんなが【瞬間転移装着】している全身鎧と全面兜のセットだ。選定の聖剣を抜いて王になった日に、円卓の間でヂャギーが幻覚を見て大暴れしたが、そのとき知らぬ間にシエナがその鎧をつけていて実に驚いたのを覚えている。
「……え、あの鎧って新しく作れるもんなの? 前にリクサが、聖剣と同時期に作られたものだって言ってたような」
ナガレが嘘をついたと思ったわけではないけども。念のためデスパーに確認を取ると、案の定、エルフの男は無感動な顔のまま頷いて見せた。
「もちろんデス。自分、[最上鍛冶師]デスから」
デスから、と言われても、どういう理屈でそう言ってるのかは俺にはさっぱり分からなかった。