第百五話 契約したのが間違いだった
「……ドーモ。ご迷惑をおかけしました、国王サマ、ヂャギーサン」
拘束されたまま瞼を開けたエルフの美男子は、開口一番、そう謝罪した。
表情、口調、その他諸々。すべての要素が現在の肉体の主が悪霊ではないと物語っている。
「ん? 今はデスパーの方か」
「ハイ。デスパーデスよ」
エルフの青年は俺の問いに首肯すると、首をぐるりと巡らせて応接間の中を見渡した。
リクサ、ブータ、ヂャギー、ナガレ、ヤルー、ラヴィ、シエナ。
一年ほど前まで共に仕事をしていた七人の円卓の騎士。
デスパーは彼ら、彼女らと視線を交わすと、静かに頭を垂れた。
「みなサン、お久しぶりデスね」
どこかのんきな挨拶に聞こえるのは俺の気のせいではないだろう。たぶん、そういう性格の男なのだと思う。
次にデスパーが視線を止めたのは、ぽかんとした顔で突っ立っているイスカのところだった。
「そちらはどちらさまデス?」
「イスカはイスカだぞー」
無邪気に手を挙げて、答えになってない答えをするイスカ。
それに代わってリクサがデスパーに説明をする。
「この子は未選定だった第八席の騎士、イスカンダールです。貴方が不在の間に私たちの仲間になりました。この子については少し複雑な事情があるのですが、その辺りの話はまた後程」
「ふむ、了解デス。ではそちらは誰デスか?」
デスパーが次に目を向けたのはイスカの後ろに控えていたアザレアさんである。
彼女は自分に話が及ぶと思っていなかったのか、珍しく慌てた様子を見せた。
「あ、私はアレです。ただの女中です。一応後援者の末席でもありますけど。えーと、ミレウスくんの学生時代の友人でもあって、今はイスカちゃんのお世話係にも任命されています」
「ふむ、ただの女中さん、と。了解デス」
そこで疑問は尽きたのか、デスパーは口をつぐんだ。
俺は腕組みをして、事情聴取を開始する。
「悪霊はどうしてる?」
「自分の中で大人しくしてますデスよ」
「……そういうの分かるもんなのか?」
「この間までは分からなかったんデスけど、なんだか急に分かるようになりました」
体が慣れた、ということなのだろうか。
これまでのデスパーの話と先ほどの地下室での悪霊の言動から推察するに、恐らくどちらも表に出てきていない間の記憶があるのだろう。
「デスパー。その、悪霊とかいうのに憑りつかれた原因に心当たりはないのか?」
「ないデスねぇ。いや、さっぱりデス」
「うーん……じゃあ悪霊が出てくるようになった前後のことでも話してもらうか。思い出せないようなら、シエナに《記憶喚起》でもかけてもらうけど」
と、話していると。
デスパーが座らされている椅子の後方、台車の上に、先ほど地下室で悪霊が手にした長大な戦斧が無造作に置かれていることに気がついた。
「あれ? アレって地下室に置いてこなかったっけ? 誰かわざわざ拾ってきた?」
振り向いて尋ねてみたが、リクサとヂャギーは揃って首を横に振った。デスパーの治療と解析を行ったシエナとブータも身に覚えがないらしくすぐさま首を振る。
「デスパーくん、またコレクション増やしたのー? 君も好きだねぇ」
その斧を見て、半ば呆れたような声を上げたのはラヴィである。
「なんだ、ラヴィ。コレクションって」
「デスパーくんは三度の飯より斧が好きでさ。古今東西の斧を二百本だか三百本だか集めてるんだよね。前に全部見せてもらったことがあるけど、そんな斧はなかったと思うなぁ」
「……そんだけコレクションしてるのも凄いけど、それ全部を覚えてるのも凄いな。金目のものだから記憶してたんだろうけど」
ラヴィの金への執念に呆れつつ、戦斧へと視線を戻す。
薄暗いあの地下室では気づかなかったが、その斧は柄にも刃にも奇妙な光沢を持つ金属で装飾が施されていた。儀礼用にも見えるが、形状的に実用性も十分備えているようだ。どこの誰が製作したものなのかは分からないが、安物には見えない。
「なかなかいい斧デスよね、それ」
大好きな斧のことだからか、デスパーはひとりでに、かつ心なしか誇らしげに話し出した。
「それ、大陸で親切な老婆にもらったんデスよ。森でばったり出会った親切な老婆に。あれはそう、ちょうど悪霊が現れる少し前くらいのことデスね」
しん、と応接間が静まり返る。
円卓の騎士たちがそれぞれ無言のまま、視線を交わしあった。口に出さずともみんな同じことを考えているのは明白だった。
「ブータ」
「はい」
俺が名前を呼んだだけで、ブータもまた察してくれた。
台車へと駆け寄ったブータはその上の戦斧に【能力解析】のスキルを使用し、すぐに眉間にしわを寄せて俺の方を振り返る。
「ミレウス陛下、黒ですぅ!」
「だよなぁ」
室内にいる他の全員が顔をしかめる中、デスパーは一人きょとんとした顔をしていた。
「どういうことデス?」
「つまり、悪霊が憑りついたのはその斧を装備したのが原因ってことだよ」
そこで俺はふと疑問に思い、解析を続けるブータの横にしゃがみこんだ。
「でもさっき呪いではないって言ってたよな? 呪いの装備品……ではないのか?」
「違いますねぇ。デスパー兄さんに悪霊が憑りついているのはこの斧本来の効果であって、この斧が呪われているからではありません」
「……製作された段階ですでに、所持者を呪う効果が付与されていたってこと?」
「それも違いますねぇ。デスパー兄さんに抵抗した痕跡が見られないんですよ。つまりこの悪霊が憑りつく効果自体、呪いとは言えないんです。いわゆる呪いの装備品と同じように、所持者が離れるとその傍に自動で転移してくる効果も付与されているんですけどぉ」
ブータは説明しながら件の斧の柄や刃をペタペタと触る。どうやらデスパー以外は触っても平気らしい。
「実に興味深いですねぇ。魔力免疫って言うんですが、元々人の体には悪い作用を催す魔術や魔法に自動で抵抗する仕組みがあるんです。ところが第一文明期や第二文明期に製作された高度な魔力付与の品の中には、その魔力免疫の欠陥を突いて抵抗させずに悪影響を及ぼすものもあるんですよ。そうなるとそれは呪いのカテゴリには含まれず、結果として神聖魔法の《解呪》では解けないわけなんです。この斧は恐らくその類のものなのではないかとぉ……」
「なるほど。そういやさっき、悪霊自身も『オレは呪いなんかじゃない』とか言ってたな」
シエナの領分ではないとブータが言った理由もよく分かった。
問題はどうすればこの状態を解除できるか、だが。
「この斧が悪霊の本体で、それがデスパーの体を通して表に出ているのは間違いないんだよな?」
「えーと、いえ。その辺も現段階では断言はちょっと避けたいんですけどぉ」
「ふむ。でも、この斧が悪さしてるのは確実なんだろ? だったらこれを壊してしまえば解決なんじゃないか?」
「や、それはちょっとリスクが高いですねぇ。最悪、永遠に悪霊に憑りつかれたままになるかもしれません。それにこの手の魔力付与の品を破壊するのは物凄く骨が折れますし。時間は掛かるでしょうけど、きちんと解析をして装備状態を解除させる方法を考えた方がよろしいかとぉ」
「……おし。よくわかった。ありがとう」
俺が頭を撫でまわしてやると、ブータはくすぐったそうに目を細めた。魔術に関することならば、実に頼りになる子である。
デスパーにこの斧を渡した親切な老婆とやらが何者かは分からないが、これが第一文明期や第二文明期の産物であるならば、斧の製作者やその関係者ということはあるまい。本当にただの親切な人で、斧の効果自体知らずにデスパーに譲渡したという可能性も十分にありうる。
仮にその老婆を探し出して斧の入手経路を辿ったとしてもあまり収穫はなさそうだ。それに大陸まで人を派遣して探しても見つかるとも限らないし、そんな時間も俺たちにはない。
そう、時間がないのだ。
俺は懐にしまっておいたある物の様子をちらりと確認すると立ち上がり、黙って話を聞いていたエルフの青年の前に移動した。
「デスパー、悪霊と交代することはできるか?」
「ハイ。でもあぶないデスよ? さっきみたいに暴れるかもしれないデス」
「大丈夫だよ。さっきより厳重な拘束だし。それに俺にはこいつがあるからな」
と、絶対無敵の加護を授ける聖剣の鞘に手を添える。
それで思い出したのだが。
「そういえば、ちゃんと挨拶してなかったな。俺はウィズランド王国六代目国王のミレウス・ブランドだ。君が帰ってくるのをずっと心待ちにしてたよ」
「お目にかかれて光栄デス、ミレウス陛下。自分はデスパー・スミス・クラーク、デス。帰還が遅くなってしまいまことに申し訳ないデス。それと、今こんな状態なのも」
「そりゃ君のせいじゃない。気にするな」
俺はふっと頬の力を緩めて笑みを作ると、デスパーの肩に右手を置いた。少しのんきなところはあるが、なかなか律儀で誠実な男らしい。
「デスパー、俺を信じてくれ。悪いようには、しないから」
「はい、陛下。ではお任せしますデス」
デスパーも俺と同じように表情筋を緩めて微笑むと、大きく息を吐いてうな垂れた。
そして再び顔を上げた時、その表情は悪霊のそれになっていた。
「ケケケケッ! いーい、パンチだったゼ、ヂャギーの旦那ヨォ!」
声量、口調、すべてが別人。
部屋にいた俺とデスパーを除く十名の反応は多種多様だった。
「ワイルドだな、おい。よっしゃ、こいつハイド氏って呼ぼうぜ」
と、近寄ってきたのはナガレである。
同じように興味を持って近づいてこようとしたのがイスカで、それを背後から羽交い絞めにして食い止めたのがアザレアさん。
「あ、主さま、お気をつけて」
そう言いつつ、ソファの影にシエナが隠れて、ブータがそれに続いた。
逃げ足の早いヤルーはすでに更に遠くの家具の後ろに隠れている。
先ほど地下室で対面しているリクサとヂャギーは警戒するように僅かに重心を変えただけで大きな動きはみせない。ラヴィとマーサも興味深げに悪霊に視線を注ぐだけだった。
俺はみんなに注目されているのを感じながら、つとめて平静を装って話しかけた。
「よぉ、気分はどうだ、悪霊」
「悪くない。アア、悪くないヨ。やっぱり円卓の騎士は最高だヨ。オレ様が求めてる絶対的苦境を与えてくれるのは、やっぱりお前らしかいないネ」
戦闘用に改造された名残であるギザギザの歯を見せて、悪霊はニヤリと笑う。どうやら全身に力を込めているようだが、さすがに今回の拘束は外せないようだ。
「絶対的苦境ねぇ。そういや俺と戦いたいとも言ってたな」
俺なんかと戦っても面白いはずはないだろうが、こいつが闘争を求めるやつだというのなら話は簡単なのである。
「喜べ。俺なんかより、よっぽど強い奴と戦わせてやるよ」
懐から取り出し悪霊の眼前に掲げて見せてやるのは、淡い黄色の光を放つ卵型のガラス玉。
『時を告げる卵』。
初代円卓の騎士が製作した魔力付与の品で、この国の王の間で代々受け継がれてきたものであり、ウィズランド島に迫る脅威を予期する効果を持つ。
その光の色はこれから一月ほど後に、この島に滅亡級危険種が出現することを示している。かつてブータが帰還したときもそうであったが、新たな騎士が帰還したこのタイミングで、この卵も光るのではないかと思っていたのだ。
「ど、どちらが映っているのですか?」
これにはリクサも慌てて駆け寄ってきた。遠巻きに見ていた他の連中も。
俺がみんなに見やすいように卵の位置を変えてやると、一斉に驚きの声が上がった。
「闇の玉座!」
「ってことは、今回の相手は――」
卵に映しだされている滅亡級危険種の出現位置は、魔術の人工的な光に照らし出された迷宮の一室と思われる場所だった。
そこには光を吸い込むような漆黒の岩石で作られた玉座が置かれている。この島の住人であれば、これを見れば今回の相手は容易に予想がつくのであった。
俺は卵を再び悪霊に見せてやり、解説をしてやる。
「魔神将ゲアフィリ。魔術に特化した魔神将で、この東都の東の海に浮かぶキアン島の地下迷宮で闇の玉座に着いて、無数の危険種を放ち、人々を苦しめていた。統一王の一行が倒したとされる中で、最も有名な滅亡級危険種だが、実際には討伐なんてしちゃいない。ただ魔術師マーリアの力で未来へと飛ばしただけだ。それがこれから一月後に戻ってくる。……どうだ? 相手にとって不足はないだろ?」
悪霊はしばし唖然としていたが、やがて話が飲み込めたのか、これまでで一番の笑みを浮かべてみせた。
「面白れェ! 面白れェよ、国王サマ! ノったぜ、その話ィ!」
「んじゃ契約成立だな。ゲアフィリのところにつくまでは、デスパーに体を返して大人しくしとけよ」
「ケッケッケッ! 分かった。分かったよォ!」
悪霊はそれだけ言うと、突然気絶したかのようにガクンとうな垂れた。
そして次に顔を上げたときは、デスパーの理知的な表情に戻っていた。
「……すごいデスね、国王サマ。悪霊の扱い方をもう分かっていらっしゃるみたいデス」
「ま、厄介勢の扱いについてはここ一年でずいぶん鍛えられたからなー」
苦笑して、俺は周りの厄介な仲間たちを見渡す。
別にデスパー本人のせいではないけども。
俺が出会った十人目の円卓の騎士も、やはり、かなり厄介な奴のようだった。
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【第十一席 デスパー】
忠誠度:★[up!]
親密度:
恋愛度:★[up!]
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