第百四話 事情聴取しようとしたのが間違いだった
長らく行方不明であった円卓の騎士第十一席のデスパー、もとい、デスパーに憑りついた悪霊とやらを気絶させてから半刻ほど後。俺たちはルフト家の館の応接間でくつろがせてもらっていた。
二百年前から続くこの名家はウィズランド王国四大公爵家の一角である。その館の内装や調度品は相応に豪華なものではあったが、この島のすべての宝を手に入れたと謳われる冒険者ルドが建てたにしては、いささか平凡にも感じられた。
四大公爵家の筆頭であるコーンウォール家――諸侯騎士団の後援者代表であり、リクサの遠い親戚であるエドワード公の館と比べても大差があるとは思えない。
いや、別に目玉が飛び出るような希少なお宝が所せましと並んでいるのを期待していたわけではないし、聖剣を抜く前の俺ならばこのくらいの館であっても十分に驚いていただろうけども。
国王になってからの一年余りの歳月。それは、ごく普通の少年をこういった豪邸に慣れさせるのには十分な長さであったというわけだ。
「一年。そう、丸一年経ったんだよなー」
高級素材の代名詞でもあるヤノン羊の毛が贅沢にあしらわれたソファに深く身を預けて、俺はしみじみ呟いた。
思い返せば、この一年は長かったようでもあり、あっという間であったようでもある。どちらにしても、癖のありすぎる仲間たちのせいで一日たりとも退屈しなかったのは確かだけど。
「よし、じゃあナガちゃん、開錠判定をしてくれ。目標値は十二だ。……失敗した? では宝箱は爆発四散して、ついでに君たちの頭の上からアツアツのスープが降り注ぐ。回避するには――」
と、少し向こうの丸い卓でほくそ笑みながら弁舌滑らかに語っているのはヤルーだった。真剣な顔つきでそれに耳を傾けているのは、同じ卓についているナガレとラヴィとイスカの三人。イスカの後ろにはいつものようにアザレアさんが女中服姿で暇そうに立っている。
「やっばい! 六点ももらっちゃった! これ、鎧で軽減できないの? せっかくプレートメイル着てるのに意味ないじゃん! イスカちゃん、ヒーリングちょうだいヒーリング」
「もうせいしんてんのこってないぞー。ナガレがもってるポーションつかえー」
「いや、さっきの戦闘で使い切ったっての! オイオイ、つーか、これどうすんだ? 宝箱の中に情報入ってたんだろ? 詰んだか?」
サイコロを何度か転がした女子三人は、なにやら深刻そうな顔を近づけて相談を始める。
しばらく前からヤルーが主催で遊んでいるボードゲームのようなものらしいのだが、俺にはルールが分からないし、一応公式の訪問のはずのこの状況でそれで遊んでいる奴らの神経も分からない。
「いかがなされました、ミレウス様」
俺がしかめ面を浮かべたのを訝ったのか、隣に座っていたリクサが、ずいっと身を寄せてくる。
なんでもないよと苦笑いして、俺は彼女の眼差しから逃げるように顔を背けた。鼓動が僅かに高鳴っているのを自覚する。顔が赤くなっていなければいいのだけど。
三ヵ月ほど前、コーンウォールの街で彼女の実家であるバートリ家に滞在したが、あそこで過ごした最後の晩、彼女の部屋でコタツに入って二人でしたことについて、彼女はあれから何も言ってこないし、俺の方からも何も聞いてはいない。
あの時リクサは泥酔していたので、記憶を失くしてしまったのではないかと疑ったりもしたのだが、それからしばらくの間、彼女の様子がおかしかったところを見ると、どうやらそういうことでもないらしい。
あれはあくまで臣下としての誓いであって深い意味などなく、特に話す必要もない。
きっと彼女にとってはそういうことだったのだろうと割り切って、とりあえず俺は王の任期が終わるまではあの夜のことを考えるのはやめることにした。彼女の方も何かしら気持ちの整理がついたのかいつの間にか普段の調子に戻っていたし、それからは俺も以前と同じように接することができるようになっていたのだが――こんな風に近くに来られるとやはり意識はしてしまうのだった。
「いらしたようです」
リクサに言われて、廊下から足音が近づいてくるのに俺も気づいた。
応接間の扉を開けて現れたのは、一目で上等なものと分かるスーツを着た小柄な女性が一人。
「おほほ。お待たせいたしました、ミレウス陛下」
ニコニコ笑顔のまま恭しく頭を下げてきたその女性は、この館の主にしてルフト家の当主であるマーサ・ルフト。この家の祖である冒険者ルドはコロポークル――小さな潰れた丸い鼻に、やや尖った耳、宝石のような青い瞳が特徴の亜人であったが、その血を継ぐこの女性もまたコロポークルである。
パーティや式典ですでに何度も顔を合わせている相手であるが、このどこか掴みどころのない貴族の女性がどれくらいの歳なのか、俺はまだ知らなかった。コロポークルは成長しても子供くらいの背丈しかなく、基本的に童顔のため、年齢を推し量るのは難しいのだ。
「うちの騎士が迷惑かけて済まないね、マーサ」
「いえいえ、事情は執事から聞きました。うちも後援者の一員ですから、円卓の騎士の皆様の要望を聞くのは当然の責務でございます。お気になさらなず、お気になさらず」
ソファから立ち上がった俺が手を差し出すと、マーサは小さな両手でそれを握ってきた。この当主の女性は折り悪く、俺たちが訪れたときには外出していたのだ。
「なつかしいにおいがするぞー!」
ゲームを中断して駆け寄って来たのはイスカである。マーサの周囲をぐるぐると回りながら、前から横から後ろから彼女のことをじろじろと観察する。
二人の身長はほぼ同じ。マーサはイスカの頭を大型犬にするかのように撫でまわした。
「はじめまして、イスカンダール様。私はルド・ルフトの末裔。マーサ・ルフトでございます」
「ルドのこどもか!」
「いえ、子孫です。子供の子供の子供の……まぁすごく先の子供です」
「なるほど! ううーむ。ルドとおなじにおいがするぞ!」
よほど嬉しかったのか、イスカはぴょんぴょん跳びはねてマーサに抱き着いた。恐らく二人は体重も同じくらいなのだろうが、マーサは苦しそうな様子は微塵も見せず、笑顔も崩さず、こちらを向いた。
「この子の件でもお世話になったね、マーサ」
「いえいえ。あれくらいはちょちょいのちょいでございますわ」
この子の件というのは、去年の秋に最貧鉱山――ロムスの街で起きた一件のことだ。あの時イスカはロムスの住人ほぼ全員に、その背中に白い六対の翼が生えているのを見られてしまった。
一応口外無用と念は押したのだが、人の口に戸を立てられるはずもなく、彼女の異形は瞬く間に島中に知れ渡り、国王が天使を従えただのと妙な噂が流れてしまった。
そこで俺が後援者に情報操作を依頼して、魔族の希少種の歌唱鳥なのではないかという方向で落ち着かせてもらったのだが、その時動いてくれたのが盗賊ギルドとこのルフト家である。
盗賊ギルドが裏からの情報処理、諜報を担っているのに対し、このルフト家は表からの情報操作――新聞、出版などの報道機関の統制を行っている。
これができるのはルフト家開祖の冒険者ルドがこの島の冒険者ギルドの創設者であると同時に、新聞協会の初代会長でもあったからであり、その後継者たるこの家の当主たちもまた報道機関業界に大きな影響力を保持しているからである。
「それで、その悪霊とやらは退治できたのでしょうか、ミレウス陛下」
ようやくイスカから解放されたマーサは、俺の向かいにソファに腰を下ろすと、執事に用意させた飲み物をストローで飲んでから切り出した。
俺は自信を持てず、首を傾げる。
「いや、どうだろうね。今、他の仲間たちに調べてもらってるけど、憑りついてるってんなら物理的な方法では退治できない気もするけど」
そこで都合よく応接間の扉がノックされ、その仲間たちが入ってきた。
先を歩いてくるのは浮かない表情のシエナとブータ。その後ろから改造された台車を押してくるのはヂャギーである。
台車には頑丈そうな椅子が乗せられており、そこには意識を失ったままのデスパーが先ほど以上に厳重な拘束を受けた状態で座らされていた。
「どうだい? シエナ」
「え、えと……命に別状はないと思います。鼻が折れてて脳震盪を起こしてましたけど」
俺の問いを受けたシエナは頭頂部の獣耳をぴくぴくと動かしながら、台車の上のデスパーの様子を恐る恐る確認した。俺が指示したとおり回復魔法をかけてくれたらしく、ヂャギーの鉄拳を受けてへこんでいた顔面も綺麗に治っている。
「うーむ、さすがシエナ。さすがエルフ、とも言えるけど。丈夫だなぁ」
エルフは第一文明期に戦闘用に改造された人々の末裔である。勇者ほどではないにせよ強靭な体をしており、再生能力も高いという。
「それで? 何か分かった?」
シエナは獣耳をピンと立てると首をふるふると左右に振って、隣に立つブータへとバトンを渡すように視線を投げた。そのブータが頭を掻きながら代わりに答える。
「少なくともまだその悪霊とかいうのは体の中にいますねぇ」
「やっぱりか。で、その悪霊の正体は?」
「魔術的な影響は感じますが、かなり高度なもののようなので、すぐにはなんともかんとも。ただ、呪いの類ではないようなので、シエナ姉さんよりかはボクの領域かと思います」
「ふーむ。うむ、二人ともご苦労様。……こりゃ少し本人に事情聴取してみた方がよさそうだな」
俺はソファから立ち上がると、デスパーが拘束されている台車のそばへと歩いていく。
そこでヂャギーが丸太のような両腕を天井に向けて振り上げた。バケツヘルム越しでも分かるくらい嬉々として。
「オイラが顔面ひっぱたいて起こそっか!」
「……いや、大丈夫」
また手加減を忘れられても困るので、俺は代わりにシエナに頼んだ。
「悪いけど、気付けの魔法をかけてやってくれ」
「は、はい。主さま」
シエナが信仰する女神アールディアに祈りを捧げて呪文を唱える間、室内は奇妙な緊張感によって支配された。
彼女の恐れを含んだ震える指先が、デスパーの額に触れる。
軽いうめき声。そして身震い。
デスパーはゆっくりとその瞼を開けると、澄んだ湖水のような碧い瞳を俺たちに見せた。